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37章 それぞれの夜


 37章 それぞれの夜


「あれ?」


 宿の酒場では忍冬が1人で酒を飲んでいた。


 何か注文しようと店主の姿を探すが見当たらない。

 もう皆、寝てしまったのか酒場には他に誰も客がいなかった。


「店のおじさんは?」

「何やら急に呼び出し食らって慌てて出ていきましたよ。私に店番任せて」


 任されたんだ、と聞くと常連ですからね、と返された。

 仕方がないので忍冬の近くに座り暇を潰す事にする。


「いつもみたいに木陰さんに引っ付いてないの?」

「そっちこそ何してるんですこんな遅くまで女の子が。

男所帯なんだから気を付けなきゃ」 

 

 目が冴えたのと空腹で何か無いか聞きに来た事を伝えると、

食べかけのつまみ――豆と野菜のスープ――を渡された。

 殆ど手を付けていないようで、冷めてはいるが空腹を満たすには十分な量だ。


「ねぇねぇ、エルフの森ってどんな場所だったの?」

「こんな酔っぱらいに付き合ってないで早く食べて寝なさいよ……」

 

 ちびちびと火酒を舐めながら忍冬が呆れたように言う。

 味の染みた野菜を堪能しながら主任は返事を待つ。

 諦めたような溜息と共に忍冬が話し始める。

 

「流石、妖精王のお膝元だけあって豊かな森でしたよ。今じゃあ見る影もありませんが」

「忍冬も住んでたの?」

「いいえ。身分も違いますしね」 

 

 森の中という地形上、多人数を抱えられない為、エルフの集落というのは幾つかに分かれていたらしい。

 大きい森の中に、場合によっては別の森に小さな集落が点在しているようなものを想像すれば良いと説明された。

 集落の各代表達が意見を持ち寄り、裁定を受ける場所。

 それがエルフの森こと妖精王の森だそうだ。 


「森では何してたの?」

「別の集落の門番ですよ。収穫祭とかで遠くから御尊顔を拝見するのが精一杯の身分です」

「普通の森の?」

「そうですよ」

 

 スープを食べ終え、人心地がつく。

 そこで主任はある事に気付く。


「ん? 木陰さんって結構偉い人?」

「まぁ、私よりは。妖精王の親衛隊ですし。

……剣の鞘と刀身見ました? あれ、親衛隊だけが持つ事を許された剣ですよ」

 

 主任は何度か見ている筈のそれを思い出せなかった。

 そう言えばきちんと見た事が無いと言うと、機会があれば見せて貰えばいいと言われた。

  

「そう言うそちらは」

「うん? 僕? いやぁ、大した事無いよ。母親がエルフで父親が人間の混血」  

「そうですか」


 御両親は、と聞かれたので病気で死んだ、とだけ言った。

 2人はエルフの森で出会ったらしい。

 バルベロに襲われるまではそこで暮らしていたと父親から聞いていた。


「お墓をどうこうって訳じゃ無いけど決着が着いたら行きたいなとは思ってるよ」 

「すぐに行けますよ、だって」

 

 だん、とグラスがカウンターに叩きつけられた。


「もうすぐあいつは死ぬんだ」


 ●


 夜、誰もが眠っているであろう時間。

 文官は1人、仕事を続けている。

 

 ゴネる竜騎士を寝台に寝かせ、目の前の書類を片付けていると赤い光が目に入る。

 手の甲に刻まれた鴉の紋章。

 未だ消えぬそれが淡く光っている。

 

 部屋から出て湖へ向かう。 

 月は半分程欠けていたが、それでも湖面はキラキラと輝いている。 

 湖の畔で黒い羽の天使が文官を月から隠すように羽を広げた。


「マンセマット」 

「ええ」 


 忘れない顔の名前を呼ぶと高度を下げこちらに近付いてくる。

 まるで内緒話をするかのような距離の近さに身構えるも敵意は無いようで、穏やかに話しかけてきた。


「先日はどうも」

「再戦か?」

「いいえ、あの件はもう済んだ事になりましたので」

 

