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白い部屋  作者: バビロン
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第2話「最初の晩餐」1

白い部屋へ戻ると、私は電灯を消してベッドの中へ潜り込んだ。

窓のような電灯は消し方が分からなかった。そちらの方から顔を背けて、ぎゅっと目を瞑る。

一度寝て起きてみれば、何事も無かったように元の世界へ戻れるんじゃないだろうか。

淡くそんな希望を抱きながら、私はすうっと眠りの中へ落ちていった。


次に目を覚ました時、視界に映った天井は、微かにオレンジ色を帯びていた。

途端にかっと目を見開いて、がばりと身を起こす。

……しかし、やはりそこにある景色は、自分の部屋ではなくて、閑散とした白い部屋だった。

何の色かと思うと、窓のような電灯の光が、暗めのオレンジ色に変わっている。まるで夕日でも差しているみたいだ。

時計を見ると6時を過ぎていた。この窓に見せかけた電灯は、時間に合わせて窓らしさを演出すらするらしい。

寝た時はまだ朝だった。私は結構長い時間、眠ったようだ。

胃袋が、悲鳴をあげていた。

“目覚めて”、状況を受け入れられずに戸惑ってばかりだけど、それよりもとりあえず、食べるものを食べなければいけない。

入院病棟なら普通、食事は勝手に出てくるものだろうけど、もはやここでは、私の思っている“普通”が通用しないことは分かりきっていた。

部屋の外に出れば、カフェもあればレストランもあったはずだ。

問題は私が一銭のお金も持っていないことだが、さて、どうするか……。

……あまり悩む余地は無かった。タンスの上、真っ赤な薬の横に、朝受け取った、有本(ありもと)の連絡先の紙が置いてある。今のところ、私が頼れるのはこれだけだ。


夕方になっても、市場を行き交う人の数は多かった。

朝行ったカフェの前を通り過ぎ、市場の続く広い道を真っ直ぐと歩く。

通り過ぎて行く露店をぼうっと眺めてみたりする。食べ物、家具、おもちゃ、洋服、文房具……、様々なものが売られている。

飲食店もいくつも見られたし、あちこちに公衆トイレがあったり、公衆浴場らしいものがあるのも見つけた。いろいろ発見があって、歩いているだけでも少し楽しいかもしれない、なんて思った。

しばらく歩いていると、本を積み上げてる露店がぽつりぽつりと現れ、それは歩くにつれ次第に増えてきた。気付けば周りは本屋だらけだ。

やがて有本が言っていた「出版社」らしい場所に辿り着いた。

ところどころ薄い板で区切られてる所もあったが、基本的には壁も天井もない、非常にオープンなスペースだ。通路に、オフィスデスクがずらりと並び、書類が積み上げられ、人々がいそいそと働いている。そんなスペースが、うんと広範囲に広がっているのだ。

ぐるりと見回すと、有本の姿はわりかし近くにあった。

「有本さん」

私が声を掛けると、机に向かって作業をしていたらしい有本がこちらを見上げて、微笑んだ。

「ああ、雲居(くもい)さんか」

「ごめんなさい、お仕事中に」

「いや、構わないよ。どうかしたの?」

有本はにこやかに対応してくれる。ああ、いい人なんだな、なんて思った。

お腹が減ったんですけど……、と言いかけて、なんだかみじめっぽいのでやめた。

「えっと……、ここって、食事とか、どうなって……?」

控えめに聞くと、有本はおかしそうに笑った。

「え? ああ、そっか」

何か胸の内を見透かされているようだ。顔が熱くなるのを感じた。

有本はすぐに答えることはせず、一度机に向き直って、そこにあった書類をパラパラと眺めた。

んー、と言って何かを考えるような様子を見せながら言う。

「食事はだいたい飲食店でとるんだけどね。ここの飲食店は基本的にタダなんだよ。お金かからない」

「え。タダ?」

「そう、基本的にはね。贅沢しようと思ったらお金が要るけど」

言って、有本は手元の書類をガサガサと纏め始めた。

やがて立ち上がって私の方へ向き直る。

「お金のかからない所でいい所を知ってるんだ。良かったら一緒しないかい?」

爽やかな笑顔だった。

私は気圧されるように頷いた。目覚めたばかりの時に、なんだかひどく優しい人に出会ってしまったみたいだ。


朝と同じように、私は有本の後ろについて歩いた。

メインストリートと言うのだろうか、一番広い大きな通りから少し逸れて脇道に入ったところに、そのレストラン――いや、食堂と言ったほうがいいだろうか――はあった。

余計な装飾がない、いたって実用一辺倒でフラット、という印象を抱く、シンプルな食堂だ。

それなりの盛況を見せており、ずらりと単調に並んだカウンター席に、あまり隙間はないようだ。

私と有本は、その隙間になんとか2人、隣合わせに座った。有本が言うには、テーブル席は有料メニュー専用らしい。

壁にずらりと掲示されている無料メニューを眺める。料理は、“夢”の中でも馴染みのあるものばかりだった。

「僕のお勧めは和風ハンバーグかな。美味しいよ」

「じゃあ、それで……」

私は曖昧に頷く。今は、食べられればなんでもいい、そんな気分だった。

店員に注文を言って、料理が出てくるのを待つ。有本はメニューを指さして、あれも美味しいとか、あれはあんまり良くないだとか、あの料理の調理法はどうだとか、そんな話をしていた。私は適当に相槌を打ちながら、時々有本の横顔を眺めたりしていた。

「やっぱりね、うどんだよ」

ふと、違う声がした。有本とは逆の方の隣の方からだ。

おやと思って、私も有本もそちらを見た。年齢は初老と見える、無精髭を生やした1人の男性が、うどんを啜っている。

「うどんがお勧め。生卵を別に注文して割るのがいい。あとはやっぱり、茶漬けは外せないね。有料になるけど」

うどんを啜っている男性は、にこにことしながらそう言った。

まるで何の違和感もないように会話に入ってきている。私は有本の方を振り向いて、知り合いか? と無言で聞いてみる。有本は小さく首を傾げた。

「時々見かけてる気はするけど。お名前、知ってましたっけ?」

有本がその男性に聞いた。男性はうどんを啜るのをやめて、キョトンとした顔で有本を見つめた。

「ん? いや、名乗ってないな。でも見たことはあるね。出版社で働いてる坊やだよな?」

坊や、などと呼ばれて、有本は一瞬怯みを見せた。

「はあ、まあ、出版社で働いていますけど。有本(ただし)と言います」

有本は眼鏡のフチを手で押さえながら、やや改まって言った。

男性はまたうどんの方へ戻る。

「ふーん、そう。俺は吾妻ね。吾妻道雄(あがつまみちお)

そう名乗り返したのは一応の礼儀だろう。あまり興味はなさげだった。

そこから会話を続ける気も無いらしい。吾妻は黙ってうどんを啜り始めた。

変わった人だな、と思いつつ、私たちもそれ以上話しかけようとはしなかった。ただ有本との会話もなんとなく途切れて、やがて和風ハンバーグが出てくるまで、私たちは黙って座っていた。

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