序章(2) 時代は進み
序章(2) 時代は進み
統治も血筋も一切無用。
強き者こそ正義。
挑め、玉座にて我々は待つ。
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大陸の東。
雲はなく、月明かりが眩しい夜だ。
紺色がどこまでも続く草原に簡素に作られた柵と見張り台。
西の山から来る風が体の火照りを冷ます。
大陸の東で男達が野営をしている。
北の戦場、かつて奪われた故郷に向かう為だ。
各自、装備を整えたり、気を紛らわせたりしている中、
男は竜を枕にして寝転びながら火を見ている。
作戦を聞きに行っていた仲間が本部も兼ねている移動式住居から出てくる。
その足音は荒い。
「年寄り共は何だって?」
「いつも通り、戦局を見渡すお役目だとさ」
「そうかい」
想像通りの答えだ。
大戦争の頃、住んでいた土地を追い出されたかつての戦士達。
勇猛果敢に戦い、死ぬ時は戦場で死ぬ事を良しとし、
ただ故郷を取り戻す事だけを考えていた男達。
その子孫達も時を経て世代を重ね腐っていた。
幼い頃に聞かされた誇り高い戦士など居ない。
体の不調を言い訳に前線に出ず、負け戦を誇り、若者相手に知恵や財産を残さない。
戦えぬなら戦えぬで別の仕事に就けば良いものを、
後方支援と称して碌な物資も寄越さない。
巧みに背後から刺されるのを避け、戦場に居座っている。
少なくとも男の目にはそう見えていた。
そう考えるのは自分だけでは無いようで、口にこそ出さない物の良くない空気が充満していた。
腹立ち紛れに馬乳酒を勢い良く呷ると戯れに伸ばされた竜の舌が男の唇をなぞった。
舌で遊んでやるとくすぐったそうに引っ込める。
拗ねたようにそっぽを向く竜を撫でながら男は立ち上がる。
装備を整え、槍を持ち、竜に取り付けてある飾り鞍を点検する。
収納の中にある代わりの槍も山程、用意してある。
竜に跨り男達は互いに見合い頷く。
「行くか」
「ああ」
月の下、竜が空を飛ぶ。
轟々と風を切る音以外は何も聞こえない。
暫く飛んでいると明かりが見えてくる。
石を積み上げて作られた城壁。
どこまでも続くそれに人の気配は無い。
だが空を見上げると、ずらりと並んだそれがいた。
白い羽の生えた人の形をした何か。
歪から現れたものの1つ。
天使と呼ばれる生き物がずらりと空に浮きながら並んでいた。
夜中でも瞬きもせずにただ、国境沿いを見張っている。
天使がこちらを見つけたのか、呑気に警告を発する。
それは、ただそう言うべきだと命令されたかのような、奇妙で耳障りな声であった。
「神ノ御意志ヲ知レ、ココカラ先ハ天使ノ国デアル。
許可無キ者ハ通レナイ」
「神ノ御意志ヲ知レ、ココカラ先ハ天使ノ国デアル。
許可無キ者ハ通レナイ」
「神ノ御意志ヲ知レ、ココカラ先」
竜が炎を吐き、辺りが明るくなる。
炎に撒かれた天使が声とは違う耳障りな甲高い音を立てながら爆発する。
天使の1つに誰かが投げた槍が突き刺さる。
突き刺さると同時に体が砂のように崩れ、
それを合図に無機質な人形達がこちらに手を向け、光の弾を撃ち出す。
「おのれ、悪魔の申し子共め!」
指揮官らしき天使が、喚きながら、一際大きな光弾を撃ち出した。
闇を裂いたそれは居場所を知らせているのと同義だ。
馬鹿め、と男が口に笑みを浮かべると同時に竜が回転しながらそれを避け、羽ばたき速度を上げる。
背後の爆発が追い風とでも言わんばかりに、男は竜を駆る。
地面すれすれから上空へ。
限界まで昇りきった所で上空から急降下しその勢いを載せた槍を投げる。
●
大陸の西。
悪魔の国と呼ばれる国で、男は戦争を眺めている。
手や腕に浮かび上がった紋章が淡く光っている。
大陸の西と南、悪魔の国と王国を分ける国境の壁。
文明の名残、大戦争の頃に造られたと聞いた壁で勃発している戦闘を、ただ眺めている。
軍を率い、光弾を撃ち出す悪魔の軍勢。
それに立ち向かう、王国の騎士達、国境警備隊。
異形の首を打ち取る者。
真名を抜かれ発狂する者。
様々な者がそこにあった。
悪魔達は王国に入り込む為に攻め込んでいるのでは無い。
それならば海や山の中を超えていけばいいだけの話だ。
姿形によっては空を飛んでいっても構わない。
かつての文明の頃にあったと言われる、鉄の鳥ほど高くは飛べないが、試してみる価値はあるだろう。
それをしない理由、全ての始まりは、建国時の魔王ルシファーの発言であった。
「武勲を立てた者に望む物をくれてやろう。
壁を崩すも良し、天使共を屠るも良し、我の首を狙うも良し。
強さこそ正義である。繰り返す、強さこそ正義である」
その言葉に全ての悪魔、人間が沸き立った。
倫理も道徳も無く、熱に浮かされたように、病に冒されたかのように殺し合いを始める。
そしてそれは今も続いている。
彼らは魔王に認められる為に壁に攻め込んでいるのだ。
お世辞にも裕福とは言い難いこの国で、文明の頃のような生活をしている7人の王達。
彼らから下賜される財宝とは如何なる物かと、悪魔達は戦争を起こしている。
度し難い、と吐いた溜息に背後の存在が反応する。
ズル、と引きずるような音を立てて近付いてきたのは異形の女だ。
山羊の角が生え、背中に大樹を背負った女。
どう見ても人間では無い彼女が心配そうに、こちらの顔を覗き込んだ。
「どうかしたかしら、魔術師さん? 浮かない顔ね」
「なんでもありませんよ、聖女バルベロ。さぁ、仕事を続けましょう」
そう言って、男は全てが歪に螺子曲がった森の中を歩く。
何処からか入り込んだ鼠が木の枝に突き刺され、体液を吸われた。
冒涜的な森の中で男――魔術師――は儀式の準備を始める。