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終章 荒野の果てに


 終章 荒野の果てに


 広報係は牢の中で天井を凝視する。


 英雄に負けた。

 その事に悔いは無い。


 だが、他の連中は?

 戦いに参加もせず、寧ろ任せきりにしていた連中は? 

 

 文明の頃のように、正確な顔の写し絵が一瞬で送られる次代では無い。

 であれば必然、情報伝達は噂や口伝になる。


 首都で行われる処刑。

 それらは喧伝され、好き勝手に語られるのだろう。

 

 バリバリと奥歯が噛み締められた。

 震える手で顔を覆う。 

 

 貴様らは死に様だけ語れ。 


 広報係は自身の顔に爪を立てた。

 

 ●


 罪人が自らの顔の皮を剥ぎ、舌を噛み切った。

 原型を留めない人皮が廊下に落ちている。

 

 宝剣公はそれを黙ってみている。

 兵や騎士が動揺する中、はっきりと宣言した。


「冷や汗ひとつかかなかった」

 

 場が静まり返る。

  

「我々の勝ちだ」


 広報係の遺体を見下ろしながら宣言すると、突風が吹き遺体が消えた。


 宝剣公。

 王国、第11王子。


 13年前の飢饉の際、誰もが見放した白槍公に忠誠を誓った。

 危うくも見える性格は反乱軍との戦後、徐々に収まっていく。

 

 白槍の王即位後は兄の不足を埋める剣として生涯を全うする。

 

 ●


「表立っては弔えぬのでな。……これで最後になる」


 誰も居ない丘の上。

 名前が無い墓の前に白槍公は花を置いた。


 落胤公はそれを黙って見る。

 白槍公は墓の前で祈っている。

 

 神の居ない国で誰に祈るのか。

 落胤公は浮かんだ疑問を目を伏せて処理した。


 強い風が吹いた。

 花弁が天に登る。


「行こうか」

「はい」


 白槍公が立ち上がり、振り向かずに歩く。

 その後ろについて行く。

 

 落胤公は彼の事を指導者としてしか知らない。

 だが、風の中に篝火公が立っているような気がした。


 落胤公。

 王国、第12王子。


 継承権の無い庶子でありながら、例外的に公爵に取り立てられた男。

 苛烈な経緯とは裏腹に、性格は極めて穏やかであった。


 理に偏りがちな宝剣公の補佐として、活躍する。


 “白槍の王”白槍公。

 王国、第9王子。


 王としての資質を常に問われていた男。

 そして、それは示された。


 白槍の王として君臨し統治する事になる。


 ●

 

 平原の風は相変わらず冷たい。

 竜の声が聞こえてくる。


 遊牧民の国は宴で活気付いている。

 勝利の宴である。


 ゼウスが誰彼構わず口説き、テュールがそれを止めている。

 干城は珍しく酔っ払っているようであった。


 その中にふらり、と男が立ち寄った。


 褐色の肌を持つ男だ。

 この国ではディヤウス以外に見ない特徴である。


 皆の喜ぶ顔を見て、黙って立ち去ろうとした時だ。


「おい」


 後ろからぶっきらぼうな声がかけられた。

 ディヤウスと族長が音も無く立っていた。


 ディヤウスが杯を男に押し付ける。

 族長が酒を注ぐべく男に近付いた。


「飲んでいけ、今日はめでたい日である」

「……はい」

 

 そう言ってインドラは杯を受け取った。


 ゼウス。

 ギリシャ神話の主神。


 時代に翻弄された神。

 ただの人の強さを見誤った男。

 

 だが今は確かたる物を見つけた。


 テュール。

 北欧神話の戦神。

 

 王の為に、全てを捨てた戦士。

 だが、他ならぬ王に拒否された。 


 今は王の為に、そして戦士達の為に。


 ディヤウス。

 古代インドの天空神。

 

