表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/28

008. 契約破棄魔術


「本当に、よろしいのですね?」


 イリスのお姉さんであるアルテミスさんが、申し訳なさそうに問いかけてくる。

 豪華なベッドの側に立った僕の隣では、アルテミスさんが控えていた。イリスやレンさん、そしてミチードは数歩下がった位置にいる。

 なんでも呪術の暴走や万一の時に備え、一番魔力の強いアルテミスさんが立会人として控えることになったようだ。


 よろしいのか、と問いかけられても答えは決まっている。

 イリスの信頼を受けたのだ。もう後には引けない。


「大丈夫です」

「……すみません、巻き込んでしまって」


 ぽつりと、周りには届かない声の謝罪は、しかし僕には必要ない。

 この世界に召還されたことが、たとえイリス達の願いの結果だったとしても、今、この場にいることを決断したのは、僕だ。

 巻き込まれたと被害者面するつもりもないし、そんな気にも全くならない。

 むしろ、イリスの力になりたいと心から思えている。

 そして何より、イリス達をそこまで追い詰めたミチードに対する怒りがある。

 謝るべきなのはイリスでもアルテミスさんでもない。ミチードだ。


「気にしないでください」


 笑顔で頷いてみせる。

 僕の笑顔は、実は結構評判が良い。

 格好良いとかではなく、アニメのキャラクターのように顔面全体が笑顔になるようで、見る者をホッとさせるようだ。

 相手が沈んでいる時とかは、この顔に生まれて良かったと思う。

 そして、それは今もだ。

 笑顔を上手く作れていたのか、つらそうな顔をしていたアルテミスさんは少し口元をほころばしてくれた。もしかしたら、ただ顔が変だっただけかもしれないが、それはそれで結果オーライだ。


「では、始めます」


 一つ大きく息を吸い、心を落ち着ける。目の前のベッドには、二人の男女が身体を寄せ合い、深い眠りについていた。


 男性の方は、まさに偉丈夫と呼ぶに相応しい。

 年齢は四十程だろうか。艶のあるイリスに似た濃色の髪と、鼻下から顎まである髭が長く綺麗に流れている。

 数年間寝たきりという話を聞いていたが、そうとは思えない立派な体格の持ち主だ。


 隣で眠る女性は、美しい人だった。

 アルテミスさんと同じ髪の色だが、薄くウェーブがかかっている。

 細く華奢な身体は大きな曲線美を描いており、見ているこちらが気恥ずかしくなるほどのプロポーションの持ち主だ。ふくよかな双丘がかすかに上下しているが、それがなければ精巧なフランス人形を思わせる美しさをもっていた。


 すぐにでも起きてきそうな雰囲気をもつ二人だが、しかしその身体からは何か不穏を感じる。

 正確には二人を包み込む空気が、違和感を漂わせているのだ。


 ――コレが呪い、か。

 ここまでの道すがらでイリスやレンさんから教えられてきたことを思い返す。


 呪い――呪術という魔術は、他の魔術と同様に、術者の魔力を用いて発動するものだ。

 だから、必ずそこには魔力の動きが在り、それを断ち切ることができれば呪術を解き放つことができる。断ち切り方は、ただ一つ。自分の魔力をぶつけるだけ。

 

