第4章
あの日以来、彼女は、もう、ぼくとは、目を合わせなくなった。ぼくは、窓際に座った彼女の背中を眺めることが多くなった。ぼくが見る彼女の背中は、こころなしか、少し寂しく見えた。あるいは、ぼくは、自分の気持ちを彼女に投影していただけなのかもしれない。
自分が、寂しいと思うからこそ、相手もまた、寂しがっているように、見えているだけなのかも。心理学者なら、この時のぼくの感情を、詳細なレポートにまとめていたかも知れない。
ただ、島田や小池が言っていた、一年の時のことについては、気になっていた。彼女の去年のクラスメートは、彼女のことを避けている。そして、今年のこのクラスでも、噂は、すでに広まっていると見えて、誰も、彼女には話しかけようとしない。一体、去年、どんなことが、あったんだろう。
そんなある日のこと、それを知るチャンスが巡ってきた。ちょうど体育の授業の時、バレーボールの試合をやっていて、ぼくと小池は、コートの脇に座って観戦することになった。
小池は、運動神経が、あまり良くないので、体育の授業で、試合形式になったりすると、たいてい観戦する側にまわっていた。実際、小池がチームに入ると、足を引っ張ることが多く、当然、チームメートから非難されることが、多かった。
まあ、ソイツらからしたら、別に悪気があって非難しているわけじゃないんだろうけど、小池にしてみれば、まるで自分の存在そのものが否定されているようにも、感じられたのかも知れない。だから、人数があぶれた時には、率先して観戦する側に回っていた。
ぼくは、といえば、小池のように、運動神経が鈍いというわけでもなく、別にチームの足を引っ張ることもなかったから、試合の方に出てもよかったんだけど、小池と二人で話す、いい機会だったので、一緒に観戦することにした。
他のみんなが、コートの中でボールを追いかけているのを眺めながら、ぼくは、小池に話しかけた。
「なあ、お前、前に榊さんのことを言ってただろ。一年の時、色々あったってさ。あれって、どういうことなんだ?」
小池は、ぼくの方に向き直って、答えた。
「相川君、榊さんと何かあったの?」
「別に、そういう訳じゃないけどさ、気になってさ。島田にも、同じことを言われたし。ヤバイから、近づくなって」
「ああ、島田君も、去年、榊さんと同じクラスだったからね。相川君って、クラスの人と会話しないよね。みんなから、噂とか、聞いてないの?」
小池が、聞き返してきた。
小池も、隣の席にいるわけだから、ぼくが、休み時間でも本を読んでいて、あまり人と話さないことは、知っているはずだ。
「オレ、噂とか気にしないクチだからな。だいたい、そういうのって、根拠のない話も、多いだろ」
小池は、少し声を落して答えた。
「確かに、そうだよね。そういう根拠のない噂話で、知らないうちに自分の評判が悪くなっていたら、僕だって、きっと嫌だと思うよ。でも、榊さんの場合は、事実だから」
そう言って、小池は、去年の出来事を語り始めた。
小池の話によると、こんなことだったらしい。一年の時も、彼女はクラスには、とけ込んでいなかった。今と同じように、自分の周りに見えない壁を作って、人との接触を避けていた。
ただ、それが、最初から問題になっていたわけでも、なかった。ただ、世の中には、感じのよくない人もいて、そういう人たちにとって、彼女の存在が目障りだったんだろう、次第に彼女を目の敵にする者も出てきた。
まあ、その辺りのメカニズムは、ぼくにも、よくわかる。実際、ぼくにも、経験がある。
多分、そういう人たちは、自分に自信がないんだろう。あるいは、自我が確立してないとでもいうんだろうか。
この手の連中は、群れを作って、その中にいることで、安心感を得ようとする。周りの誰とも変わらない趣味を持ち、周りの誰とも変わらない服を着て、周りの誰とも変わらないテレビ番組を見て、周りの誰とも変わらない会話をする。つまりは、「みんなと同じ」っていうことに、安心感を見出すんだ。
ためしに、こういう連中と買い物にでも、行ってみるといい。たいていの場合、彼らは、こう聞いてくる。
「ねえ、コレ、どう思う?」
なんてさ。
本来、買い物なんていうものは、自分が気に入った物を買えばいいんだけど、こういう手合いは、「みんな」が気に入るものを買いたがる。要は、そうすることで、「みんな」の一員であるという安心感が得られるんだろう。
で、ぼくの経験上では、大体、こういう連中は、「みんな」から離れた人間を見ると、畏怖するか、敵視するかの二択だ。そして、彼らの目には、「みんな」の中に加わろうとしない、榊志織という人物が、浮かび上がってきた。
