表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/107

62章 黄金時代


 62章 黄金時代

 

 穏やかな陽の光が島を照らしている。

 地面を白い花が埋め尽くし、穏やかな風が吹いている。


 芳しい匂いの中を男が1人で歩いている。 

 黒いマントとローブを身に着けた巨大な男である。

 

 巨大な鎌を背負い、島の頂上に向かっている。

 男は名も無き神である。

 今はこの島の管理をしている。

 

 頂上に着いた途端、強い風が吹きつけ、ローブが肩に落ちた。

 目の前にある泉に顔が映る。

 水面に写った顔は、褐色な事を除けばゼウスと瓜二つであった。

 

 近くの石に腰掛け、一息つく。

 兄――ハデス――の元へ向かう亡者達の列が遠くに見えた。

 

 文明の時代の遥か前、父――クロノス――が世界を治めていた頃。

 かつて神々は不老不死であった。

 人間も不死ではなくとも寿命は長く、そして頑丈であった。

 

 それが崩れたのはクロノスが自身の子供達を飲み込み始めてからだ。

 祖父から王座を簒奪した際にかけられた呪い。


 自身も我が子に王座を簒奪され、殺されるだろう、という言葉に狂ったクロノスは、

それを防ぐ為に兄弟達を飲み込み始めた。


 男は末っ子のゼウスの代わりに飲み込まれた神であった。

 母が産着を着せ飲み込ませた石が男である。


 双子の兄弟。

 ゼウスが全知全能を司り、男は不老不死を司っていた。

 

 男が飲み込まれた事により、世界から不老不死が消える。

 ゼウスが兄弟達を吐かせる際、クロノスの体内に残ったのは、

クロノスが息子達を殺す為に吐き出さなかった事もあるが、自分の意志でもあった。


 本来、死なない筈の神が死に、冥界の更に下の世界に幽閉されたのはその所為だ。

 男が飲み込まれた事により、不老不死は世界から消え失せ、兄弟達は戦いに勝利する。

 

 戦いの後も男はクロノスの中で長い時を過ごした。

 幽閉された時も、罪を許され島の管理を任された時も。

 それは息子達への復讐だったのか、自身が父を哀れんだのか、今となっては判らない。

 

 そして大戦争の後、信仰を得られなかったクロノスが死に、鎌と男だけがこの島に残された。

 

 男は泉に鎌を掲げる。

 水面が揺れ、ゼウスが戦っている所が映し出された。

 

「……」

 

 ここは至福者の島。

 夜も無く、苦しみも無い、花の香だけが有る天国。

 

 かつて英雄達が安寧を享受した島には誰も居ない。

 最早、男の一人住まいでしかなくなった島を風が撫でる。

 

 ●

 

「何としてでも吐かせるべきだったと後悔している」

 

 雷を纏いゼウスが言った。

  

「そうすれば我々は死ぬ事無く勝利しただろう」

 

 ポセイドンはちら、と皇帝の方を見る。

 ディヤウスの攻撃を避けながら真っ向から打ち合っている。


 あちらに手を貸す必要は無いと判断する。

 そしてすぐさまその考えを否定する。


 まともな貢物も無いのに何故、手を貸さねばならないのか。

 無駄な思考を取り払いゼウスと向き合う。

   

 黒雲が空を覆う。

 雷が破裂しゼウスが叫んだ。

 

「人間があんな戦い方をする必要も無かった!」  

 

 2本の槍がぶつかり合い、嵐が巻き起こる。

 互いに弾き飛ばされ、距離が開く。

 岩に着地し立ち上がる。

 

 ゼウスが空を飛び、槍をこちらに向けて突っ込んできた。

 それを避けると、ゼウスの槍が岩を砕き地面に突き刺さる。

 動きが止まった所を思い切り蹴り飛ばし、ゼウスを崖から落とす。

 

 ポセイドンも崖から飛び降り、未踏破地帯へと降り立つ。

 2人の戦いに揉まれた気流が髪を嬲った。

 

 ゼウスとて判っている筈だ。

 自身が思っている程、人間は弱くない。

 

 だが、大戦争の時、人間達が化物と化した光景を引き摺っているのだろう。

 この国で悪魔人間達の面倒を見ているのが証拠だ。

  

 この弟は情が深すぎるのだ。

 そうでなければ、あんなややこしい家族関係になるものか。

 

 父の顔面を殴る為に真っ先に吐き出された責任を取るべきだろう。

 無理矢理にでも、共に吐き出されるという手段を取らなかったのはこちらも同じだ。

 

 ポセイドンは手慣れた様子でゼウスを挑発する。

 