 言葉で言えば簡単なようだが、今まで全く魔術や魔法といった存在から離れていた僕からすれば、何をどうすればいいのかさっぱりな話だ。

 だが、イリスはこう言った。


『自分を信じろ。魔術とは、己の信念により世界の事象を改変する奇蹟だ』


 信じる力――心の力が強ければ強いほど、魔術は力を増す。奇蹟を起こす。

 だから。僕はまだ自分の力を信じることはできないけれど。イリスなら信じられる。

 会ったばかりの僕に、真剣な眼差しで、全幅の信頼をこめた眼差しで、僕に笑顔をくれたイリスの言葉なら、信じられる。心の底から信じられる。


 ――いくぞ。

 心の中で、自分に活を入れる。上手くできるのかという危惧や失敗したらどうしようかという不安は全て呑み込む。

 僕のもつ【精神適応】というスキルがどれほどの効果は分からないけれど、今だけは負の感情(ネガティブ・イメージ)は消してくれ。

 集中。

 余計なことは全て消す。頭の中にあるのは、教えられたイリスの言葉だけで十分だ。


『"呪い"を目の前にした時、おそらく違和感を感じることができるはずだ』


 うん。このもやもやとした感覚で二人を包み込んでいるナニか。これが違和感だ。


『本来はそれを"視る"ためには、とても複雑な術式と魔力が要るのだが。おまえなら、個体識別情報票アイデンティファイ・カードを出した時のように、ただ願えばいい』


 念じる。この違和感の正体を視たいと。それが何かを明らかにしたいと。

 瞬間、自然にどう理解すれば良いかが頭に浮かんでくる。同時に響く鈴の音。


  ――スキル【解析パルス】を獲得しました。


 再びスキルを修得したようだが、それは今は置いておく。

 今は状況に役立つものだということさえ分かっていれば良い。

 現に先程よりもどうすれば良いかがより明確に理解できている。

 まるで、身に染みついていた動作のように、"方法"を意識することなく身体が動く感じだ。喩えるなら、箸を使って食事を摂る動作のように。鉛筆を使って文字を書くかのように。違和感が具現化する。


 先ず感じたのは、一瞬の強烈なイメージ。

 それがだんだんと形を形成していく。

 それは、鎖だった。

 太く、ごついリングが連なっているそれは、凝固した血のように赤黒く、ところどころに血痕のように黒い模様が付いている。

 黒光りするおぞましい鎖となって幾重にも二人の身体を締め付けていた。

 ここまで鎖が巻かれていると苦しいはずなのに、二人の表情は落ち着いたままだ。

 その異常さに、背筋がぞくりとする。


「これが……呪い」

「ッ!? まさか、視えるのですか?」

「え、あ、はい。太い鎖がぐるぐると巻かれている感じです。これが呪いなんですね」


 僕の呟きが聞こえたのか、隣に控えていたアルテミスさんが驚いた表情で息を呑んでいた。


「す、凄い……いえ、今はそれより――その鎖は、どんな鎖ですか? 形でも色でも何でも構いません。分かる限り教えてください!!」

「えっとですね。形はですね、一つ一つが太くごつい、そうですね僕の腕くらいの太さのリングが連なってできているチェーンみたいのものです。色は全部赤黒いんですが、艶があるというか黒く光っている感じです」

「鎖……赤い……何かリングに刻まれていませんか? 文字とか画とか……」


 文字とか画とか……。赤黒く光るそれに視線を集中させる。血痕のような紋様が微かに、ぞわぞわと動いていた。

 蛇だ。小さな蛇が重なり合い、血痕のような模様になっていたのだ。


「蛇が……生きている?」

「蛇――」


 ひっ、と小さく息を詰めるアルテミスさん。口元を手で覆い、青ざめているその尋常ではない様子だ。

 思わず大丈夫かと口を開きそうになるが、その前にアルテミスさんが口を開いた。


「う、嘘……【輪廻の狭間へ導く連環(グリム・リーパー)】だというの……」

「グリム……リーパー?」


 初めて聞く単語に戸惑ってしまうが、どうやら周りにとってはそうではないようだ。


「そ、そんな……死に至る病……【輪廻の狭間へ導く連環(グリム・リーパー)】……だと……!」

「ま、まさか、そんなはずは……!」


 アルテミスさんの独白に、イリス達の悲鳴に近い慟哭の声が響く。


「ちょ、ちょっと待ってください。何なんですか、その【輪廻の狭間へ導く連環(グリム・リーパー)】っていうのは?」

「……私たちが呪術を調べていく中で見つけた、古代文明の失われた秘術です……一見、健康な姿のままなのですが、ゆっくりと確実に死が迫ってくる呪い。輪廻を司る蛇神オロチの力による呪いのため、治癒することも、その呪いを解くことも不可能だと言われている……死の病です」