その内に、彼らは、榊さんに向ける感情を、畏怖ではなく、敵視に定めた。こうなってくると、衝突は、もはや避けられない。何かというと、榊さんに対して、突っかかるようになる。
最初の内は、彼女も、そんな連中を相手にしていなかったらしい。けれど、その彼女の堂々とした態度が、「みんな」の一員としてしか生きられない、言い換えれば、一個の人間として自我を確立できない、彼らの神経を逆撫でした。
その連中の中に、後藤という女子生徒がいた。この学校に通っているのだから、中学の時の成績は良かったんだろうが、舌足らずなしゃべり方が自慢の女子だったらしい。ご本人は、そんな自分のしゃべり方が、「カワイイ」と思っていたんだろうけど、傍から見れば幼児的な性格丸出しの、つまり、一言でいえば、おバカな子だったようだ。
直接のキッカケについては、小池も、よくは知らなかったけど、彼女は、その後藤という女子生徒とぶつかってしまった。彼女にしてみれば、それまで受けた嫌がらせも、あったからなんだろうか、両方とも、かなり感情的になっていたらしい。
「後藤さんも、子供っぽい子だから、多分、榊さんが、怒るのも、無理は、なかったと思うよ」
小池は、そこで少し間をおいて、また語りだした。
「でもね、問題は、その後だったんだ」
彼女は、本気で、その後藤という子に、腹を立てていたらしい。まあ、彼女が腹を立てるのも、無理はない。と、僕は思う。
実際、こういう連中ほど鬱陶しいものはない。誰かが、他の人と違う本を読んでいたり、あるいは、違う音楽を聴いていたりするだけで、すぐに「気持ち悪い」とか言い出すんだから。
世の中には、いろんな趣味や価値観を持った人間がいるということが、こういうヤツラには許せない事柄なんだろう。そして、妙な使命感で「みんな」から離れた異端者を断罪しようとする。
彼らは、決まってこう言う。
「何で、『みんな』と同じように、できないのか」
そもそも、同じ人間ではなく、違う人間なんだから、違っていて当たり前だろう。それが、ぼくの答えだ。多分、彼女も、そう思ったんだろう。
だが、なおも執拗に、彼女を攻撃するその女子生徒に、ついに、彼女の怒りが、爆発した。怒りに震えながらも、彼女は、その後藤という女子生徒を、冷ややかに追求し始めた。
その当時、その後藤という子は、隣のクラスの男子と地元の大学生とで、二股をかけていたんだけど、彼女は、そのことを暴き始めたんだ。クラス中が、驚いた。なぜ、彼女が、そのことを知っているのか、ということに、だ。後藤という子は、相当、上手くやっていたらしい。だから、クラスの誰も、そんなことは、知らなかった。
後藤という子は、恐怖に震え始めた。だが、さらに、彼女は、追い打ちをかけた。小池の話によると、彼女は、こう言ったらしい。
「もうじき死んでしまうあなたに、こんなことを言っても、意味ないかも知れないけど、もう少し、誠実に人と向かい合ったら」
後藤という子は、自分が死ぬとは、どういうことかと、詰め寄ったらしい。それに対して、彼女は、答えた。
「あなた、来週、交通事故で死ぬのよ。だから、私が、あなたに不愉快な思いをするのも、あとわずかの間だけよ」
もちろん、クラスの誰も、彼女の予言なんて、信じていなかった。ただ、いくら相手に腹を立てていたとはいえ、相手が「死ぬ」と言う彼女を、不気味に感じたのも、確かだった。
だが、翌週、彼らは、もっと恐るべき事実を突き付けられることになった。その後藤という子が、本当に交通事故で、死んでしまったんだ。
大学生の方の彼氏と、ドライブしていた時だったという。原因は、その大学生のスピードの出し過ぎだった。助手席に座っていた後藤という子は、病院に運ばれて、間もなく死んだ。
その子が、死んだということは、ぼくも、知っていた。たしか、朝のホームルームの時だったと思う、先生から報告があったのを覚えている。
クラスメートの彼女を見る目が、一変した。無論、事故は、大学生の過失であり、彼女には何の責任もなかった。だが、クラスの中では、噂が、独り歩きし始めた。
彼女が、何かの呪術で、後藤さんを殺したとか、深夜、神社で、藁人形に釘を打っている姿を見たヤツがいるとか、あるいは、彼女は、本当は人間ではなく、死神なのではないか、といったモノだったらしい。
とにかく、それ以来、誰も、彼女に近づかなくなった。島田が、「ヤバイ」と言ったのは、そういうことらしい。
ぼくは、小池に聞いてみた。
「お前も、その事故に、何らかの形で、榊さんが、関わってると思うのか?」
「いや、そんなこと、あるはずないよね。だって、事故の原因は、スピードの出し過ぎで、榊さんには関係がないから。それに、人の死を予知するなんて、できっこないもの。でもね、やっぱり不気味だよ、そういうの。そんなこと、あるはずないって、わかっていてもね」
