006. 呪 術
やっとたどり着いた皇城は、質実剛健な様だがどこか絢爛さのある優美な城だった。
要塞としての機能を持つであろう無骨なつくりの城塞に、華美な細工が至る所に見て取れる。
この城にはいくつかの門があるらしいが、今回僕たちが通ったのは『樹の門』と呼ばれる、どちらかというと裏門のようなところだった。
名前の通り、基本的には<生命と知恵の樹>のところに行くための出入り口の機能しかない。しかし、城と樹のある草原とを繋ぐ廊下には、いくつもの魔術的な防衛装置があるらしい。
廊下を走っていると薄い膜のようなものを突き破る感覚や、視られている感覚が何度かあったが、それがそうなのだろう。
『樹の門』の入り口には一応といった形で小さな小屋があり、そこには門番という役割で城の若い兵士が二名在駐していた。
赤に近い茶色い髪の背が高い青年と、緑色の髪のこじんまりとしたふくよかな青年だ。
どちらも僕より歳は若そうだった。槍を腰に掲げながら二人向き合い、何事か談笑していた。
門を抜けてきたイリスを見つけた二人は即座に姿勢を正し、右手を斜めに頭上にもっていき、おそらく敬礼だろう姿勢を取る。
そんな二人に頷いて見せたイリス。さらにはレンさんが「ご苦労様です」と暖かい声をかけ、二人の顔が赤く綻んだ。
その反応を見るにどうやらこの二人、レンさんのファンらしい。張り切ったようにハキハキと「頑張ります」と宣言する姿には好感を覚える。
上司を心から敬うことって大切だよね、と頷きながら僕も二人の間を通り抜ける――前に、兵士たちが持っていた槍が、僕の身体の前で交差した。槍と槍が小さく跳ね合い、金属音が響く。
「待て、お前どこから入った!?」
「この聖域に無断で侵入とは、不埒な奴め!」
さっきまでののほほんとした表情は完全に消え失せ、敵意丸出しの視線で僕を睨めつけてくる。
僕よりおそらくは年下なんだろうけれど、ひょろいのとどんぐりかと思っていたが、よく見れば程よい筋肉が付いているガタイの良さ、さらには射るような厳しい目つき。明らかに人と争うことへの経験値が違う。完全にビビってしまう。
「い、いえ、あ、あの」
だから、とっさの返答も上手く言葉が出てこず、怪しさだけが募っていく結果となった。
二人の兵士が視線を交わす。どうするこいつ、応援呼ぶか、そんな手間かけなくてもここへの侵入は即処刑がルールだろ、やっちまうか、第一レン様とイリス様の後ろを追うとかその時点で死刑だろ。そんな小声の相談が聞き取れてしまう自分が怖い。
「矛を収めよ!」
「え、れ、レン様!?」
しかし、助けに入ってくれたのはレンさんだった。急な怒声に、二人の見張りはビクッと体を震わせる。それでも槍を抱えたままの姿勢は崩さず、レンさんの言葉の意図を探ろうとする気配は立派だ。
「このお方は、わたしのお客人です。安心してください」
「は、はっ!」
トドメとばかりに、イリスの鶴の一声で、若い兵士たちは槍を下げ道を譲ってくれた。なぜか令嬢のような丁寧な言葉を使っているイリス。
もしかしたら、外面を使い分けているのかもしれない。
確かにいつも丁寧な言葉遣いだと疲れるのかもしれない。逆に僕に対しては砕けた言葉で接してくれているということは、いくらかは心許してくれている部分があるのかと思うと嬉しくなる。
そんな小さなことで喜ぶなんて単純な男だと、自分でも苦笑いだ。
衛兵達にありがとうと一声かけ、イリスたちを追いかける。
守られている自分に情けなさを感じないでもないが、こればかりは仕方が無い。適材適所だ。僕の出番はもう少し後になる。
この城に辿り着くまでにイリスたちと交わした会話を思い出しながら、赤い絨毯が敷き詰められた階段を駆け上がった。
■
「眠りから目覚めない?」
城まであと少しというところで、僕がどうイリス達の役にたてるのか、彼女たちの願いとは何なのかを質問したところ、返って来た答えはこの国の皇とその后――つまりはイリスの両親――が、数年前突如として眠りから目覚めないという『呪い』を罹ったという衝撃的なものだった。
突然起こった事件に、この国が抱える皇国魔術師や施療術師、回復術師、治癒術師、祈祷師達が原因を探っていったところ、最初は未知の病ではないかという疑いが持たれた。
しかし、眠りから覚めないという異常な状況ではあるものの、健康状態は良好であること、他の者に感染しないこと、そして何より皇夫妻を取り巻く異様な魔力を感知したことから、最終的に人為的な呪いであると結論づけられた。
そもそも呪いとは、応用魔術の一つ"らしい"。らしい、というのは、実は僕はまだ魔法についての説明をほとんど受けていないから、よく魔法や魔術について分かっていないからだ。
どうやら魔法と魔術――名前は似ているが全然別物らしい――の構造は複雑で、説明するのにも時間が結構かかるようだ。だから詳細については後日落ち着いてからゆっくり教えてもらうことにして、今は関係のありそうなところだけを掻い摘んで説明を受けた。
呪いは術者の魔力を使い、術を使った対象に負の心身異常を与える魔術らしい。
呪術とも言われるこの魔術は、直接的な手段を介することなく不幸や厄災をもたらす術で、最悪人を死に追いやることも出来るそうだ。
一見恐ろしい魔術だが、話を聞く限り術の強みより弱みの方が目立つ。
