68章 王国騎士
68章 王国騎士
鞄持ち。
前職、第11領役人。
総代から紹介を受け、奴隷の後、帝国臣民となり、文官の鞄持ちとなった男。
殺人的な量の仕事をこなしながら帝国の制度を整える。
そして、もう1つ。
王国の背後にあり、なおかつどの様な国かも全く判らない。
経済状況も、行動方針も何も見えない。
そんな帝国の動向を見張り、王国へ情報を流す。
それも鞄持ちの仕事である。
全ては宝剣公の御意志で御命令である。
夜が明け、騒動の被害もある程度見えてきた中、
帝国の動向を報告するのは最優先であるが、ちょっと現状それどころじゃ無かった。
「見習いちゃん、包帯ってまだある!?」
「こっちにはあと10箱あるよ。後は病院になかったらもう無い!」
「判った! 俺の指の数、持ってくぞ!」
「はーい」
備品の管理は当然、文官並びに事務員が行う。
各部門から上げられる使用報告は全てこちらに纏めている。
帝国に文字を読める者は少ない、数字に強い者も少ない。
そして種族を超えて会話が出来る者が居ない。
故に事務方の、特に見習いの負担が激増する。
戦闘で消耗した分の報告――間違いが多分にある――を受けながら、
必要な物資の配給を手配するのは中々の強行である。
「……鞄持ち殿、後で確認を」
「はい」
今のやり取りを書き取りながら黒騎士が鞄持ちに指示を出した。
指の数1つでも、この国は多種多様だ。
「いや……」
「?」
黒騎士が考え込むような仕草を見せた後、含みがあるような声で言う。
「私が行こう。報告に手違いがあっても困る」
「……そうですね」
表情を崩さずに鞄持ちは返事をする。
だが、不穏な空気を感じ取ったのか、不安そうな顔で見習いがこちらに近付いてきた。
「疲れた? 大変?」
「まだいけますよ」
先程の肌を刺すような空気は失せ、2人は見習いに笑みを向ける。
それでも不安そうな表情をしていたが、すぐに明るい雰囲気を取り戻した。
「だいじょーぶ」
「?」
見習いが、しーっと唇に指を当てながら小声で話す。
2人はそれを聞き取る為に顔を近付ける。
「判らない事はとくれー? にして現場に任せたらいいって文官さん言ってた!」
「お嬢さん御存知? それ後がめっちゃ大変なやつ」
「一緒に頑張ろうよー」
「あああああ絶対逃げられないやつ」
逃げ出そうとする黒騎士の外套の裾を見習いが引っ張る。
それを尻目に鞄持ちは、ただ無心で書類にペンを走らせ続ける。
●
焔の騎士は第6領にある小さな領地の騎士だった。
第6領と第9領の境目にある領地に勤務していた。
第6領は海沿いの領地。
漁業が盛んな領地であり、領土としては王国で3番目に大きな領地である。
例え、多少の火種が飛んできた所で第6領は小揺るぎもしないだろう。
だが、それは小さな領地を焼くには十分なものであった。
切欠は何だったのだろうか。
取るに足らない不満は反乱が起こる前からあった。
税金が高いとか、商売が上手くいかないとか。
子供が反抗期だとか、嫁に頭が上がらないとか。
だが、それがいつの間にか王族に対する深刻な誹謗にまで変化し、
反乱が起きるまで、あっという間であった。
脱穀用の棍棒で打ち殺された同僚がいた。
遊び半分に吊られた友人がいた。
いよいよとなった時、領主から白槍公に対する書簡を預けられ、皆の悲鳴を背に走った。
武器を持った暴徒を切り捨て、農具で突かれながらも書状だけは守った。
火が放たれた森の中を、呻き声と叫び声に追いかけられながら逃げ回った。
そして――。
目が覚めると見慣れない天井が目に入る。
天井絵が1つも無い、質素でありながら素材の良さが見て取れる天井だ。
焔の騎士は体を起こし、部屋の中を見る。
やはり派手好きな第6領の意匠では無く、素材の良さを活かした調度品が置かれている。
着ていた筈の鎧は脱がされており、体中には包帯が巻かれている。
使用人が扉を開く音がし、中に入って来たのは第9領公爵、白槍公だ。
立ち上がり、跪こうとする焔の騎士を白槍公が押し止める。
その手には、領主から預かった書状があった。
白槍公が寝台のすぐ傍にある椅子に座る。
2人の騎士が何も言わず後ろに控えている。
