44章 遊牧民
44章 遊牧民
大陸の東、どこまでも広がる草原と切り立った険しい山。
空には竜、地上には悪魔人間が歩いている。
支配者と戦士と悪魔人間。
それぞれが信仰する3柱の神が治める国、それが遊牧民の国だ。
●
平原に幾つも並ぶ移動式住居。
羊毛と木で作られた白い住居が緑の中に映える。
その中でも一際、豪華な作りの住居があった。
何十人も入れそうな広い住居に敷かれた真っ赤な絨毯。
その奥にある祭壇に向かって17、18程の少年が黄金の像に向かって祈っている。
他に、人間は誰もいない。
この少年こそ、遊牧民の族長だ。
予言の血筋。
勝利の啓示を受けた人間の一族である。
逆に言えばそれだけだ。
運命も読めず、国に関わる予言も出来ない。
判るのは次に来る終末の戦い、人類の勝利のみ。
だが、今の民達にはそれだけで充分であった。
だが、と疑問に思う。
族長は何に祈っているのだろうか。
4文字で無い事は確かだが、かと言ってこの国で信仰されている神でも無いようだ。
前に聞いてみた時には言い辛そうにはぐらかされてしまった。
それ以来、無理に聞く必要は無いかと放置している。
何であれ、族長が予言の血筋の持ち主である事に揺らぎは無い。
族長が音も無く立ち上がり、出入り口へ向かう。
「済んだのか?」
「ええ」
外に出ようとする族長の先に立ち、扉を開けると曇天が目に入った。
強い風が吹き付け、思わず目を閉じる。
ゴロゴロと、低い雷の音が腹に重く響いた。
女達が洗濯物を取り込み、羊番が雨を警戒して羊を小屋の中に入れている。
体を冷やしてはいけない、と族長を再び中に入れた。
住居の明かり窓に布を被せ、雨が入り込まないようにする。
その後、住居の中に戻り扉を締めると真っ暗になる。
指を鳴らし、中の蝋燭に火を着ければ、一瞬の眩さの後、視界が戻った。
「どうした?」
よく見れば族長の顔色が思わしくない。
何かあったのかと声をかける。
「顔色が悪いようだが、予言に何か?」
「いいえ、ディヤウス様。相変わらず、予言は我らの勝利を示しております」
そう言って族長は微笑んだ。
●
天気が崩れそうである、と思った。
空と同じような灰色の遺跡で、青年が何をするでもなく立っている。
移動式住居の中では、出産の準備が整い、後は生まれるのを待つだけとなっていた。
赤子の泣き声、そして絹を裂くような女の悲鳴が聞こえた。
生まれた我が子の姿を見た母親が狂乱状態になったのだろう。
産婆と周りの女達が取り押さえ、薬で眠らせる様子が伺える。
その場に嫌な沈黙が流れ、誰も口を開かない。
どれ程の時間が経っただろうか、静かになった頃、奥から産婆が顔を出す。
「ゼウス様……」
産婆が生まれた子供を青年――ゼウス――に見せた。
例によって、生まれた子供は人の形をしていなかった。
飛蝗のような顔に、甲殻類の様な肌。
抱かれた赤ん坊は何も知らずに、すやすやと眠っているように見えた。
大戦争の頃、遊牧民達が天使達から逃げる際、同様に悪魔からも攻撃を受けた。
その時の血が、時を越えて現れる。
よくある事だ。
「ゼウス様、祝福を」
「……ああ」
産婆から赤ん坊を受取り、この子の人生から苦難が取り除かれますように、とゼウスは祈る。
そして産婆に向き直る。
判りきっている事でも確認せねばならない。
「母親はどうだ?」
「あの様子では……」
「では、我らが引き取ろう」
異形の赤ん坊を産んだ人間の女が発狂し、子を捨てる。
この大陸ではよくある事だ。
ゼウスがそう言うと、傍に控えていた悪魔人間が前に出る。
蛇の下半身と岩の上半身を持つ女が大事そうに赤ん坊を受け取った。
「では行くぞ」
「はい、お気をつけて」
産婆の見送りを受けながら、ゼウス達は遺跡の奥へ戻っていく。
万が一、雨に降られては赤ん坊が大変だ、と帰路を急いだ。
ひらりと、白い羽が落ちてきた。
