2章 王国
2章 王国
赤く焼けた空と草木が枯れ切った大地。
砂混じりの風が頬を叩く。
空から降った神の炎は治まったものの、天使と悪魔の驚異は去っていない。
外部との連絡は相変わらず取れず、修理出来る者が居ない為パワードスーツは破損したままだ。
見渡す限りの荒野に他のコロニーの姿は見えない。
孤立無援の居留地は危機を迎えている。
人類は自分達だけしか残っていないのでは。
悪魔と対峙しながら誰もが絶望に飲まれかけた時だ。
誰かが声を上げた。
皆が、悪魔や天使でさえも声の指す方を見る。
誰も居ない筈の荒野に人影が見えた。
金属のバケツを改造したヘルメット。
オレンジ色の布と錆だらけのパワードスーツの一部。
手に持った剣は刀身と持ち手が垂直になっている。
覆いの着いたブンディ・ダガーを握った男達が悪魔へ襲いかかる。
●
買い出しの為に文官は王国の首都へと来ていた。
帝国より南、山を超えた先にそこはある。
古い遺跡を補修した文明風の建物。
背の高い硝子張りの建物が人々を見下ろす。
汲み桶のような兜を被り、濃い橙色の外套を纏った騎士達が闊歩している。
どうやら見回りをしているようだ。
煤けた空気が息苦しい。
人が多く、空気が淀んでいるような気がする。
息苦しさを溜息と深呼吸で誤魔化す。
用事を済ませ、帰路に就こうとした所で混雑に巻き込まれた。
屋台で食べ物が売られ、人々はざわめき、建物の2階や屋上からも好奇の目線が降り注いでいる。
それもその筈、実に間の悪い事に、広場で罪人の公開処刑が行われていた。
公証人が罪状を読み上げる。
周囲の野次の所為でよく聞こえなかったが反乱に加担し、民を殺した罪と聞こえた。
断頭台の刃が落ちると人々は一斉に湧き上がり、歓声を上げた。
死体に群がり石を投げる衆人を掻き分けながら、文官は街の外へと向かう。
日は既に赤く落ちかけており、硝子の王宮が光を反射していた。
「旦那、文官の旦那」
声を掛けられ、振り向くと鳥のようなマスクを被った男がいた。
向こうはこちらを知っているようだが、こちらは知らない。
と言うか知っていても判らない。
「あっしです、あっし。前に奴隷を買って頂いた奴隷商人です」
「……!?」
王国は悪魔人間ないし悪魔の入国を一切禁じている。
●
とにかく人目を避け、2人は奴隷商人の取った宿の部屋に居る。
随分と奮発したのか背の高い、古代文明からある建物を改装した豪華な建物だ。
部屋も広く、床は大理石、バルコニーには水浴び場まで有る。
たしか、スイートルームと言われるものだったか。
「何で居る!? どうやって入国した!?」
「騎士様達なら兎も角、下っ端なんて賄賂渡せばちょろいもんですよ」
「畜生、碌でも無い」
奴隷商人が笑いながらマスクを脱ぐ。
ぷるぷるとした粘液状の顔が出てきた。
不機嫌を隠そうともせず文官は椅子に座る。
しばらくして白湯が入ったカップを手渡された。
「それで」
「まぁまぁ、先日はどうもお買上げありがとうございます。
いや本当に女児は売れませんでねぇ」
向かいのソファーに座りながら奴隷商人が捲し立てる。
「悪魔人間の趣味からも外れますからねぇ。
あっしらは人妻とか経産婦が好みでねぇ」
べらべらと話す奴隷商人は文官の苛立ちに気付いていない。
否、気付いていないフリをしているのだろう。
「ガチョウみたいに太らせるのも無理がありますし」
だん、とカップをテーブルに叩きつける。
「要件は?」
文官の声を受け、奴隷商人の体がゆるゆると震えた。
恐らく笑っているのだろう。
その笑みに見た目通り粘っこいものを感じる。
「一括購入しません?」
「……はぁ?」
思わぬ言葉に間抜けな声が出る。
奴隷商人が言葉を続ける。
「奴隷の一括購入。お国の様子を見ましてねぇ、どうやら本気で育てて士官させるおつもりらしい」
内緒話をするかのように囁く。
「ドワーフの戦士達にエルフの叡智、なんて最高の環境に放り込めるなら売り甲斐があるってもんですよ」
「……」
「それにあなたも呼び屋、あぁいえ今は賈船でしたっけ。
あそこで仕込まれたならそれなりに心得ているでしょうしね」
その言葉に思わず右の鎖骨あたりに庇うように手をやる。
「……」
睨み合いながら押し黙る。
この際、自分の過去の事は考えない。
これは脅しだ。
隙きあらば帝国に、エルフの里にいつでも入れるぞ、という脅し。
奴隷商人の能力。
見た所、液体に変化する能力だろう。
1人位は攫える、否、情報を流すだけで大勢が攻め込んでくる。
