31章 各陣営(前)
31章 各陣営(前)
大陸北西。
天使の国と悪魔の国の国境。
河を挟んで両陣営は互いに向き合っている。
片方は天使の軍勢である。
剣と盾を持ち、鎧を身に着けた天使達が大勢、国境沿いに整然と並んでいる。
能天使、悪魔達を滅ぼす役目を持つ天使達。
それを率いるのはラファエル、4大天使の1人だ。
もう片方は悪魔の軍勢であった。
静粛さとは無縁の、騒がしい軍勢である。
それを率いるのは軍旗と槍を手に持ち、牛、人、羊の頭、ガチョウの足を持った悪魔である。
悪魔の王、アスモデウス率いる軍勢であった。
議題は、突如現れたダゴンについてであるが、2つの軍勢は何も言わずに睨み合っている。
「して」
先に切り出したのは天使、ラファエルであった。
「海から現れたダゴン、奴は何を企んでいる?」
詰問するラファエルに対し、アスモデウスは不真面目とも取れる様子で答える。
「今度こそ、そっちと決着でも付けたいんじゃないの?」
その言葉にラファエルが眉を顰める。
ダゴンは元を正せばウガリッド神話の1柱である。
魚肥を使う文化から、魚の被り物を身に付けた豊穣の神と崇められた神であった。
文明の時代の遙か前に、神の言葉によって悪魔であると貶められ、
それ以降は海の底で眠っていた筈であった。
「大体、今更、大天使様が何の用ですかね?
バルベロの時、おたくらそんなに迅速な手配してましたっけー?
お家芸の後手後手対応はどうしたんですかね」
「喧しい、自然崇拝者の自滅など知った事では無い。
だが、奴は神自ら敵と定めた悪魔だ、対応しない訳が無かろう」
相変わらずの態度に肩を竦めつつ、アスモデウスは思案する。
何故ダゴンが目覚めたのか。
目覚めの時期であったのか、それとも何者かが目覚めさせたのか。
アスモデウスが知る限り、そんな奇異な事に手を出す悪魔は居なかった筈である。
それとも、と考えを進めようとした所で視線を感じる。
ラファエルが疑いの眼差しをこちらに向けながらも話を進める。
「まあいい、今回は貴様らに関わっている暇は無い。
それで、そちらはどう対応する気だ」
「さあね! 後は人間共が勝手に何とかするんじゃないの?」
毒蛇の尻尾を退屈そうに揺らしながら答えると、ビキリ、とラファエルの額に血管が浮かぶ。
国を治める立場が何たるザマだ、と言いたいのだろう。
現に、この国で戦が無い時は無く、王国や天使の国へ逃げ出す人間は多い。
だがそれがどうしたと言うのだろう。
放っておいても勝手に人間は増える。
弱いのならば逃げるなり死ぬなり勝手に減る。
芸術の才能や美貌の持ち主ならば庇護もしようが、そうでないならば人形と変わらない。
所詮些事。
魔王以下並びに悪魔の王達の判断はそのような物であった。
「まあいい、女性に手を出せない小心者に言っても無駄であった。
通るぞ、早く奴を討伐しに行きたい」
アスモデウスは一瞬何を言われたか判らず、ぽかん、とした表情を浮かべた後、
理解して笑い声を上げた。
天使も冗談を言うのかと、久々の大笑いだ。
その様子を見て、率いていた悪魔達が身構えるが構わずに笑い続ける。
2つの頭が笑い声を上げ、人の頭が裂けるような笑みを浮かべている。
その顔をラファエルが冷たい目で睨む。
「何がおかしい」
腹の引き攣りを何とか抑えたアスモデウスは、
今度はゾッとするような低い声で返す。
「悪魔憑きと噂されただけの人間を処刑するような御方たちが、
実際に悪魔と過ごした人間を純血と信じているとは、
疑いを知らない大天使の面目躍如ですな」
騒いでいた悪魔達が即座に撤退を始め、天使達が剣を構える。
ラファエルの体が光り、辺りの全てを飲み込み消滅させる。
●
睡眠を取り、起きたは良いがやる事がない。
