47章 観光計画
47章 観光計画
ざざん、と波の音が辺りにに満ちている。
荒れ地の中に建てられた、崩れた白い石の建物の中に立っている。
太陽の日差しに照らされ思わず、顔に手で影を作った。
遊牧民達の集落に到着した時、既に夜は更けていた。
細かい挨拶は日が昇ってからにしようと、馬車の中で眠っていた筈だが、いつの間に移動したのだろうか。
皇帝は周囲をキョロキョロと見回す。
石で作られた柱が何本も連なり、屋根を支えていたであろう事が伺えるが、
今では崩れ落ち、屋根の一部が落ちてしまっている。
丁寧に敷かれていたであろう石畳の床は、風で凸凹になっており、地面がむき出しになっている。
目線を下にやると、階段があったが、それは途中で途切れてしまっている。
途切れた先は白い靄がかかっており全く見えない。
遠くにある青い海や乳白色の大地は見えるのにどういう事だろうかと首を傾げる。
塩がたっぷりと含まれた、ねっとりとした風が体に纏わり付く。
冷たい風と、ジリジリとした太陽光。
皇帝は、かつて居た南部を思い出した。
「故郷を思い出すか」
背後から声がかけられた。
振り返ると建物の奥、崩れた白い柱が連なる廊下の奥に寝台があった。
天蓋付きの、豪奢な作りであった事が伺えるが、今では一部が崩れている。
それでも皇帝が使っている物より遥かに大きな物である事は明白だ。
破れた織物の向こうに男が仰向けに寝転がっていた。
鍛え上げられた上半身も顕に、下半身は乗馬をするような、ゆったりとした衣服を着ている。
一角の人物なのだろうか、派手な文様が刺繍された腰巻きを付けている。
「どうだ?」
「まぁ、それなりに」
「そうか」
焦れたような声に答えると満足したように男が頷いた。
寝台まで近づき、縁に腰掛ける。
すると男が声だけは不機嫌に――表情は面白そうに――その行為を揶揄した。
「ふん、無遠慮な男め。ここを何処だと心得る」
「知らね。勝手に呼ばれて判るもんか」
「む」
皇帝の反論に男が口を尖らせた。
むぅ、と唸った後、こちら側に寝返りを打つ。
「俺は■■■■■――。判るか、■■■■■だ」
「?」
「……そうか」
恐らく名前を言ったのであろう、その言葉は、甲高く、靄がかかったように霧散し聞き取れなかった。
首を傾げた皇帝を見て、寂しそうな表情をした後、諦めたように男が皇帝に背を向けた。
それっきり2人は何も話さない。
恐らく、今はこれ以上、会話を続ける気は無いのだろう。
この様な人物の扱いは手慣れたものだ。
「また来るな」
「――」
そう言って立ち去ると男がガバリと起き上がる気配がした。
何事か言った男の声が徐々に聞こえなくなっていき、目が覚める。
馬車の入り口から陽が差し込んでいる。
文官達はまだ寝ているようで、起こさないように外に出る。
柔らかな朝日が緑の平原を照らし出す。
緑に映える白い移動式住居と羊の群れ。
柔らかい風がゆらゆらと草を揺らした。
そして見慣れた黄金の鎧が目に入る。
オーディンの青い目が皇帝を捉えた。
「来てたのか、何時来たんだ?」
「今しがた着いた所だ」
皇帝はオーディンに近寄る。
「何かあったのか?」
「卿が心配するような事は、何も」
「?」
帝国は何事も無いと言う事だろうか。
ならば何故来たのだろうか、と顔に出ていたのだろう。
オーディンが渋々、口を開いた。
「何やら、良くない気配がした」
「別に悪い奴じゃ無かったぜ? 最初に会った頃のお前みたいな奴だった」
「……そうか」
ならば良い、と複雑そうな顔でオーディンが言った。
●
竜騎士を連れて集落の代表者に話を通し、様々な物を見て回る許可を得た。
遊牧民達も、天使では無い西からの訪問者は珍しいのか色々な物を見せてくる。
総代が目を輝かせながら商魂逞しく、帝国から持ってきた品物で取引を纏めようとしていたり、
騎士が集落の男達に手合わせを頼まれていた。
皇帝は子供達に絡まれはしゃいでいるし、武官は近くの森に薪を取りに行った後、食事をご馳走になっている。
文官と竜騎士もそれに習い、好き勝手にくつろいでいる、訳では無く、
これからどうするかを食事をしながら話し合っている。
折角なので、平原を見ながら食事を摂る事にした。
「そうだな、お前達が好きそうな場所だと、山の方か、もう少し東の文明の遺跡か?
