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007. 戦いの始まり


 赤い絨毯の敷き詰められた階段を駆け上がる。

 その絶妙な柔らかさを体現している極上の生地の感触に、靴を履いたままで本当に大丈夫なのか、少し不安になる。

 目の前を軽く疾走はしるイリスとレンさんが革で作られたブーツのような靴を履いているので大丈夫なのだろうが、やはり日本人として室内の土足には抵抗があった。


 無骨な物ではない美しく飾り立てた鎧を身に纏った兵士や、レンさんの服よりもよりスカートのふりふりや装飾が多いメイド服の女性、立襟のベストに襞の付いた胸の飾り(ジャボ)を付けた貴族のような服装の中年の男性、華やかなドレスの女性。

 すれ違うたくさんの人が驚きの顔でこちらを見てくるが、おそらく僕も同じような顔をして彼らを見返していただろう。

 この城もそうだが、そこに存在している人たちを見ても、本当にファンタジーな世界にやってきたのだと感動する。ここまで来ると心細さよりも、むしろ驚きと感動でわくわく感が半端ないことになってきている。

 どうやら、来て半日も経ってはいないだろうが、この世界にハマリつつあるらしい。この気持ちは、待ちに待ったゲームを始めて、思った以上の感動にどんどんゲームにのめり込んでいくあの感覚に似ていた。


「こっちだ、ヒロユキ」


 イリスの案内でどんどん奥に進む。何度か階段を登り、いくつかの豪華で重そうな扉をくぐりぬけ、極上の絨毯が敷き詰められた廊下を進んだ先には、屈強な兵士が二人立つ一際絢爛な扉があった。


「イリス様!」


 『樹の門』にいた見張りよりもベテランなのか、明らかに強そうな兵士が槍を掲げ胸を張る。

 この世界に来てから何となくだが、「強さ」というか「もっている力」というか、見た目ではないその人の戦う能力がどの程度なのか伝わってくる。

 扉の左右に立つ二人の兵士を見比べてみると、向かって右の人の方が筋肉隆々で体格も良いが、左にいる少し柔らかい表情をしている小さい人の方がなぜか「強く」感じる。

 明らかに元の世界にいた頃の僕だったら、見た目で右の人の方を「強い」と思っていたはずだ。果たして本当にその感覚が正しいのか分からないが、おそらく間違いない。不思議なほどに自分の感覚を信じられる。


「特別皇国令第十二条に従い、アスガルディア皇並びに皇妃の解術を試みます。術者はこの者、ヒロユキ・シバタ。身元保証人は皇国令に従い皇族であるわたくし、イリス・シャナ・アスガルディアです」

「結構です。それでは、こちらにご記帳を」


 堂々と宣言するかのように述べるイリス。

 しかし、扉の前に立つ兵士もさすがのもので、そのイリスの威厳ある姿に呑み込まれる事なく受け応えている。

 柔らかい表情の兵士が傍らに置いていた芳名帳のような厚い冊子を開きながら差し出してきた。


「う……む?」


 それに書き込もうとしたイリスの手がぴくりと止まる。

 落ち着いていたお淑やかなお嬢様の表情が、剣呑としたものに変わる。その雰囲気の変化にレンさんも気付いたのか、疑問を浮かべる。

 何か言葉を発しようとしたレンさんの機先を制するように、イリスがぽつりと呟いた。


「いつからいらっしゃるのですか?」

「……およそ三十分程前です。おそらくイリス皇姫をお待ちかと」


 その言葉だけで通じたのか、柔らかい表情をやや歪めつつ申し訳なさそうに兵士が答えた。

 イリスは冊子に何か書き込みその兵士に返すが、表情は厳しいままだ。そのやり取りで察するものがあったのか、レンさんも表情を強張らせる。


「まさか、イリス様……」

「……おそらくヒロユキの魔力を誰かが感じ取って伝えたのだろう。すぐに隠蔽結界を張ったとはいえ召喚時はだだ漏れだったのだ。さすがにここまで大きな魔力だと距離が離れているとはいえ、感じとられてもおかしくはない、か」

