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27章 森


 27章 森


 森が騒がしく、目が覚めた。


 寝静まった集落から出て、アテもなく歩く。

 月は中天にかかっている。


 湖の水面に月が写っている。

 帝国、宮殿のバルコニーで皇帝が月を眺めている。


「何か気になりますか?」 

「んー? んー」


 何もない、という風に皇帝が首を振る。

 妖精王はバルコニーに入る。  


「武神様がお帰りになられたようで」

「あいつに用事か?」 

「いいえ」 


 そうか、と皇帝が月を背にしてこちらを向く。


「ならばこの皇帝に言ってみると良い、余す所無く聞き流してやろう」

「そこは聞いて頂ける所じゃあないですかねぇ、

いや別に大事な話って訳でも無いのですが」

「酒いる?」

「頂きましょう」


 1本、葡萄酒の瓶を手渡される。

 杯は、と聞こうとしたが、皇帝が瓶から直接飲んでいるのを見て諦める。

 はしたなく口を付けて飲むと、ふくよかな香りが口の中に広がった。


「良い物ですね、どこで買ったんです?」


 そう言うと皇帝が不思議そうに瓶に書かれた銘柄を見る。


「オーディンにプリン盗られた仕返しに1番良さそうなのくすねたんだが……、

ふーん、これ良い物なのか」

「貴方なんてもん飲ませてくれるんですか」


 とんだ怖いもの知らずである。

 あんまりな過程で手元に転がり込んできた葡萄酒を恐る恐る口にする。

 

 2人は何も言わない。

 どれ程の時間が経っただろうか、森が一層騒がしくなり、どこかの森が剣呑な気配を撒き散らす。

 それは妖精王のよく知る気配であった。


 口火を切ったのは皇帝であった。


「それで」

「そうですねぇ」


 どこから話しましょう、と妖精王は考える。


 そう言えば、彼はエルフがここにいる理由を知っているのだろうか、

と気になり、聞いてみると知らない、と返された。


「この国でエルフの居住区だけが純血を保てている、

人材も純血で固められている、おかしいとは思いませんでしたか」

「……」


 ドワーフであれば太刀持ちが混血であるし、他にも他種族との混血は多い。

 人間でも数こそ少ないが騎士や総代のように様々な種族との混血が主流になっている。


 こと帝国に関しては人材登用において皇帝の謎基準が暴発するため、

王国のように絶対的な人間至上主義と言うものが発生し辛いという理由もあるがそれは置いておく。

 武官は悪魔とエルフの混血だが、騎士にこの国に連れてこられた為、立ち位置は完全に悪魔人間だ。 


 ではエルフは、となると混血は全く居ない。

 使者、木陰、翁、妖精王。

 他のエルフ達も皆、純血である。


「結論から言えば我々は混血達を置いて逃げたのです」


 30年程前、突如現れたバルベロ=シュブ=ニグラスに住んでいた森を襲われた。

 罠を張り、剣を取り、猟犬達を薙ぎ払い、戦況は拮抗していた筈であった。


「戦わなかったのか?」

「戦えると思っていたんですけどね」


 皇帝の質問に自嘲気味に返す。

 

