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57章 帝国 皇帝


 57章 帝国 皇帝

 

 閉め切った部屋の中で処刑人は旅支度を整えている。

 情勢が読めない王国の現状を見に行く為だ。

 

 宝剣公の用事は内乱でで発生した難民受け入れの際の様式を参考にしたい、と言う物であった。

 他にも目的があるのだろうが、それを考えるのは文官の仕事である。

 だが、何にしても現場を見なければ話にならぬ、と見に行く事になったのだ。

 

 王国南部から離れた今でも、部屋を閉め切るのは習慣になっていた。

 飢饉の前は突発的な豪雨が部屋に入り込むのをを防ぐ為。

 その後は外から聞こえる何らかの声を遮る為。

 

 それは怒声であったり悲鳴であったり何かを喰らうような粘着質な音であったりした。

 食料が無い村で何を食べるのか、という疑問は朦朧とした意識の奥へ消えた。

 

 まだ少年であった皇帝を儀式の生贄にした後。

 処刑人が皇帝の全てを切り刻んだ後、

その死体――まだ死んでいないとは言え虫の息であった――は光と共に消えた。 

 

 村人達の儀式の成功を祝う声はすぐに絶望の怨嗟へと変わる。

 豊穣か食料をもたらす筈の儀式は、少年の摩訶不思議な失踪という結果しかもたらさなかった。

 

 八つ当たりのように叫んだ後、ある程度の時間が経ち、寝台で寝転がり続ける日が続いた。

 日付を数えるのを諦め、最早、視界すら真っ暗になりかけた頃。  

 黄金の鎧を着た戦士と、泣き顔の少年が目の前に現れた。 

 

 扉が叩かれる音で現実に帰る。

 恐らく、頭領が呼びに来たのだろう。

 

 荷物を持ち、返事もせず扉を開ける。

 入り込んできた風が処刑人の外套を煽った。

  

 風と日差しが強い。 


 ●


 オーディンは王である。

 全知全能の父、北欧の最高神であり、アスガルドの王である。

 

 それはたとえ、宮殿に誰も居らずとも変わらない。

 未来永劫変わらない。


 吹き抜けるような空。

 新緑が白い太陽に照らされ、黄金の宮殿に彩りを添えている。

 切り立った崖の上に立つ宮殿、その下には青い湖と川が広がっている。

 

 大戦争の戦場でフェンリルに呑まれた後、オーディンはヴァルハラにいた。

 2羽の鴉と、スレイプニルを連れて、何の音もしない宮殿に立っていた。

 

 毎日のエインヘリヤル達の訓練も、ヴァルキリア達の歓声も無く、毎晩、催されていた宴も無い。

 神々達が国の行く末を決める民会も無く、地上の様子も見れない。

 黄金の壁に全ての音を吸収されているような有様であった。

 

 玉座に座り、何年経ったか。

 それは小さな足音を立てて訪れた。

 

「こ、こんにちは」

「……」

 

 柱の陰に幼子が居た。

 何の装備も持たない、ただの村人である。

 返事をしないオーディンに不安を感じたのか少年が再び口を開く。

 

「あの」 

「ここは宮殿である。我は王である。……たとえ誰も居らずとも」

 

 オーディンはそれを掠れた声で制し、言葉少なく言った。

 久々の発声に喉が付いていかない。

 

 スレイプニルが玉座の前に座り、少年の服の裾を口で引っ張る。

 それを見て察したのか少年も床に座った。


 臣下の礼とは程遠いとは言え、今はこれで充分だ。

 こちらも雄弁で声の大きい王とは程遠い。

  

「して少年よ、このオーディンに何用か」 

「あ、はい!」 

 

 少年は自らの村の事を語った。

 飢饉に襲われた事、食料が尽きた事、妙な噂に乗せられた村人に生贄として捧げられた事。

 そして豊穣の悪魔か神を求めてやって来た事を語った。

 

「残念だが、我は農耕の神では無い。卿の望みは叶えられぬ。

だが、誰かを紹介する事は出来る。……死んでいなければな」

「!」

 

 ラグナロクで死ぬ事になっていたのは誰だったかと、オーディンは思い出す。

 全てが予言の通りになった訳では無い。

 大戦争の戦局は予言と違った部分が多々あった。

 

 だが結局、勝ちはしても全てを覆す事は出来なかったのだ、と顔が険しくなりそうになるのを抑えた。

 

「だが我が誰かに口利きをするとして卿は何を捧げる?」

「ささげる」 

 

 少年が首を傾げる。

 オーディンは少年の目を見て言葉を続けた。

 

「そうだ。我は農耕の神と口を利けるかもしれぬ。

だが、その為には貴重品……は無いな。何か卿の大事な物を我に捧げねばならぬ」

「きちょう……、大事な物……」 

 

 悩ましい独り言が玉座の間に響く。

 暫く待っていると何かを思い付いたのか少年が顔を上げた。

 

「友達」

「……ほう」

 