「あ、あの……もしかして、なんか僕のせいで不都合なことになっていたりするの?」


 半眼で呆れたように見てくるイリスとレンさんの視線に、たじろいでしまう。

 そういえば、道中に「魔力を留める術をしらないのか、貴様は」と「その嫌味ったらしい魔力に酔ってしまう。いい加減にしろ」とレンさんに理不尽に叱られたが、それと何か関係があるのか。

 だが、あの時はイリスが魔力を感知されにくくする『隠蔽結界』というものを張ってくれてもう大丈夫と言われたが、大丈夫ではなかったのだろうか。


「仕方ない、どのみち立ち塞がってくる相手だ。ヒロユキ、本当にすまないが頑張ってくれ」

「え、え、すまないのも頑張るのも別に構わないけど、どういうこと? 相手って?」

「待ち構えているのは、ミチード・ユダチ。わたし達の、敵だ!」


 イリスが厳しい声で「敵」の名を吐き捨て、重厚な扉を開け放った。


 扉の内側は、廊下よりも明るい光で満たされていた。

 廊下と同じようにしっかりと絨毯が敷き詰められたその部屋は、かなりの大きさだった。青空が見える大きな窓は、うっすらとしたレースのカーテンで覆われ、淡い陽光が差し込まれている。

 天井には豪勢なシャンデリアと、そこからの光を反射させる鏡のような小さな板が煌びやかに自己主張していた。左右をみればいくつかの扉が見える。

 部屋の中央には大きなアンティーク調のベッドが一つ置かれていた。ホテルにあるダブルベッドよりもさらに一回り大きいヘッドボード。宝石がいたるところに輝いている天蓋は、さすが皇様のベッドだと納得の逸品だ。


 そして、そのベッドの手前には二人の男女の姿があった。

 銀髪の長髪が輝く端整な顔つきの男は、絢爛な西洋の鎧を気障キザっぽく着こなしているが、それが異様に様になっている。

 まさに僕の想像している『騎士』を体言しているような男だった。腰に掲げた剣の鞘についている宝石がキラキラと眼に痛い。イケメンってこういう人のことを言うんだろうな、と納得できる男だった。

 だが、自信に溢れているのか、こちらを見てくる視線には蔑みを感じる。

 口元も皮肉気に歪んでおり、第一印象は最悪だ。

 人を外見で判断することは非難されることかもしれないが、僕の中でこいつは『敵』と認識された。そもそも格好いい男は基本『敵』である。


 その隣にいるのは、寂しげな表情の女性だ。

 歳はレンさんと同じ頃だろうか、優しげな碧色の瞳とくるくる巻かれている(縦ロールの)金髪が特徴的な、イリスに勝るとも劣らない美少女だ。

 今は眉をひそめ苦い顔をしているが、その憂いを帯びた表情が大人としての艶を出している。

 隣に立つ男と組み合わせれば、誰もが羨む美男美女のカップルだ。


「姉様……ミチード様、どうしてこちらに?」


 一歩踏み出したイリスが、最初に口を開く。

 どうやらこの二人が、イリスのお姉さん――つまりアスガルディア皇国第一皇女と、イリス達の敵であるミチード・ユダチらしい。

 なるほど、僕にとっても『敵』という言葉が相応しいようだ。あの馬鹿にしたような眼が、本当に頭にくる。


「皆さんには、<生命と知恵の樹(ユグドラシル)>の魔力の揺らぎと説明しておきました。彼の魔力は、とても似ているから」


 穏やかな風のそよぎを感じさせる、涼やかな声がイリスに応える。

 質問の答えとして噛み合っていないようだったが、イリスは納得したようだった。


「やはり、ヒロユキの魔力は伝わっていたのですね」

「ええ。神鷲フレースヴェルグを怒らせたのかと、皆さん慌ててたわ。私もイリスが<黄金の林檎>を手に入れるため<生命と知恵の樹(ユグドラシル)>へ挑むという置手紙を見ていなければ同じようになっていたでしょう」