小池は、それだけ言うと下を向いて、言葉を切った。そして、しばらくしてから、小さな声で言った。
「とにかく、榊さんには、あんまり近づかない方が、いいと思うよ」
ぼくと小池は、しばらく無言で座っていた。そのうちに、チャイムが鳴り、授業が終わった。ぼくたちは、相変わらず無言のままで、教室へと引き上げた。
教室へ戻っても、ぼくは、彼女のことを考えていた。島田が、彼女に近づくな、と言った意味はわかった。おそらく、彼女に近づくと、何かのトラブルに巻き込まれる。そんな風に考えたんだろう。でも、人の死を予知するなんてことが、できるものだろうか。
小池の話は信じられなかったけど、かといって、小池の性格からして、嘘をつくとも思えない。気弱で、強く自己主張のできないヤツだけど、嘘をつくような人間じゃない。それとも、腹立ちまぎれに言った一言が、たまたま現実になってしまっただけなんだろうか。
でも、いくら考えてみても、考えて答えの出る問題じゃなかった。彼女は、といえば、相変わらず物憂げに、窓の外を眺めているばかりだった。
そうやって、何日か過ぎた頃だった。その事件が起きた。ちょうど、ゴールデンウィークの前のことだった。誰かが、クラスの親睦を深めるために、みんなで集まってコンパをやろうって言い出した。どこかのお店を借りて、ジュースでも飲みながら、ワイワイやろうっていうんだ。
で、昼休みの時に、ソイツらの一人が、告知をしていた。目的は、クラスの親睦を深めることだから、基本、全員参加でお願いしたいということだった。なお、どうしても参加できない者は、後で教えてくれ、とも言っていた。
その時のぼくは、そんな場所に出かけていく心境じゃなかった。確かに、親睦を深めたい人はいた。でも、その人にとっては、ぼくは、迷惑な存在でしかない。そんなぼくが、コンパなんていう場所で、どう振る舞えばいいって、いうんだろうか。
したがって、当然のことながら、ぼくは、不参加の意思を彼らに伝えた。
すると、
「なんだよ、付き合い悪いな」
という答えが返ってきた。
でも、横から島田が、
「相川は、昔からこうなんだ」
なんて言いながら、
「今回は、仕方ないとしても、次はちゃんと来いよ」
と、おどけて見せた。それでその場は、何とかおさまった。
こういうのが、ぼくにとっては、苦痛なんだ。
こういう手合いは、誰もが同じじゃないと、気が済まない。自分が騒ぎたいと思った時には、他のみんなも、同じように騒ぎたがっていないと、気が済まないんだ。だから、その騒ぎに加わらない人間がいるのが、許せない。
別に、彼らが、騒いで盛り上がるのがいけないなんて、言っているんじゃない。彼らは、彼らで、大いに楽しめばいい。ただ、それを押し付けられるのは、ゴメンだ。
そんなにみんなで騒ぎたいのなら、一人ひとり誘って、遊びに行けばいい。それを教室で声を張り上げただけで、誰もが、当然、参加すると決めてかかっているのが、煩わしいんだ。いずれにせよ、ぼくは、こうした騒ぎが嫌いだ。それだけは、どうにも譲れない。でも、こうしたぼくの態度は、彼らのような連中には、異端者として映るらしい。
彼らが、多数派であることは、ぼくも、否定しない。でも、少数派の異端者であるぼくにも、自由はあり、権利がある。多数派の彼らにも、その自由を侵す権利はない。
そんなぼくの態度を、彼らは「付き合いが悪い」と非難するんだろうが、その「付き合いが悪い」ことの何が問題なのかは、納得のいく説明を聞いたことがない。「みんな」が、楽しくやっているからとか、「みんな」が、参加するからとか、そんなものが、理由になるとは思えない。
コンパなんていうものは、行きたい人が、行くのが普通であり、行きたくない人は、行かないのも、これまた普通だ。「みんな」が行くかどうかが、問題なのではなく、自分が行きたいかどうかということが、判断の基準になるべきだ。「みんな」という便利な言葉で、すべてを片づけるのは納得がいかない。
たいてい、こういう連中は、「みんな」という言葉で、自分の希望を代弁しているに過ぎない。一人でいるのが寂しい。一人になるのが心細い。だから、「みんな」という世界に逃げ込みたがる。自分が、一人になるのが嫌だから、「みんな」という世界に、平然と背を向ける人間の存在が、許せないんだ。
そんなわけで、ぼくは、いつだって、こうした「みんな」主義者と対立することになる。でも、まあいい。ヤツらは、ヤツらの楽しいひと時を過ごし、ぼくは、ぼくの時間を過ごす。それで決着はついた。それで、いいじゃないか。
問題が発生したのは、そのコンパの翌日だ。
その日、ぼくは、少し寝過して、いつもより遅く、学校に着いた。教室の後ろの扉を開けて、一番後ろの自分の席に向かう途中、教室の雰囲気が、いつもと違うことに気づいた。
