65章 ■■■■=ニャルラトホテップ
65章 ■■■■=ニャルラトホテップ
処刑人達は王国の第11領に到着した後、僅かながら情報収集を行った。
戦地に1番近い村で宿を取り、今後の方針を決める為に酒場に立ち寄る。
それは互いに報告をし合っていた時に起きた。
突如、地面が揺れ、真っ赤な閃光が空を埋め尽くした。
外からは悲鳴と争うような音が次々と上がる。
武器を持ち、2人は急いで酒場から出る。
頭領が屋根の上に飛び上がり、何が起きたかを偵察する。
襲い掛かってきた暴徒を鞘に収めた剣で鎮圧し、処刑人も状況の整理に務める。
一言で言って凄惨、である。
女が叫び、男が殺し合う。
誰もが正気を失ったように互いに争っている。
誰かが火を付けたのか、火事が起きていた。
空から叫び声が聞こえた。
蛇の鱗を持つ巨大な芋虫に蝙蝠の羽が生えた生き物が人間を捕まえている。
血の臭いで何匹も怪物がたかってきた。
ぞわり、と処刑人の肌が粟立つ。
これ以上、あれの姿を見てはいけないと脳が警鐘を鳴らした。
長く見続けているとこちらが侵される、そのような悪魔を何度か見た事があった。
人が食われる光景を見て更に場が混沌とする。
逃げ惑う人間を次々と、それが捕食していく。
群れを成すそれらに騎士達が弓と剣で対応している。
処刑人も、地面すれすれに飛んできたそれの首を落とす。
屋根に登っている頭領を呼び戻し、狙われないように指示を出す。
それは次々と王国第3領、壁の方から、それらは飛んできていた。
背後、第2領の方で火が上がるのが見える。
一瞬、帝国の事が、皇帝の事が頭をよぎるが、すぐに打ち払う。
どうあっても情報を集めねばと目を凝らすと奇妙な物が目に入る。
こちらから見える程に高い、木の根が絡まったような物が屹立している。
月を割るようにそれは大陸を見下ろしている。
「塔……?」
処刑人の呟きを引き裂くように敵が滑空してきた。
●
悪魔の国、海岸沿いの遺跡。
魔術師は塔の上から大陸を見下ろしていた。
召喚は成功し、あちこちから悲鳴が聞こえてくる。
空を飛ぶ鱗のある芋虫のような生き物――忌まわしき狩人達は――大陸中を飛び回っているようだ。
天使の国、悪魔の国、王国、帝国、遊牧民の国。
壁を、山を飛び越え人類を食らっていくのが見える。
ぽつぽつと、破滅の炎が燃え広がっていくのが見えた。
朝になれば使えなくなる手駒であるが、そこはそれ。
また別の眷属を呼び出せばいい。
契約を交わし、真っ黒になった両目が愉悦に歪んだ。
これでまた一歩、世界の破滅が近付いた。
4文字殺害の時は近い。
大戦争の頃、現れる筈の主は現れず、世界に悪魔は残った。
何故か。
まだ足りないのだ。
天使が出た、悪魔が出た、異教の神々が現れた。
だが主はまだ現れない。
それはつまり、現状まだそれほどの危機では無いからだと考えた。
ならば並び立つものを作り出さなければならない。
神が危機感を覚える程の事態を引き起こさねばならない。
契約者達では足りない。
彼らは敗者で貶められた者達である。
我らが主に顔は無い。
名前も無い。
書き記す事が禁じられていたからだ。
彼は無貌の神である。
彼は敗残者ではない。
彼は貶められていない。
2柱が共通する要素を繋ぎ合わせ、これを呼び出した。
真っ黒な神。
そして主が敵対するに相応しい冒涜的な神。
魔術師の背後に何者かが立つ。
真っ黒で巨大な芋虫が何匹も絡まってできた人形。
顔には真っ黒な穴が空き、その中は全く見えない。
黒い翼が羽ばたくと塔が発光し、塔の表面がボコボコと音を立てる。
泡立つ塔の表面から人形の眷属が空へ飛び立った。
人形が手を肩に置いてきた。
顔に空いた穴から表情は読み取れず、行動の意図も仕草から読み取れない。
だが魔術師はその手を取る。
魔術師の心音に呼応するように塔が胎動する。
捻れている壁から、粘着質な音を立てて眷属が生み出されていく。
眷属達の産声と人間達の悲鳴が上がる。
それを気にせず魔術師が目を閉じると瞼の裏に真っ暗な空間が浮かぶ。
太陽や惑星が浮かぶ音の無い空間。
その中に浮かぶ、金属で出来た死骸のような物。
人形の触手が、それに伸ばされる。
朽ち果てていたそれは、触手が中に侵食していくと徐々にかつての姿を取り戻していく。
箱に翼を付けたような物。
文明の言葉で人工衛星と呼ばれていたそれが駆動音を立てて動き出す。
神の杖。
