003. 異世界の仕組み -1-
何度繰り返し見ても、その文字は消えなかった。
――【異空旅来者】
異空……異世界か。旅来という言葉を聞いたことはないが、おそらく旅人とか放浪者とかそういった意味だろうか。
もしかしたら、自分は知らない世界に迷い込んだんじゃないかとは薄々気づいてはいた。
『不思議の国のアリス』とか昔から違う世界に行くような話は多くあるから、異世界があってもおかしくはないと思う。むしろそれは夢があって面白いと思っていた。
いつか知らない世界に行ってみたいなと思ったこともある。
けれど、現実に自分の身に起きるとなると話は別だ。
現実的に考えて、生活の不安、将来の不安、そして家族や友人を元の世界に残しているという不安は大きすぎる。
だが、そんな憂慮や懸念をこの人達にぶつけても何も解決しないのも理解してしまっている。しばらく今は、そのことを気にしないようにすることにした。
「異空、だと?」
「イリス様、私にもはっきりそう見えます……初めて見ました……」
どうやら、その表記に驚いたのは僕だけではないらしい。イリスちゃんも忍者メイドさんも戸惑った声をあげている。
それも当然か。
もし、僕の目の前に「私は異世界の住人ですよ」と名乗る人物が現れたとしたらどうだろう。間違いなく、頭がおかしいのではないかと疑ってしまうだろう。
むしろ、イリスちゃん達が僕を可哀想な目で見てこないことが僥倖だ。
どうやら彼女たちは、このカードに書かれていることは真実であると思っているらしい。
「……これ、何かの間違いとかってことは?」
「それはない」
表記ミスとかカード作成者――そもそも、このカードの情報はどのように調べられ記載されているのかも全く知らないが――の勘違いといった淡い期待は、躊躇なく言下に否定される。
「そうか。そもそも、なぜこの個体識別情報票に個人の情報が相違なく記載されるか、知らないのだな」
「はい。それは気になってました」
僕の歳の半分に足るか足りないくらいの少女に、丁寧に言葉を返す。
なぜかその少女には、そうしたくなるような気品というか威厳があったのだ。
「簡単に言うと、個体識別情報票は、基本的に己の知識から自動的に引き出してきた情報を記載しているのだ」
「――ちなみに基本的に嘘を咬ますことは出来ない。本来の体重が五十キロだと『自分』が『認識』してしまっていれば、いくら四十キロと思い込もうとしても表示は五十キロだ。逆に『認識』できていない情報については、いくらこれくらいかなと想像していても表示は空白のままだ」
イリスちゃんの後を受け継いで説明してくれる忍者メイドさんは、なぜか妙に悔しそうだった。
「なるほど。つまり本来の体重が六十キロだったとしても、たとえば量り間違いとかで五十キロと『認識』してしまっていれば、表記は五十キロとなるわけですね」
「ああ、そうだ。コレを見てみろ」
そう言って、忍者メイドさんは唐突に個体識別情報票を出現させず光の窓をつくりあげた。
そこに表示されているのは、どうやら忍者メイドさんの個人情報のようだ。
「あれ? 個体識別情報票は出さなくても、出来るんですか?」
「慣れれば誰でも出来ることだ。それより早く見ろ」
ずいっと目の前に突き出された光の窓を、急かされるように覗き込む。
【氏名】レン・ラブリーバー
【年齢】秘密
【生年月日】
【身長】162㎝
【体重】殺す
【体重】の項目まで目を通して、思わず顔を背ける。何か、恐ろしいキーワードが並んでいた。
しかし、これはさっき聞いた話と違う。
確かに【生年月日】は空白になっていたが、【年齢】や【体重】の項目は明らかに彼女自身の『認識』と異なっているはずだ。
「個体識別情報票は全てをさらけ出してしまうからな。【基礎情報】の項目に限ってはスキルを使うことで、このように隠蔽したり、改竄することができる」
「ちなみにレンの歳は、ぴちぴちの十八歳だ」
「っ!? イリス様!!」
僕の疑問が伝わったのか、忍者メイド改め十八歳のレンさんが教えてくれる。
十八歳とは確かにぴちぴちだが、ティーンエイジャーが人を殺すことが当たり前の世界か。もちろんさっきまで僕がいた世界でも子どもが銃を持って戦っている国もあるが……。