見ると、教室の真ん中で、コンパの幹事の連中と榊さんが、向かい合っていた。隣の席の小池を見ると、彼は、固唾をのんで、成り行きを見守っている。事情が呑み込めないぼくは、しばらく様子を見ることにした。
「どうして、ウチに電話なんかしたの。しかも、まるでヤクザみたいな脅し文句まで並べて。私に言いたいことがあるなら、私に言えばいいじゃない」
そう言うと彼女は、上田という男を睨みつけた。
この上田というのは、目立ちたがり屋で、何かというとクラスの先頭に立ちたがる、所謂「仕切り屋」というタイプのヤツだった。
上田も、彼女に反論した。
「お前が、悪いんだろ。来ないんだったら、来ないって、言えばいいんだよ。お前が、何にも連絡せずに来ないから、オレたちが、お前の分を立て替えたんだよ。その金、請求して何が悪いんだ」
「だったら、私に請求すれば、いいじゃない。なんで他人の親を脅すようなことをするの。それに、私、そんな連絡、受けた覚えないわ」
そのやり取りを聞いて、何となくぼくにも、事情が呑み込めてきた。どうやら昨日のコンパのことらしい。
隣にいた小池が、小さな声で、話しかけてきた。
「榊さん、教室来るなり、アレなんだよ。スゴク怒ってるみたい」
どうやら、昨日のコンパの会費のことが、問題になっているらしい。
そういえば、コンパの連絡といったって、たしか、昼休みに幹事の連中が大声で言っていただけで、その後、確認も何も取っていなかった。
ぼくは、いち早く不参加の意思表示をしたので、それっきりになっていたけど、榊さんは、いつも昼休みには教室にいない。だから、コンパのことを知らなかったんだろう。
「ちょっと待てよ」
なおも言い争いを続けている榊さんと幹事グループの間に、ぼくは、割って入って行った。普段、クラスのことに口を挟まないぼくが声を上げたので、みんな、一様に驚いているようだった。
「コンパの連絡っていったって、昼休みに声を掛けただけじゃないのか」
「そうだよ。オレらは、ちゃんと連絡したし、オマエだって、聞いただろ。それをコイツが、聞いてないとか、何とか、言うもんだからさ」
上田は、少しうろたえ気味に言った。よほど、ぼくが、首を突っ込んできたのが、意外だったらしい。
「だったら、榊さんが、知らないのは当然だろ。だって、彼女は、いつも教室の外で昼飯食ってるんだからさ」
幹事連中は、ハッとしたようだった。彼らは、クラスのことをやたら仕切りたがるが、彼らの目に入っているのは、要は、自分たちの仲間連中ばかりであり、彼らとは接触のない榊さんのことは、見ていなかったんだろう。
ぼくは、続けて言った。
「コンパの幹事とかやるなら、ちゃんと出欠とか確認するべきなんじゃないか。一声かけたから、それでオッケーっていうのは、無責任過ぎるだろ」
そう言って、ぼくは、幹事連中の顔を見た。
クラスのことに興味のないぼくは、誰が幹事なのか知らなかったけど、今、見てみると、六人ほどで構成されているようだ。上田をはじめとして、島田、中根、内川の野球部トリオ、それから、金沢、浜田という女子が二人いた。いつも休み時間になると、集まって、大声で騒いでいる連中だ。
こうした連中は、どこへいっても、似たり寄ったりだ、と、ぼくは思う。「クラスみんなの為」って、こういう連中は、よく口にする。でも、その実、コイツらが大事にしているのは、仲間の利益なんだ。
「でも、オレたち、幹事っていってもなあ、頼まれたわけでもないし、みんなの為を思って、自発的にやってるだけなんだぜ。そこまで尽くす義務なんて、ないだろ」
上田が、そう言いだした。それを合図に、他の連中も一斉に口を開いた。
「そうだよ。なんでウチらが、そこまでしなきゃいけないの」
浜田が、そう言うと、内川も、続いた。
「大体さ、昼休みなんて、普通、みんな、教室にいるモンだろ。一人だけ、クラスの輪から離れて、外でメシ食ってるヤツが、悪いんじゃないのか」
「そうだよ。そもそも、クラスの和を乱すような行動をとっている方が、悪いのよ」
金沢が、キンキン声を張り上げる。
ああ、またか。ぼくは、だんだんウンザリしてきた。
こういう連中の、いつものパターンだ。みんなを振り回して楽しみたいけれども、それに伴う責任は回避したい。「クラスの和」とか、きれいごとを並べても、結局はそれだって、自分たちのエゴを包み隠すためのオブラートにしか過ぎないんだ。所謂、こういった人間関係なるモノが、ぼくの嫌いなことだ。