 死の確定。その言葉が、脳裏にこだまする。

 呪いを解除することを、簡単に考えていたわけではなかった。

 だが、今、僕が直面しているのは、二人の生命に直結する恐ろしい呪いだ。


 死は、僕にとって身近なものではなかった。これまで祖父や祖母、何人かの友人の死に直面したことはあった。

 それでも、彼らの死と僕の行動が直結していたことはなかった。

 しかし、今、この状況は僕の行動次第で、二人の生命の行方が決まってしまう。いや、決まりはしないかも知れないが、確実に大きな影響は与えるのだろう。


 ――どくん。

 心臓が、高鳴る。この世界に来て、初めてイリスやレンさんと向かい合った時と同じだ。いや、違う。そのときの僕とは、今の僕は違う。


 ――どくん。

 離れた位置で、青ざめてもなお気丈に、強く、光を決して失わない瞳で僕を見つめているイリスと視線が絡み合う。

 その眼差しに、どんな想慕おもいを込めているのか、今の僕には分からないけれど、伝わってくるのは信頼。

 こんな恐ろしい呪いを前に、それでも僕なら何とかできると思っているのか。信じているのか。


 ――どくん。

 そうならば。応えるしかないだろう。

 おまえなら出来ると言ってくれた彼女の言葉を信じるしかないだろう。


『魔術とは、己の信念により世界の事象を改変する奇蹟だ』


 僕が、決められた死を、覆してみせる。


「――契約破棄魔術キャンセレイション


 自然と、言葉が出た。その言葉が詠唱となり、二人に纏わり付く鎖を断ち切る刃となる。


 僕が教えられたものは、自分の魔力で、呪術の術者が構成した魔術を打ち砕く力技だ。

 魔術は、魔力を術式に変換し、定められた世界の事象に改変を行うと、世界と契約することだという。

 逆に考えれば、世界事象への改変――この場合で言えば、イリスの両親を呪いの状態にしているということ――のためにはそれを維持し続ける魔力が必要であり、その魔力を別の魔力で上書きしてしまえば、改変を維持することが出来なくなり、魔術を消すことが出来る。

