54章 海底
54章 海底
騎士の膝を枕に眠っている陛下を見る。
呼吸に不審な所は無く、顔色も普通だ。
部屋に入り、武官達と合流した際の事だ。
急に陛下が倒れ、声を掛けても返事をしなくなった。
咄嗟に騎士が支えたお陰で、頭を打ってはおらず、今は目が覚めるのを待っている。
「その、皇帝は」
「御心配無く。いつも通りであれば、30分もしない内に目が覚めますから」
小声で話しかけてきた族長に、心配無い事を告げる。
よくある事なのか、と聞かれ、年に一度、あるか無いか程度には、と答えた。
その答えに族長がホッとした表情を見せる。
体質的なものとは言え、公的な場には相応しくないと言われても文句は言えない程の失態だ。
これで互いに貸し借り無しのまっさらな状態に戻った訳だと、騎士は内心で溜息を吐いたが、
そもそも、今は休暇中ではなかったかと考えを改める。
武官と干城は、後から部屋に来た行李から何か報告を受け、急いで外に走り出した。
今は族長と騎士が部屋で歓談している。
歓談と言っても共通の話題など殆ど無く、専ら帝国や陛下の話をするだけだ。
「なんと、あの3人は幼馴染か」
「はい」
差し当たり無く、帝国の地形や気候などを話した後、陛下の人となりについて触れる。
どうやら話の内容が気になるらしく、族長は目を輝かせながら騎士の話を聞いている。
長の一族として生まれ、部下が揃っていた族長にとって、新たに人材を発掘していく話は新鮮であるらしい。
「では、さぞかし会議中は忌憚無き意見が出るだろうな。良き事だ」
「そうですな」
忌憚無さ過ぎて普段はもっと酷いです、とは言わないでおいた。
会議中のあれこれを思い出し、頭を抱えそうになるのを堪える。
頭を切り替え、騎士は疑問に思っている事を聞く事にした。
何故、いきなり帝国との会談を設けたのか。
「族長殿は何故」
「騎士殿は、ああいや、話せるならばで良いのだが」
寝ている陛下の頬を突きながら族長が口を開いた。
騎士の言いたい事を察したのだろうその行動は、どうやらあまり触れられたくない話題であったらしい。
踏み込みすぎたか、と自らの無礼に臍を噛みつつ族長の言葉を待つ。
「何故、皇帝に忠誠を?」
「そうですねぇ……」
その程度の事であれば幾らでも話そう。
騎士が昔を懐かしみながら話を進めようとすると扉がノックされた。
族長が入室を許可すると見知らぬ顔が部屋に入ってくる。
入ってきた男を見て、族長がはっとした表情を浮かべる。
「ディヤウス様」
族長の声を聞き、騎士は目の前に立つ人物の正体を理解した。
外套を畳み、枕のようにしてから陛下の頭に差し込んだ後、騎士は跪いた。
●
目の前を魚群が通り過ぎた。
地面には植物では無く岩や、珊瑚が生えている。
太陽の光が届かぬ筈の場所だが、明かりが無くとも景色を堪能することが出来た。
まるで話に聞く、海の底のような世界が眼前に広がっていた。
王国南部に住んでいた頃、海に遊びに行った覚えはあるが、深く潜ったことは無かった。
たとえ潜った所で、ここに辿り着けるのかと皇帝は遙か頭上の海面を見上げる。
朽ち果てた海底の神殿。
水中に佇むそれに藻や海藻は生えず、大理石はその白さを保っている。
何故か呼吸が出来ているのは気にしない事にした。
「それで」
人を階段に座らせ、勝手に人の膝を狩りている男を見下ろす。
頬を摘んで上下に引っ張ると、嫌そうな顔で手を振り払われた。
「おいやめろ不敬な」
「俺は確か仕事してた筈なんだよなー。何急に呼び出してくれてんだお前」
せめて夜か朝にしろ、と言うと鼻で笑われた。
神が人間の言う事など聞くものか、と返される。
腹が立ったので、すり抜けて膝を没収する事にした。
背後から聞こえてくる文句を無視して、皇帝は周囲を探索する。
と言っても祭壇くらいしか無い。
あとは床に真円の水溜りがあるくらいだ。
触れると、水面が揺れるが、手は濡れなかった。