 そこで少し笑顔になるお姉さん。その微笑みは薄かったが、イリスに対する確かな愛情を感じるものだった。

 イリスとお姉さんにそこまで年齢差はなさそうだったが、どこか、悪戯をする子どもに対する母親のそれに似ていた。


「成功したのね、イリス」

「いえ、姉様。<黄金の林檎>を手に入れることは出来ませんでした。しかし、可能性を――神鷲フレースヴェルグから"希望"を頂くことは出来ました」

「そう。彼が"希望"なのね」


 碧色の瞳が、僕を捉える。

 その穏やかそうな瞳に隠れる強そうな意志の光は、イリスと似ていた。やはり姉妹なのだと納得できる。


「はじめまして、アスガルディア皇国第一皇女アルテミス・シャナ・アスガルディアと申します。この度はこの国のためにご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「あ、いえ、すみません。シバタ――じゃなくて、ヒロユキ・シバタといいます。力になれるかどうかは分かりませんが、精一杯やってみたいと思います」


 優雅に腰を折り、頭を下げてくるお姉さん――アルテミスさんに慌てて自己紹介する。

 丁寧に挨拶されると、どう対応したら良いのか慣れていないためにいっぱいいっぱいになってしまう。

 だから何も悪くないはずなのに、つい「すみません」なんて言葉を使ってしまう。つくづく日本人だ。

 そんな僕の動揺をほかに、イリスが再び一歩踏み出す。


「聞いてください、姉様! 彼ならば――ヒロユキならば、きっと父様と母様を助ける術を……その可能性を紡いでくれる――」


「困りますね、イリス皇姫。そのような素性のはっきりしない者を、この神聖なる皇居に招き入れるなど。不敬罪を問われてもおかしくないですよ」


 凍てついた氷河のように冷たい声が、イリスを遮った。

 嘲笑を顔に貼り付けた男――ミチードだ。

 腕を組み、挑戦的な瞳でイリスの眼前に立つ。明らかに小馬鹿にした口調は、挑発のつもりだろうか。


「これはミチード様。まさかミチード様ともあろうお方が、特別皇国令第十二条をご存じないのでしょうか?」

「ほう、十二条とは。まさかとは思いますが、そこの薄ら汚くみすぼらしい方が皇夫妻の呪いを解くとでも?」

「あら、これほど素敵な男性を"みすぼらしい"とは。ミチード様はもっと人を見る目があると思っていましたが、私の思い違いだったでしょうか」

「いえいえ、私など未熟者ですから。イリス皇妃のように自由に男を連れ込む阿婆擦れのような敢闘精神をもってみたいものです」

「ふふふ。外見を蔑むことしかできない低能なお方には敵いませんわ」

「ははは。名は体を表すとも言いますがね。少し難しい言葉でしたか?」

「そうですね。ヒロユキの力を感じ取ることすら出来ない方が使う言葉は、確かに難解です」

「――二人とも、いい加減になさい。お客人の前ですよ」


 イリスとミチード。

 お互いがお互いに敵意を剥き出しにしているその姿は、二人の因縁がとても根が深いことを如実に語っていた。

 その体現である小学生の口喧嘩のような応酬は、アルテミスの険のこもった一言で終わりを迎えた。

 今までのおふざけのような空気は一変し、ぴんと張り詰めた緊張感が場を支配していた。どうやらイリスの言葉に、ミチードの心意を抉る何かがあるようだ。


「まあ、いいでしょう。戯れはここまでです。ヒロユキ、といいましたか? 本当にそのような力があるのか疑わしいものですね」

「わたしには、ヒロユキからとてつもない力を感じています。彼ならば、きっと新しい希望を見つけ出してくれると信じています」

「私には到底信じられませんね。皇国魔術師ロイヤル・ウィザードによる彼の素性調査や魔力判断を行ってからの施術で、いいのでは?」

「以前、それを待つ間に不幸な事故が起こった事実をお忘れですか?」

「二度とそのような不幸な事故が起こらぬように、私が全責任をもって対処いたしますよ。ご安心ください」

「確か、その事故もミチード様の配下の者が担当なさっていたときのことだったと記憶しているのですが」


 再び、互いの言葉に火が灯り始める。端で聞いていたアルテミスさんは額に手をやり、こっそりため息をついていた。

 しかし、なぜミチードはここまでイリスを挑発するような言動をするのだろうか。

 イリスのことが嫌いとか、そんな感じのことではないようにも感じる。何か、全く別の狙いがあるような、嫌な感じがするのだ。


「先程から、まるでミチード様はヒロユキが解術を行うことを認めたくないような素振りですが、解術をすることに何か不都合でもあるのですか?」

「これは奇なることを。私とて、一日も早い皇夫妻のご回復を願っている一人です。しかし、仮に彼に力があるとして。果たして彼は本当に益なる力となるのでしょうか?」

「……それは、ヒロユキが父様と母様を害する刺客、と仰りたいのですか?」

「残念ですが、その可能性は捨てきれません。可能性が捨てきれない以上、許可することはできませんね」

「あなたの許可など必要ないと思いますが?」

「イリス皇姫。特別皇国令第十二条の附則をお忘れですか? 皇族からの反対があった場合、施術者の調査を求めることが出来る、と。この適用により、調査が終わるまでの間は解術の施術は停止されます」

