64章 憧れ
64章 憧れ
見上げる顔の凛々しさと、敗残者である事など気にならない程の気高さに憧れた。
敵を屠る圧倒的な強さと、頭を撫でる大きな手にに自身の幼さと弱さを見た。
月日を重ねる自身の体に、いつか並んで戦う事を夢見た。
●
もうすぐ日が沈みそうである。
族長は蝋燭を片手に廊下を歩いている。
戦いが終わった後、族長は皆を別宅に運ばせた。
半壊した屋敷では手当も儘ならないからだ。
と言っても竜の戦士達に怪我は無い。
いつものように無事に戻ってきた。
ゼウスもあれだけの戦いの後にも関わらず、防具の点検をしながらポセイドンと言い争いをしている。
テュールは何か思う事があるのか、干城と話し込んでいるようだ。
対して帝国からの客人、特に文官は火傷が酷く、今は別室で手当を受けている。
武官と騎士にも怪我は無く、皇帝は疲労困憊で寝入っていたものの、今ではピンピンしている。
何故、1番厄介な仕事をした男が元気なのだろうかと疑問は湧いたが気にしない事にした。
壁に立てられた蝋燭に次々と火を灯していく。
ゆらゆらと揺れる火を見ていると何かが満ち足りたような気分になった。
「そのような事、使用人にさせればよいではないか」
いつの間にかディヤウスが反対側の壁に寄りかかっている。
気不味そうに、若干こちらから目を逸らしている。
「……いや、何でもない。思うようにやれば良い」
そう言ってディヤウスが立ち去ろうとする。
言葉を拒絶するような背中に族長は足早に駆け寄る。
「ディヤウス様、一緒に着けて回りませんか」
「……何?」
ディヤウスが勢い良く振り返った。
その目が驚きで見開かれている。
「お嫌ですか?」
「……嫌では無いが」
良いのか、とディヤウスが問うた。
族長は目を逸らさずに返事をする。
「ずっとこうしたかったのです。ずっと。どんな事でも共に行いたい」
「……そうか」
ディヤウスが蝋燭立てを手に取る。
そこに刺さっていた蝋燭に、族長の蝋燭から火を取る。
何も言わずに2人は火を着けて回る。
●
スレイプニルが草原で駆けているのを眺めている。
冷え始めた風がオーディンの外套をはためかせた。
地平線に沈んでいく太陽をじっと見る。
「いつに無く静かだな」
「……」
いつの間にか背後にロキが立っている。
強い風に髪を嬲られながらも、それを直そうともしていないようだ。
暫くすると舌打ちと共に喋り始める。
「何故呼ばなかっただと。馬鹿馬鹿しい」
「……」
吐き捨てるような声に、オーディンは振り返る。
睨みつけるような目でロキがこちらを見ていた。
「選ばれなかっただけだ。そうだろう?」
「……」
オーディンの沈黙を肯定と取ったのかロキの口調に熱が篭る。
「勇敢な戦死者こそ選ばれるに相応しい! 未練がましく生き延びる奴が呼ばれる訳も無い!」
感情的に叫ぶロキに対してオーディンの反応は冷静だ。
そしてロキの言動を見て長年の疑問が氷解した。
「……だからバルドルが気に入らなかったのだな」
「ああ、そうだ!」
怒りのままにロキが叫ぶ。
「俺達は戦士として生き、死に、オーディンの館に招かれる事こそ誉れだったんだ。それをあの女!」
自らが死ぬ夢を見た息子バルドルに、妻であるフリッグは心を痛め全ての生き物にバルドルを傷付けないように契約させる。
しかしヤドリギの木だけは若すぎて契約できず、ロキはそれを利用しバルドルを殺したのだ。
荒い息を整えようともせずにロキが続ける。
その目には何処か狂信じみたものがあった。
「あいつを殺した事に後悔は無い。だが問題はその後だ。
何故、俺を殺さなかった? 侮辱には徹底的な報復をするのが戦士の掟だ。復讐こそ掟だ」
だから貴様はオーディンでは無いのだ、とロキが叫んだ。
「貴様がオーディンであるなら、バルドルの父であるなら、何故俺を殺さなかった!?」
「弟だからだ」
ロキが動きを止める。
信じられない物を見る目でオーディンを見た。
「ロキ。我の弟。我が家族」