 人の弱さを嘆いた男は檻で閉じ込める事にした。

 しかし檻は壊れ、日差しが差し込む。


 今はただ、息子達と酒を酌み交わす。


 干城。

 遊牧民、竜の戦士。


 終わり無い戦いに飽き、そして腐りかけていた男。

 そして、過ちを正せた男。

 

 彼が生きている間にその時が来るのか、それとも血を繋ぐのか、誰にも判らない。


 族長。

 遊牧民の族長。


 父の死後、族長を継承する。

 神々の過保護により空を飛ぶ事を許されなかった男は誰よりも羽ばたいた。


 竜の、遊牧の民達に、友に幸あれ。


 ●


 天使の国。

 白い塔。


 大勢の天使が集まるこの場所で、先の戦いの労いが行われていた。

 死者に祈りを捧げ、葡萄酒と種無しパンを口に含む。


 祈祷を終えた後、各々好き好きに会話を始める。

 ウリエルは隣のラファエルに話しかけた。


「色々あったな」

「互いにな」


 言えぬ事ばかりだ、とラファエルが言った。

 私もだ、とウリエルも返した。


 悪魔に国境を超えさせた事。

 悪魔と共闘した事。


 何もかも言えぬ事ばかりだ。

 

 ちびちびと葡萄酒を舐める。

 僅かに辺りが騒がしくなった。


 白い光が天から降ってきた。

 ゆっくりと、漂うそれは徐々に天使の形を取る。


 ウリエルは天使の名前を呼んだ。


「ハニエル」

「ああ」


 ハニエルが声に答える。

 表情にかつての狂信的な物は無い。

 

 焦げ跡の無い翼がゆっくりと広げられた。


 ウリエル。

 4大天使の1人。


 信仰と記録は焼け落ち、正しい物すら消え失せた。

 今、守護するべきは何か。 


 彼の気苦労は絶えない。


 ハニエル。

 主の栄光の意味を持つ天使。


 長き時を経て朽ちたそれは、戦いの中で取り戻された。

 それも、憎き敵の血を引く者によって。


 次は勝つ。


 ラファエル。

 4大天使の1人。


 一時の邂逅は悪くないものであった。

 二度と無いであろうそれは彼の奥深くに仕舞われる。


 だが、なんの因果か縁は再び結ばれるようだ。


 ●


「ていうかお前知ってたのか、知ってたなら何で言わないんだ」

「知ったとしてどうするつもりだ」

「腕を増やすくらいなら良いよな?」

「良い訳無いんだよなぁ!」


 帝国の東、エルフの森。

 妖精王の間に客人が訪れていた。


 ホルス、かつての戦友。

 大戦争の頃、友に戦った仲だ。


「ゲンナジーの奴……! 水臭い……!」

「そういう事すると確信していたからだろう。いい加減その過保護をやめろ」

 

 過度な加護は人間の為にならない。

 そこの辺りをどうも神というのは見誤る。


 人間を極端に弱いものと認識しているのだ。

 共に戦った仲だというのに何故かそうなのだ。


「しかし何百年も惚気を聞かされるとは思わなかった」

「あ? どういう事だよ」


 ブツブツと文句を言っていたホルスが顔を上げた。

 妖精王は茶を飲みながら答える。


「ゲンナジーの名字だろう、あれは」

「……」


 ホルスがテーブルの上に音を立てて突っ伏した。


 ホルス。

 エジプト神話の神。


 4文字の暴虐に義憤で立ち上がった男。

 大戦争の後も、戦災から人間を守る為に戦い続けている。

 

 今は新たな人間との関係を模索している。


 妖精王。

 エルフの王。


 大戦争の英雄は同胞を守る為に新たな戦いに身を投じた。

 敗走を経た先にあったのは新たな戦友。


 今はただ、帝国の森を守るのみ。


 ●

 

