50章 万物の父達
50章 万物の父達
山の麓から長い階段を上った先にある、石と木で造られた建物。
金箔が貼られた木の柱と、様々な色の塗料で彩られた壁。
そして建物から垂らされった巨大幕には、胡座をかいた目覚めた人の刺繍が施されている。
窓から差し込む日光が天気の良さを知らせている。
客人が雨に降られずに済みそうだと、胸を撫で下ろした。
目が覚めるようなえんじ色と橙色の着物を身に着け、族長は石の廊下を歩く。
廊下を歩いていた臣下達が頭を下げて道を譲る。
これから行われるのは非公式の会談の為、場所は、この城では無く、族長の邸宅だ。
招いた客人を待つ為に、供の者と移動している所である。
進む先に真剣な顔をしたディヤウスがいた。
背後に控える干城に先に行くよう促し、族長はディヤウスと向き合う。
「如何なされました、ディヤウス様。何か異変が……?」
「いや、そうでは無い。……どうしても会わねばならぬのか」
「御客人、お忍びなれど、それなりの立場の方であれば顔を合わせぬ訳にもいきますまい」
ディヤウスが、ぐっと喉を詰まらせた。
族長は早足でディヤウスの側に近寄り声を潜める。
「本当に何も無いのですか」
「……異変は無い。だが、不安だ」
「……はい?」
言っている意味が判らず族長は、何を言うのかと、怪訝な顔で聞き返す。
やはり何かあったのではないか、もしくは御身体の具合が悪いのかと、ディヤウスの顔を覗き込んだ。
その様子にディヤウスが言葉少なく答える。
「相手がそれなりの立場だから心配なのだ。お前はまだ小さいし、経験も無いから」
「ディヤウス様!」
「……」
気付けば怒鳴った後だった。
族長の怒鳴り声を受け、ディヤウスは押し黙る。
がなり立てそうになるのを何とか堪え、族長は努めて冷静になろうと息を吐く。
荒くなった鼻息を何とか抑えた。
族長とて自身の未熟は認めている。
だが、それにしてもディヤウスの態度は過保護過ぎる。
ディヤウスだけでは無い。
遊牧民の国を治める3柱全てに言える事だ。
面倒事は全て神々が終わらせ、降りかかる災難からは守られる。
備えであると言ってはいるが、族長が今の地位に着いてから、否、それ以前からまともな戦闘が無い。
戦士達の一部は士気が折れているし、族長自身、槍どころか剣すら握らせて貰えないのが現状だ。
これでは経験を積むどころの話では無い。
目を逸らすディヤウスを睨みつけていると、騒がしい足音がこちらに近づいてきた。
「族長!」
慌ただしく、こちらに走ってきたのは干城と、その部下達だ。
物々しい雰囲気を感じ取ったのか、皆、表情が固くなる。
「一体何が」
「何でも無い! 今行く!」
干城の質問を封殺し、ディヤウスを押しのけ、族長は会談の場へと向かう。
立ち去り際、怒気と共に言葉を吐き捨てた。
「我々は人形では無いのですよ」
その言葉に答えず、ディヤウスは姿を消した。
●
「ゼウス様、こちらに……、あ!」
「おお……、何とかしてくれるか、奔馬」
「し、失礼します」
ゼウスは、住居を訪れた奔馬、ケンタウロスのような――下半身が馬――姿の男に、困ったように話しかける。
膝の上で、3歳程の子供がすやすやと寝息を立てていた。
白い毛並みが見事な、狼に牛の角が生えたような姿の子供だ。
慌てて中に入ってきた奔馬がゼウスの膝から子供を引き剥がそうとするが、
腰布に爪を立てて抵抗し始めた。
「こ、こら! ゼウス様はお忙しいんだ、離れなさい」
「やー」
「やーじゃない!」
これは駄目だな、とゼウスは笑いながら、そのまま寝させる事にした。
奔馬が仕方がないというふうに子供から手を話す。
そして起こさないように声を潜め、ゼウスに話しかけてきた。
「……天使達が空を飛んでいたと聞きました」
「貴様らが気にする事では無い」
「しかし」
なおも言い募る奔馬をゼウスはじっと見る。
「貴様らにはどうしようもなかろう?」
「それは、そうですが」
悪魔人間の最大の特徴は多種多様な異形の姿と、人間よりも強靭な体であるが、それ故に統率のし辛さがある。
人間であれば、人種、男女差、得手不得手はあるものの体の作りは基本的に同じ。
更に訓練によって実力が同じ位に纏まる為、部隊の編成が非常に楽だ。
これが悪魔人間である場合、下半身が蛇の男と、上半身が鳥の男と、体が岩や木で出来た男。
片腕だけが虎の腕であったり、ただただ耳が獣の耳であったり。
これらを一纏めにして前線なり後方支援なりで運用しなければならないのだ。
運用出来たとしよう。
部隊の誰かが戦死した場合、代わりの人間が存在しないという問題にぶち当たる。
悪魔人間達を戦場に出さない理由を、ゼウスはそのように説明していた