エルフにはそれだけの価値がある。
見事に足元を見てきている。
だが、それだけでは無い筈だ。
「それで?」
文官は口元の歪みを隠しもせず言い放つ。
脳内の警鐘は鳴りっぱなしだが無視する。
「言いたい事は判った。けどそれだけか? 我らが帝国は盆地だぞ」
既に大勢の人間や、悪魔人間、森にはエルフやドワーフが居る。
さらに山と森が城壁を兼ねている以上、開墾できる土地に限りが有り、全てを農地には出来ない。
であると必然的に抱え込める人数に低い上限が出来る。
奴隷商人がここまでの手札を切れる程に調べ上げたのならば、その程度の事に気付かぬ訳も無い。
「それだけならこの話は終わりだ。余裕がある国でも無いんでね」
「おぉっと、まさか、舐めてもらっちゃあ困ります」
そう言って、奴隷商人が懐から何かを取り出す。
一瞬身構えるが、それは布切れだった。
何かを包んでいるらしく不自然な形をしている。
布を開くと中から金属で造られた緑色の板が出てきた。
表面にはたくさんの線と古代文字。
何に使うのかも判らない小さな部品。
苔のようにくすんだそれは潮の匂いが微かにしていた。
「天使共の部品か? これがどうした」
「南部で拾いました」
「は?」
天使、帝国の北に国を作る唯一神の信奉者。
信奉者意外を異教徒と断じ、殲滅する戦士でもある。
「正確には南部の、まだ鎮圧されていない所ですね」
そう言って奴隷商人が地図を出す。
首都から南東の場所。
第11領と第12領の境目を指差す。
「いたのか? 見たのか?」
「いえ、あっしは」
そう言ったきり口を噤む。
何故、自分にこの話を持ってきたのか、などという質問はしない。
それを口に出すとこの均衡が崩れる。
そう思いながら文官は、この部品が持つ意味を考える。
まず奴隷商人が南部に人脈を持っている事。
これは確かに帝国には足りない物だ。
地理的にも人脈的にも手に入れようがない物を、奴隷商人は持っている。
それの売り込みもあるのだろう。
次に、この部品が天使であった場合、天使の国が取りうる戦術を考える。
この際、可能、不可能、そして動機は考えないものとする。
考えられるのは王国南部から北上、国境を破り悪魔の国を挟み撃ちにする戦術。
確かに、王国南部、西部は悪魔、天使との戦闘経験は無い。
北上するだけならば簡単だろう。
国境を超える事が最大の課題だが、場合によってはそれも必要無い。
天使の国側から招き入れれば済む話だ。
そうなった場合、悪魔や悪魔人間達は皆殺しの憂き目に合う。
詰まる所、目の前の商人は最悪の事態を考え、帝国に亡命したいという所か。
その前に出来るだけ恩を売り、奴隷を売りたいと。
そこまで考えて思考を止める。
いくらなんでも飛躍し過ぎではないか。
恐らくまだ何かある、隠しているのか、それとも口に出せないのか。
それは確度の低い情報故か、他に理由があるのか。
「天使では無いらしいんですがね。ただ、似たような物らしいと」
伝聞ですが、と奴隷商人が続ける。
それ以上は今、話す気が無い事は確かだった。
「……」
文官はゆるく息を吐きながら考え込む。
事情は理解した。
奴隷の精査は必要だが一括購入に利益が無い訳では無い。
だが、一度だけ奴隷を買っただけの男をそこまで信用するべきか。
「……ん?」
文官はある事に気付いた。
「奴隷を売り切った後はどうするつもりだ」
「お許し頂けるならそちらに身を預けたいですねぇ」
ほくそ笑みそうになるのを懸命に堪える。
平静を装い更に質問を続ける。
「お前、読み書き計算出来るんだよな?」
「そりゃまあ……、商人やってますし」
「逃さん、お前だけは」
「!?」
奴隷商人の不可解そうな声は、文官の迫真の声音にぶった切られた。
●
夜。
大陸の西方、王国と悪魔の国との国境。
来るものを阻む巨大な金属の壁。
壁、と呼ばれる場所。
40代程の男が壁の頂上から地上を見下ろしている。
西方公。
国境を守る第3領の公爵、王国の第3王子である。
風に吹かれながら、皆が寝静まり、静寂を保つ戦線を見る。
そして視線は東、帝国の方へ移った。
多種族が集まる国とも呼べぬ国。
王国に組み込む訳にも行かない、対処を悩んでいた連中が思わぬ形で役に立つ。
王国と悪魔の国の停戦協定。
国王陛下に命じられ、両国が――どういった訳か――望んだそれを果たすのに、帝国はうってつけの場所であった。
どちらとも敵対せず、どちらとも友好に非ず。
会談を行い、協定を結ぶには中立を保つ国が間に入る必要がある。
