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白い部屋  作者: バビロン
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第1話「目も眩む朝」3

医者が去った後の静寂の中で。

私はしばらく呆然としていた。

信じられない、信じられない、信じられない……。分からない、分からない、分からない……。帰りたい、帰りたい、帰りたい……。

頭の中ではただ、そんな単純な言葉が巡るばかりだった。

医者を見送った、そのままの姿勢で、どれほどの間固まっていたことだろう。

私はやがて、何を考えるでもなく、ただ外の世界を感じたくて、窓の方を向いた。

カーテンに覆われていてその向こうを見ることはできない。その白いカーテンを開けるために、ベッドから降りようと決意した。

掛け布団を全部めくって、布団の中から足を出す。裸足だった。

その足をそっと、床へ下ろしてみた。硬い床のヒヤリとした感触が、足の裏に当たる。

足に体重をかけて立ち上がると、それだけで何故か、ほっとした。体はいたって快調だ。当たり前に歩くことが出来た。

窓の所まで歩み寄って、私は躊躇いなくそのカーテンを開けた。

しかしすぐに、その向こうにあるものを見てガックリと落胆してしまった。

それは窓のようで窓ではなかったのだ。カーテンの奥には、淡く白い光を灯す電灯が、のっぺりとあるだけだった。窓に見せかけた電灯だったらしい。

つまりこの部屋には、窓がない。外の世界には全く触れられない……。

……これではまるで、監禁ではないか。

私はぐったりと項垂れて、胸の内でそう叫んだ。

力ない足取りでベッドの元へ戻る。ベッドボードのところに、すこし出っ張った丸があるのに気が付いた。おそらく、医者を呼び出すボタンとはこれのことだろう。

とても現状に納得はいかないが、医者を呼び出す気にもなれなかった。

――あなたが何を望んでも、それはあなたの自由です。

そんな、医者の言葉を思い出した。

こんな、窓もない部屋に閉じ込められて、どこに自由があるというのだ。

病院だかなんだか分からないけど、こんなふざけた場所とはおさらばしたい。無理に抜け出してでも……。

そう思った時、もう一度医者のその言葉が蘇ってきた。――何を望んでも。

……ここから、抜け出したいと望んでも?

私はベッドにもたれかかりながら、ゆっくりと顔をもたげた。

……そうだ、ここから抜け出そう、逃げ出そう。外に出れば、きっと何かが分かるはずだ。

その考えに至るまでは早かった。すっかり力をなくしていた体に、再び気力が宿る。

私は緊張で鼓動が高まっていくのを感じながら、それでも確かな足取りで真っ直ぐと、医者が消えていったドアへと歩いた。

ドアノブを手に取ろうとすると、その近くに小さな鍵がぶら下がっているのに気付いた。施錠ができるようになっているらしい。

もうこの部屋へ戻ってくるということは無いようにしたいところだが、念のため、その鍵を持って、ズボンのポケットにしまった。

そして、そのドアノブを握った。

一度唾を飲み込んで、思い切って、捻る。

真っ白のドアノブはいとも容易く回り、カチャリと音を立てて、ドアは内側に開いた。


そしてその瞬間、ドアの向こうから溢れだしてきた音に、そしてそこに広がっている景色に、私は愕然とした。

わっと、喧騒が、雪崩れ込んできたのだ。

白い部屋の中は、まるで音など何もなかったのに。このドアは、一体どれほどすぐれた防音仕様になっているのだろう。

そして開けた景色は、広かった。

高い天井に広い道幅、そして何より、人が、たくさん、歩いているではないか。

部屋の外は全然白くなどなかった。壁や床は色が塗られているし、幅の広い廊下のあちこちに、ブルーシートやカラフルなレジャーシートで露店が展開されているのだ。やや小規模な、木製の小屋が廊下の上に建っていたりさえする。

そしてその中を、様々な人が……、本当に、平凡な一般市民という面構え、服装をした老若男女が、お喋りをしたり買い物をしたりしながら、ぞろぞろと闊歩しているのだ。

建物の中にある賑やかな市場。そんな風情だった。私はドアを開けた姿勢のまま、その光景を眺めて、ただぽかんと、口を開けていた。

私がいるこの部屋の入り口がある壁の面には、同じ病室らしいドアが等間隔に並んでいる。正面を見ると市場だが、左右を見ると、そうして等間隔にドアが並んでいる壁が、ずっと、ずっと遠くまで、延々と続いているではないか。右も左も、一番端っこが見えない。一体どれだけ巨大な建物なんだ。

市場も通路に沿って続いているようで、途中で枝道があったり入り組んでいたりしているし、何より店と人で見通しが悪く、市場の規模もひと目には把握できない。

その広大さに、目眩すら覚えるような気がした。

なんだか全く予想外の光景に怖気づいて、私は思わず、そのままドアを閉めた。

ガチャリと音を立ててドアが閉まると、一瞬にして喧騒は消え失せ、やはり怖いぐらいの無色と無音がそこにあった。

私は荒く息をついた。……ますます、何が何だか、わけがわからなかった。

おそるおそる、もう一度、ドアを開けてみる。

同じだった。途端に喧騒が蘇り、同じ景色が広がっている。

何度か、ドアを開けたり、閉めたりしてみる。そのたびに別世界との間を行き来しているような、そんなふうに感じた。

……こうしていても仕方がない。外へ、出よう……。そう思った。


裸足のままで、部屋の外へ踏み出す。

私にも見慣れている普通の洋服を着たり、おしゃれをしたりして歩いている人が多いなか、パジャマ――と、いうより、これは入院着なのだな――を着、裸足でさえある私は、ひどく浮いてしまっている。

道行く人達も、そんな私へちらちらと視線を向けてきていた。

ひどく居心地が悪くて、部屋へ戻ろうかという気になるが、それでは何も進まない。

むしろ、これだけの人が歩いているのはチャンスだ。少しでも、何か自分が置かれている状況についてのヒントが得られるかもしれない。

……とは思うものの、なかなかドアの前から動く勇気が出てこなかった。誰かと話そうなんて思っても、みんな、私とは違って、当たり前のような顔をしてこの建物の中を歩いているのだ。果たして、私と話が噛み合うのだろうかと考えると、怪しいところだ。

戻ってはいけない、しかし歩き出す勇気もない。

そんな葛藤の間に挟まれて、やがて挫けそうになってきた。……とりあえず、一日ぐらい部屋に篭ってみてもいいんじゃないかと……。

そうして諦めかけたその瞬間に、ふと、声が、した。


「どうしたの?」


驚いて顔を上げた先に、心配そうな顔をした、若い、青年の姿があった。

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