木陰達もまだ戻っておらず、太刀持ち達は暇を持て余していた。
その時間を正体不明の轟音が破壊する。
何事かと外に出ると、逃げ惑う人間達が互いを押し合っていた。
血の雨が降っている。
空を見上げると天使と悪魔が戦っていた。
「天使?! 何で?!」
悲鳴を上げる主任を人型が突き飛ばす。
主任が居た場所を剣を突きの状態で構えた天使が滑空する。
攻撃を避けられた天使は近くに居た人間を刺し貫いた後、体勢を立て直し飛び上がった後、こちらを見下ろす。
殺気の篭った目は人型に向けられている。
「悪魔の人形め、神の敵め、ダゴンを蘇らせ何とする!」
「何の話だー!」
とんだ濡れ衣である。
そういう間も無く剣と脚が交差する。
ギィン、と金属音が辺りに響くと同時に、
誰かに呼ばれたのであろう傭兵達が武器を持って天使達と打ち合い始めた。
こちらに攻撃を仕掛けるべく別の天使が叫びながら剣を振る。
「自然崇拝の異端者め! 悪魔崇拝の邪教徒め! 貴様らに慈悲は」
言い終わる前に太刀持ちの剣が天使を貫いた。
「……!」
これだから天使なんて連中は。
舌打ちをしながら太刀持ちは人型に加勢する。
しかし、国境からそれなりに遠いこの街に何故攻め込んできたのか。
その答えはすぐに出た。
何者かが吹き飛ばされ、建物に突っ込む。
光の弾がそれを追いかけ、次々と爆発が起こる。
放っているのは天使、武装をしていない事からそれなりに高位の者だろうか。
あれを追ってきたのか、と太刀持ちは爆破された建物の方を見る。
ガラガラと音を立て崩れる瓦礫、巻き上がる粉塵。
その中から現れたのはどう見ても異形のもの、悪魔人間ではありえない造形、悪魔であった。
「あー、しょうがねぇの」
悪魔がそう言うと周りの雰囲気が変わった。
逃げ惑う人間達の中で何人かが棒立ちになっている。
そして防御の姿勢も取らずに天使達に襲いかかっている。
見れば襲いかかっているのは悪魔人間ばかりだ。
これはまずい、と人型の手を引きこの場から離れようとするが、足に杭を打ち込まれたかのように動かない。
「人型……?」
普段とは違い、虚ろな目で虚空を睨んでいる。
「悪魔の王、アスモデウス。参る」
異形が名乗り、人型も他の悪魔人間達のように天使に襲いかかる。
その動きに防御や回避というものは無く、ただ滅茶苦茶に天使に襲いかかっているだけだ。
天使達が持つ剣は辛うじて当たっていないものの、人型の体を確かに傷つけている。
「邪魔だ!」
太刀持ちは加勢に来た天使達を振り払い、人型の方へ向かおうとするが数が多い。
次々と襲い掛かってくる天使達に手を取られている間に状況は進む。
アスモデウスと名乗った悪魔は、近くに居た悪魔人間を盾にしながら天使達を殺していく。
槍で光の弾を切り裂きながら高位の天使を仕留めようと進む。
その余波で地面や周りの建物が次々と抉れ、避ける事が出来ない悪魔人間達が次々と倒れていく。
2人の距離が近付き、互いにぶつかり合おうという時、アスモデウスの手が伸び人型を天使の前に投げ飛ばす。
天使の手に現れた光の剣が人型ごとアスモデウスに狙いを定めた。
「……っ!?」
人型を突き飛ばそうと主任が攻撃に割って入った。
天使達に構わず太刀持ちは人型の方に向かって走る。
それに構わず2人は互いに攻撃を仕掛ける。
間に合わない、と剣を投げる体勢に入った。
天使の顔に人型の蹴りが叩き込まれ、その体が吹き飛んだ。
●
幼い頃、悪魔達との戦争で焼け出され逃げてきた。
騎士――当時は騎士という名前では無かった――と、他の悪魔人間達、
幼かった武官と、途中、奴隷商人から逃げてきた文官も合流し山を超えた。
盆地には既にエルフとドワーフと、そして皇帝が居た。
当時の大人達の間でどのような話が行われたのかは判らない。
