1章 帝国
1章 帝国
帝国。
名前を失った大陸の真ん中にある擂鉢状の盆地。
3年前に建国されたこの国を形容する言葉は枚挙に暇が無い。
ある者は負け犬の集落と言った。
また、ある者は神々の霊廟と言った。
だが、誰もが口を揃えて言う。
ここは戦士達の国であると。
●
帝国の西、森の中の朽ち果てた神殿。
誰が呼んだか神々の墓標。
供えられた花を背にし、山を降りる。
霧は晴れ、人々は起き始めている。
男達が森から木を切り出している。
各家の煙出窓から煙が上がり、食事の匂いが漂っている。
帝国の南にある大きな湖。
そこでは、漁が行われている。
大漁らしく、水面が揺れ水飛沫が激しく上がる。
それを切り株に腰掛け、眺めている男が居た。
文官は男に声を掛ける。
もう1つの切り株を勧められ腰掛けると、軽食と飲み物を手渡された。
「待ちましたか使者殿」
「いいえ」
彼らは他の人々よりも美しかった、とかつての文明の記録に残された程の姿。
目の前の使者と名乗った男はそれに恥じぬ容貌であった。
シルクのような肌に金をそのまま紡いだような髪。
長く尖った耳に、透き通った瞳。
ただの使者ですらこの風格、噂に名高き妖精王の御尊顔は如何程か。
そう思う人間は数多く、そして、男女問わず愛玩動物として需要が高まるのは言うまでもなく、
種族そのものに高い値段が付けられ、悪魔の国、ひいては王国の奴隷商人達が血眼で探し回っているのが現状である。
そんな中、この国を統べる人間が奴隷を扱い始めれば、気が気では無いだろう。
エルフ。
帝国の西の森に居を構える長命の種族だ。
「まず、世話役の派遣ありがとうございました。……お手柔らかに」
「はは、今更、貴方達がどうこうする気もありますまい。気楽に行きましょうか」
乾酪と山菜のサンドイッチと炭酸水を腹に収める。
食事を頬張る姿に何やら温かい視線を送られている気がするが、気にしない事にする。
「まず断言します。
我が帝国はエルフを売り飛ばすほど困窮していません」
食事を飲み込み、文官は結論から先に言う事にした。
「これは備えです。王国の南部で反乱が起きているのはご存知で?」
「それなりには聞いています。深い所までは判りませんが……、長引きそうなのですか?」
大陸の南部にある王国、その更に南。
そこで起きた反乱の情報は、距離故に遅く、錯綜し、不確かだ。
故に、数少ない情報を読み解くしか無い。
「それなりに長引くだろう、とは。
あくまで騎士殿の見立てですが。それで色々と人手が必要なわけです。
私1人で人事と会計と外交と事務を行うのも限界なので、えぇ、本当に」
何で今まで何とかなってたんですか。
私が聞きたい。
思わず互いに軽口が出る。
使者が咳払いをして話を進めた。
「あのような幼子が役に立つのですか?」
「役に立つように教育している所です」
現状、文官が教えられる程度の仕事でも任せればかなり楽になった。
問題は自分自身に教える能力が無い、という点だ。
そして向こうは未だ疑いを晴らしきれていない。
と言うより、立場上、晴らせない。
ならば言う事は決まっている。
「今はまたそれに絡んでまた人手が欲しい所ですね。
知識があって、教えられるほどの技術があり、
いざとなれば彼女達を守れるほど強い人材を探している所です」
「成程?」
に、と使者が笑う。
そこまで疑うのならば見張りを立てろ、と言外に含ませたのを理解したようだ。
大事に扱うのならばそれでよし、粗末に扱うのならばその時は、と皇帝にすら弓引ける程の人材。
エルフの集落に居ない筈は無いのだから。
「えぇ、そのように手配しましょう。いえ、既に」
「……あぁ」
文官は少女達の世話を焼く老婆を思い出す。
彼女も一廉の剣士であった。
「遅れを取ってドワーフを宮殿に入れる訳には行きませんから」
「……」
やはりこの辺りは根深い。
長命種故に彼らはまだ当事者だ。
「では、現状のままで」
「はい」
上手を行かれたが、それはそれ。
理想的な結果に収まった事を喜ぶべきだろう。
「ごちそうさまでした。では」
軽食の礼を言い、その場を立ち去る。
一仕事終えた国民達が休憩する中を歩きながら次の仕事を探す。
「文官」
「武官?」
背後から声をかけられた。
全身を黒い鱗に包まれた、蜥蜴のような男。
年齢は18程。
帝国武官。
皇帝陛下の騎士、たった1人の親衛。
人の身ならぬ巨体と角は明らかに異形の者である。
だが、この国、大陸では珍しくは無い。