まず自分よりも強い魔力を持つものには効果が出ない。また呪術を継続して使い続けなければ直ぐに効果がきれてしまうらしく、それは呪術を使っている限り常に自分の持つ魔力を呪術の分だけ減らしているということになる。
呪術効果に比べて消費魔力が大きく、燃費が悪いこともあって、この術を使う者は古い文献に登場する程度で、現代にはもう遣い手はいないと考えられていたようだ。
呪いの解術は困難を極めた。
廃れた呪術に対する知識が圧倒的に足りなかったのだ。
文献をあさり、効果が見込めそうな方法があれば慎重に試すが結果は出ない。
そもそも、皇夫妻を取り巻く不穏な魔力を感知できるものの、呪術の遣い手の魔力が高いため、それの正体を把握することすら出来ていない。そのために効果的な対処法も見えてこないそうだ。
また、魔術そのものをなかったことにする魔術――契約破棄魔術もあるようだが、皇国魔術師総出での契約破棄魔術も効かなかった。
それはつまり、皇夫妻よりも強い魔術師が存在して、その呪術を使用した魔術師のもつ魔力は皇国魔術師達の魔力よりも大きいということになる。
そして明らかにこの国の皇家に対して攻撃の意思がある"敵"が存在しているということだ。
この状況に政治中枢は動揺したが、皇の代理となったイリスの姉と丞相を中心とした政治体制が上手くかみ合い、表面上は大きな混乱は出なかった。
積極的に動く外敵の動きもなく、皇の不在も国民に影響を与えることはなかった。
ただ、それはあくまでも表立った動きだけの話だ。
呪いが解術されない状況が二年、三年と続いた今、隠れ続けて大きくなってきた爆弾が破裂しそうになってきていたのだ。
その爆弾が火花を散らす前に消すこと――つまり、皇夫妻の呪いの解除か、呪術使用者の排除。これが僕に与えられた役割だ。
「そんなことが、僕にできるかな?」
正直、全く自信が湧いてこない。魔法の使い方すら知らない僕が、魔法のプロである皇国魔術師達に出来なかったことを達成することは不可能に思えるのだ。
そもそも魔法とか魔術とかを遣う相手、それもこの国の魔術師達が束になっても適わない魔力をもつ相手と戦うだなんて、とんでもない無茶なミッションだ。
自慢ではないが、僕はケンカすらろくにしたことがない平和主義者だ。生命のやりとりなんて 今はまだ、無理に決まっている。
「ふん、貴様に期待はしていない」
「もともと<黄金の林檎>の力を得ることが出来なかった場合、時機を読み首謀者を討つつもりだったのだ。ヒロユキには期待はしているが、それをおまえが気にする必要はないぞ」
そう言われても、出来なかったら凄く申し訳ない気持ちになりそうだ。一応、契約破棄魔術というもののやり方、呪術を打ち破るいくつかの方法は伝授されたが、一度も魔法を使ったこともない――そもそも魔法が本当に使えるかのさえ不透明な状態な僕に、なぜそこまで期待できるのかよく分からなかった。
しかし、イリスに期待されるということは、正直嬉しい気持ちもある。
それに犯人と直接戦うことはしなくてもいいとイリスは言ってくれていた。そこまで迷惑をかけるわけにはいかない、と。
それは多分、本心なんだろうけれど本音ではないのだろうと思う。
聞けばイリスは神鷲に逆らってでも、つまり生命を賭けてでも『力』を得たいと思っていたのだ。
その求めていた『力』をもっているかもしれない僕を使って犯人を倒したい気持ちもあるはずだ。それでも、その思いを押し込み、僕には危険のないであろう解術だけの手伝いで良いと言ってくれている。
だから、せめてその想いに応えたい。
とにかくチャレンジしてみるしか僕の取れる選択肢はなかった。
「ん? 首謀者って……犯人分かっているの?」
「あくまで判明しているのは首謀者だけだ。そいつに呪術を使う力はないから実行犯は別にいるはずだが、その正体を掴めていない。それに――この件の首謀者に刃を向けることは、最悪、国を二分する戦いになってしまうかもしれないからな」
イリスは悔しげに顔を歪める。
本当に国民のことを大切に思っているのだろう。だからこそ、国民を巻き込むことになり得る最後の一手を打つ前にできることをしておきたい気持ちが、痛いほど伝わってきた。
「その首謀者っていうのは?」
「……アスガルディア皇家、眷族の一人――ミチード・ユダチだ」
イリスの説明によると、アスガルディア皇家は、初代国皇の本流であるシャナ家と三つの分家で構成されているそうだ。
もちろん皇族として考えればさらに家族は増えていくが、皇家――つまり皇に即位することができる資格を持つ家はこの四家しかない。
基本的に次の皇は現皇の指名を受け、<生命と知恵の樹>に認められた者になるが、今のところシャナ家からしか皇は出ておらず、それが当然であると考えられていた。シャナ家を除く三家は皇にはなれないものの、政治の重要な地位に位置し国を支えていた。
ミチード・ユダチは、その三家の内の一つであるユダチ家の嫡男だった。
銀髪の長髪が輝く端整な顔つきと、自分に厳しく職務を遂行する生真面目な性格で、一部からは皇に相応しい器の持ち主と評判される男らしい。
しかし、うまく隠したその男の裏の顔は、強い自己顕示欲と独占欲に支配された黒い野心家だ。レンさんの内偵により、皇夫妻の呪い事件以後、一部の貴族と結びつき皇即位を目指しているという事実が明らかになっていた。
しかし、皇族四家の関係性から簡単には真実を明るみに出すこともできず、有効な手を打てないままジリ貧的に打つ手をなくしていったのだ。