85章 Bello Imperator imperii
85章 Bello Imperator imperii
朝の草原で皇帝は騎士に問うた。
自分も年を取ればああなってしまうのか。
神々の誰もが愛しているが故と言う。
父、母であるが故にと言う。
何よりも弱くて、病弱で、無茶をし、無鉄砲。
だから心配だと言う。
その結果、籠に閉じ込める事になったとしても失うよりはマシだと言う。
皇帝はもう一度、問うた。
自分も年を取ればああなってしまうのか。
騎士が皇帝の問いを受け、答えた。
陛下は、閉じ込める心配はしても、閉じ込められる心配はしていないのですね。
●
「言われてみればそうだなーと」
「……、おう、そうだな」
バアル・ゼブル、そして雷の剣士の攻撃を避けている最中、瓦礫で遮蔽を取り息を整えている時。
攻撃の切れ目に皇帝は少しだけ語った。
オーディンが呆れた顔をして、ポセイドンが大笑いをする。
それが癪に障ったのか、先程よりも激しい攻撃が始まる。
遮蔽物が壊される前に皇帝は戦場に出る。
雷の剣士と目が合い、バアル・ゼブルが雷の槍を投げつけてきた。
ポセイドンが槍でそれを防ぎながら、不敵な笑みを浮かべ言う。
「気付いていないだけかもしれんぞ? 神々の心の狭さは知っていよう」
「暴れるのに不便がなきゃ問題無い」
「……悪女め」
溜息混じりの声を背に皇帝は雷の剣士に斬りかかる。
避けられた後に、しゃがみながら回転し、足払いの要領で蹴りを放つ。
雷の剣士が飛び、着地際を狙って皇帝の剣が奔る。
縦に構えられた雷の剣士の剣が皇帝の剣を受け止め、弾いた。
互いに距離を取り、睨み合う。
動き出したのは同時、同方向。
皇帝はゆっくりとした足運びから駆け出し、大地を音も無く跳ねる。
互いの様子を探りながら平行に走り、そして徐々に2人は近付いていく。
雷の剣士が吼え、大地が裂け、揺れる。
地割れが、炎が、蒸気が、塩の棘が襲い来る。
足元がフラつき、いつの間にか近付いていた手がヴェールに伸ばされる。
皇帝は雷の剣士の懐に向かって飛び込む。
雷の剣士の脇をくぐり抜け背後に回る。
回転しながら剣を振るのと、相手がこちらに振り返ったのは同時だ。
振り向き、向き合いざまの金属音。
互いの剣が切り結ぶ。
頭上が真っ白に光り、後ろから腰を抱えられる。
直後、何本もの雷の槍が降り注ぎ、地面に突き刺さった。
空を駆けるスレイプニルの上で体勢を整える。
バアル・ゼブルがオーディンを囲む様に、幾つもの竜巻を起こす。
地面の炎を巻き込み、うねり、炎の柱となる。
風が空へと吹き上げ、柱が曲がり中心に集まり1つになろうとする。
オーディンが隻眼で敵を睨みつけた。
轟々、轟々と風が荒ぶり、夜を思わせる黒雲と雷が発生する。
オーディンが自身を中心に大きな台風を作り上げた。
ポセイドンの槍がオーディンの真横を落ち、水柱を上げる。
バアル・ゼブルが有り得ない物を見る目でポセイドンを見た。
黒雲はさらに分厚くなり、台風は木や遺跡を消し飛ばしていく。
炎だけでなく、砂、岩、瓦礫、そして大量の水が巻き上げられる。
白い蒸気と激しい音を立て、火柱が飲み込まれていく。
抵抗儚い火柱を飲み込んだ後、台風は勢いを失い、弾け、水と瓦礫が大地へ降り注ぐ。
黒雲が消え、陽の光が戻った。
降りしきる水の中、バアル・ゼブルの勃然をポセイドンが鼻で笑う。
皇帝は馬上から下を見る。
雷の剣士がこちらを見上げていた。
オーディンの腕をくぐり、地面に飛び降りる。
皇帝の無茶に珍しく構わず、オーディンがバアル・ゼブルへスレイプニルを突っ込ませた。
戦場で昂った、去勢をしていない雄馬の蹄が2本。
バアル・ゼブルの顎に叩き込まれるのを皇帝は見る。
武器を傘に変形させ、瓦礫と雨を防ぐ。
突き上げる塩柱を足場にして地面へと向かう。