がん、と胸当てが叩かれた。
何度も何度も、ロキが拳でオーディンの鎧を叩く。
オーディンはそれを黙って見ている。
暫く打撃音が続いた後、ロキが後ずさりながらオーディンの言葉を否定するように首を横に振る。
ロキの足元から炎が現れ体を包んだ後、白い閃光が発生する。
視界が戻る頃にはロキの姿が消えていた。
「……」
オーディンは焦げた地面をじっと見る。
太陽は完全に沈んでいる。
●
「しみる」
「我慢してください」
文官は総代に手当を受けている。
エルフの血を引く総代には少しだけ、治癒の力があるようだ。
熱にやられた胸と喉を重点的に治療しているらしく、先程から忙しなく手を上下させている。
ヒューヒューと甲高い呼吸音は既に収まり、息苦しさや痛みも無いのだが、それでも絶対安静を言いつけられた。
問題はそこでは無い。
しみるのは竜騎士が先程から顔に塗ってくる薬だ。
大量に塗れば効くというものでも無いのだが親の敵であるかのように塗ってくる。
「もう治療は良いと思うんだ」
「少なくとも今晩から明日までは絶対安静です。気道や肺は治ったように見えて重篤化しやすい。
……私に、純血のエルフ程の力は無い。間違っても今晩は仕事などしない事です」
「はい」
あまりの剣幕に思わず肯定の返事をするしか無かった。
寝台に寝かされている文官をマンセマットが愉快そうに覗き込んでくる。
何やら悔しさを覚えつつ、文官は武官の方を見る。
「どうした。お前も手当してもらうか?」
「いや。怪我はねぇよ」
じゃあどうした、と続けると武官が溜息混じりに話し始めた。
「戦闘の最中にハニエルの記憶が戻ったのは聞いてるか?」
「聞いている」
「何で今更なんだ。それも主の御意志って奴なのか」
「……」
狙ったように記憶が戻ったハニエルの姿を見て、何か思う事があるのだろう。
そもそも、天使の記憶が失われる事自体がおかしいと言えばおかしいのだ。
如何に人間達への教えが焼かれようとも、主御自身が健在であれば再生できる筈なのだ。
現に一度、討ち滅ぼしたマンセマットは再び文官達の前に現れた。
天使と悪魔、主の創造物とされている者達は、体が滅びようと何度でも蘇る。
終末を迎える時まで、それは繰り返される筈なのだ。
文官が考え込んでいると、マンセマットが肩を竦めながら話に割り込んできた。
「さぁ」
「さぁって」
武官が毒気を抜かれたように返した。
「主の御考えなど我々の与り知らぬ所です」
かつては、とマンセマットが続ける。
「御尊顔を拝する程には近かったものですが、今はもう上位の天使ですら声を聞く事は無い」
そういうマンセマットの顔は何処か寂しそうであった。
武官が確認するように聞いた。
「声も聞こえない、考えも判らない。そんな奴に何で仕えてんだ」
「覚えているものが在るからです。信仰が焼け落ちた今、尚」
その言葉を聞いて武官がニヤリと笑った。
マンセマットも薄く笑う。
どうやら互いに何かを納得し合ったようだ。
そのまま2人が取り留めのない会話を続けている。
緊張している総代の手を軽く叩きながら文官は起き上がる。
塗りたくられた薬が胸元に垂れた。
手近な布でそれを拭き取りつつ、文官は鏡を見る。
2人の手当もあって、火傷は赤みを残すだけとなったようだ。
冷やして安静にしていれば、すぐに治るだろう。
ならば、と文官は明日以降の予定を組み立てる。
取り敢えず戦場となった屋敷の修理は手伝わねばならない。
そこは騎士と皇帝が何とかするだろう。
総代の商談はどの程度まで進んだのだろうか。
折角なので、そちらの交渉も見てみたい。
まだ少し熱さの残る息を吐き出しながら寝台の背もたれにもたれ掛かった時だ。
文官の思考を遮るように、ずん、と腹に響くような低い音が聞こえた。
「……? 何の音だ?」
武官が立ち上がると同時に外から熱を伴わない赤い閃光が差し込んできた。
視界が奪われたと同時に轟音が鳴り響き、地面が揺れる。




