第11章
ねえ、志織、君には、まだ、ぼくの姿は見えているのかな。あの日、君が死んでしまった後になっても、ぼくは、君のことを忘れたことはないよ。
今でも、ぼくは、はっきりと覚えている。君の優しいまなざしも、少しはにかんだ微笑みも、君の温かな指の感触も。何もかもが、ぼくにとっては、忘れることのできない思い出なんだ。
君が死んだ次の春、ぼくが、君を埋めた場所に、小さな花が、咲いたよ。まるで君のように、優しく風に揺れる可憐な花が。
ねえ、志織、君は、覚えているかな。いつか、ぼくは、君に言ったことがあるよね。ぼくは、君を守りたいって。もしも、君を守るために死ねたらいいなって。あの時のことなんて、君は、忘れてしまったかもしれないね。でも、ぼくは、今でも、はっきり覚えているよ。
あの時、君は、ぼくに言ったんだ。
「死んでもいい命があるの」
って。まっすぐにぼくを見つめる君の瞳の中には、悲しい影が、さしていた。
志織、あの頃のぼくは、本当に子供だった。そう思うよ。あんな風に、君を悲しませてしまうなんて。君は、言っていたね。ぼくの口から、そんな言葉を聞きたくなかったって。どんなことがあっても、生きていてほしいって。
君は、誰かが、不幸になることも、誰かが、死んでしまうことも、望んでいなかった。だから、命をかけて、この街を守ってくれたんだよね。運命ってヤツは、本当に皮肉だね。誰も死んでほしくないって言っていた君が、真っ先に死んでしまうなんて。
君と出会う前のぼくは、本当に子供だった。自分という小さな殻に閉じこもったまま、他の人達を冷めた目で見ていた。ごまかしだらけの世の中や、嘘に彩られた世間体とか、そんなものを片隅から笑い飛ばしていた。今は、それが、わかるよ。
人と人が、出会うところに、嘘やごまかしが、生まれる。だから、人との関わりを避けていたぼくは、どんな嘘や、ごまかしからも、自由だった。それだけのことだったんだよね。
その嘘やごまかしと戦うこともせず、ただ一人ぼっちで、自分だけが、真実だとうぬぼれていただけなんだ。それはきっと、ずいぶん楽な生き方だったんだと思う。
戦わなければ、自分の無力を思い知らされることもないし、人との関わりを避けていれば、自分が試されることもない。
でもね、志織、君と出会ってから、ぼくは、変わり始めていたんだ。君を守ることで、ぼくは、戦うことを知った。君と苦しみを分かち合うことで、自分の無力を知った。君を失うことで、人の心の真実にも触れた。
君がいなくなってからのぼくは、まるで抜け殻みたいになって、何をすることもできなくなっていたんだ。そしたらさ、隣の席の小池がさ、ぼくのことを気にかけて、いろいろ世話をやき始めてさ。
アイツ、ぼくに言うんだよ。志織は、きっと、どこかで、元気でいるからって。そう信じようって。バカみたいだよね。もう志織は、死んでしまったっていうのに。アイツ、本当にバカだよね。
それとさ、クラスに永沢って女の子がいたのを覚えてるかな。あの口下手で、目立たない子。上田たちが、その永沢って子をイジメ始めた時も、小池のヤツ、クラスの先頭に立って、上田たちと、やりあったんだよ。信じられるかい。あの小池が、だよ。
それでさ、そこからが、傑作なんだ。アイツ、ぼくに何て言ったと思う? ぼくが、志織のために、上田たちと戦うのを見て、感動したとかいうんだよ。でさ、アイツ、ぼくから本当の勇気を教えられたとかさ、何か、訳のわからないことを言い出すんだよ。
勇気だって? 君を守れなかったぼくに、一体、どんな勇気があるっていうんだよ。で、今、小池のヤツ、その永沢さんと付き合ってるんだよ。
それからさ、英語の西田。あの後も、西田のヤツ、ぼくのことを気にかけてさ、三年の時には、ぼくの担任になったんだよ。それで、ぼくに、ちょくちょく話しかけてくるんだ。自分が、愛する人を死なせてしまった後、どんな思いで教師になり、どんな希望を抱いて今日までやってきたかってことをね。