「いけませんね、商人達が泣いて逃げます」

「ふむ、革の椅子はお気に召さなかったか」


 黒騎士の言葉に貪婪候――今は諸家――が不思議そうに答えた。


「貴様ら、悪趣味な物を我が屋敷に持ち込むな」


 西方公は真顔で言った。

 諸家が、おや、と態とらしい表情で答えた。


「国内の商人に灸を据えたいとおっしゃられたのはそちらですが」

「大体そんな物どこで手に入れた。ああ、いい。言うな」

「ははは」


 此度の反乱で反乱軍、商舶側に付いた商人を全員罰する訳にはいかない。

 そんな事をすれば、ただでさえ混乱している市場が更に混乱する。


 だが、全くのお咎めなし、というのも示しがつかない。

 であれば呼びつけ多少、厳しく説教なり、勧告なりすればいいだろう。


 そう思っていた矢先に2人が来たのだ。

 人革の椅子を携えて。


 悪魔よりも悪魔らしくの王国貴族、引退して尚、健在である。


「国境に戻る気は無いのか」

「はい、……息子では不足で?」

「いや……」


 西方公は頭を振って否定の意を示した。


 はっきりとした変化が現れたのは諸家が妻を亡くした頃か。

 ただでさえ人を人とも思わぬ傾向が更に悪化した。


 本人にも何か思う所があったのか、いきなり引退を宣言し、出奔。

 その間、まともな連絡ひとつ寄越さなかった。


「それより」

 

 思索に耽っていると諸家が国境を見下ろしながら言った。

 いつもと変わらぬ戦場。


 大剣が敵を薙ぎ切った。

 牽引役が敵陣に突っ込む。


「よろしいので?」

「白槍公の所に置いておく訳にもいかん、……今はな」


 諸家が西方公の顔を見る。

 頭が痛む事だ、と深々と椅子に身を預けた。


 諸家、貪婪候。

 元、王国貴族。


 悪魔よりも悪魔らしく。

 それが揺らいだのは何故か。


 人は悪魔に成り得ぬのか、それとも――。


 アンドロマリウス。

 悪魔の伯爵。


 正義の悪魔、だがその正義は否定された。

 だが、彼は何度でも同じ事を繰り返すだろう。


 終末に下される裁きを待ちながら。


 牽引役。

 アンドロマリウスの契約者。


 儀式で契約を結び、僅かばかりの食料を手に入れた。

 だが、それらは違法とされ、罪人として追われる事となった。

 

 そして青年は王国の剣を目指す。


 ●


 悪魔の国。

 王都。


 かつてのルシファーの王宮にアッタルは住んでいる。

 黙々と作業を片付けている。


 先の戦いの事後処理。

 そして、新たに現れた神達への対処が主な仕事だ。


 4文字によって貶められた神々。

 彼らが元の姿を取り戻し始めている。

 

 次々と神に戻っていく悪魔。

 もしかすると終末が近いのか、それとも別の要因か。


 アッタルは傍に居るアスモデウスに話しかけた。


「やはり貴様は戻らないのか」

「ええ」


 アエーシェマ。

 ゾロアスター教の悪神、アスモデウスの本来の姿。


 狂暴を司る神。

 元に戻れば大きな戦力となるであろうそれを、アスモデウスは頑なに拒んだ。

 

「これから皆、元の姿を取り戻す」

「でしょうね」

「悪魔という存在が無きに等しくなる」

「はい」


 そこまで言うなら、もう言わぬ。

 アッタルは玉座に深く身を沈めた。


 そして作業を進めようとした時に派手に扉が開けられた。

 興奮した狩人が銀灰を引きずりながら部屋の中に飛び込む。


「なーなー! 西の海に変な炎の塊が現れたってー! 行っていい!?」

「やかましいわ糞たわけ! 詳細を報告しろ報告!」

 

 狩人の後ろから木陰や忍冬が顔を出し、報告する。

 準備万端というふうに太刀持ちや人型が廊下の壁に背中を預けている。


「悪くないのです、存外に」

 