「出欠の確認なんて、そんなたいしたことじゃないだろ。後ろの壁に紙貼っといて、出席するヤツは、名前書いてくれって、言うだけでもいいんだし。それさえ面倒だっていうなら、お前らの仲間だけで、盛り上がればいいだろ。現に今だって、お前ら、会費のことで揉めてるんだろ。人に何かを強制するなら、お前らにだって、責任が発生するのは、当然のことじゃないか」
ぼくは、一気に言った。
さすがに島田は、気まずそうにしていた。理屈からいえば、クラスの先頭に立っていたいけど、責任を取るのは嫌だなんて、単なる身勝手に過ぎない。こういうヤツらは、コンパとか、花火大会とか、肝試しとかいった企画を立てて、目立ちたがるが、クラス委員とか、実際に責任が問われる仕事は、やりたがらない。そういうことは、他人に押し付けてばかりだ。
つまりは、クラスの中心にいるっていうステータスがほしいだけで、それに伴う苦労には背を向けている。こういう連中が、一番嫌うのは、責任を追及されることだ。
空気に敏感な島田は、周りを見渡して、他のクラスメートの世論が、ぼくに傾きつつあるのを察したようだ。
「まあ、確かに、オレたちにも、落ち度はあったんだけどさ」
そう言って、島田は、戦線を撤退させようとし始めた。でも、納まりがつかないのは、女子たちだった。
「でもさあ、榊さんて、人づきあい悪くない。こういう子がいると、クラスの雰囲気が悪くなるんだよね」
「そうだよ。こういう子は、一度、ビシッと言っとかないと、ダメだよ」
女子たちが、反発し始めると、上田はそれに勢いづいて、さらに榊さんを追求し始めた。
「だいたいさ、いつも優等生ぶっててさ、みんなのこと、腹の中じゃ、バカにしてるんじゃないのか」
悪くなった旗色を挽回するためだろうか、彼らの話題は、コンパの会費のことを離れて、榊さん個人に対する非難へと変わってきた。
「もういい」
不意に、榊さんの放った一言が、クラス全員の視線を釘付けにした。
「あなたたちが、私のことを気に入らないのは、わかってる。私は、別にみんなのことをバカにしているわけじゃない。でも、私は私。あなたたちに好かれる人間にはなれない。だから、こういうのには、誘ってくれなくっていい。次にやる時には、私は、欠席だと思っといてくれていいから」
そう言うと、彼女は、ポケットから千円札を取り出して彼らの前に差し出した。
「これで、文句はないでしょ。お金のことなんて、どうだっていい。二度と家に電話なんてしないで」
そう言うと、彼女は自分の席へ戻ろうとした。だが、収まりのつかない女子たちは、さらに榊さんに噛み付いた。
「お金のことなんて、どうだって、いいだって。どうだって、いいわけないじゃん。お金のほしくない人間なんて、いないんだからさ。そうやって、人を見下した態度が、ムカつくんだよね」
女子たちの言葉に、勇気づけられたのか、上田が、それに続いた。
「大体、何様のつもりなんだよ。いつも、一人でクラスの和を乱してさ。お前なんか、いない方が、いいんだよ。オマエがいると、クラスが暗くなるんだって。みんなと一緒にやれないヤツが、何で、学校来てるんだよ。サッサと学校やめてくれよ。オマエさえいなければ、みんな、上手くやれるんだからさ」
こういう手合いは、いつもこうだ。彼らが、求めているのは、いつだって自分に都合のいい人間だ。
コンパの件にしても、そうだ。もしも、自分の都合に気を遣ってほしいなら、昼休みに一声かけるだけじゃなく、キチンと出欠の確認を取るべきなんだ。相手の都合に気を遣ってはじめて、相手も、自分に気を遣ってくれるというものだ。面倒臭がって、相手には、そういう配慮をしない癖に、自分には、最大限の配慮を求めようとする。そんなのは、単なるワガママじゃないか。
その上、そのワガママが通らないと、相手に罵声を浴びせかける。ぼくは、上田の態度に、心底、腹が立ってきた。
「お前さえ、いなければって、どういうことだよ。逆に、お前の方が、いなければ、こんな揉め事だって起きてないだろ」
ぼくの言葉を聞いて、上田が気色ばんだ。
「何だと。オマエ、ソレ、どういう意味だよ。オレだって、好きでやってるわけじゃないんだぞ。みんなのためを思って、やってるんじゃないか」
ぼくには、どう見ても、好きでやっているとしか、思えなかったけど、クラスの中で目立っていたいだけの連中にとっては、「みんなのため」というのは、相当便利な言い訳のようだ。
だが、こうなると売り言葉に買い言葉だ。ぼくの方も、もう止まらなくなっていた。
「みんなって、誰と誰だよ。誰が、お前に頼んだんだ。みんなのためっていうなら、クラス全員のいる場所で、幹事も決めたら、どうなんだよ。日程も、みんなで決めたら、どうだ。それなら、みんなって言葉を使うのも、わかるよ。でも、実際は、お前らのグループが集まって、コンパでもやりたいねって、話になっただけだろ。だから、一声かけただけで、確認も取らずに済ませたんだろ。ふざけるな」
