1.5章 少女の入国
1.5章 少女の入国
今日、少女は奴隷から帝国の国民となった。
大人達が難しい話をしている間に風呂に入れられ、
身支度が済んだ頃にはもう日が沈みかけ、全ての話が終わった後であった。
好きにしていいと言われた為、少女は邪魔にならないように帝国を見て回る事にする。
沈んでいく太陽の光を受けて湖面がキラキラと輝いている。
右に見える森では木々が風に揺れ、左に見える山からは黒い煙が何筋か上がっている。
後ろを振り返ると山の麓に木で作られた建物があり、畑があり、そして白い石で作られた宮殿がある。
男達が切り倒した木をそれぞれの場所に持ち寄ったり、畑を耕したり、
森や山で捕まえた獲物を沢で解体している。
それを女性達が切り分け、美味しそうな匂いのする料理に変えていく。
エルフやドワーフが荷車で何やら大きな荷物を持ってきて、解体した肉や作物と交換している。
少女の生まれた村は大陸の北、悪魔の国の北部にある荒れ地だらけの村だ。
畑や森はあったが、決して豊かではなかったし、数少ない作物は略奪されるか男達だけの口に入る。
男の人は沢山働くからだ、と母から教えられた。
村にいた頃は奴隷商人以外で、大きな荷物を扱う人間を見た事が無かったし、女性が物を食べるのも見た事が無い。
大げさに言えば、帝国は見た事が無い物だらけであった。
少女は、あの荷物は何かと文官に聞こうと、その姿を探し回る。
湖には小さな舟が幾つか浮いている。
網で捕らえられた魚が水飛沫を上げながら抵抗するも、それに構わず陸に運ばれていく。
湖の畔で文官がそれを黙って眺めていた。
「文官さん」
少女は文官に近寄る。
それを見て文官が一瞬驚いた表情を浮かべるも、すぐに冷たい声で言う。
「……嫌な事はしなくていい」
「……はい」
意味は判らないが、文官が心の底から、少女は嫌々、文官に話しかけているのだと思っているのは判った。
しょんぼりとした顔で、その場から立ち去る事も出来ず、少女は立ち尽くす。
凸凹な土の道は風が吹いても砂埃を巻き上げず、ただ草が揺れた。
その風音に隠れて皇帝と武官が悪い顔をして文官に近付く。
少女の顔を見て、しーと人差し指を唇の前で立てた。
がし、と2人が文官の両脇を抱える。
何事かと首を左右に振る文官を引き摺り向かうのは湖だ。
叫び声と同時にドボン、と3本、水柱が上がった。
慌てふためく少女の肩に赤い布が掛けられる。
「その格好で畔はまだ寒いでしょう」
そう言って少女の体を包むように外套を巻いた後、ひょい、と片腕で体を持ち上げた。
視界が高くなり、先程よりも様々な物が目に入る。
山から湖に流れ込む川、頂上にある見張り台。
湖の向う側にある、文明の遺跡と呼ばれる物が赤い光に照らされていた。
「いい景色でしょう、ちょっと風情は足りませんけど」
湖から聞こえてくる罵声に頭を振りながら騎士が言う。
腕から落ちないように騎士の首にしがみ付くと、ああ、と騎士が嘆息した。
「やはり、冷えてますね。御三方もあんな状態ですし、またお風呂沸かしましょうか」
口調は柔らかいが有無を言わさぬ雰囲気で言った後、騎士が微笑んだ。
「火の準備、一緒にやりませんか? 少しは温まりますよ」
少女の返事はバシャバシャと騒がしい水音と、3人の声に遮られた。
あまりの声量に思わず、そちらの方を見る。
湖から上がった全員、足元に水溜りが出来る程度にはずぶ濡れであった。
「さっっむい! 騎士さーん、風呂沸かそう風呂!」
「俺1番乗り!」
「アンタは最後だ馬鹿! どうせ風邪引かないだろ!」
好き勝手言いながら3人が宮殿に向い、その後ろを騎士が付いていく。
前で3人がふざけ合う姿を見て少女も小さく笑った。