きっとみんな、ぼくを気遣ってくれていたんだよね。両親も、ぼくに優しく接するようになったんだ。でもね、志織、ぼくの悲しみは、少しも変わりはしなかった。君への思いは、会えなくなって、よりいっそう募るばかりだったんだ。
でも、ぼくは、こう考えるようになったんだ。ぼくのこの命は、君が、自分の命と引き換えに守ってくれたものだから、無駄にしては、いけないって。志織、ぼくは、戦うよ。どんなに絶望したって、どんなに追い詰められたって、ぼくは、戦い続けるよ。それは、君がくれた勇気なんだ。
君が、ぼくを愛してくれた。君が、ぼくを見ていてくれた。そのことが、ぼくを強くしてくれたんだ。
だから、ぼくは、勉強も頑張ってきたんだよ。あの日、君は言っていたよね。
「私たちは、今、どうしようもなく無力だからこそ、少しでもいい、何かができる自分になれるように、頑張っているんじゃない。勉強だって、その一つだと思う」
だから、どんなにつらくっても、ぼくは、座り込むのをやめて、歩き始めることにしたんだ。
ねえ、志織、ぼくは、この春、高校を卒業したよ。もうすぐ、ぼくは、大学生になる。大学生になって、明日、この街を離れることになる。ぼくは、東京の大学に行くことになったんだ。職員室は、ちょっとした騒ぎになってたよ。君にも、見せたかったな。落ちこぼれだったぼくが、この国で一番レベルの高い大学に合格するなんて、きっと、誰も、考えていなかっただろうね。多分、君以外には。
ねえ、志織、ぼくは、今でも、君を愛しているんだ。君は、そんなぼくを笑うかい。世間の人は、恋を失えば、涙を流す。誰かに打ち明けて、慰めてもらう。ひとしきり泣いたら、別の誰かと出会い、新しい恋に生きる。まるで暖かい季節になると、重いコートを脱ぐみたいにね。でも、ぼくは、他の人たちのように、器用じゃない。今でも、ぼくは、君以外の人は愛せないんだ。だから、ぼくは、残りの人生すべてを賭けて、君を愛し続けるよ。
ぼくは、君を失ったあの日、その悲しみを語る言葉さえも、なくしてしまった。だから、これから、ぼくは、その言葉を探しに行くよ。それは、一生かかっても、見つけられないかも知れない。そんなことのために、人生を賭けるなんて、無意味なことなのかも知れない。でも、ぼくには、他の生き方なんて見つかりそうにないんだ。
あの日、君は、自分のことを忘れて、幸せになれって、言ったよね。ごめんね、ぼくには、君との約束は、守れそうもないよ。ぼくたちは、これからも、一緒だ。そして、いつか言葉を見つけたら、ぼくは、世界中に向けて語ってみせるよ。かつて、この街に、志織という女の子がいて、多くの人の命を救ったんだということを。人は、それを笑うかも知れない。小説のような絵空事だと、バカにするかも知れない。それでもいい。ぼくは、この世界に、君という女の子が生きた証を刻んでみせるよ。それが、ぼくの君への愛だ。
だから、もう少し待っていてほしい。いつか、ぼくが、君の元へ旅立つその日まで。志織、今でも変わらず、君を愛している。ぼくの大切な君に、今は、一編の詩を贈ろう。どうか、この空のどこかで、聞いていてほしい。
もしも ぼくたちが 春鶯なら
季節を告げることもできただろう
もしも ぼくたちが 夏鷹なら
大空高く舞い上がることもできただろう
もしも ぼくたちが 秋燕なら
海を渡ることさえできただろう
でも ぼくたちは
風に凍える冬雀だったね
空は ぼくたちの空じゃなかったし
この大地にも
やすらぎさえ見つけられなかった
小さな翼をはばたかせて
精一杯飛び立とうとしたけれど
吹き付ける風の冷たさを
どうすることもできなかった
人は地図を持たない旅人のようだね
遠い地平を夢に見ながら
気づくと見知らぬ街に一人ぼっち
悲しいね
君が死んで ぼくが生きる
悲しいね
君を死なせて ぼくが生きていく
胸にあふれる悲しみを
誰かに伝える言葉さえ持たず
いつかたどりつく
その果てさえも見えず
祈り 願い続けた
その思いが届く場所さえ知らず
風に吹かれ ぬかるみに戸惑いながら
君の笑顔を胸に抱いて
ただひたすらに歩き続ける
いつか君にたどりつくその日まで