「ミチード様。貴方こそお忘れなのですか。その附則には続きがあるでしょう。"但し、皇族同士の齟齬があった場合、皇女の責任において許可することを例外的に認める"と」

「ほう。つまりイリス皇姫。あなたは彼の解術に責任を負われるということですか」


 瞬間、背筋がぞくりとする。

 ミチードが初めて皮肉気な嘲笑めいた笑みを消し、心から愉快そうな歪んだ笑みを浮かべたのだ。

 そこで気づいた。これがミチードの狙いだ。

 おそらくミチードは呪術が解けないと確信している何かがあるのだ。だからイリスの責任の元に解術をやらせるように誘導し、彼女を嵌める。

 イリスがミチードを敵と認識しているように、ミチードもイリスを敵と認識していた場合、この状況はイリスにとって絶対的な危機ではないのか。


「ま、まって、イリス!!」


 慌てて、イリスを止めようとするが。僕の制止に、イリスは笑顔で振り向いた。


「分かっている、ヒロユキ。だが、大丈夫だ」


 堂々と、信頼しきった瞳で、頷いてみせるイリス。

 どうして、イリスはそこまで僕を信じてくれるのだろうか。僕にそんな力が本当にあるというのだろうか。

 のしかかってくる重圧プレッシャーに、脚が震える。


「いいでしょう、ミチード様。わたしの責任において、ヒロユキに解術をさせることを宣誓します」

「ほう! そこまで彼を信じているというのですか! ならば、皇夫妻が目覚めなければ、貴女方には責を負っていただかなければなりませんね」

「なっ!? ミチード様、それは――」

「黙りなさい、レン・ラブリーバー。ここは、貴様の出る幕ではない」

「待ちなさい、ミチード。第十二条に解術失敗に責はないと明記されています。貴方の主張は公正さに欠けると判断します」

「いえ、アルテミス皇姫。確かに解術失敗の責については理解しています。しかし、それは適切な調査の後の施術であった場合に適応されるもの。その調査を拒否し施術するのでしたら、第十二条は不適用となりましょう」

「だからといって、目覚めなければ即失敗とは、いささか乱暴ではないでしょうか?」

「そうは思いません。我らには、彼が解術を行うふりをして逆に"呪い"を深める術をかけたとしても、それを判別することはできないのですから。目覚めなければ失敗とし、責を負っていただく覚悟で臨むのは当然かと」

「それは……」


 さっきまで僕にはそんな力はないと断言していたにも関わらず、今度は呪いを深める力はあると。

 明らかに無理矢理な論法だが、こちらがその調査――おそらく僕の素性を調べるという調査を拒否している以上、強く出られないのか。

 そこを理解しているからこそ、ミチードは強気でいれるのだ。

 正直、腹が立つ。

 先ほどまで感じていた重圧プレッシャーが薄れていく。そして――。


「いいのです、姉様」


 にっこりと。僕に向かってイリスは可憐な笑顔をみせる。

 絶対的な信頼と覚悟が入り混じった、意志の光を宿す瞳は、僕の心に確かな"強さ"を与えてくれる。

 気付けば、脚の震えは消えていた。絶対に成し遂げてやりたい気持ちがあふれてくる。


「改めて宣誓しましょう。アスガルディア第二皇女イリス・シャナ・アスガルディアの名において、ヒロユキによる解術を行います!」

「よろしいでしょう! 貴方もそれでよろしいか?」


 嬉しそうにミチードが問いかけてくる。

 思惑通りの展開に喜びが隠しきれないのか。

 いいだろう。絶対に、後悔させてやる。


「やります!」


 だから、強く、頷く。

 この世界に来てから初めての戦いが、今、幕を開けた。


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