 これが契約破棄魔術キャンセレイションというものらしい。


 魔術や魔法についてほとんど知らなくても可能な方法。

 僕にでもできる可能性がある唯一の方法だ。


 鎖を断ち切る。いや、それでは生ぬるい。跡形もなく、粉々にしてやる。

 そんな想いとともに、具現化した鎖を握りしめた。

 本来はそこに無い鎖は、ひんやりとだが心臓の鼓動のように熱く、揺れていた。

 瞬間、嫌悪感や不快感といったネガティブなイメージが流れ込んでくる。まるで手を離せ、と叫ぶ獣のようだった。

 だが、それだけだ。

 手に力を込めることに、一切の抵抗を感じない。身体の奥から感じる熱い塊を、握りしめた手に流し込む。

 血が流れるように、自然にその熱い塊も握った手の中に流れていった。


 ――これが、魔力なのか。

 熱い、光の渦が身体の中を駆け巡る感覚。それを感じたのは一瞬。だが、それだけで十分だった。


 ぱきん。と鉄と鉄が跳ね合う、一際甲高い音が響き、鎖は簡単に断ち切れた。

 握っていた折れたリングの欠片はぼろぼろと崩れ落ちる。

 ウイルスが浸食していくように、連なっていたリングは僕の手にあったリングを中心に、黒く変色し蒸発するように消えていった。


「まさか……成功したのですか……?」


 鎖そのものは見えなくても、呪いの元凶たる魔力を感じることは出来ていたのだろう。

 アルテミスさんが、呆然とした表情で問いかけてくる。

 二人を縛り付けていた鎖はきれいになくなっていたが、ここまで簡単に成功するものなのだろうか。

 この国の魔術師が総出で試みてもダメだったと聞いていたため、こんなにあっけなく終わってしまったことで逆に不安になってしまう。


「あの、魔力はなくなってますよね?」


 呪術には必ず魔力が取り巻くという。

 だから、呪術を構成していた魔力がなくなっていれば、それは成功といえるのではないか。

 とりあえず、自分が感じる範囲では二人を取り巻く違和感はきれいさっぱり消えていた。しかし、魔力を感じる術を僕は知らないので、確実とは言えない。


「え、ええ。確かに感じられません……凄い……本当に……信じられないっ!」


 今目の前で起こったことが信じられないのか、アルテミスさんはぽかんとしている。

 開いた口がふさがらない表情とはこんな表情を言うのだろう。しかし本当に美しい人は、そういう唖然とした表情でも美人なままなのだな、と場違いな感想が浮かんだ。


 呪術解除という成果を実感し始めたのか、アルテミスさんの言葉の一つ一つに次第に熱がこもってきて、表情は歓喜に染めらる。

 その一言で、ほっとする。どうやら無事に成功したようだ。


「ヒロユキ!! 姉様!!」


 イリスが満面の笑みで――それでも、本心は不安だったのだろう。

 その分喜びが爆発したのか、瞳を輝かせ、天に舞い上がるかの勢いで飛びこんできた。僕ではなく、アルテミスさんに。

 いや、分かってはいたけどね。

 アルテミスさんはしっかりとイリスを抱きしめ、姉妹で喜びの涙を零す。二人のその姿は本当に美しく、成功してよかったと心から思えた。


 端然とした落ち着いている雰囲気の姉妹だと思っていたが、どうやらまだ年相応の可愛らしい女性なのだな、と抱きしめあいながら喜びあう二人を見ていると、ぽんと肩を叩かれた。

 振り向くと、少し瞳を濡らしているレンさんが親指を天に突き出し(サムズアップ)していた。

 言葉を発さないのは、イリスとアルテミスの喜びを邪魔しないため、か。

 ここまでイリスのことを考えているのだな、と少し感動し、それに応えるため会釈だけを返す。


 そして、目に入った。

 敵が――ミチードが口元を歪め、イリス達を眺めていた。

 端正な顔つきが、醜く歪んでいる。その表情は、喜悦だ。


 ――なぜだ。

 疑問が浮かぶ。

 もし、この呪いの主犯が本当にミチードであった場合、ここでの呪術解除は望ましい結果ではなかったはずだ。

 この場面で喜びを表すということは、ミチードの犯行ではないということなのか。


「……クク」


 僕が眺めていたことに気づいたのか、ミチードがこちらを向く。

 濁った蒼い瞳と、視線がぶつかる。確かに、ミチードが嗤った。

 そのかすかに響いた嗤い声に、ぞくりと背中が凍る。


「まさか……」


 呪いは、解けていないのか。

 だが、確かに呪いを構成していた魔力は消えたはずだ。では、どうして、二人は目覚めない。


 慌ててベッドに横たわる二人を視る。

 一度、呪いを視ているからか、そのやり方は既に僕の中で自然にあるものとして認識されていた。

 だから、【解析パルス】スキルを使わなければならないこと、そしてそのスキルをどう使えばよいかも理解出来ていた。


「……そんな」


 【解析パルス】スキルの結果を視て、愕然とする。

 こんなことがあっていいものか。


 喜び涙を零す二人を見る。その幸せそうな表情が胸をえぐる。

 僕の異変に気づいたか、二人が怪訝な表情で、不思議そうにこちらを見てくる。こんなことが許されてもいいのか。


 知らず知らずのうちに、拳を握りしめていたようだ。

 爪先が血に染まっているのが、見なくても理解できる。悔しさか無念さか申し訳なさか。今の自分の気持ちを言葉で表現することは出来なかった。

 だが、一つ言えることは――。


 パンッと、掌を叩く音が響いた。ミチードだ。


「どうやら、呪術の解術に――失敗したようですね!」


 そう。僕は、失敗したのだ。


感想ありがとうございます!

嬉しくてモチベーション上がりまくりです(*´ω`*)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