32章 各陣営(中)
32章 各陣営(中)
帝国南部の国境線。
王国に面するこの場所で奴隷商人は人を待っている。
だが待ち人は来ない。
「これは、駄目かもしれない」
いつもの胡散臭さは鳴りを潜め、奴隷商人は真面目な声で言った。
その声を見張り台に居る悪魔人間が拾う。
「なんだ商人、すっぽかされたのか」
「すっぽかされましたねぇ、どうしましょ」
奴隷商人は溜息を吐きつつ、内心、頭を抱える。
待っていたのは王国南部に居た協力者である。
巨人の部品、生薬達の救出、その他、南部の情報提供。
金を払えば何でも拾ってくる便利な協力者である。
今日、ここで待ち合わせをし代金を払う筈であったのだが肝心の協力者が来ない。
普段であれば奴隷商人よりも早く到着し、
待っているような人物だったのだが、と奴隷商人は考え込む。
こちらより優先するべき事情が出来た、それならばいい。
最悪なのは、捕縛、死亡の後にこちらの手筋が漏れる事だ。
奴隷商人自ら偵察しに行く事も考えたが契約者に会った時の対策が無い。
「文官殿に相談するべきでしょうねぇ」
「なんか知らんが頑張れ」
悪魔人間の適当な相槌を聞き流しながら、顰めっ面で書類を睨む様を思い出し肩を竦める。
そうなると、と奴隷商人は次に打つ手を考える。
悪魔の国に置いてある商品はまだ移動させていない。
ならば誰かしら贈って機嫌を取る手段はまだ使える筈だ。
鞄持ちにあたる人物は白金商会が選定中との事なので、
こちらは指揮、戦闘が出来る人間を用意するべきだろう。
悲しいかなこちらは小さな奴隷商である。
あちらの面子を立てねばなるまい。
そうと決まれば早速、文官へ報告、相談をしに向かうべく立ち上がる。
見張りの悪魔人間に声を掛け、あまり期待はしていないが、
それらしき人物が来たら取り次いで貰えるように頼む。
「この際ですから薪拾いでもやってきましょうかね」
竈に持って行くついでに何か作ってもらおうと思いながら、
奴隷商人は山を降り始めた。
●
王国と悪魔の国との国境沿い。
壁から少し離れた場所で魔術師は次の手を打つ。
先程、偵察した限り壁の中は随分と慌ただしいようであった。
突如現れたダゴンの情報を集めるのと、
それに便乗して逃走を図る不法出国者達への対応で忙しいようであった。
騒がしくなった壁から離れ、魔術師は手頃な廃墟を見つける。
地面に木炭で線と図形を書き始める。
書き終わると図形から光が溢れ、建物の中が修復される。
そして1人、死霊を呼び出しそこの番をさせる。
これでいかにも怪しい廃墟の完成だ。
マトモな頭をしていれば、ここや他の廃墟に人手を割くだろう。
魔術師は死霊の方に目をやる。
今度は簡単に呼び出せた。
地上と冥界との境目は順調に消えかかっているようだ。
冥王ハデス、冥界ハデス。
文明のはるか前、天使の国の教えが確立する前、
冥王となった神は冥界その物に变化した。
本来であれば死者が心穏やかに過ごせる静かな場所であった冥界は、
教えの確立と共に暗く冷たく、恐ろしくおぞましい場所となる。
それが今で言う所の地獄だ。
現世と冥界。
本来であれば交わるべくもない2つの世界を魔術師は繋ごうとしている。
死者を呼び出し、冥界ハデスへの信仰を弱める事によって事を為そうとしている。
魔術師の顔に獣のような笑みが浮かぶ。
あと少しで地獄の釜の蓋が開く。
「へぇ、これが貴方の魔術なのね」
魔術師の思考は女性の声に遮られる。
勢い良く振り返ると、廃墟の中を興味深そうに見回す女性が居た。
歳の程、30は行かない程だろうか。
女性は大勢の護衛を連れている。
魔術師は距離を取り名を聞く。
「どちら様かな」
「ただの通りすがりよ」
見たところ、どこぞの大店の娘か、もっと上か。
身なりの良さは魔術師以上だ。
相手を刺激しないように魔術師は最低限の礼を尽くす。
「ああ、失礼。私は」
「知ってるわ、反乱軍で何やらやってる方でしょ。魔術師さん」
成程、もっと上か。
共和国の上層部を知っているの人間は限られている。
元第12領の人間か、民間人では無い、情報が回されるもっと上の人間だ。
装備を見る限り殺害よりも捕縛が目的のようである。
ならば、こちらも殺す程の事では無い。
「ウァサゴ――」
護衛の男達が剣を構えると同時に悪魔を呼ぶ。
その姿は鰐に乗った老人、アガレスにそっくりだが、
明らかに発する魔力が違っていた。
ウァサゴ、悪魔の君主。
過去現在未来について知る能力と隠されたものを探し当てる能力。
これで真名でも当てて驚かせれば充分だろう。
そう魔術師が判断して命令しようとした時である。
「さぁ聞け! アルバータ=マーシェニス=ウエストウィックが我が真名!