 成程、この歳の少年からすれば大事な物であろう。

 友を大事にする性根は好ましいものだ。 

 だが、捧げるとはどういう事なのか判っているのか、と聞こうとした所で言葉が続いた。

 

「王様って友達いないんだよね? 聞いたことあるよ」

「……少なくとも我は用立てた事は無いな。必要も無かった」 

 

 家臣は大勢居たが大体が血の繋がった者であったし、万物の父、という立場上、皆、息子や娘となる。

 それで不足が無かった為、特に所望した覚えは無い。

 

「きちょうって少ないって意味でしょ? じゃあ俺が王様のきちょうな友達だよ!」 

「……」 

 

 呆気にとられながら少年の顔を見る。

 自信満々な顔に思わず笑みが溢れた。

 

「ふふ、そうだな。それは貴重だ」

「じゃあ一緒に来てくれる!? ごはんの神様の所」 

 

 そう言って少年が元気良く立ち上がる。

 確かに魅力的な提案だ。

 だが。

 

「いいや、卿にはここに居てもらう」

「え」 

 

 戸惑うような声はボトリ、という音に掻き消された。

 少年の指が、次は腕が床に落ち、足元から崩れ落ちる。

 

 耳や目が次々と零れ落ちていく。

 ごぼり、と口から気泡混じりの血が溢れた。


 儀式で捧げられた際、無事な体だけがこちらに来たのだろう。

 そして傷が少年の命を追いかけ、そして追い付いてきたのだ。

  

『汝、死ぬことなかれ』

 

 詠唱。

 ルーンが宙に浮かび上がり、少年の体が光に包まれる。

 

『足蹇は御者となり、隻腕は牧人となり、聾者ですら戦士となる』

 

 少年の足元に出来ていた血溜まりが徐々に小さくなっていく。

 落ちた手足、指や耳が元の場所に戻っていく。

 

「……灰になっては何も出来ぬ」

 

 服に染みた血が完全に戻り切るのを確認した後、ルーン文字を握りつぶし、少年の様子を確認する。

 頭から倒れた為、少々不安ではあるが問題は無いだろう。

 安らかな寝息を立てる少年を抱え、オーディンは寝所へと向かった。

 

 ●

 

 無意味な死は御免だと、出生を乞い願われ、戦場で死んだ。


 海すら凍りついた冬、僅かに明るい灰色の空の下、吹雪に閉ざされた大地。

 炎天の夏、鳥すら飛ばない乾いた空、井戸すら枯れた、ひび割れた地面。


 戦場で死ねず、信仰は無く、志も無い、ただ死ぬだけの者達。

 戦士では無い、ただの村人、飢饉で死を待つしか出来ない村。

  

 凍死が、餓死が、轢死が、狂死が、病死が、震死が、爛死が、溺死があった。

 備蓄、木の根、虫まで食べ尽くした。 

 

 夭死が、過労死が、刑死が、衰死が、愧死が、獄死が、毒死が、縊死があった。

 水も無く、不衛生故に疫病が流行る。

 

 窒息死が、斃死が、圧死が、墜死が、夢死が、孤独死が、自死が、何の変哲も無い死があった。

 村人達に儀式で見送られ、オーディンと帰るも、村は無人、ただ死の臭いだけがある。  


 人も、神も、例外無く。

 何も残せぬ無意味な死があった。

 

 手入れもされず、雑草が生い茂った廃村。

 砂埃が喉や鼻を乾かし、痒くなる目を擦りながらも。

 

 獣に齧られたであろう遺体の表情を。

 否、生きる為に食べられた遺体の表情を覚えている。

 

 だから友となり蘇る。

 

 ●


「大人しくしていれば手酷くしないと言えば聞いてくれるか?」

「聞かねぇさ。何が何でもあいつに武勲を挙げさせると決めたからな」

「だろうな」

 

 ゼウスの質問に皇帝が返事をすると諦めたような溜息を吐かれた。

 オーディンが何故か得意気な表情を浮かべた。

 

 皇帝がやるべきは足止めであった。

 族長が問題を解決し、再び戻ってくる為の時間稼ぎ。


 騎士と武官、最終的には文官も合流し目的を達成するだろう。

 であるならば、自分だけ怠けていると言うのは情けない話だ。

  

 皇帝の目的を察したようで、3柱が一気に殺気立つ。

 

「手加減はせんぞ」

「……こっちが先約だと言われた」

 

 皇帝の手の甲に三叉の槍の紋様が浮かび上がっていた。

 それを見てオーディンが不満げに唸り、ゼウスが目を見開く。

 

「ポセイドン!」

 

 皇帝の声と同時に空から天井を突き破って1本の槍が振ってきた。

 真っ直ぐに振ってきた槍はざくり、と垂直に皇帝の目の前、

石の床に突き刺さり、低い地鳴りの様な音を立てる。

 

 突き刺さった場所から清らかな水が湧き出てきた。

 水は徐々に量を増していき、床を沈めていく。

 

 咄嗟にオーディンが外套で皇帝の身を隠し守った。

 槍を中心に水を含んだ竜巻が巻き起こり、屋敷の粗方を吹き飛ばす。

 