 騒がしくなった玉座の間を見ながらアスモデウスは独り言ちた。


 木陰。

 帝国の勇者、エルフ。


 森を穢され、王の戦いに水をさした、残されたのは身の丈に合わぬ種族の誇りのみ。

 だが雪辱は晴らした。


 今は森の賢者として振る舞うのみ。


 人型。

 帝国の勇者、悪魔人間、アスモデウスの契約者。


 血に飲まれた中、男は自らの手で誇りを取り戻した。

 その拳は王に届き、次は神に届くのだろうか。

 

 全ては神すらも判らない。


 太刀持ち。

 帝国の勇者、ドワーフ。


 穴蔵から追い立てられた男は外の世界を知った。

 妻も子も亡く、日の下に晒された屈辱だけが手に残る。

 

 だが、今は――。


 銀灰。

 元奴隷。


 突如、王国を襲った混乱は少年の安寧を破壊した。

 求めたのは切欠と、力。


 貪欲さ故に勇者の一員になる日も近いだろう。


 忍冬。

 エルフの傭兵。

 

 かつて現れた理不尽を憎んだ。

 自らの破滅を厭わず、仇を討滅した後の男は空っぽだ。

 

 今はただ、新たな日常を謳歌する。


 アスモデウス。

 悪魔の王。

 

 自我も無くただ破壊するだけの舞台装置。

 長き時は彼にどのような変化を齎したのか。


 皆が元の姿を取り戻す中、彼は最後まで悪魔であった。


 アッタル。

 悪魔の国の王。


 才覚も、力も遭った。

 何が足りなかったのか。

 

 いつか来る再会の日に備え、彼はその答えを探している。


 “帝国の勇者”狩人。

 帝国の勇者、人間。


 男は武勲を積み上げ続ける。

 名誉は帝国に、力は皇帝に。


 勝利は世界一の女の為に。


 ●


 最も深く、そして寒い場所。

 暗く、氷に覆われた場所。


 地獄。

 誰もがそう呼んだ場所で、赤い竜は炎を吐いた。


 神の試練は乗り越えられた。

 恥は失敗した、ならば。


 10年前。

 炎の中、身を挺して誰かを助けようとした少年を求めて赤い竜は羽ばたく。


「今更のこのこと出張るつもりか?」


 誰も居ない筈の空に赤い羽根が落ちた。

 恨みがましく竜は天使を見た。


「……ベリアル」

「ようサタン」


 ヘラヘラと笑うベリアルの横を雷が通った。

 翼で防ぎ、衝撃を耐えた。


「勝者は全てを得る……。例外は無い」

「悪いがそういう事だ」


 褐色の肌を持つ少年と蝿山の王。

 赤い瞳がサタンを見据える。


 彼らを、ここに有るべきでは無い赤い炎が照らした。

 サタンの足元に男が現れる。


「……」

「お前は?」


 ベリアルの問いかけに男が溜息を吐いた。


 端正な顔立ちの、恐らくは多神教の神。

 男がサタンを睨みつけながら言った。


「ケジメをつけにちょっとな。北欧神話のロキ。知らん名前じゃないだろう?」


 かつてサタンが侵食し、変質させた神。

 その影響は大戦争の後も、まだ残っている。

 

「1番わからねぇのがお前だ」


 ロキがベリアルを指差した。

 一斉に向けられた視線にベリアルが肩を竦める。

 

「なぁに、獲物が被っただけだ」

「そうかい」 


 言うべきことは全て揃った。

 サタンは吠え、敵を薙ぎ払うべく動く。


 ベリアル。

 悪の天使、破壊者。


 遊牧民の国で、天使は自らの価値を自覚した。

 自分を打ち負かした男を自らの手で堕落させるべく、あらゆる手管を使う。

 

 傍らには常に、遊牧民の誇りを持った天使が居る。


 ロキ。

 北欧神話の神、オーディンの兄弟。


 サタンからの影響を受け、終末を齎した神。

 そして誇りだけは奪い返した。


 時折、帝国に、主にオーディンに、はた迷惑な騒動を持ち込むようだ。


 バアル。

 ウガリット神話の戦神、最も4文字を恨んだ者。


 いつか来る再度の終末。

 隣に立つ契約者に誇り高き姿を見せる為に。


 そして、必ず現れるであろう戦神を待つ為に槍を持つ。


 雷の剣士。

 13年前の飢饉の際、儀式によりバアルの契約者となった。

 