 外側からの攻撃だけであったならば対処はできた。 

 問題は内側であった。


 バルベロの気に当てられ、人との混血は発狂する。

 その時を迎え、悪魔との混血は人形と化す。

 悪魔からすれば格好の状況であるから、彼らを使って攻撃を仕掛けてくる。

 それらの対処に手を裂かれ、均衡は崩れ、戦線は縮小していく。


 誰もが疲弊した。

 剣士である翁さえ疲弊していた。

 そして遂に集落まで攻め込まれ、妖精王を引き摺り、混血達を置いて純血達は逃げ出した。

 その後、残された混血達は取り込まれたとも散り散りになったと聞く。


「誰もが戦えた訳では無かったので」


 弓を射れば木が矢を避け敵に命中しても、

剣を振れば斬撃が葉をすり抜け敵を切り裂いても、1人で戦えても無意味であったのだ。


 皇帝が何も言わずに隣に座った。

 額同士を合わせ、子供のようにあやされる。


「もし、その時が来たら」


 いつか仇を討ち、再び皆でとは言わない。

 端と端で別れて暮らしていても、安住の地に居る事が判ればいい。


「帝国で受け入れてもらえますか?」

「ああ」


 勿論、と皇帝が言う。

 その顔は仄かに赤く染まっている。


「今度は酔っ払ってない時にちゃんと言う」

「馬鹿め、こういう時は沈黙を守るのが礼儀だ」


 皇帝の後ろ、バルコニーの手摺の上に武神が降り立つ。

 すっと視線を寄越され思わず身が竦んだ。

 だが何も言わずに皇帝の方に向き直る。

 手摺から降りて皇帝の前に立つ。


「成人していようが卿に酒などまだ早い」 

「返せー」


 皇帝の手から酒瓶を引ったくり荒々しく呷る。

 酔いの所為でふやけている皇帝の手から瓶を遠ざけながら銘柄を確認し、唸る。


「知識は無い癖に的確に旨いやつだけを持っていきおって」


 ふん、と一息吐きながら武神が皇帝を自身の体にもたせ掛けさせる。

 皇帝が冷たい、と気持ちよさそうに頬を鎧に当てた。


「ええい、饑饉の年の酒に手を付けられなかっただけマシか」

「あんな年に酒作んのかよ」


 武神の鎧で涼を取りながら皇帝が言う。


「ああ。場所にもよるが葡萄酒を作る所は畑がそれしか無いからな、

酒を売って得た金で食糧を買うのだ」

「待て、文官呼んでくる」


 フラフラと千鳥足で皇帝が歩く。

 にわかに宮殿内が騒がしくなり、増えた足音がこちらに向かってきている。


 ●


 狼が木の根に吸われている。

 鳥が蔦に絡め取られて絞め殺されている。


 建物であったそれは植物に侵食され原型を留めていないが、

攻め込まれた時そのままを生々しく残している。


 かつてエルフ達が暮らしていた森は既に変貌していた。

 一見すれば不気味であるだけの森の中で人は既に飲み込まれ、

植物は生物としての体を成しておらず、動物もどろどろと冒涜的に溶けている。


 本来であればそうは曲がらない、曲がってはならない、

歪なねじ曲がり方、歪み方をした空間がそこにあった。


 魔術師はその中を歩いている。


「御機嫌如何です、聖母バルベロ」 


 一際目立つ大樹に魔術師は話しかける。

 ざわざわと木が揺れ、聖母の声が響く。


「みんな元気よ、私の中でおぎゃあ、おぎゃあって泣いてるの、可愛いわ」


 そう言って聖母は自身の腹を撫でる。


 あの中に、吸われた人間が大勢いるのだろう。

 吸われた人間がどうなったか魔術師の知る所では無いが、恐らく、碌な末路ではない。


「それは重畳。ところで最近、海の方が騒がしいですが何が御入用で?」

「そうねぇ、今の所、何も無いかしら。深きもの共はここまで来られないし」


 そこはやはり海に生きる者であるのか、と奇妙な納得をしながら魔術師は続ける。


「そうですか、さて聖母バルベロ。

この後はどのように? 森と同化し、天使の国を倒し、人間を救う為の次の一手は?」

「貴方はどうしてほしいのかしら、呼び出された身としては気になるわ」

「お好きなように……。そうですね、ただ何事にも利益、不利益はありますから」

「聞かせて?」


 首を傾げバルベロが先を促す。


「ここから東に行けば帝国、南に行けば王国、

帝国は人は少ないですが先の拠点が得られますし、

王国は人が多いので貴方の目的が果たせます」


 魔術師としてはどちらでも構わなかった。

 帝国が落ちれば王国を背後から襲う事が出来るし、

壁が破られれば悪魔達が王国を蹂躙するだろう。


 共和国にとってはどちらでも得のある話だ。


「ただあの壁は悪魔達の存在で文明当時のままの強度を保っていますし、

帝国の土地は手に入れても攻勢に出辛い」


 霊的存在、悪魔、天使、彼らは大きな力の塊だ。

 存在するだけで力を振りまき、辺りの物に影響を及ぼす。


 故にこの国は未だに文明の機器がある程度、生きているのだ。

 それは国境の壁ですら例外では無い。


「両方」

「そうですか」


 あどけない笑みが浮かび、ぎしり、と大樹が動く。


「誤謬を正し、物質を捨て、ヤルダバオートを打倒し、

この世界を霊的存在に引き上げ、私は人を救う、だから両方よ」


 森の中を鼻を突く臭いが充満する。

 あらゆる所から猟犬が湧き出る。


「まずはこの国からだけど」

 

 その声と同時に猟犬達が走り始める。


「えぇ、問題ありません。お心のままに聖母バルベロ。

では私もそのように仕込みましょう」


 そう言って魔術師は袖を捲り、腕を出す。

 そこには様々な紋章がびっしりと刻まれている。


「バティン」 


 契約している悪魔の名前を呼ぶと蒼ざめた馬に乗った、

蛇の尻尾を持つ男――悪魔の大公爵バティン――が現れる。

 愛想良くバティンに促され馬に相乗りする。


「どちらへ?」

「海に行きたい」


 次はダゴンと話を着ける、と言うと音も無く2人の姿は消えた。


 ●


 30年前、木陰は150歳、成人したての頃である。


 当時は新兵としてあれやこれやと駆けずり回っていたのを思い出す。

 均衡はすぐに崩され、周りの人間が狂い、おかしくなり、戦線は縮小され、

絶望だけが色濃くなっていく。


 翁が筆頭になり、集落から人を避難させ、撤退を拒否する妖精王を無理やり担ぎ、

おぞましくなっていく森から逃げ出す光景も覚えている。

 あの惨めな敗走があっても妖精王、翁が偉大な戦士であるという認識は変わらない。


 だと言うのにこの焦燥は何か。

 寝返りを打ってもそれらは消える事は無く、

ただ体力を消費するだけの無為な時間が過ぎる。


 どうせ眠れぬならば、と木陰は寝台に腰掛けながら荷物を漁る。

 自分の弓を取り出し、何度目かの点検を始める。


 結局の所、自身の弱さである。

 主任に自分の種族を名乗れなかったのも、

顔の布を取れないのも勝手に後ろめたくなっているだけの話である。

 エルフという種族に恥を抱いている訳では決して無い。


 木陰は黙々と弓の弦を張り直す。   

 逃げ出せた混血達が子を成しどこかで元気にしていた。

 こんな所にいる事を考えると、親は死んだのだろうがその子供は元気に生きている。

 それが判っただけでも収穫ではないか。


 しかしそれでも尚、じりじりと怒りのようなものが身を焼く。

 あの時、妖精王が言うように戦っていたら、

非戦闘員の厭戦感情を何とか出来ていれば、木陰がもっと強ければ――。

 思考の堂々巡りである。 


「木陰」


 声と同時にふ、と視界に何かが入り込み思わず捕まえる。

 それは蒸留酒の瓶であった。

 ドワーフ達が好む、酒精の強い酒だ。


 人型が杯を鞄の中から取り出していた。

 起きていたのか起こしてしまったのか、互いに何も言わずに手渡された杯を受け取る。


「飲むか」

「ああ」


 手入れを終わらせ、味も判らないまま勢い良く飲み干した。



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