「それでも、蚊帳の外は嫌です……」
「……」
納得がいかないというふうに奔馬が言った。
無理からぬ事だろう、とゼウスは理解する。
だが、ここで折れては3柱で遺跡の一部を崩壊させた意味が無いのだ。
「大戦争の頃」
ゼウスはかつてに思いを馳せながら口を開いた。
「貴様らは、ああいや、とにかく当時の人間と悪魔人間はよく戦った。どんな敵でも、どんな戦でも」
徐々にゼウスの声が低く冷たくなっていく。
思い出すのは怒りだ。
試練と罰と称し、人間達をあそこまで追い詰めた4文字への怒り。
そして、敵に手を取られ人類に手を貸せなかった自身への怒りだ。
「どんな姿になっても……!」
「……!?」
奔馬が戸惑い、息を呑む気配がした。
空気が揺れ、場が静まり返る。
誰も口を開かず、訪れない。
長い沈黙を破ったのは、いつもの調子のゼウスの声だ。
「それでも貴様らは奴に届かなかった。だから次は任せよ」
ゼウスが微笑み、奔馬の肩に手を置いた。
「我はオリュンポスの王、ゼウスである」
そう言ってゼウスは腰布を子供に掛けた。
●
やや乾燥した涼しい風が気持ち良い。
山の上からオーディンは竜の戦士達の鍛錬を、岩に座って眺めている。
此度の会談に神は必要無いと、オーディンは1人で当ても無く見て回っていた。
ここの戦士達は槍――投槍――を主に使うのか、訓練の内容もそういったものが多い。
竜に乗り、敵に向かって槍を投げるのが主な攻撃方法なのだろう。
それは竜に取り付けられた装備――鐙や鞍――や、戦士達の体からも見て取れた。
だが、地上に降り立ち、戦えるだけの力もありそうだ、と分析する。
そして、もう1つ忘れてはいけないのが竜の吐く炎だ。
槍が降り注ぎ、炎が上がる。
戦場の光景はさぞかし壮観だろうと、オーディンは訓練場に乱入したくなる衝動を堪えた。
「これらを纏めるのが卿か」
オーディンの隣で隻腕の戦士が跪いた。
「久しいな、テュール」
「王も……、お変わり無く」
少々、口籠りながらも、テュールが卒なく返した。
オーディンは横目でそれを見た後、再び戦士達を見る。
やる気はあるが疲れているようにも見えた。
「些か士気が足りぬように見えるな」
「はっ。どうにも到りませぬ」
「そうか」
オーディンは、この国に着いたばかりだが、今日見ていた限り、
竜が飛び立つのを見ていないのも気になった。
誰も偵察にも出ないのは余りにも不自然だ。
「防衛戦……、では無いな。あえて攻め込んでいないのか」
「御明察の通りです。今は耐える時であると考えております故」
「いつまで?」
「次のラグナロクまで、力を蓄えているのです」
馬鹿な、と思わず立ち上がった。
確かにラグナロクは来る、それは間違い無い。
だが、まだ先だ。
人間が子々孫々、代を重ねた遙か先の話だ。
「馬鹿な、何故そのような真似をしている」
「予言の通り、御身に勝利を捧げる為にございます」
「予言だと!?」
テュールがオーディンに予言の説明をする。
予言の血筋、次のラグナロクは勝利するという天啓が降りている事、
それ故に強い血筋を重ね、良き戦士を生み出す為に今は我慢を強いている事を言った。
「我らが国を整え、全ての厄災から血筋を守り、その中から鍛え上げられた戦士を選び!」
テュールの目に狂信が混ざる。
「2度目のラグナロク、我らは完膚無きまでに奴らを叩きのめし、王を4文字の呪縛から解き放ちましょうぞ!」
言葉に違和感を覚え、オーディンは首を傾げながら、テュールに問う。
「我が敗衄に屈したと思っているのか」
「それ以外の何がありましょうか。神々は変質し、国は滅び、王ですら……」
それ以上は言えぬと、テュールが口を噤んだ。
オーディンは別の質問をする。
「戦士に血筋は関係無い」
「存じ上げております。かつてのラグナロクの有様を見て、今回はそうするべきだと思ったのです」
「卿がそのように考えたのは我の所為か」
「いいえ、あの時の我らが到らなかった所為です。王に瑕疵などありませぬ」
王は万物の父であり、全知全能なのですから、とテュールが断言した。
オーディンが冷めた目で見ている事にも気付かず、熱気に囚われたように言った。
「……良い。下がれ。戦士達を見てやれ」
「はっ」
テュールを下がらせ、オーディンは再び風に吹かれる。
その場にわだかまっていた熱気が急速に冷めていった。
訓練場を見下ろせば、テュールが戦士達に声を掛けていた。
度を過ぎた訓練をしないようにと、休憩を呼びかけ、男達がそれに応える。
その視線には互いへの信頼と敬愛が確かにある。
「馬鹿者が」
オーディンの呟きを聞く者は居ない。