 皇帝を見て覚えた激情は飢饉の犠牲者に対する裏切りへの怒りか。

 それとも別の何かか。


 それを知る為に今はただ、皇帝を待つ。


 ●


「良いのか」

「何がだ」


 帝国、神々の霊廟。

 かつての戦友に祈りを捧げている中、ポセイドンが口を開いた。


「何か来ているぞ」

「あぁ」


 事も無げにオーディンは返した。

 そして祈りを続ける。


「問題無い」

「そうか」


 そう言ってポセイドンも祈りに参加した。


 ポセイドン。

 ギリシャ神話の海神。


 皇帝と契約を結び、蘇った。

 神たる理不尽を4文字に叩きつける為。

 

 だが、今は享楽の時である。


 オーディン。

 北欧神話の戦神。

 

 13年前の飢饉の際、儀式によって皇帝と契約を結んだ。

 差し出された物は唯一無二のもの。


 彼に孤独は、もう無い。


 ●


 森の空気がいきなり冷えた。

 目の前に山羊の角が頭に生えた男が現れる。


 半数の悪魔人間が人形と化した。

 残り半数は恐怖に身を竦ませる。


 武官は舌打ちしながら動けなくなった連中を端に引き摺った。

 騎士が剣に手をかける。


 帝国の森に現れた闖入者を武官は静かに見た。

 騎士が穏やかに尋ねる。


「今日はあの姿ではないのですね」

「ああ」


 7つの蛇の頭、14の人の顔、12の翼を持つ悪魔。

 それがこの悪魔の本来の姿だ。


 アザゼル。

 悪魔、堕天使、騎士の父。


 目の前の悪魔に、騎士が何用かと問いかけた。

 アザゼルが静かに語る。


「戦勝祝いと……、宣戦布告に来た」

「……宣戦布告?」


 武官の言葉にアザゼルが自嘲気味に笑った。


 聞き及んでいるだろう、とアザゼルが2人を見る。

 悪魔の国で起きている異変の事だろう。

 

 元より悪魔の定義など4文字が勝手に定めた物である。

 ならば、いつか解けるのも必然だ。


「悪魔が神に敵う筈もなし、いずれは皆元に戻るか、滅ぼされるかだ」

「そうなるでしょう」


 騎士が緩く頷いた。


 そうなれば悪魔人間は血の呪いに怯える必要はなくなる。

 戦わずして開放される。

 

 だが――。


「決着をつけようぜ、俺達が血に負ける前に」

「決着をつけよう、我々が滅ぼされる前に」


 同時に宣戦布告。


 互いに笑いあった後、アザゼルの姿が消えた。

 武官は騎士を見ながら聞く。


「勝手に受けちまったけど、いいか?」

「問題ありません」


 騎士が困ったように答えた。

 

「ああいう形でしか関われないのです、あの人は」


 騎士、帝国騎士。

 悪魔人間。

 

 血と運命に絶望した男は享楽と暴力に溺れ、逃げた。

 逃げ込んだ先には更なる混沌と、自分を奪い返す主君があった。


 この剣は皇帝陛下に捧ぐ。


 “悪魔”武官、帝国武官。

 悪魔人間。

 

 誰もが翻弄されていた。

 何かも判らない物に翻弄されていた。

 