 そうか、と済ませるとマンセマットが意外そうな顔をした。


「聞いても教えないだろう」 

「敗者の礼儀として答えましょう」 

 

 やれやれ、と肩を竦めてマンセマットが話し始める。

 この様子では話したかったのだろう。

 止める理由も無いので文官は黙って聞く。 


「我々は便宜上、彼らを転生者と呼んでいます」

「……転生輪廻は邪教の教えじゃなかったのか?」

「ええ、それは揺らぎません。判り易い表現が無いもので」


 どういう人間なんだ、と聞くと事も無げに答える。 


「悪霊に取り憑かれ、文明当時の知識が急に蘇る人間の事です」

「……あいつがそうだったと?」

「ええ。何故か冥界が正常化してその懸念が消えましたが」


 どういう事だ、と聞くと管轄ではありませんので、と答えられた。

 話を進める事にする。 


「遊牧民の女子供を攫ってるのはそれか」

「ええ、よく御存知で」

「知識の独占か?」

「流出を防ぐ為」


 それは独占と何が違うのか。

 顔に出ていたのかマンセマットが言葉を続ける。


「集めた知識を我々が使う事はありません。

この世界に解読された文明の知識を残さない為に我々は動いている」

「何の為に」

「2度目の大戦争を避ける為」


 本気だと文官は思った。

 目の前の天使は、否、天使の国は本気で文明の知識が戦争の引き金になると思っている。

 

「かつて鍛冶や化粧の知識を広めたアザゼルを幽閉したように、彼らを閉じ込めるのです」 

「知識、という事は医療や薬学も」

「ええ」 


 文官は戸惑いを隠さずに更に問う。


「文明の知識は今より優れていたと聞いている。

今の人間の技術で再現できるかはまた別の話だが……」

 

 それで助けられた人間もいたんじゃないのか、と問うと、そうでしょうね、と返された。

 文官の顔に朱が走る。


「認めましょう。貴方から見れば傲慢に見える事は」


 だが、とマンセマットが言葉を続ける。


「大戦争の切欠となった歪、あれは決して我々の傲慢さでは無い」


 冷たく見下ろすマンセマットの目は文官を見ていない。

 かつての大戦争を思い出しているその姿は名前が示す通り、敵意や憎悪と言ったそれだ。 

 

 空に歪が現れ、そこから天使と悪魔が現れた。

 だが何故それが現れたのか、それを説明できる者はいない。

 当時を生きていた者達以外には、だ。

 

 だが逆に疑問である。

 その時から今日まで見てきた天使が何故そこまで警戒するのか。


「そこまでする事か、文明の名残なんて殆ど無いこの今に」

「……昨日の事なのですよ我々にとっては、良くも悪くも」


 そういうものか、と聞くとええ、と返され、会話が止まる。

 湖面が揺れ、波音だけが2人の間に流れる。

 

「それで」


 マンセマットが話しかけてくる。


「これからの御予定は?」


 しんみりとした空気から一転、互いに腹の探り合いの始まりだ。

 文官はぶっきらぼうに答える。

 

「さぁ? 好き勝手にしようと思ってるよ」


 マンセマットの羽根が動き、文官の姿が月下に曝け出される。

 月光を反射して光る眼が互いを捉える。


「おや、では計画を立てるお手伝いをしましょう」

「結構、計画は自分で立てたいタチなんだ」


 それを聞いてマンセマットが笑う。


「今の貴方にどれ程の計画が立てられるのか、見ものですよ。碌な伝手も無い筈だ」

「参考にはしようか」

「今は東が最善手です」 

 

 意外な言葉に文官の目が丸くなる。

 まさか天使の口からそれを勧められるとは思わなかった。

 

「東? 東に何がある?」

「教えてあげません」

「帰れ」

 