覗き込んでみると先程まで居た族長の屋敷、武官達が入れられた部屋が映し出されている。
この部屋に入った途端、急に意識が遠のき、気付けばここに居たのだ。
今、皇帝の体は騎士に膝枕をされている。
どうやら、いつものように意識だけここに連れて来られたようだ。
騎士が手慣れた様子で対処していた。
「やったぜ」
「そうか」
三叉の、豪奢な――恐らくは儀礼用の――槍を担ぎ、男が不思議そうな顔で近付いてきた。
側女の1人や2人居るだろう、というような目を黙殺して、皇帝は振り返る。
「すげぇな、この水溜り」
「水鏡と言え、水鏡と」
ポセイドンが得意気に軽く槍を振ると別の場所が映し出される。
文官がマンセマットに抱えられながら空を飛んでいた。
未踏破地帯の方へ向かっており、それを追いかける天使の姿が見える。
「心配か?」
「いや、別に」
「そうか」
どうせ病気に罹っても死なないような男である。
心配するだけ無駄なので騎士達の方を見せるように言うと、景色が戻った。
騎士と族長。
そして、知らない顔が1人。
茶褐色の髪と肌に、赤い目を持つ美男だ。
服装は遊牧民が着る、羊毛で作られた服では無く、金細工と宝石を肌に纏っている。
男の服とも違う意匠だ。
「ふん、ディヤウスか」
「3柱の内の」
「そうだな」
つまらなそうに男が鼻を鳴らす。
皇帝の隣に座り、水鏡を覗き込むと、眉間に皺が刻まれた。
族長とディヤウスが言い争っているのが聞こえた。
天使達の件は人間に任せず、神々が対処すると言われ、族長が激高している。
先程の会談、どうにも不慣れな様子であったと思ってはいたが、その理由をハッキリと理解した。
この神は、族長に実務を一切、させる気が無いのだ。
まるで、族長には何も出来ないとでも言いた気な、否、ハッキリと示している態度に皇帝は眉を顰める。
「……なぁ、何で今呼んだ?」
「今はただ、アレに口を出さず見て欲しいからだ」
「ふーん?」
「……」
暫く見ていると、もう1人、知らぬ顔が入ってきた。
白く輝く手甲、足甲、山羊革の胸当て、槍を持った金髪の青年だ。
その顔は何処か、隣の男に似ている。
ディヤウスと同様に族長を宥めている事から3柱の内の誰かなのは明らかだ。
それを見て、男の眉間の皺が更に深くなる。
「かつての文明以前の頃、俺はゼウス・■■■■■、海のゼウスと呼ばれた。
その所以あって現界している。だが――」
「デウス、と言う言葉が4文字から受けた影響は大きかった」
割り込んだ声に男が顔を怒りに歪ませた。
カシャン、と鎧が鳴る音が聞こえ、オーディンが柱の陰から現れる。
普段とは打って変わって、仮面のような表情だ。
「弱者に配慮するなど、他2人はともかく、噂に名高いゼウスの言動では無いな」
「貴様なぞ呼んでない!」
男が手に持っていた槍をオーディンに向かって投げる。
青い光を放ちながら飛んだ槍が、オーディンの槍――グングニル――に弾かれ、柱が轟音を立てて崩れ折れる。
水鏡が揺れ、先程投げられた槍が浮かび上がってきた。
男の手に槍が戻るのを見ながら、オーディンが無表情で言う。
「人の契約者を攫っておいて随分な言い様だ」
「人間なぞ元より我らの被造物よ! どう扱おうと私の勝手だ!」
「返せ。それは、我の、友人だ」
オーディンを中心に突風と雷が吹き荒れる。
男が踏み込み、2本の槍が甲高い音を立ててぶつかる。
魚群が踵を返し、周囲から逃げ出した。
皇帝は2人の争いに巻き込まれないように距離を取る。
流石に神殿を崩壊させる程、頭に血は上っていないだろうと判断し、
皇帝は水鏡を見ながら気になる事を聞いた。
「噂に名高いって何だ? 昔は悪神だったのか?」
皇帝の言葉に2人の争いが止まる。
「……」
「……悪神、では、無い。ただ、奔放とは、聞いている」
男が目を逸らし、オーディンが微妙な表情を浮かべながら言った。