ぼくも、かなり興奮していた。島田たちが、「おい、もうやめろよ」と言いながら、止めに入ってきたけど、上田の方も、止まらなくなっていたようだ。
「何で、オマエが、榊なんかの肩を持つんだよ。あんな女の肩を持つなら、オマエも、どうなるか、わかんないぞ」
上田が、興奮して言ってきた。
「ああ、いいよ。やれよ」
そんなぼくの答えを予想していなかったのか、上田は、一瞬、戸惑いを見せた。
「オマエ、嘘だと思ってるのか。本当にどうなるか、わかんないって、言ってんだぞ」
そう言った上田の声は、いつもより高く、上ずっていた。
「だから、やれって、言ってるだろ。で、何をするつもりなんだ。クラス全員でシカトするか、それとも嫌がらせでも、するつもりか。何でも、いいぞ。やってみろ」
そこで、ぼくは、一旦言葉を切り、上田の胸を掴んで、思いっきり引きよせながら、次の言葉を投げつけた。
「その代わり、やんなかったら、殺すぞ」
ドスのきいた声で言って、上田の目を睨みつけた。上田は、明らかに狼狽していた。
ぼくが、拳を固めて、次の動作を準備していた時、彼女の声が響いた。
「もう、やめて!」
振り向いたぼくの目に、飛び込んできたのは、初めて見る彼女の涙だった。その涙が、クラス中を凍り付かせた。彼女は、何とも言えない悲しい表情で、かすかに首を振りながら、ぼくを見ていた。
「もう、やめて、相川君」
彼女の瞳を染め上げた悲しみが、ぼくの胸に刺さった。それまでの興奮は、嘘のように消え去り、気まずい雰囲気だけが、後に残った。
ちょうど、その時、チャイムが鳴り、気がつくと、島田が、上田の胸をつかんでいたぼくの手を取って、
「な、もういいだろ。放してやれよ」
と言っていた。
上田を見ると、よほどぼくの剣幕が、恐ろしかったのだろう、泣きそうな顔をしていた。ぼくは、上田を突き放すと、自分の席へ向かった。
じきに担任がやってきて、冗談を交えながら、学校からの連絡事項を伝えたが、誰も、冗談に笑わないので、心配そうに「何かあったのか」なんて聞いていた。でも、ぼくには、そのどれもが、どうでもよくて、彼女の後姿ばかりを見ていた。いつもは、窓の外を物憂げに眺めている彼女が、その日は、ずっと俯いたままだった。
授業が始まっても、ぼくの意識は、そこにはなく、さっきの出来事のことを考えていた。
例の幹事グループも、気になっていたらしい。女子の金沢と浜田は、時々、後ろを振り返り、ぼくの様子を窺っていた。野球部トリオは、授業中は頭を切り替えているのか、先生の話をまじめに聞いていた。上田はというと、よほどぼくの態度がこたえたのか、心ここに在らずといった風で、小さくなっていた。
こういう時、クラス全員の様子を確認できるのも、一番後ろの席の特権というやつだろう。
意外だったのは、ふだん目立ちたがり屋で、陽気な上田が、随分と小心者だったことだ。
でも、まあ、そんなものなんだろう。小心であるがゆえに、群れたがる。自分に自信がないがゆえに、数の力にすがりたがる。そんな連中にとって、「みんなと同じ」、「みんなと一緒」というのは、何よりも心強いことなんだろう。だからこそ、一人になることを、何よりも怖がる。
理解不可能なものが、一番怖いと、誰かが、言っていたような気がするが、どうなっても構わないという、ぼくの態度は、おそらく、上田の理解を越えているんだろう。だから、アイツは、ぼくを恐れる。
でも、もっともぼくの心を占めていたのは、初めて見た彼女の涙だった。あの時、彼女は、ぼくのことを迷惑だと言った。今日のことも、あるいは、彼女にとっては、迷惑だったんだろうか。ぼくには、わからなかった。
一時間目が終わると、彼女は、教室を出て行った。そして、二時間目の始まりのチャイムが鳴って、少ししてから、教室に戻ってきた。
トイレで、泣いていたんだろうか。ぼくが、そんなことを考えていると、小池が声をひそめて話しかけてきた。
「さっきの話だけど、僕は、相川君の方が、正しいと思うよ。僕、コンパ行ったんだけど、あの人たち、自分たちだけ騒いでて、他のみんなのこと、ほったらかしだったし」
ぼくが、振り向くと、小池は、かすかに微笑んだ。
小池が、アイツらに不満を持っていたのは、意外だった。誰かに聞かれたら、小池も無事では済まないはずなのに、ずいぶん思い切ったことをする。多分、小池にしてみれば、今のでも、精一杯の勇気だったんだろう。
実は小心だった上田と、少し勇敢だった小池の取り合わせを見て、人間というのは見かけによらないものだな、と、ぼくは、感じていた。
四時間目が終わると、彼女は、やはり教室を出て行って、戻ってこなかった。それは、いつも通りのことなんだけど、今朝の事件のせいで、ぼくは、心が痛んだ。