「結論から言おう。君が居た領地の反乱は鎮圧された」
首謀者達は捕らえられ、既に処刑された後だと言われた。
領地は火に焼かれ、使い物にならない。
故に彼らは火付けの罪で処刑されたという。
「……私に書状を届けるように言ったのは領主かね?」
「はっ」
本来ならば第6領公爵、捕鯨公に報告するべきである。
叱責を受ける覚悟で頭を下げていると、ふ、と笑い声が聞こえた。
「良い判断だ。捕鯨公に届けていては君自身も無事では済まなかっただろう」
「……ありがとうございます」
捕鯨公のいらっしゃる場所は、西の海岸である。
焔の騎士が居た領地とは、まさに正反対の場所だ。
それでも通すべき筋を曲げたのはこちらである。
門前払いをされても文句を言えない所だ。
寛容な処置に言葉も無いまま黙っていると、白槍公がそれで、と話を切り出す。
「君はどうするかね」
「は」
「傷が癒えたら第6領に戻るか?」
焔の騎士は急いでその提案を拒否する。
そこまでされて、おめおめと帰っては騎士の名折れだ。
「お許しが頂けるのであれば、こちらで反乱軍討伐の手伝いをしたいと」
「いいのか?」
「……はい。ですが」
今の名前は、既に亡き領主から頂いたものだ。
平和だった頃、同僚に親愛をもって呼ばれていた名だ。
だが――。
「かつての、名は、捨てます。我が、名は、復讐の騎士」
男は新たに名乗るべき名を告げる。
「反乱軍に与した、連中も、弱さを言い訳に、口車に乗る、民草も」
死んでいった皆の悲鳴が消えない。
嬉々として隣人を手にかけていった奴らの顔が消えない。
民衆という名の悪鬼への憎悪が消えない。
「皆、殺す。殺して、御身に勝利を捧げましょうぞ。剣に誓って……!」
「君!」
倒れ込む復讐の騎士の体を白槍公が支える。
成長途中の体が大きく傾くも、何とか堪える。
薄れゆく意識の端。
白槍公の御尊顔が酷く歪んでいたような気がした。
●
この国では毎日のように乱痴気騒ぎが起きている。
悪代官とされた者の首が落ち、その祝いか、はたまた恐怖を誤魔化す為か、
酒場では女達が踊り狂い、男達が騒ぐ。
そんな共和国の中にある比較的、静かな酒場、上質な火酒を出す店。
パイモンの契約者、旗手の質問に、忠義の騎士はこう答えた。
「人間には就くべき立場という物がある」
忠義の騎士と名乗った男は酒を揺らしながら語る。
旗手はそれを興味深そうに見る。
13年前の飢饉の際、餓死者が最も少なかった第9領。
そして、共和国に与する人間が最も少ない第9領。
だが、それを離れ共和国に与する理由は何か。
騎手の興味はそこに尽きた。
そして返ってきたのが、その言葉である。
「……つまり?」
旗手は話の続きを促す。
こちらを図るようにじっと視線を寄越した後、忠義の騎士が語り始める。
「先王に王たる資格は無かった」
「ほう」
「飢饉の時、第3領に備蓄が無い筈も無い。それでも例年通りに徴税していった。
全ては自らの、人外共に対する恐怖を御せぬが故に」
憎悪に煮込まれた目が兜の隙間から見えた。
当時の事を思い出したのか、暫く押し黙った後、再び話が始まった。
「……何をしたのかは言わん。だが、民は救われた」
「……」
その言葉に旗手は僅かながら目を見開く。
聞いた話によれば白槍公は、そのような後ろ暗い手段とは無縁の人物であると聞いていたからだ。
と思ったが、当時、年端も行かぬ年齢であった筈だ。
ならば周囲の入れ知恵であろうか。
だが、それならばこの入れ込みようは一体。
「私は決して忘れない」
ギチリ、と歯を食いしばるような音がする。
「閣下に罵声をぶつけた先王も、嘲笑した貴族共の顔も忘れない」
杯の酒を一気に煽り、勢いよくテーブルへと叩きつけた。
「……貴様」
「貴公らのお陰で場は整い、邪魔者の大半は潰えた」
旗手の言葉を遮るように、口元を拭いながら忠義の騎士が続ける。
「あと足りぬのは相応しき敵だけだ。それさえあれば閣下は英雄で王になる」
忠義の騎士が立ち上がり、店を出ようとする。
旗手はその背中を見送る。
「その為に、私はここにいる」
「……」
浅はかだ、とも、見事だ、とも言えず、旗手は火酒を一気に飲み干した。




