神々との絆
遠景は重なり合う。遥かなる大地の裂け目に流れる川。滅びた都市の残骸。草原で立ち尽くす野生の馬。あるいは制服を着た少女たちの群れ。
わたしの夢は万華鏡のようにばらばらのかけらとなって散らばり、うつしだされる。今、ここにはないもの。過去に起きた出来事。そしてこれから起きるさまざまな出来事。
わたしの名はアヤネ。夢を見るために生まれた女。夢と現の間をさまよう旅人。時の中の胎児。
人工の遺伝子のプールで生まれた。名づけ親は、タカギシと言った。タカギシは、わたしが起きているあいだ、学習をする。わたしが夢を言語化できるように、脳を鍛えた。言語中枢を刺激する甘い飲み物と、食事を与えた。
あなたは、普通の子ではありません。とタカギシは言った。
だから、僕があなたに愛を与える係なのです、と。
タカギシは眼鏡をかけた白髪の男だった。わたしの頭をなでたりする。タカギシが、わたしを撫でるとき、びりびりと、電気のようなものが走った。電気、がわかるのは、わたしのそばにはさまざまな機械があり、わたしはそれに触れて感電してしまったことがあるせいだ。
わたしは、やわらかなベッドから起きる。ガラス張りの窓の向こうは、灰色の雨の情景。
薄いベージュの壁に囲まれた部屋には、たくさんの機械が並べられている。機械を動かす動力は、太陽光だと言っていた。カセキネンリョウはもうこの世にはなく、地球が浴びる放射線を使用してさまざまなモノがうごいている。
人も随分減ったのだと、タカギシが言っていた。半分になるということは、どういうことなのか、知らずに人々は遊んでいた。そして、突然滅んだのだと。カセキネンリョウをめぐるいやしくも愚かな戦いの果てに、たくさんの都市が沈んだ。元々、この星には人はそんなに住めなかったのだと。一種の自然淘汰のようなものだとタカギシは言う。
それでは、なぜ、わたしは生み出されたのか?と、わたしは彼に問うた。
「神の声をきくために」
と彼は言った。そして、なぜかなみだをこぼした。
かつての繁栄をとりもどすために必要なことを知りたい。ひとびとの願いが、わたしをつくった。シャーマン達は、終わりの日を知っていた。たくさんの、巫女たちは週末の予言をした。そのひとびとは物質文明の中でもかわらない毎日を送り、始祖と交流を重ねていて終末を知った。そして生き残った。
シャーマンの血をかけあわせ、能力を高めるための薬を投与され、遺伝子を強化して、わたしは生まれた。
「あなたが何歳まで生きられるのかはわからない。そして、何を示してくれるのかもわからない。あなたは希望として、存在する。だから、わたしたちが、あなたに期待することを受け入れて欲しい」と、タカギシは言った。
わたしはベージュの部屋で呼吸する。
それでは、あなたがたのために生きよう。他になにもできないのならば。
ある、夢のなかで、気になる少年がいた。わたしと同じぐらいの年齢だろうか?わたしも15年しか生きていないのだから。ごみの山の中で、プラスチックというものを一生懸命さらっている。ごみはたくさんあった。いくらでもプラスチックはとりだせる。ピンクのもの、白いもの、かけら、あるいはザルのような形、四角いもの、ビンのようなもの。すごくたくさん拾っても、一日パンを一つ買うだけしかお金をもらえない。それでも、彼はシャベルでごみを掘っている。
貝塚、と呼ばれる巨大な過去のごみ捨て場の島に、孤児の少年たちは連れてゆかれ、そこで懸命に働いて、その日の食事と少しのお金を与えられる。行政に雇われた子供たちの一群。
とても小さな子供もいる中で、彼はリーダーのような存在だ。
「お前だれだ?」
彼はだしぬけにふりむくと、わたしの目を見て、そう言った。
「ああ、あなたは、わたしが見えるのか」
「また、お化けか。多いな、最近」
「多いの?」
わたしは、同じ年齢らしき子供が話しかけてくれるうれしさに、つい話してしまった。
現世の人間とかかわってはならないといわれていたのに。
「多いよ。俺、たくさん見えるんだ。みんな、本当は見てるんだけど気づいてないだけだと思うけどな。人間がいっぱい死んだから、あの世で人工爆発してんだぜ、きっと」
彼は難しい言葉を知っているようだ。教育を受けたことがあるのかもしれない。
「あなたは、世界を慰める方法をしっていますか?わたしは、それをさがしているのです」
「変なこというやつだなあ。飯を腹いっぱい食えて、寝床があるってことだろ。俺、ここに食べることのできる畑を作ってこいつらみんなともっとあったかく暮らせるようにしたいんだ」
そういって彼は笑った。手は真っ赤で、ところどころ裂けていた。でも腕は筋肉がとてもついていて、足はしなやかで強そうだ。
「わたしの手に触れるといい」
わたしは彼に両手をだした。彼はわたしの手を、おそるおそる握った。わたしは両手の指に癒しの光が満ちるように念じた。光は届いたようだ。かれのひびわれた手はすべすべとしたきれいな肌になった。
「おまえ、神さまか?」
「そうではない。神を探しているんだけれど…」
「そうか。おまえ、生きた人間だな。どっかから、魂だけこっちに来てるんだな」
ああ、この子にも、シャーマンの血が流れているかもしれない。
それなのに、血を流し、汗をながして…。大地に根付いている。
わたしも、ただの獣としてこの地に生まれ、何も考えず食べ、生殖し、また食べられる連鎖の中で生まれたなら、何と幸福であったのだろう。
与えられることによって生まれる虚無を満たすためにどれほどの血が流されたのだろう。
わたしたちは、ほんの少しの糧をみずからの力で得て、何の優劣も考えずに大地を走ってゆけばよかったのではないのか。
亡霊たちの嘆きはこだまする。皆、この少年が慕わしく、いとおしく、それが故に悲しみはいや増すのだ。
「わたしの名はアヤネ。わたしはただ、生きているだけの、夢見るだけの存在。あなたに会えたことを嬉しく思う」
ああ。
夢が醒める。体力を使いすぎたようだ。わたしの体は透けていく。
灰色の、空に、溶ける。
目を覚ますと、タカギシが心配そうにわたしをのぞきこんでいた。
「どうしたの?アヤネ」
優しい彼の目が動揺している。心不全を起こしかけたのだという。
「希望は育っている。人は裁きの日から逃れた」
わたしはそう、彼につたえた。
汚染をものともしない健やかな肉体を持った、幼い希望の命を見た。彼のような子供は増え続けるだろう。ただ生きることだけを考えて生き、死んでゆくこと。食べること。食べ物を得ること。命をはぐくむことにすべてを傾けて生きてゆくことだろう。
ああ、命は美しい。
神はいない。人はそれを知っている。でも父祖が持つ、風の声をきき大地と対話することの喜びを感じて力強く生きてゆくだろう。悲しみを糧として、喜びの光を見出すだろう。
そして、それから数日経ったある日、わたしはついに夢を見ない眠りについた。土に還ることを祈りながら。