コンパの幹事グループは、お昼の間も、おとなしくしていた。小さな声で話しながらも、時々、ぼくの様子をうかがっている。その様子から、彼らの話題は、想像できた。ぼくに関する相談なら、こそこそしてないで、堂々とやればいい。ぼくは、強がりでも何でもなく、そう思っていた。
ぼくのように、人と会話できないことよりも、下らない噂話や、昨日のテレビの話に合わせていくことが苦痛な人間には、どうでもいいことだった。
お昼を食べ終わって、本を読んでいると、島田が、一人で話しかけてきた。
「あのさ、朝のことなんだけど、オレたちにも、お前の言う通り、確かに落ち度はあったよ。で、みんなとも、相談したんだけど、こんなこと、いつまでも続けてたって、意味ないし、水に流さないか」
島田は、ちょうど空いていたぼくの前の席に座って、言った。小池が、隣から様子をうかがっているのが、わかる。どうやら、島田は、和解したいらしい。
幹事グループの残りの連中の方に目をやると、内川が、ニッコリ笑って、手を挙げた。女子も、話の成り行きを見守っていたけど、上田だけは、断頭台の前に立たされた死刑囚のような、怯えた目で見ていた。
なるほど、とぼくは思った。コイツらが、一番気にするのは、自分が正しいかどうかじゃなくって、周りが、自分たちをどう見るかだ。
今朝の出来事で、自分たちの落ち度を責められて、評判を落とす危険を感じたんだろう。小池の話から考えると、下手をすれば、彼らの方が、クラスの中で孤立しかねない。そして、彼らが、もっとも恐れるのが孤立なんだ。数の力を頼りにするしか能のない彼らにしてみれば、孤立とは、彼らが、悪者扱いされることでもある。
だから、ここで手を打って、被害を最小限に留めたいということなんだろう。こうした彼らの打算が、さらに、ぼくを苛立たせた。
「だったら、なんで、勇ましく脅し文句を並べてたヤツが、ここに来てないんだ」
ぼくは、上田を睨みつけながら言った。
「上田だって、言い過ぎたって、反省してるんだって。だからさ、もうこれで終わりにしようぜ」
島田の口調には、懇願するような色が籠っていた。
ぼくは、席を立って、ゆっくりと上田の方に向かった。島田は、すぐにぼくに付いて来たけど、上田は、怯えきっているのを隠すこともできなかった。他のメンバーは、視線を、ぼくと島田の間に走らせながら、話がどうなったのか、探ろうとしていた。
クラス中の会話が、一斉に途絶えたことで、ぼくは、自分が、どれだけ注目されているかを知った。
上田の前に立つと、ぼくは言った。
「話があるなら、何で、お前が来ないんだよ。威勢よく脅し文句を並べてたのは、お前だろ。だったら、何で、お前が、来ないんだ」
上田の怯えっぷりに、ぼくは、あやうく同情しそうになった。内川と中根が、立ち上がって、ぼくをなだめにかかった。
「コイツだって、反省してるんだって。だから、許してやれよ」
「そうそう、あんなの、ただ勢いで言っただけで、本気じゃないって」
上田は、何も言えなくなっていた。今朝は威勢の良かった女子たちも、今はオロオロするばかりだった。
ぼくは、上田の顔に言葉を叩きつけた。
「だったら、先に謝るべき相手がいるだろ」
続けて、女子たちに向かって、言った。
「お前らも、随分、ひどいこと言ってたよな。お前らも、榊さんに謝らなきゃいけないんじゃないのか」
それだけ言うと、ぼくは、彼らをその場に残して、自分の席へ戻り、本を読み始めた。彼らは、その後も気まずそうに、黙りこくっていたようだった。
昼休みの終わり際になって、彼女は、教室に戻ってきた。教卓の後ろを通って、自分の席に戻る途中、不意に、ぼくの方を見た。その彼女の目に浮かんだ悲しい色が、ぼくの心まで染め上げた。
授業開始のチャイムが鳴って、先生を待つわずかな間に、小池がまた話しかけてきた。
「相川君って、すごいよね。堂々としていて。いつも本ばかり読んでて、何を考えているかわからないから、なんとなく、みんな、怖がってるとこあるけど、このクラスには、相川君のこと、支持している子も、結構いるよ」
小池に、そう言われて、ぼくは、驚いた。ぼくを支持しているヤツが、いるだって。人との関わりを嫌っているぼくにとっては、最も意外な反応だった。
午後の授業が、いつも通りに、ゆっくりと過ぎて行った。彼女のことばかり考えているぼくには、どうでもいいことばかりだった。今の世の中では、高校ぐらいは出ていないと、お話にならない。だから、高校には、こうして毎日通っている。こうした、くだらない出来事の数々をやり過ごしながら。