「情でも湧いたか。英雄でもない人間に頼りにされて。

後悔したか。神の血どころか精霊の血すら引かぬ只の人間が、女子供ですら命を削る様を見て。

――だから4文字の如きだと言ったのだ!」

 

「黙れえええええええ!」

 

 閃光、閃光、閃光。

 爆音、爆音、爆音。

 

 最早、どちらの攻撃かも判らない応酬が続く。

 閃光が、雷が、光弾が炸裂し爆裂し周囲を薙ぎ払っていく。

 

 石畳が割れ、塔が崩れ、周囲の埃すら消し飛んでいく。

 地面のひび割れから光が溢れ、石畳が空へ飛ばされる。

 

 未踏破地帯に新たな窪みが増えていく。

 大地に穴が空いていく。

 

 ゼウスが天を仰ぎながら吠え、自暴自棄気味に槍を地面に突き刺した。

 

「!」 

 

 ゼウスの周りの大地が更に深く窪む。

 衝撃で出来た土の塔が周りを串刺しにする。

 

 せり上がった地面にポセイドンの体が突き上げられ吹き飛ばされる。

 塔の中程まで飛ばされるが、余裕の表情で乱れた髪を整える。

 

 ひっくり返された体を戻し、槍を地面に向け、穂先に足を載せる。

 ポセイドンの体に光が収束する。

 凄まじい重量を伴って、瓦礫が落下するよりも早くポセイドンは地面に降り立った。

 

 大地が大きく揺れた。

 槍が地面に突き刺さり、轟音と共に大地が穿たれ粉砕される。

 まばゆい光が周囲を塗り潰し、文明の塔が消し飛んだ。


 ゼウスの作った土の塔が粉砕され、土と岩が波状にせり上がっては消え、

津波のようにゼウスへと向かっていく。 

  

 雷で薙ぎ払おうとするも間に合わず、今度はゼウスが吹き飛ばされた。

 ポセイドンの体が再び光る。 

  

 ゼウスに向かって槍を投げた。

 爆発音と閃光が空を染める。

 

 ●


 陽の光は完全に遮断され、夜と見紛うような暗さだ。

 風は強いが、雲はそれ以上に分厚く流れる気配も無い。

 

「藁の上の死、それを我は好まぬ」

 

 病死や、ただ寿命が尽きた。

 そういった死に方の事だ。


「軽蔑すらしている」

 

 我が戦士には戦死こそ相応しい。

 そう言ってオーディンは槍を降ろす。

 

 眼前には剣を支えに辛うじて立っているテュールがいる。

 鎧や顔が血に染まってはいるものの致命傷では無い。

 

「矢張り王には勝てぬか……!」

「判っていた筈だ」 

 

 槍に着いた血を振り払いながらオーディンは淡々と言う。

 藁の上の死、という物がどれだけ不名誉であるか、同郷で部下であったテュールは知っている筈なのだ。

 

 テュールが引き攣るような笑い声で思考を引き裂く。 


「お強い……、あの時よりも」

「……」

「今が本来の御姿なのでしょう。4文字の影響など無い。真の御姿なのでしょう」

 

 テュールが痙攣と見紛う程に震えている。

 血を吐くような声にオーディンが首を傾げる。


「4文字の影響を受けた王は我らに対して信を抱かず、ただ安寧だけを齎した。

戦士の勇猛さに、その人生に心震わせず戦士を集めた。

……ラグナロクに勝利する為だけに御自身の御心を大いなる理に捧げた。

そうでないのは喜ばしい、喜ばしい事です」

 

 テュールの表情は奇妙な程に晴れやかである。

 その目は何処か遠くを見ているようだ。

  

「しかし今の王が真なる御姿であると仰るなら、そのようにお目覚めになったのならば、

今は信ずるに足る者を信ずる事が出来るのならば」

  

 囁く様な声をかき消すようにガチャリ、と鎧の音がした。

 オーディンは微動だにしない。

  

「何故、我をヴァルハラに呼んで下さらなかった!」

 

 テュールが体を軋ませ剣を振り上げる。

 その剣先は皇帝の方へ向いていた。

 

 甲高い音が響く。

 槍が剣を貫き、粉々にしていた。

 衝撃でテュールが膝を突く。


 オーディンは槍を肩に担ぐ。

 テュールは跪いたまま気絶している。 

 

「……」

 

 オーディンは皇帝の方を見る。

 ディヤウスとの戦闘に集中しているのか、こちらに気を向けてはいない。

 

 今の情けない顔を見られずに済むのは僥倖であった


 ●

 