 次は俺達の番だ。


 ●


「まぁ、全部が人革って訳じゃ無いんですけどね。背もたれの部分だけで」

「充分恐ろしいわい」


 総代の言葉に鍛冶王が突っ込む。


 帝国の酒場。

 まだ客足が無い時間帯。


 男達は昼間から酒を飲んでいた。

 酒場なので当然である。


 葡萄酒、蒸留酒、果実酒。

 各々、好きな酒を飲み、つまみを食べる。


 今日のつまみは魚の燻製と、東から持ち帰られた乾酪である。

 絶妙な塩気で酒が進む。


 黙々と酒を飲む処刑人の隣で、騒がしく鍛冶王が会話を続ける。


「誰の、とかは聞かん方がいいか」

「見せしめですから問題ありませんよ。商舶の皮です」


 んん? と鍛冶王が素っ頓狂な声を上げた。


「契約者は死んだら持ってかれちまうだろうが」

「……まぁ、どうとでもなるので」

「そうか」

 

 処刑人の言葉に鍛冶王が何かを察した。

 そのまま豪快に酒を煽る。


「村長さーん、お腹空いたー! 今日はなんですかー?」

「はいよー、今日は魚と野菜の煮物だよー」

「おっと」


 店に飛び込んできた見習い達を見て会話を打ち切る。

 騒がしくなった店内を見て処刑人が目を細めた。

 

 そろそろ、シメでも頼むかと総代が考えた所で大きな影が店内に入る。

 店に入ってきた人物を見て総代は一瞬固まった。


 侍従長はまだ理解できる。 

 子供達に纏わり付かれている鞄持ちを見て処刑人が呆れたように言った。


「……お前さん、文官の補佐じゃ」

「言わないで下さい」


 鍛冶王。

 ドワーフの王。


 日焼けは敗北の証か、鍛錬の跡か。

 答えが出るのはもう少し後だろう。

 

 今はただ、帝国の山を守る。

 

 処刑人。

 元、王国の処刑人。

 

 絶望的な飢饉。

 冒涜的な儀式。

 

 全てを食い尽くした餓えの果て、男は贄に捧げた筈の少年に救われた。

 

 見習い。

 元奴隷。


 悪魔の国で文官に買われた少女。

 そして、傑物達から薫陶を受けた少女。

 

 己の意志で突き進めるようになるの日も、すぐだろう。


 総代。

 人間とエルフの混血児。

 

 本来であれば人間と同じく短命であったが、何の因果か彼はエルフのように長寿であった。

 帝国に支援を惜しまなかったのは如何なる理由か、語られる事は無かった。

 

 皇帝が崩御した日、彼も眠るように後を追ったという。


 ●

 

「養子をお迎えになってはいかがです。陛下」

「成程?」 

  

 玉座の間で、翁が言った。

 珍しく全ての種族が集まった場でだ。

 

 各種族から1人ずつ。

 4人の養子。


 誰もが皇帝を見た。


 誰と結婚しても角が立つならば、全種族から養子をとる。

 妻同士の確執も起こらず、極めて合理的だ。


 問題は。


「養育係はそれぞれから?」

「はい」

「そのように取り計らおう」


 翁と公使が並んで跪く。

 

 教育。

 そして種族の寿命差。


 エルフかドワーフか。

 生き残った種族が次代皇帝になり、頂点に立つ。

 

 そのような勝負を、2人は挑んでいる。


「いいぜ、決着をつけようか」


 挑戦を、皇帝は笑って受けた。


 そして彼らが成人する頃。

 雲ひとつ無い青空の日。


「翁殿! 長子様と次子様が御出奔なされ……!」

「……」


 玉座の間に飛び込んだ報告に誰もが頭を抱え、しかし決着に納得した。


 公使。

 ドワーフ至上主義、過激派。

 多民族が住む帝国において、ドワーフを頂点に据えるべく暗躍していた。


 皇帝即位後は、戦士を尊ぶ帝国の気質もあり満足していた。

 だが、翁の最後の勝負に乗る形で皇帝に最後の勝負を挑む。


 ドワーフの次子が出奔した際、しがらみを超えた何かに笑って負けを認めた。

 

 翁。

 エルフ至上主義、過激派。

 多民族が住む帝国において、エルフを頂点に据えるべく暗躍していた。

 