悪魔人間。
人間、または他の種族と悪魔の混血。
大戦争の後に一大種族となった人間達だ。
「お疲れ。皇帝が呼んでる」
「はーい」
気の無い返事をしながら、文官は武官の後をついて行く。
●
帝国の真ん中。
皇帝陛下の宮殿。
石造りの、飾り気の無い堅牢な宮殿。
人は皆、出払っており足音が規則正しく反響する。
それでもここは玉座の間だ。
玉座に座るは白い男である。
髪も白く、肌も白く、服も白い。
歳の程、17、18程であろうか。
顔は額から唇までの長さの白いヴェールで覆われている。
だが不遜な態度は顔のように隠れていなかった。
しかしそれも当然、この男こそこの国の皇帝である。
「物の見事に女児の奴隷しか掴めなかったな。やーい、生命礼賛主義者ー、ロリコン文官ー」
「ぶん殴りますよ暗君。この予算、いや、関係ないか。
今の御時世、奴隷は女児しか売ってないような有様ですー。よって僕悪くないですー」
「予算の捻出は文官の仕事ですー、人事も文官の仕事ですー」
皇帝の傍に控えている騎士が苦笑いを浮かべた。
いつも通りの掛け合いをしながら会議を進める。
「それで?」
「エルフの方は何とかなりました」
「そうか」
手短に報告を済ませると皇帝が満足そうに頷いた。
そして次の議題に入る。
「反乱の情報は」
「いい加減、現地調査許可して下さい」
「えー」
王国は悪魔人間の入国を禁止している。
それ故に文官は王国に向かい、情報を集めたいと皇帝に奏上していた。
「お前が居ない間、俺が事務仕事しなきゃいけないんだけど」
「明日から行ってきます」
問答無用で許可を取る。
識字率の低い帝国では使える者は使わねばならぬのだ。
ゴネる皇帝を武官が宥める。
渋々といった表情で納得した後、別の議題に移った。
切り出したのは武官だ。
「神々の霊廟なんだけど」
「うん?」
「今のままじゃボロだし、何かいい感じに建て直せねぇ?」
これまた頭を抱える議題である。
●
月が高い。
御前会議が終わり、宮殿から出て外の空気を吸っている。
広場と言うにはささやかな場所。
深い緑の木々が何本も植えられており、宮殿へ続く道が石畳で舗装されている。
「……?」
森がざわつく。
肉が腐ったような酸っぱい臭いが僅かに風に乗っている。
鳥が鳴き声を上げながら飛び立ち、栗鼠が足元を走る。
何かから逃げ出すような動き。
顔に影が落ちる。
見上げると同時に空から大男が降ってきた。
ローブを被った男だ。
背丈は文官よりも遥かに高く、そして太い。
片手に持つ大剣に相応しい筋肉量である。
文官は剣を抜き、構える。
見知った顔では無い、明らかな侵入者。
男が獣のような呻き声を上げ、大剣を振り回す。
腰巻きだけの装備と言えども分厚い筋肉は、それ自体が鎧だ。
薙ぐように振られた剣を刀身の上を転がる事で避けた。
上段から振りかぶられる剣を避ける。
石畳を割った剣はそのままかち上げられ、こちらに襲いかかる。
地面を転がり、真横に避けるように動くと踏みつけるような蹴りが降ってきた。
無様に転がり続け、何とか距離を取る。
「203号……、203号は何処だ」
「何……!?」
それは文官の昔の名前だ。
奴隷として売られていた頃の名前である。
動きを止める事も出来ず、文官は構えながら距離を取る。
そして、相手の正体を探る。
「竜が来る……、赤い竜が来る……」
「……!?」
それはかつて文官が居た人売り商隊を襲った化物だ。
10年前の事。
だが、目の前の男は今も竜に襲われているような声で呟いている。
「騎士!」
「はっ!」
皇帝の声に合わせ、宮殿のバルコニーから赤い塊が飛び降りてきた。
帝国騎士。
30後半、赤い鎧に外套、頭には4本の山羊の角。
手に持つ巨大な鉈のような剣、先端は鉤状になっている。
大剣同士がぶつかり合う。
この国唯一の親衛と打ち合っても侵入者は怯んだ様子も見せない。
文官は急いで距離を取る。
2人の打ち合いに巻き込まれれば、それだけで真っ二つだ。
文官の横の木が切り倒された。
轟音と同時に飛び散った剣の破片がこちらに飛んでくる。
文官は戦況を知る為に振り返る。
剣戟。
打ち合い。
鍔迫り合い。
からの、押し込み。
その際、騎士は剣を水平に構える。
鈎に引っ掛けられたフードが千切れ、侵入者の顔が顕になる。
「っ……!? 剣闘士さん……!?」
文官の声に男が動きを止めた。
強風が巻き起こり、思わず目を閉じる。
恐る恐る目を開くと、男の姿は消えていた。