今まで仲裁役を押し付けられる国が無かったから協定が結べなかったのだ。
それが出来るのは大きい。
そして何より、この会談が成立すれば帝国は晴れて1つの独立国として大陸中に認められる。
あそこで何が起こっても王国が関与、庇護する必要は無くなるのだ。
「……」
国王陛下は此度の反乱に酷く御怒りであった。
関係者は皆、処刑せよとの御命令である。
その勇ましさを13年前に、悪魔に対して向けていたならば。
詮無き事を考え、それを頭を振る事で打ち払う。
西方公は背後に控える部下――代官――に声を掛ける。
「手紙の用意を」
「はっ」
返事と同時に西方公は自室へと歩き出す。
廊下に備え付けられた蝋燭の火がゆらゆらと揺れている。
●
帝国では4つの種族が居住区を作っている。
エルフ、ドワーフ、悪魔人間、そして人間。
3年前まで争っていたエルフとドワーフは皇帝の即位によって剣を収めた。
だが、種族間の火種はまだ消えていない。
例えば食料、水、塩、森の権利。
武器、教育、文化、法律、宗教、人事。
大まかな紛争の種と利権だけでもこれだけある。
そしてそれらを取り纏める為の組織機構は何十年もかけて調停し作り上げていく。
その予定であった、反乱が起こるまでは。
反乱が起きた事で不安に駆られた王国民がこちらに逃げ出してくる。
それを狙って野盗が略奪をする。
野盗は帝国に逃亡する。
現在、帝国南部の国境線は毎晩、警鐘が鳴り響く有様だ。
こうなると火種や種族間の不満などと言ってられない。
前例が出来てしまうと判っていても必要な場所に必要な物を送り続けるしか無い。
この状況で文官がするべき仕事とは何か。
物資の管理、各種族との調停、悪例を残さないように書類を仕上げる事である。
ちなみに帝国の識字率は低い為、道路整備の手配や課税納税、嘆願書の処理業務も文官の仕事である。
「うわぁ」
「逃さん、お前だけは」
蝙蝠のマスクを被った奴隷商人が、かなり引いた声を上げた。
文官は座った目で業務内容を次々と説明する。
「いや、そりゃ住まわせて頂く以上、無職で居る気はありゃしませんが……。どこを任せるおつもりで?」
「何も調停しろなんて言わない。経費の計算だけでも任せられたら楽になる」
そりゃ得意分野ですねぇ、と奴隷商人が先を歩く。
その先にぼんやりと四角い箱が見えてきた。
鉄でできた箱。
人が入った檻。
馬車の荷台に置かれたそれの中に、全裸、あるいはぼろを纏った人間が中に押し込められている。
何やら騒がしい。
血の匂いがかすかに風に乗っており、普段は静かな筈の奴隷達が姦しく騒いでいる。
「何かあったのか?」
文官が聞くと奴隷商人が首を傾げながら周りの人間に話を聞きに行こうとした。
それを何者かの声が止める。
「旦那。また、だ」
檻の中から1人の奴隷が話しかけてきた。
体の厚みはさほど無いが、よく鍛えられた体をしている。
服を着ていないという状況にもかかわらず堂々としている。
「あ、こら、馴れ馴れしい!」
「また?」
許可も無く口を聞いた奴隷に奴隷商人が怒鳴る。
男を叱る奴隷商人を落ち着かせ話を聞く。
「知らないのか、奴隷殺しだ」
そう言って男が指差す方を見ると、衛兵が血塗れの死体を運び出す所であった。
首でも切られたのか随分と出血が多い。
「これでもう20人目らしい」
「置き場でか?」
「入れさえすれば首を切るのは簡単ですからねぇ。牢の隙間から手を突っ込めばいいんだ」
奴隷商人が苦々しく言う。
頭の中では損害の計算をしているのだろう。
しかし、曲がりなりにも国が保有を認めた一財産だ。
檻の置き場は巡回の騎士や、金で雇った傭兵達が警備をしている筈だ。
「多いな」
「首都だけじゃない、各地でやられてる」
「耳聡いな」
「性分でね」
武具も防具も無いのに随分と堂々としたものだ。
かつての自分はどうだっただろうか、と文官は奴隷商人に声を掛ける。
「おい、こいつ幾らだ」
「いっ!?」
「昨日お前が言ってた場所に行く。護衛として雇う」
奴隷商人が驚きの声を上げ、男の目が軽く見開かれた。
慌てた様子で喧しく奴隷商人が奴隷の説明をする。
「い、いやこいつはやめた方が。東の遊牧民、竜の戦士。とても言う事を聞くような」
「幾らだ? あと湯浴みさせてやれ」
「……金貨5枚です」
文官は代金を支払う。
忠告しましたよ、と言う恨み言を背に文官は男を見る。
「名前は?」
「……敗戦の身だ。好きに呼べ」
「判った」
好きに呼ばれる気の無い声に答え、文官は名前を決める。
竜騎士。
文官は男の事をそう呼ぶ事にした。