地上からの指令により宇宙から高速で金属の棒を叩き落とす兵器。
完成すれば、その威力は核にも匹敵すると試算されていた。
文明の知識をもってしても実現不可能であった為、試作されたものの実用化されず破棄された兵器。
だが邪神という理不尽が中に巣食い、それは実用可能な兵器へと生まれ変わる。
ましてや宇宙と地上の交信は人形の得意分野。
妖精の力無くとも――電気と言ったか――兵器を使う事は可能だ。
■■■■=ニャルラトホテップ。
それが契約した神の名前であり、この塔の名前だ。
●
次々と火の手が上がる。
王国が燃えていく様を指導者は満足げに見ている。
何故今まで、天使や悪魔が空を飛び壁を超えるという手段を使わなかったのか。
答えは単純だ。
天使達では補給線が伸びすぎる。
間に他の国が挟まる補給線など、いつ使い物にならなくなるか判ったものでは無い。
ましてや他国との同盟など、教義を考えれば絶望的である。
悪魔、悪魔人間達では数が足りなさ過ぎる。
ただでさえ、個体差が激しい上に協調性が無い悪魔、悪魔人間である。
まず1つの部隊を作る事が難しい。
空を飛べるだけの悪魔人間の数を揃えたとしても、壁を超え、満足な補給も無いまま戦えば、
待っているのは確実な敗戦だ。
例え悪魔であろうとも、少数で陥落できる程、あの壁は容易くない。
王国はそのような幸運が重なって何とかなっていたのだ。
時を重ね、腐り、英雄を蔑ろにしても何とかなると思っていたのだ。
だから。
「みっともなく取り乱す!」
指導者は怒りと狂気を孕んだ声で叫んだ。
共和国にある遺跡の塔。
補修された塔の頂点で指導者達は事態を見下ろしている。
魔術師の取った手段は端的に言えばこうだ。
補給の必要無い空の飛べる神の眷属を、数を揃えてぶちまける。
贅沢な手段である。
それ故に効果的である。
ならば、この好機を逃す訳にはいかない。
指導者は部下に指示を出す。
まずは共和国の防衛を巨人達に割り振る。
使っていて判った事だが、彼らは移動できる範囲が限られているようだ。
共和国からある程度離れると、途端に動かなくなってしまう。
ならば、その限界の所で防衛戦を引く。
攻撃を行うのは契約者達だ。
バアル以下、他の悪魔達は暴れる時を今か今かと待っている。
魔術師達が勧誘してきた契約者とは別に、こちらでも数を増やす努力はした。
賈船を名乗る胡散臭い商人が持ってくる庶子達と、適正があると思われる奴隷の購入。
彼らを儀式の贄として契約者を増やした。
成功したのは2割程だろうか。
最終手段は背後に立つ、一際巨大な鉄の巨人。
王都を崩壊せしめた光線はまだ放てないが、戦闘を行える程には直っている。
必要ならば彼が動いて全てを薙ぎ払うだろう。
王国の崩壊は近い。
「……気になっている事がある」
「?」
珍しく話しかけてきた歯車の騎士に、指導者は首を傾げる。
歯車の騎士が巨人の顔に寄りかかりながら、こちらを見ようともせずに言葉を続ける。
「お前の言う英雄とは誰だ? 蔑ろにされたという英雄とは」
「……」
「契約者か? 必要ならば保護も考えるが」
「……必要無い」
指導者は口を滑らそうとするのを何とか堪えた。
彼に関して決して嘘は吐きたくない。
だが決して今、口にする事では無い。
士気に関わるからだ。
僅かに逡巡した後、指導者は黙って第9領を指差した。
巨人の目が光る。
●
神の御足元、神座の下に立つ男は地上を覗いていた。
主は何も仰らない。
大陸に現れた塔。
異教の悪魔と手を組んだ男が、主を冒涜するが為に顕現させた塔。
鉄の巨人。
討ち倒すべき悪魔達の群れ。
異教徒達。
天使と信徒達。
名前を失った大陸。
世界に幾つか残った大陸の中で最も過酷な場所。
長い年月の間、均衡を保っていた大陸は今、大きく混乱している。
男はこの戦いで何かが変わる事を確信していた。
僅かでも人類が成長する事を確信していた。
男は神座を仰ぎ見る。
白い柱と、延々と続く白い階段。
夜を掻き消す白い光。
アダムとイブが楽園を追放される前から、ここの景色は変わらない。
ここは神座の間。
主と男だけが居る、神聖な場所。
皆が戦い雌雄を決した後、誰かがここに来るだろう。
神座の元、各々の思いを胸に、この場所に立つだろう。
まだ見ぬ敵に思いを馳せながら男は剣を構える。
男が主に与えられた使命を全うする為に。
人類の成長を止める為に。