●
「陛下、我々は陛下の更なる成長を望みます。いつか来るその時まで君臨なさる事を望みます。
偉大なりし陛下の庇護下にある事を望みます。歴史に御名を残し未来に語られる事を望みます。
ですが、いつか、帝国を籠と感じる者が現れれば、その時は――」
●
思い切り地面を踏みしめた。
すれ違いざまの拳が雷の剣士の顔面を撃ち抜く。
雷の剣士が仰け反った体を立て直し、血を吐き捨てる。
叫び、剣をこちらの顔面に向かって投げ捨てた。
避けたと同時に2人の拳が互いの顔を打つ。
すぐさま頭から体当たりをすれば、考えている事は同じようで額がぶつかり合う。
両者の手が握り潰さんばかりに組まれ、頭突き合いながら押し合う。
2人の足元が抉れ、しかし横に、地面に薙ぎ倒されたのは皇帝だ。
雷の剣士の踏み付ける足を捕まえ、思い切り捻り倒す。
起き上がり、体勢を低く構える。
雷の剣士が立ち上がったと同時に、腹に向かって突っ込んだ。
背中を強かに打ち付け、雷の剣士の口から唾混じりの呼気が漏れる。
胸倉を掴んで何度も叩き付ける。
ぐる、と回転し、今度は皇帝が叩きつけられた。
首元を締め上げられながら、雷の剣士の脇腹に拳を叩き込む。
歯を食いしばる音が聞こえた。
隙を突いては壁に叩き付け合う事を繰り返す。
叩き付けに頭突きが混じり始めた。
胸倉を掴み合いながら互いに殴り合う。
遺跡の壁に亀裂が走った。
互いを蹴飛ばし距離を取る。
壁が崩れ、土煙が上がる。
強風が全てを振り払った。
再び、互いの姿が目に映る。
燃え盛る音だけがやけに大きく響いた。
息を大きく吸って吐く。
敵前にあるまじき行動の隙を雷の剣士は突かなかった。
――示させましょう、戦士であると。我々がそうしてきたように。
呼吸を整えた。
姿勢を正した。
飛び散った飛沫が再び皇帝の手の中に戻る。
抉れと凹みは塞がり、元の剣の形に戻った。
雷の剣士の手に、新たな剣が閃光を放ちながら現れた。
踵で地面を軽く叩く。
差し出された手を取る体勢で、剣先を相手に向けた。
雷の剣士が走る。
剣をぶつけ合い、弾き、円を描きながら斬り付け、大上段から振り下ろし叩き潰す。
ぶつかり合った剣から銀の飛沫と閃光が弾け飛ぶ。
飛沫が、閃光が切り裂かれながら剣が甲高い音を立て軋む。
金属が湿った音を立て抉れ、雷が閃を残し消える。
赤い光と青い光が軌道を描き、舞踏する。
視線を絡ませ、互いの息遣いに耳を澄ませる。
刀身で受け流された所で、崩れた体勢を建て直さず肩から突っ込み突き飛ばす。
思い切り地面を踏み付け、雷の剣士の腹に肘を叩き込んだ。
吹き飛んだ先に軽やかに飛び跳ねる。
2人の拳が正面からぶつかり合った。
剣と徒手空拳が互いに肉食み合い、折り重なる。
熱と息遣いが皇帝の肌を焼いた。
炎と雷と水、地割れと塩柱を戦士達が飾る。
剣が、足が、翻された裾のような軌跡を描く。
遠くから勝利の雄叫びが聞こえてきた。
竜の叫びが高揚に拍車をかける。
スレイプニルの嘶き、オーディンの憤怒。
ポセイドンの地鳴り、バアル・ゼブルの咆哮。
炎を求める反乱軍の渇望。
帝国の戦士の言葉無き戦意。
交錯する戦場の風が止み、炎が消えた。
水溜りに空の青と塩の柱が映る。
全ての音の切れ目、一瞬の静寂、静止。
皇帝の剣が雷の剣士の胴を捉えた。
神々の霊廟の上。
余燼の最果てに七竈の花が咲く。
「……!」
雷の剣士の体から、ひび割れるような音がした。
赤い亀裂が全身を巡る。
皇帝は何も言わずにそれを見る。
雷の剣士が最後の一振りと剣を振り上げた。
だが腕は落ち、砂と化す。
皇帝は剣を構えたまま言う。
「俺は帝国皇帝。あの世でまたやろうぜ、雷の剣士」
皇帝の言葉に雷の剣士が目を見開いた後、緩く笑った。
バアル・ゼブルが雷の剣士の隣に立つ。
突風と共に2人の姿が消える。