いっそもっと東まで行ってみるか?」
「未踏破地帯か、確かに気になるな……」
塩で茹でただけの、骨付き羊肉を齧りながら、文官は地図を見る。
羊の滋味が舌の上に広がり、腹の中まで暖かくなった。
煮汁は塩で味付けし、中に茹でた麺が入っている。
湯に溶け出した羊の旨味が麺に染みている。
生地を薄く広げ、揚げられた種無しパンのような物を頬張ると、野菜と挽肉が中に詰まっていた。
白く丸い、蒸された物はふわふわとした生地の中に挽肉が入っている。
熱い肉汁で少し舌を火傷した。
チーズのようなものは一口齧ると、かなり甘かった。
牛乳を入れた茶を飲むと、塩が入っていた所為で甘さが引き立つ。
甘さに噎せ、馬乳酒の酸味で何とか洗い流した。
「……! 危険が無ければ行ってみてもいいかもな!」
「そうだな」
「竜騎士!」
笑いを堪えながら返事をした竜騎士に向かって照れ隠しで叫ぶ。
むくれた顔で食事を続けようとすると、武神が文官の側に立った。
風で青い外套が翻る。
「武神さん?」
「誰か来るぞ」
武神の言葉に皇帝達の顔が引き締まった。
1頭の馬が集落に向かって走ってくる。
馬上の人間が文官達の姿を見ると、馬から降り、こちらに話しかけてきた。
他の人間達とは違う、仕立ての良い、赤と白の衣裳を着ている男だ。
「伝令の兵か」
竜騎士が言うと同時に馬が文官達の側で止まった。
「貴殿達、西からの、帝国からの御客人とお見受けするが如何か?」
「であるが、そちらは?」
「失礼、拙者は行李と申す。此度は族長からの伝言を預かってきた」
「賜わろう」
手を拭きながら文官は立ち上がり伝言を受け取る体勢を取る。
互いの体勢が整った所で、行李が言葉を発した。
「我らが族長が貴殿達とお会いしたいと仰っている」
「うん、……えっ!?」
普通に返事をしかけて、正気に戻った。
文官は慌てて異を唱える。
「お、お待ちを。今の我々は只の旅行客。衣裳から何から準備が整っておらぬ」
「それはこちらも承知の上である。問題は無い、族長は寛容な方である」
どうするか、と子供達の下敷きになっている皇帝の方を見る。
特に表情も崩さず、皇帝が行李を見ながら言う。
「……まぁ、いいんじゃね? 本当に問題が無いならな」
「はっ、戦士に二言はありませぬ」
「今すぐか?」
「いいえ、3日後にと考えておられますが如何でしょう?」
皇帝が頷き、文官は問題無い事を伝える。
行李はそれを聞くと、馬に跨り山の方へと戻っていった。
それを見送る文官の頭の中を疑念が渦巻く。
この対応はまるで国賓か、それに類する扱いだ。
だが、文官達はこの国に到着したばかりで、と、そっと武神の方を見る。
この国は神々が治める国だと竜騎士から聞いている。
「武神さん、こちらの神々に何かおっしゃいました?」
「何故そう思う?」
その声を聞き、無用な詮索をした事を察する。
「いえ、向こうの対応を見てそう思っただけです。他意はありません」
「そう畏まるな、怒ってなどいない。今一時、賜暇を許されたのだろう? 気楽にせよ」
羊肉を齧る武神に皇帝がグテンと、のしかかった。
「で、言ってないのかよー」
「言ってない。卿はもうちょっとシャキッとせよ、と言いたいが休みだし許す」
「やったぜ。お前も休めよ」
「……そうだな」
皇帝の言葉にハッとしたような表情を浮かべた後、武神が穏やかな笑みを浮かべる。
何か昔を思い出しているような表情で、しみじみと口を開いた。
「今、一時、我はゆるふわモテカワ系武神だ」
「……そうですか」
文官には、それがどういった状態を指すのか全く判らないが、
その言葉は普通に組み合わせては良い物では無い事だけは理解できた。