皇帝にぬるま湯を浴びせられている間に盆地に住む事になり、住む所を作る為に開墾が進み、そして帝国が出来た。
人型自身も成長して強くなった。
人も増えた、少ないながら女もいる、子供も増えた。
人型は武器を持たなかった。
他の悪魔人間達と違い、岩の体でも無く、動物の体でも無く人間に近い脆い体であっても拳で戦っていた。
いつか、その時が来たら皆が自分を簡単に殺せるようにしておいた。
だから、これは違う。
この死に方は俺の望んだものじゃない。
体は勝手に主任を庇っていた。
脚に力が入り天使を蹴っていた。
防具を何も付けていないのに、やけに固いその体は、地に足が付いていなかった所為で簡単に吹き飛ぶ。
ほう、と背後の悪魔が感心したように声を上げる。
その声が妙に腹立たしいと、人型は振り返り拳を振るう。
右手の甲が妙に熱い。
●
魔力。
神、天使、悪魔を構成する力。
それは、大自然の化身であったり、人々の創作や信仰が何らかの形で命を得たり、
逆に人々の悪意が形を得たものが持ちうる力。
文明の技術で説明出来ない、歪から這い出てきた者達が持っている力だ。
細胞、血だ何だと文明の言葉で格好を付けようが、
結局の所、悪魔達を構成するのは、そんな理不尽であやふやな力だ。
そして今回はそれが裏目に出た。
理不尽という事はどんな理屈も通せるという事だ。
文明崩壊の戦で散々身に叩き込まれた理屈がアスモデウスに襲いかかっていた。
ラファエルを蹴り飛ばした青年は、
飛び込んできた少女を仲間に預け、こちらに殴りかかってくる。
放たれた光弾をジグザグと避け、地面から突き上がる炎や氷の柱を飛び越え、
槍の間合いの懐に飛び込み、アスモデウスに青年が拳を握りしめ飛び掛かる。
何度も、何度も何度も何度も何度も。
叩きつけられる拳に対して防御の姿勢を取るが、魔法で作られた槍が何度も砕けては再生する。
辛うじて折れない程度の硬度は保てているがそれもいつまで持つかと、アスモデウスは次の手段を考える。
まずは詰められた間合いを何とかするべきだと考え、この際、少々喰らっても構わないと、口から炎を吐く。
それを察していたかのように青年が動くが、完全には避けきれず、また、距離が近かった故に、
アスモデウスにも炎が襲いかかる。
めらめらと、地面や街を焼く炎に再び悲鳴が上がるが気にする事は無い。
自らを焼く炎に構うこと無く、槍を構え走る。
距離さえ取れれば一突きだ。
青年の胴体、ど真ん中を狙う。
穂先がもうすぐ獲物を貫かんとした所で、ふっ、と青年の息遣いが耳に注ぎ込まれ、
槍の穂先が青年の両拳に挟まれる。
びしり、びしり、と音を立て穂先が砕け、破片が散らばる。
砕けた穂先を振り払われ再び間合いに入り込まれる。
同じ手を何度も、と受け流す体勢に入った後、柄で拳を受け止める。
棒術の要領で受け流そうとして、槍が折れ、顔面に拳が叩き込まれた。
拳の向こうに見える目は正気を失った悪魔人間のそれでは無かった。
アスモデウスは飽いていた。
魔力の量は階級に比例する。
それ故に、階級の低い悪魔ならばともかく、悪魔の王、
自分に逆らえる悪魔人間は居ないと、高を括っていた。
だが――。
「小僧、名を名乗れい」
「帝国、国境警備隊、改め悪魔人間代表勇者、人型」
青年が名乗りながら大きく拳を振りかぶる。
聞く事は聞いた。
これ以上付き合う義理は無いと思いながらも、アスモデウスは普段より大きな声で叫ぶ。
周りの人間全てに聞こえるような声でだ。
「相手してられっかーーい!
こちとら淫奔が職能ですってぇの! 撤退じゃあ撤退!」
その声と同時に足元が光り魔法陣が現れる。
体が転移し終わる直前、人型の拳がアスモデウスの眉間を捉えるが、
その攻撃は空を切った。