 文官の渋い表情を見てマンセマットが大笑いする。

 ひとしきり笑った後、溜飲が下がったのか機嫌良く文官の周りを飛び回る。

 

「まぁ、いいでしょう。御使いとして、1つくらいは質問に答えましょうか」

「そうかい」


 殴りたいのを我慢して文官は東について知っている事を急いで思い出す。


 東には遊牧民達の集落があり、その先は未踏の地であるらしい。

 竜騎士に聞けば何があるか判るのかもしれないが聞く機会がなかった。

 文官が知る限りでは東の果ては無人であると聞き及んでいる。 

 

 遊牧民達は元々、天使の国があった場所に住んでいた人間達で、

大戦争の時に天使達によって追い立てられ東へ逃げた、と言うのは有名な話だ。


「……?」 


 そこまで思い出して首を傾げた。

 奇妙な話であると、今更になって思った。


「マンセマット」

「はい」

「あの場所が聖地なのか?」


 乳と蜜の流れる土地。

 神の書物に書かれたこの言葉が示すのは豊かな土地だ。


 家畜の乳が溢れる程の緑に溢れ、大量の蜂蜜が採れる程の豊かな自然に溢れた土地。

 かつて砂漠の遊牧民であった信徒達がその土地を聖地としたのも理解できる。 


 だが実際の天使の国の気候はどうか。

 帝国より北、冬は寒く長い上に土地は痩せている。

 見習い達が生まれた悪魔の国北部同様、口減らしもある。


 神の言葉に書かれた聖地とはあまりにもかけ離れている。

 ならば何故、紛争の火種を抱えてまであの場所に固執したか。


「それとも遊牧民達の文化に不都合な点が――っ!?」


 マンセマットの手が文官の口を塞ぐ。

 先程までの余裕の表情から打って変わって舌打ちでもしそうな顔だ。 

 

「本当に貴方は可愛くない」 


 不機嫌を全く隠さずにバサリ、と羽音が闇に消えた。


 ●


 悪魔の国。

 グズグズに溶けた森の中。

 

 赤く染まった月の下で、肉断ちが教祖に許しを請うている。

 聖母が見つけ出した救われる者を見失った所為だ。

 

「うぅ、申し訳ありません教祖様」

「いいえ、あの状況では仕方ないでしょう。無事で良かった」

 

 しょんぼりとしている肉断ちの傍に教祖が座る。

 背後で蠢く聖母が、慰めるように自身の枝で肉断ちの背中をつついた。


 魔術師はすっかり冷めてしまった七面鳥を頬張っている。

 教祖がこちらを見た。

  

「こら、少し彼にも分けないか」

「あっ」

「……野菜ばっかり」

「好き嫌いは駄目よ」

「うぅ」


 魔術師の取り分け皿が没収され、肉断ちに手渡される。

 仕方がないので暖炉の方を指差し、火を着けた。

 苦し紛れに教祖に突っかかる。

 

「ふん、モタモタしていて良いのか? ダゴン亡き後は我々だぞ?」

「判っているよ。だからみんな聖母に捧げたんじゃないか」

 

 言われてみれば、200人程いた信徒達の声が全く聞こえない。

 聖母が愛おし気に自らの腹を撫でた。 


「ここなら安全でしょう?」

「確かに」

 

 明日の朝には何処かの軍勢がこの森に来るだろう。

 使い魔によれば、傭兵の集団がここに来るらしい。

 

 教祖が教会の奥から武器を持ってきた。

 金属製の棍棒。


 あまりに似つかわしくない武器に肉断ちが、うぉ、と声を上げた。

 済まなそうに教祖が眉尻を下げる。

 

「済まないね。戦える人間が、あとは君しかいないんだ」

「いえ」

「これは試練だ。これを乗り越えれば我々は目的に一歩近付く」

「……ああ」 

 

 魔術師は静かに月を見上げる。

 肉断ちの包丁が鈍く光った。

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