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88章 M mannaz


 88章 M mannaz


 忌まわしい塔は消え失せ、化け物達は居なくなった。

 これも主の御導き、と胸を張って言えるような状況では無いが、言わねばならぬのも事実だ。


 天使の国、村の教会。

 手当も一段落着き、教会の中に楽器の音が流れている。


 パイプオルガン、と呼ばれていた楽器は見事に弾き熟されている。

 騎士達は厳かに音を聞き、民達の不安も和らいでいるようだ。

 

 演奏しているのは悪魔の契約者だ。

 隣に立つ悪魔――悪魔の大伯爵、ロノウェ――をウリエルは睨みつけた。


 醜い容姿の大男と記されているが、上手に化けているお蔭で騒ぎにはなっていない。


「……なんのつもりだ?」

「慰安事業だよ。文句があるなら国境で殺せばよかったろ」

「我が国は自殺を禁じている」


 ウリエルは自棄糞気味に吐き捨てた。


 悪魔の契約者が天使の国に入国するなど、自殺以外の何物であるのか。

 適当に放置して帰らせるのが最善の手段というものだろう、恐らく。


「何時ぞや流行った悪魔崇拝の歌じゃなくて、賛美歌なんだから問題無いだろ」

「演奏は見事だが……、これはお前の職能か」

「いや、アイツの才能だよ」


 ロノウェが目を細めながら契約者を見た。

 楽器を演奏している契約者は楽しそうだ。


 ロノウェ。

 修辞学や言語に関する職能を司る。

 つまりは歌詞や脚本等の言葉の芸術に大きな影響を与える悪魔だ。


「悪魔の国の裏路地で演奏してたのを気に入って声をかけたんだ。

俺の知識を授けるから良い曲を作れって。そしたら」

「そしたら?」

「自分で作れって殴られた」

「……」

 

 今は互いに競い合いながら作ってるよ、とロノウェが笑う。


 人間というのはどうしてこう、なのだろうか。

 ウリエルは眉間を揉んだ。

 

「ウリエル様」

「どうした」


 村人が小声で話しかけてきた。

 ウリエルは村人を見る。


「この曲の名は何というのですか」

「……」


 ロノウェが寂しそうな顔をした。

 それすらも燃えてしまったのか、とウリエルは天を仰いだ。


「題名は」

 

 ●


 竜騎士と共に戦場を走る。

 沸き立つ戦場の真ん中であるのに、やけに静かに感じた。


 先程、突風が吹き荒れた。

 何処かの契約者が討ち取られたのだろう。


 何度も吹き付ける風はこちらの優勢を物語っているのだろうか。

 

 文官は土が舞う風の中に目的の人物を見つけた。

 マンセマットが高く飛び上がり、こちらを見下ろす。


 手出しはしないという事だろうか。


 小高い丘を登る。

 そこに踏み入った瞬間、切り取られたかのように音が遮断される。

 

 眼の前に立つのは商舶と名乗った挙動不審な男。

 そして剣闘士。


 腐臭が鼻に届いた。

 以前よりも強い腐臭。


 身の丈程もあった大剣は血と油で錆びている。

 どこかで付いたであろう傷から流れ出る血は腐っている。


 文官は剣闘士に声を掛ける。

 

「……お久しぶりです、剣闘士さん。203号です」

「!」


 ギチギチと音を立てながら剣闘士がこちらを見る。

 既に死体として限界を迎えても、術は解けない。


 剣闘士が潰れた声で話しかけてきた。


「お、おお……、203号か。竜が、赤い竜が来る……」

「……」


 赤い竜。

 10年前に賈船の奴隷小屋を襲った化物。

 

 音も無く現れ、辺りを炎に包んだ赤い竜。

 炎の中、文官は奴隷達を逃がす為に小屋の鍵を開けて回った。


 剣闘士は竜に立ち向かい死んだものと思っていた。

 否、死んだ。


 剣闘士は竜の炎に包まれ、賈船は奴隷に刺されて死んだ。

 

「……」

 

 文官は商舶の方を見る。

 引き攣った声が上がった。

 

「お、覚えてるんだろ、203号」

「……今思い出した、501号」


 賈船を殺したのは、この男だ。

 火事のどさくさに紛れて腹を刺す所を文官は見た。

 

 改めて敵を観察する。

 

 手の甲の紋章、察するに死体を操る能力。

 今更ながら、賈船や剣闘士の死体が文官を探していた意味を理解する。

 

「王国にて戦と正当防衛を除く殺人は死刑」

「そ、そうだ。だから」

「今の今まですっかり忘れていた事だ」 

 

 奴に情は無い、と切り捨てた。

 

 だが、と言いながら文官は剣を抜く。

 商舶の目が泳ぎ、剣闘士の血が更に吹き出した。

 