 皇帝即位後、それらの行動は鳴りを潜めたかのように見えたが、

長寿種である事を利用した計画に切り替えただけであった。


 しかし、養育していたエルフの長子が次子と共に出奔。

 大笑いする皇帝の隣で、公使と共に穏やかに笑ったという。


 “戦士”皇帝、帝国皇帝。

 オーディンの契約者。


 儀式の生贄にされた少年は友を作り、世界を掻き回す。

 訪れたのは大きな変化と、僅かな前進。


 先の見えぬ混沌の中、帝国に名誉と戦士あれ。


 ●


 そして月日は流れ――。


 少し未来。

 どこまでも広がる東の荒野。

 

 未踏破地帯。

 大陸の東にある場所だ。


 2人の男が黙々と歩いている。

 片方はエルフ、片方はドワーフだ。


 ドワーフの男――鉄人――が口を開いた。


「兄貴、良かったのか」

「まぁな。前から東の方には興味があったんだ」

「皇帝になれって期待されてたんだろ」 

「あー、うん」


 皇帝の長子、木霊。

 翁に育てられたこの男は、皇帝としての薫陶を受けながらも出奔した。


 様々なしがらみに嫌気が差していたのもある。

 種族的な寿命の優位で、戦わずにして皇帝の座を継承する事に不満もあった。


 何より東の未踏破地帯。

 未知の知識的な好奇心が抑えきれずにいた。


 しかし、何もかも放り出して行くのはよろしくない。

 その程度の責任感はあった。


 しばらく考え込んで木霊は結論を出す。


「こっちにも帝国を作ろう。後で皆を呼べばいい」

「天才か」


 そうと決まれば、と2人は歩を進める。

 先程から徐々に、人の落とした物らしき物品が地面に増えている。


 それも現役、今でも使えそうな物ばかりだ。

 何に使うのかは検討も付かないが、おそらく文明の頃の武器だろう。


「この先に小さな町がある」

「ほう」


 突如、現れた男に鉄人が警戒の目を、木霊が好奇の目を向けた。

 

 肩に乗る程の小さな赤い竜を連れた男だ。

 30半ば程、黒いボサボサとした頭が風に揺れる。


「名前も無いような天使と悪魔と荒くれ者が大量に集まり、文明の武器がまだ生きて……。そう、非常に微妙な均衡を保っている」

「詳しいな」


 これから向かう所だった。

 男はそう言った。


「一緒に行くか?」

「えー、大丈夫かよ」

 

 鉄人が不満の声を上げる。

 木霊がそれを抑えながら男を見た。


「名前は?」


 男が確かな声で名乗った。


「シェイム」


「帝国文官のシェイム」

「そうか」


 それだけ言うと、3人は東の先を見た。

 そして岩だらけの荒野を歩き始める。

 

 風が西に吹いていく。


 ●


 黒い羽根が窓から風に乗って入って来た。

 最早、腐れ縁とも呼べる吉兆かはたまた、凶兆か。

 

 文官は書物を終え、部屋を出る。

 竜騎士が何も言わずに後を追った。


 マンセマット。

 敵意と憎悪の天使。

 

 彼の手にかかれば誰もが堕落した。

 ただ1人を除いては。

 

 それ故に彼は試し続ける、いつかが来ない事を祈りつつ。


 竜騎士。

 遊牧民の戦士、文官の騎士。

 

 4文字を憎んだ男は、信徒の騎士となった。

 どのような心境の変化か、はたまた別の何かか。

 

 誰にも語らず、寡黙な戦士は生涯、文官の傍に居た。


 “荒野の信徒”文官、帝国文官。

 天使の国生まれ、信仰する者。


 片方は西に、もう片方は東へ。

 荒野は繋がり、いつか再び神と、兄弟と対面するだろう。 


 その時は――。

 

 ●


 文明が滅びて幾星霜の年月が経ち、

この大陸では天使と悪魔と人間が長い長い戦いを繰り広げている。

 


 完。


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