 空の黒雲は分厚さを増すばかりだ。

 雨が降ってくると視界が悪くなる、と考えながらディヤウスの放つ光弾を避ける。


 岩の破片を振り払いながら皇帝は前に進む。

 足止めに徹するとは言ったものの、本気でやっても勝てるかどうか。

  

 だが、可能性があるのは今だけだ。

 言動から察するにディヤウスは――恐らくは他の神々も――只の人間の戦士や英雄の戦い方を知らない。

 良くも悪くも身内だけの戦いしか知らない今だけが、ディヤウスの慢心を突ける機会となる。

 

 そこまで思い至れば後は皇帝の力と技量だけが頼みの綱となる。

 至って単純な話だ。

 問題はディヤウスが戦ってきた身内が神である事だがそこは考えないようにする。

 

 要するにディヤウスの攻撃は人間が喰らえば消し飛ぶし、神が喰らっても致命傷に成り得る攻撃なのだ。

 ならば取るべき戦術は1つ。 

 

 常にディヤウスとの至近距離を保ち、攻撃を避け続けながら機会を伺う。

 これに尽きた。

 

 自爆目的でもなければ自身が喰らいかねない攻撃は避ける。

 そして何より、族長の元へ行かせないという目的がある以上、ある程度、近付くのは必定である。

  

 そしてディヤウスは皇帝から距離を取りたいと思っている。

 ならば、と考えているとディヤウスが後ろへ跳ねる。

 

 ディヤウスの右手から小さな光弾が幾つも放たれる。

 軌道を描きながら地面を抉るそれらを避ける。

  

 ディヤウスから視線を外さずにいると今度は左手に大きな光弾が現れる。

 皇帝は一気に懐へと踏み込んだ。 

 

 目と鼻の先、まるで口付けのような距離、驚いたディヤウスが体勢を崩す。

 掌の上のそれを剣で突き刺し、破裂させる。

 急いで剣を縦に構え直し防御の体勢を取った。

 

 散らばった光が皇帝の服や髪、皮膚を少しだけ焼いた。

 火の着いたヴェールを投げ捨てる。

 その隙に再び距離を開けられてしまった。

 

「――馬鹿っ!」  

「なんとでも」

 

 ディヤウスの罵倒に涼しい顔で返す。

 ここで焦りを顔に出さない程度の腹芸は出来る。

 

 再び距離を詰めようと一歩を踏み出す。

 空が光り、雷が近くの木に落ちた。

 閃光の後、炎が燃え上がり辺りに煙が立ち込める。

 

 炎に照らされたディヤウスの顔に表情は無い。

 手に光弾を出した後、それを握りつぶした。

 

 焼け爛れながらも、すぐさま治っていく掌をこちらに向ける。 

 背筋が泡立つのを感じながら皇帝は剣を構え直した。

 

 ふと、歓声が聞こえたような気がした。

 勝利の雄叫び。


 それを肯定するかのように竜が次々と飛び立っていく。 

 ディヤウスも未踏破地帯へ顔を向ける。

 

「勝ったのか」

 

 雲の間から太陽の光が差し込んでくる。

 柔らかな光がディヤウスを照らす。

 

「勝ったのかぁ、嬉しいな、……寂しいなぁ」 

 

 ディヤウスが乾いた笑い声を上げ続けた。

 自嘲と歓喜と空虚が混じった笑い声だ。

 

 その様子に皇帝は見覚えがあった。


 3年前、皇帝が即位してすぐの頃。

 騎士が父親――アザゼル――に攫われかけた時の事だ。

  

「皇帝よ。少し、甘えても良いだろうか」

「……おう」 

 

 悪魔の血の強制力が発動し、意識を奪われ、その後、自らの力で取り戻した時。

 自身の子を人形と呼んで憚らなかった男は何と言っただろうか。

 

「無体を強いても良いだろうか。八つ当たりをしても良いだろうか。この寂寥を埋めてはくれぬだろうか」 

――見ろ神よ、俺でも人の子を孕ませられたぞ!―― 

 

 人も悪魔の子を孕むではないかと当時は首を傾げた。

 今なら判る。

 あれは人形から人間になった事を喜んでいたのだ。  

 

 理解したと同時に強風と妙な重圧が体に伸し掛かる。 

 ディヤウスは問いかけながらも逃がす気は毛頭無いようだ。


 ディヤウスを睨むオーディン達を制す。

 元よりこちらから首を突っ込んだ話だ。

 最後まで面倒を見る気はある。

 

 1匹の竜がこちらに向かってきている。

 風を切り、滑空している。 

 竜はこちらを見た後、旋回し背を向けた。


 皇帝は黙って剣を構え直した。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