職名は、何の因果か絶望侯!
さあ民よ敵よ絶望なさい! 闇が深い程に私が輝く!」
「おい、あの嬢ちゃん何も隠す気が無いんじゃが」
「撤っっっっ退! ――バティン!」
こういう手合は悪魔の天敵である。
光の速さで頭を切り替えた魔術師はバティンの瞬間移動でその場を離れる。
●
廃屋敷の中は外とは違って奇妙な程に整然としていた。
損壊どころか、埃すら無い。
まるで往年の繁栄をそのまま残しているかのような、
とにかく奇妙なまでに綺麗な屋敷であった。
木陰達は辺りを見回し、誰もいないか確認する。
人の気配は無く、物音ひとつしない状況である。
「おかしいな」
「おかしいですねぇ」
本当に何も無い。
屋敷の主人、出迎える人間、不埒な侵入者を咎める誰か、
侵入者を帰さない罠、外には獣道すら無い。
であるというのに、この屋敷を保つ為の魔術は幾重にも施されている。
これではまるで探索して下さいと言っているようなものだ。
「どうしたもんでしょうね」
忍冬の声を聞きながら木陰は部屋の間取りを確認する。
見た所、そこまで広い屋敷では無いようだ。
今立っている場所から見える扉の数は3つ。
恐らく居間と風呂場と応接間。
2階には寝室と客間、書斎は有るだろうと見当をつける。
そこまで判った所で2人は互いに目配せをする。
「この、あからさますぎて探索しなきゃって感じと、
これは罠だって感じの……」
「判る」
だがそうも言っていられない。
手早く終わらせようと2階へ向かう。
調べるのは書斎だ。
廊下を確認しながら部屋を確認していく。
どの部屋にも鍵はかかっていなかった。
幾つかの寝室を開いた後、2人は書斎らしき部屋に入る。
やはり、と言うべきか、書斎にも古びた様子は無く、
本棚の中にある本も作られた頃のように傷一つ無い。
樫の木で造られた立派な机が存在を主張している。
その上には光る板のような何かが置いてある。
手に取って見ると見た事も無い魚の絵が中に書かれていた。
額縁か何かかと裏にひっくり返すが、留め具が無かった。
「遺跡でよく見る品ですねぇ。何に使うのかさっぱりだ」
忍冬が横から口を挟む。
絵の端にある丸い何かを押すと絵は消え、真っ黒になった。
木陰は何事も無かったかのように板のような物を置いた。
「本棚を見よう」
「そうですね」
気を取り直して探索を進める事にする。
ふた手に分かれて本棚を漁る。
神話や魔術の本、恐らく医療の本、そして何について書かれているのか判らない本。
特に魔術の本が多く、この科目だけ古い本から新しい本まで揃っている。
木陰は適当に本を選んで斜め読みではあるが読み始める。
紐を使わずに装丁されているが問題無く読めた。
館の主は魔術に興味があったのだろうか。
書物には儀式の方法や、生贄の事が書かれている。
まるでそれは人間が魔術を使う際の指導書のような物であった。
眉唾物の内容であったり、中には真に迫っている物もあったが、
魔術が使えない人間には無用の知識だ。
だと言うのに何故、このような物を集めていたのか。
木陰は、この際、と机の方を見ると忍冬が引き出しを開けていた。
鍵はかかっていなかったようで、何事も無く中身を検める。
こちらにも1冊、分厚い本があった。
パラパラとめくると中身は空白であった。
互いに顔を見合わせ首を傾げる。
妙としか言いようがない。
探索させる為、とまでは言わないが、
このような魔術を使うからには何かしら保存したい物があるのだろうと思っていた。
だが蓋を開けてみれば、ここには何の情報も無い。
まるでこちらに人手を割く事が目的であるかのような――。
ふと、食欲をそそるいい匂いがした。
階下から漂ってくる匂いに2人は顔を見合わせる。
音を立てないように階段から降り、少しだけ開いた台所への扉から覗き見る。
老人が中で料理を作っていた。
天使の国の赤い服を着た老人だ。
見た限り、ただの人間のようだが何故こんな所にいるのか。
何があっても良いように警戒は解かない。
台所の中を見れるだけ観察する。
やはり、と言うべきか埃1つ無い。
ここから竈は見えないが銀の水場と奇妙な筒、作業台が見えた。
だが、それ以上に目立つのは床と壁に描かれた紋様だ。
黒い線で書かれた何かの紋様が部屋中に描かれている。
それ以外は何の変哲も無い台所だ。
老爺は材料を手早く調理し、次々と料理を作っていく。
何品も出来たての料理が並んでいく。
材料にも不審な物は無い。
「……?」
料理というものはこんなに早く出来上がる物だっただろうか。
疑問を解消するべく、目を凝らして部屋の中を更に覗くと空間が歪んだ。
真っ黒な穴が壁に現れた。
身なりの良い男が中から這い出る。