 水と瓦礫と突風。

 それらに煽られながら薄っすらと目を開け、外套の向こう側を見た。

 

 清らかな水に覆われた地面の上。

 ポセイドンが乱暴に槍を抜いた。

 

「時の流れとは恐ろしいな。今や我らの神話も遥か昔」

 

 風が止み、バチリ、とゼウスの手の中に閃光が走る。

 雷の槍が手の中に現れる。

 

「それがどのような男か知らぬと見える」

「友達」 

「貴様、変人か聖人の類?」

「お前にだけは言われたくないわ!」 

 

 ポセイドンが勢い良くゼウスに向かって槍を振るう。

 ガキン、と甲高い音がして槍同士がぶつかり合った。

 

「だがそれが我々だ。思うままに好き勝手に振る舞うのが我々だ」  

 

 2人が間合いを取る。

 それが、とポセイドンの目が釣り上がる。

 

「どうしたこれは? まるで4文字の如き振る舞いだな、えぇ?

英雄を率いて仇討ちをするのではないのか。我らの祖父神の如く睾丸でも斬り落とされたか?」


「……時代が下り、何度も嫁が変わったようなものだ。我らだって変わる。

神が試練と理不尽を称する時代は終わった」

 

 理に則り、人間達の信仰が我らを生かしているのだ。

 ならば庇護するのが当然だろう。

 

 そう言うゼウスの態度は堂々たるものだ。

 最高神、その名に恥じぬ態度である。


 確かに多くの神々は人間の信仰を得られず死んだと聞いた。

 オーディンと豊穣の神を探した時にそれは目の当たりにしている。

 

 だが。

  

「ならば何故、俺は蘇った」

 

 ポセイドンが全てを一蹴する。

 

「俺が滅んだとて海は枯れていない。人間に忘れ去られても自然はそこに有る。 

人間が生まれる前、太古の混沌に在った自然が貴様で俺達だ」

 

 創世神話なぞ只の宝飾品。

 何者にも形成されず、不変で在る事が我らの本業。

 

 ポセイドンが槍を構え、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「来いよ、ゼウス。我が名はポセイドン。ゼウス・エナリオス。

理を捻じ曲げ、貴様の名を無理矢理継ぎ合わせ蘇った、神たる理不尽を体現する者である」

 

 再び槍がぶつかり合い、周囲に突風と水滴が吹き荒れる。 

 皇帝は巻き込まれないように移動し、別の神を止めようと動く。

 

 目の前に鉄板が振り下ろされた。

 後ろに飛び退くと辛うじて無事だった調度品が真っ二つに断たれる。

 

 前に立ちはだかるは隻腕の戦士だ。

 巨大な鉄板のような剣を皇帝に向かって振り下ろしていた。

 オーディンが何も言わずに前に出ると、戦士が跪く。

 

「オーディン」

「……まさか我が私人として振る舞う贅沢が得られようとはな」

 

 中々愉快だ。


 皇帝とオーディンが互いの拳をぶつけ合う。

 そして、2人で笑いあった後、皇帝はオーディンを見送る。 

 戦士がそれに続いた。

 

「良いな? テュール」

「王の御心のままに」 

  

 オーディンと戦士――テュール――が少し離れた場所で向かい合った。

 ごう、と風が唸る。


「変わられましたな。私人の振る舞いなど、以前の王では有り得なかった」

「不満か?」

「いいえ」 

 

 王に何の不満がありましょうや。

 そう言うテュールの目に疑いは無い。

  

「そして今こうして我に対峙なされると言う事は我が何か間違っているのでしょう。ですが」

 

 次のラグナロクに勝つのは我々だ。

 

「その為に強い戦士と血筋を求める事すら王はお止めになる御様子」  

「ならばどうする」

  

 再びテュールが剣を肩に構える。

 その目にあるのは妄執と執念と、憎悪だ。

 

「御理解頂く為、今は貴方を1人の戦士として扱いましょう」 

 

 片腕で振り下ろされた大剣が地面を断つ。

 それを見届けた後、皇帝はディヤウスと向き合った。

 

「……」

「心配か?」

 

 皇帝は黙って肩を竦める。

 その様子を見てディヤウスがほう、と声を上げた。 

 

「技術は未だ稚拙。だが、それを補って余りある別の力がある、と。だが」

 

 ディヤウスが皇帝を睥睨する。

 ビリビリ、と大気が揺れ、森から鳥が逃げ出す。 

 

「お前はかつて存在したらしき英雄達と何が違う?」

「何も?」

 

 皇帝の想像でしか無いが、恐らく何も違わないだろう。

 強敵を打ち破り、国を作るか、人々の役に立つか。


 かつて居た英雄というのはそういう者達なのだろう。

  

「だがそもそも、お前が認めるのは俺じゃねぇ」

 

 皇帝は剣を構える。

 

「族長だ」

「成程」

 

 その時が楽しみだ、との声と同時にディヤウスが雷を纏う。

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