だからといって、高校を出たら、何かが待ってるって訳でもない。さしたる夢や将来の希望を持たないぼくにとって、高校卒業というのは、その先のステージへ進むためのパスポートに過ぎない。でも、エゴを正義とすりかえることが、当たり前のようなこの日常の中で、ぼくは、何を待っているんだろう。
そんなことを、ぼんやり考えているうちに、一日の授業も、全部、終わり、帰りの時間が来た。
ぼくは、やっぱり彼女を見ていた。彼女は、授業が終わると、帰り支度を整えて席を立ったけど、少しの間、そのまま立ち尽くしていた。そして、その後、足早に出口へ向かった。
彼女の姿を眺めながら、ぼくも、ゆっくりと帰る準備をしていた。教室の前の方を見ると、例の幹事グループが、ぼくの様子を窺っていた。何か話しかけたそうだが、いったい、何をどう話していいのか、わからないという風だった。ぼくは、そんな彼らを無視して、教室を出た。下足箱で靴を履き替え、校舎を出て校門へ向かう。
学校前の坂を下り、電車の駅へ向かうと、そこに、彼女が、いた。
彼女は、ぼくに気がつくと、近づいてきた。ぼくは、とっさのことで、心の準備ができていなかった。
「今朝は、ありがとう」
そう言って、ぼくをまっすぐに見つめる彼女の目は、とても切なげだった。
「でも、もう、あんなことは、しないで。あの人たちが、何を言っても、私は、平気だから」
「ごめん。迷惑だったかな?」
おずおずと差し出したぼくの言葉に、彼女は、ゆっくりと首を横に振った。
「そんなこと、ない。でも、私のことで、相川君にまで、つらい思いをさせたくないから。だから、もうあんなこと、しないで。私は、大丈夫だから」
そう言うと、彼女は、走るように改札をくぐり、ちょうど入ってきた電車に飛び乗った。電車が、動き出してからも、彼女は、扉越しにぼくを見ていた。彼女は平気だと言っていたけど、彼女の目に浮かんだ心の色は、その言葉を否定していた。ぼくは、しばらくの間、そこに立ち尽くしていた。
家へ帰ってからも、ぼくは、彼女のことを考えていた。帰り際の彼女は、ぼくのことを心配していたようだった。この間の「迷惑だ」と言った言葉と、今日の彼女のことを、ぼくは、どう解釈すればいいものか、迷っていた。
彼女は、「もうあんなことはしないで」と言っていた。でも、ぼくは、確信していた。今朝のようなことが、また起きたら、ぼくは、きっとまた、同じことをするだろう。
理由は、ひとつだけだ。彼女のあの悲しい瞳だ。たとえ、誰が、相手であっても、かまわない。彼女をあんな風に悲しませるものを、ぼくが、許せるはずもない。たとえ、ぼくが、彼女から愛されることはないとしても、ぼくは、彼女のことが好きだ。だから、理由は、それだけで十分だ。
人は、言うかも知れない。そんな報われない思いのために、自分を犠牲にするなんて、馬鹿げているって。でも、報われるって、一体、何なんだろう。自分が愛されるってことなんだろうか。
でも、それは、なんてエゴイスティックな愛なんだろうか。だって、そうじゃないか。自分が、愛する人のために、何ができるかじゃなくて、相手が、自分を愛してくれるかどうかってことが、問題なんだろう。そんな「エゴ」が、世の中では、「愛」って呼ばれているんだ。ここにも、ぼくの嫌いな世間の常識っていうやつが、顔を覗かせてくる。
でも、ぼくは、そんな世間の常識には、無関係なんだ。だって、ぼくは、異端者なんだから。この世間の片隅にさえ、ぼくの居場所はないんだから。だから、ぼくは、ぼくの信念のまま、あるいは、ぼくの望むままに行動する。
たとえ、ぼくが、愛されることなんて、なくたっていい。大事なことは、ぼくが、彼女のことを好きだってことなんだ。だから、彼女には、幸せでいて欲しい。笑っていて欲しい。それだけなんだ。
もしも、彼女が、幸せに笑っていられるのなら、ぼくは、世界を敵に回したって、何の後悔もない。たとえ、ぼくが、誰からも愛されなくって、この世界中で、一人ぼっちだったとしても。それでも、ぼくは、彼女が好きなんだ。
だから、ぼくは、何度だって、同じことをする。それだけのことなんだ。
翌朝、ぼくが、教室の後ろの席で授業の準備をしていると、彼女が登校してきた。彼女は、自分の席に向かう途中、ぼくの方を見た。ぼくが、不器用に微笑みかけると、彼女はとても悲しい顔をして、下を向いた。教室の中では、上田たちのグループが、ぼくらの様子をうかがっていて、その様子も彼らは見ていた。
昨日のことで、ぼくは、彼らがどんな連中かわかっていた。所詮は、彼らは、殴り飛ばしても、殴り返してこない相手の前でしか、強気に出られない臆病者だ。だから、堂々と反撃してくる、ぼくのような人間が相手だと、どう対処していいのか、わからないんだろう。
クラスの他のメンバーも、ことの成行きを見守っていたようで、クラス全体に、何か張りつめたような緊張感が漂っていた。