「帝国にて、誇りを汚した者は死刑」 

 

 腐臭を悲鳴が切り裂いた。

 戦場に相応しくない臆病者の声。

 

 声に合わせるように剣闘士が前に出た。

 

「わ、我が名、剣闘士」

「……」


 竜騎士が槍を担ぎながら前に出た。

 

「帝国文官の騎士が1人、竜騎士」


 敵前にも関わらず、文官は竜騎士の方を見た。

 ちら、と竜騎士が振り向き、促す。

 

「帝国文官、参る」


 戦いが始まる。


 ●

 

 文官を踏み潰そうと馬が名乗りながら現れた。

 馬上の商舶の目は血走っている。


「悪魔の大侯爵、ガミジン! 参る!」

「邪魔だ臆病者!」 


 馬の脚を避け、商舶を殴りつける。

 落馬し、転がる商舶を踏みつけ文官は剣闘士に向かって走る。


 錆びた大剣が垂直に落ちてきた。

 横に避けると剣筋が追いかけてくる。

 

 姿勢を低くし、剣を潜りながら反対側に回る。

 大剣が振り切られた所で、剣闘士の腕に槍が刺さった。

 

「!」


 腐った肉に穂先が必要以上に刺さる。

 抜こうと槍を引くが、力が込められた筋肉によって固定される。

 

 槍を手放し距離を取ったのと、返す刀で大剣が地面を削ったのは同時だ。

 叩きつけるような剣捌きの後、剣闘士が腕から槍を抜く。


 放られた槍は竜騎士の手元に戻った。

 再び全員が武器を構え直した。


 悪魔の国、奴隷闘技場の王。

 死んでも尚、健在か。

 

 剣闘士が高く飛び上がる体勢を取る。


 単調な攻撃だと避けようとして文官は動きを止めた。

 剣闘士が地を蹴り宙へ飛ぶ。

 

 飛び上がり、高さを増し、大剣が地面を指し落ちる姿勢に変わる。

 剣闘士が放物線の頂点に達しても文官は動かない。


 まだ。

 まだこの大剣は狙いを定めていない。


 僅かな瞬間。

 剣闘士が動きを止めた。


 持ち手を握り直し、ギラリと刃が向きを決める。

 その瞬間を見計らい、文官は動く。

 

 剣先が僅かに文官を追うも、既に遅し。

 大剣は轟音を立てて大地に突き刺さった。


 着地の衝撃で、剣闘士の体中から血が吹き出す。

 ボトボトと血の塊が落ちる。


 限界が近いと悟った。

 その前に、と文官は剣闘士の懐に飛び込む。

 

 真正面からの突撃に剣闘士は突きの体勢を取った。

 剣の切っ先がぶつかり合う。


 大剣がかち上げられ、更に文官は飛び込む。

 かち上げられた勢いで、剣闘士が大剣を大きく振り上げた。


 大剣が大上段に振り上げられるのと、風を切る音がしたのは同時だ。

 槍が刀身にぶつかり、甲高い音がする。

 

 竜騎士が投げた槍が大剣を貫いた。

 錆を撒き散らしながら剣が崩れ、ぶつかった衝撃で剣闘士の体勢が崩れる。


 錆の雨を掻い潜り、文官の剣が剣闘士の心臓を貫いた。

 血は出なかった。


「203号……、203号は……」


 剣闘士が文官の頬に手を伸ばす。

 文官は何も言わずに手を取った。


「大きくなった」

「!」


 確かな声の後、剣闘士の体に赤いヒビが入る。

 サラサラと崩れた砂が風に持って行かれた。


 眼の前が真っ白な光に包まれる。


 ●


「この試練を乗り越えた時、あなたは更なる信仰を試されるでしょう」 


 接敵の直前、マンセマットが憐れむように言ったのを思い出した。


 ●

 

 異様に冷めた風が顔に吹き付けた。

 

 白い広場から萎びた楽園を見下ろした。

 樹木から、川から徐々に瑞々しさが失われていくのが見えた。

 

 文官は神座に目を向ける。

 楽園の異変の中、何も変わらずに在った。


 あの時の男は、と探すと目の前に突如、現れた。

 腹に当身を食らう。


 同時に剣の切っ先が襲いかかってきた。

 手甲で振り払うと蹴りが飛んでくる。


 体格差と衝撃に耐えきれず文官は地に伏した。

 恥が文官の肩を足で蹴り、仰向けにさせる。


「言ったぞ。知識と善悪を憎み、人類の、貴公らの成長を祝わない者、止める者、と」 


 男――恥――が文官の喉元に剣を突きつけた。

 

「全ての可能性と成長を捨て、諦めろ」


 神は何も言わない。

 

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