それはそれとして、また聞き慣れない単語が出てきた。
「スキル?」
「まさか、スキルも知らないのか? いったいお前の世界は、どうやって生活を成り立たせていたのか……いいか、スキルは――」
僕の疑問に呆れ顔を見せるレンさん。
スキル――技能という言葉の意味は知っているが、果たして僕の認識通りの意味なのか疑問だったのだ。
しかし、レンさんの説明をイリスちゃんが遮る。
「いや、スキルの説明は後にまわしてくれ。先に個体識別情報票の説明をすませよう」
「え、あ、はい。では……個体識別情報票には【基礎情報】の他に【ギルド】、【職業】、【能力】、【スキル】、それにさっき見た【称号】等多くの個人情報が記載されている。これらの項目も基本的には自分の『認識』によって記載されていく。まぁ【職業】や【能力】等はスキルで確認するか<分析士>や<鑑定士>に依頼しないと空白のままだがな」
【職業】や【能力】……完全にゲームのようだ。
この世界では、自分の体力や筋力、頭の良さまで数値化できるということなのか。それとも小学校の時にやった体力測定や知能テストみたいにある程度の基準に照らし合わせた評価を得るということなのか。
どのような内容なのか後で確認する必要がある。
「しかし、【ギルド】や【称号】、【スキル】等は自分の『認識』で記載されるわけではないのだ。とくに【称号】と【スキル】は神託を受けてはじめて記載される」
「神託……って、神様のお告げってこと?」
「うむ。創造神アメノヒカリと、神々の楽園に住まう神々、それに……世界の理を司る神鷲が神託を下すのだ」
最後、なぜかつらそうに少しいいよどんだイリスちゃんが、僕の情報が書かれている光の窓を目の前に引っ張ってきた。
「この【異空旅来者】という称号を、意識して見てくれ」
「?」
意識して見なくても、しっかりと文字は読み取ることができている。
いったい何をさせるつもりなのか、意図は見えないが言われたとおりに集中して文字列を眺める。
この人たちが意味のないことをさせるとは思えなかったからだ。
【異空旅来者】
別の世界から訪れた者。
世界に適応するため【成長補正】スキル、【精神適応】スキルを取得。
意識して文字列を見た瞬間、新たに小さな光の窓が表示された。
どうやら、その称号の説明がなされているみたいだ。
「マジで……別世界……」
「見えたか? このようにおまえの知らない情報も、神託を受ければ個体識別情報票に記載されるのだ。神託は神々の『認識』によってのみ行われる。そのため称号を得るとスキルや能力向上などの様々な恩恵を得ることが出来るのだ」
イリスちゃんの声が、呆然としている頭に染み渡ってくる。
その声に返事をする余裕もなく、誘われるようにもう一つの称号――【神継】に目をやった。
【神継】
神器【黄金の林檎】を宿す者。
「神器……黄金の、林檎?」
宿すとはいったい。ただ、黄金の林檎については、心当たりがないわけではない。
そう、あの強烈な閃光があふれ出る元凶だ。
「もしかしたらとは思っていたが……本当に【黄金の林檎】を媒体に、この地に呼び起こされたのだな」
伝承は本当だったのか、と感慨深げに呟くイリスちゃんの声に、思考が呼び戻される。
「え? 『もしかしたら』って……そういえば、最初からあなたは僕がこの世界の人間じゃないことを知っているようでしたね?」
「うん? ああ、それについては後で話そう。それより【スキル】の頁を開いてくれないか?」
スキルが見たいと言語化するほどの強い思いをもったわけではなかったが、新しい光の窓が現れる。
いい加減多くなってきたこの光の窓群は少し邪魔だなと思った瞬間、【スキル】の頁以外消えてしまった。
この個体識別情報票はほんの小さな意識や意図も容易く汲み取ってくれるようだ。素晴らしく空気が読めるやつだ。
「これは……」
「むっ!?」
イリスちゃんとレンさんの唸るような声が聞こえる。
唸りたくなる原因は、やはり この ウインドウなのだろう。
ルビやカッコが多いですが……(;´Д`)
この厨二的な感じが好きなのです。