バサバサと激しい羽音が辺りに響く。
見上げると空の上を何人もの天使が隊列を組んで飛んでいる。
だが、天使達はこちらに悪魔人間が居るにも関わらず、目もくれない。
何かを探しているかのように、無遠慮に空を飛び回っている。
「ゼウス様」
「言うな。貴様らは何も心配しなくていい」
赤ん坊を抱えた女を先に帰し、ゼウスは西の空を睨みつける。
ここからでは何も見えないが、恐らく天使の国で何かがあったのだろう。
普段であれば悪魔人間は存在を許さぬとばかりに攻撃を仕掛けているにも関わらず、見逃す程の事態。
ゼウスには心当たりが無かったが、尋常ならざる状況である、程度は察せられた。
天使達は西からやってきた後、北上し再び西へ――天使の国へ――飛んでいく。
まるで偵察のような動きのそれを見て、ゼウスは舌打ちをする。
終末の時、貴様らはツケを払うのだ。
怨念のようなそれは雷の音に掻き消された。
●
竜が灰色の空を舞っている。
滝の水飛沫が竜の起こす突風に嬲られた。
険しい山、切り立った崖、露出した岩肌。
その隙間を縫うように作られた石の建物。
この山、唯一の広場では戦士達が訓練に勤しんでいる。
それらを見下ろす、鋭い眼光があった。
隻腕の老戦士が頂上から見下ろしている。
巌のような戦士は何も言わずに風を見ている。
白い鎧を着た男が岩肌を跳ね、こちらに登って来た。
男――干城――が老戦士の足元に跪く。
「どうした?」
「テュール様、まだなのですか」
まだ、天使の国に攻め込まないのですか、と、何度も繰り返したやり取りにテュールが首を振ると、
干城の顔が僅かに歪む。
当然の事だ。
勇ましき竜の戦士達はその為に己を鍛えている。
そしてその時を待ちわびている。
だが、まだその時では無い。
いつか来る2度目のラグナロク。
それに備える為にも今、無駄に兵を減らす事は避けたかった。
「天使共にでも謗られたか」
「我々は!」
「冗談だ、それよりどう思う」
先程、何もせず通り過ぎて行った天使達の事だ。
それを理解したのか、干城が首を傾げながら言った。
「偵察、とまでは推察出来ますがそれ以上は……」
「そうか」
「如何なさいますか」
干城の声には、攻め込みたいという様子がありありと見て取れた。
テュールは冷徹な声で指示を出す。
「守りを固めよ、不測の事態に備えたい」
「……!」
テュールは勢い良く顔を上げた干城の肩にそっと触れる。
「案ずるな。貴殿らはこのテュールが認めた戦士である」
「……失礼します」
そう言って干城が猫のような身のこなしで崖を飛び降りていった。
相も変わらず見事である、と感心しながら、テュールは昔に思いを馳せる。
文明が起こる遥か前。
かつて世界で最も使われた言語があった。
1つの民族が言葉と共に世界中に広がり、各地で変化していく。
それは信仰も例外では無く、その民族が信仰していた天空神もそれぞれの形を得ていく。
デウス。
天空、輝きを意味する言葉であり、男性の神を表す言葉であった。
時代が下り、唯一神である4文字だけを表す言葉となるが、その頃には既に3柱の神がその名を轟かせていた。
1柱は暇な神――最高神として知られながらも信仰を得ることが少ない神――となりながらも神その物を表す言葉として生き、
もう1柱の神は雷を武器とする全知全能の神の王となり、最後の神は法と平和と豊穣の天空神として信仰された。
そして天空神の形は、世界樹の下でオーディンがルーンの秘密を得た事で更なる変化を遂げる。
テュールはそのような経緯で生まれた神だ。
「……」
眼下の光景を見下ろす。
遙か遠く、西の空に、悠々と飛び交う天使達が見えた。
テュールはバリバリと歯を食い縛る。
此度の予言は滅びではなく勝利だ。
いかに卑劣な手を使われようとも、勝つのはテュール達であると拳を握りしめた。
「王よ……」
次こそは、というテュールの声が嵐に消えた。




