002. 異空旅来者
「そこで止まれ!」
少女達のいる場所からおよそ十メートル程度の場所まで近づいたところで、メイド服の女性が制止の声をあげる。
緊張感のある張った声だが、しかし少し安心した。
どうやら言葉が理解できるということは、ここは日本のどこかのようだ。
どちらの女性も顔つきはそこまで日本人離れしてはいないが、髪の色が――少女は京紫、メイド服の女性は金髪と明らかに外国人だったため、もしかしたらここが外国の可能性もあったのだ。
だが……日本にこんな巨大な樹が根付いているなんて話を聞いたことがない。
「この賊めがっ! この不可侵の聖域にどうやって忍び込んだ!?」
少女を護るように立つメイドさんの鬼気迫る表情に、思わず一歩引いてしまう。
しかし、このメイド服の女性、なぜかワンピースの下に忍者が履くようなズボンを履いているというちぐはぐな格好をしている。
スカートの下にレギンスを履く女子と同じ感覚なのだろうか。緊迫感のない格好のせいか、忍者メイドさんに萎縮することなく平常心でいられる。
「え? ぞ、賊って……僕のことですか?」
「当たり前だ!! 貴様、何が目的だ!?」
「も、目的と言われても……気づいたら、ここにいて……ここがどこかご存じですか?」
会話の流れ的に、向こうはこの場所がどういう場所か理解しているようだ。
となれば、どうやら僕がこの場の異物らしい。
しかし、ここまで激昂されていると、落ち着いて僕の話を聞いてもらえるのかどうか。
「何のつもりだ、貴様? ふざけているのであれば、斬るだけだ」
静かな怒りを感じる。
どうやら先程までは、あくまでも怒っている振りだったようだ。表情や声は荒らげているものの、その根っこの部分では冷静にこちらを見据えていたのだ。
だが、僕としては真剣に応えていたつもりだったが、それがおちょくっているように見えたのだろう。周囲の空気がひんやりと冷気を増した気がした。
忍者メイドさんの覚悟が見える。
「ちょ、ちょっと待ってください! 本当に、僕には何が何だか……!! 一度話を聞いて頂けませんか?」
慌てて制止の言葉を投げかけるが、どうやら怒りに火を注いだだけらしい。
だがしかし、僕に出来ることは言葉を投げかけることのみだ。
この場の情報を知っていると言うことは、僕がここにいる何かしらのヒントを知っている可能性があるということだ。何としてでも誤解を解き、話を聞いて貰わなければならない。
「まだ言うか。もう良い……アスガルディア皇国近衛師団第八席、リン・ラブリーバー、尋常に参る――」
「本当に知らないんです!! 信じてください!!」
「……」
ダメだ。完全に聞く気がないのか、日本刀のような輝きを持つ真っ直ぐの刀――確か、直刀という名前の武器だ――を正眼に構え、見据えられる。
いつ斬りかかってきてもおかしくない射るような眼差しだ。背筋にひやりと汗が滴り落ちた。
――どくん。
少女に覆いかぶさっていた時には『視れた』あの感覚が、今回も現れるのだろうか。もしそれがなければ、僕の生命は確実にここで潰えてしまう。
しかし、訳の分からないまま、納得もせず満足もせず、人生を終えることができるのか。出来るわけがない。
じゃあ、どうする。やるしかないのか。だが殴り合いの喧嘩すらしたことない僕が、生命を賭けた勝負に勝てるのか。
――どくん。
心臓の鼓動が、痛い。
目の前の女の殺気に酔ったのか、平衡感覚が狂ったようにふらふらする。
拳の先に力がこもらない、どこかふわふわした感覚だ。これが、闘いというものなのか。
まずい、まずい、まずい。このままでは本気でまずい。集中できていない。怖い。なんでこんな目に遭っている。
――どくん。
どうする。どうする。どうする。
本当に『視える』のか。
いや、でも待て。もしあの感覚が現れたとして、でも僕が避けるより速く斬られたら意味がない。
ならば、僕が先に仕掛けるべきか。
だが、彼女をどう攻撃できる。さっきの身体能力を発揮すれば大丈夫か。
でも本当にその力は発揮できるのか。もし発揮できなければ、確実に良いカモだ。死が待っている。
――どくんっ!
頭が完全にパニックになる。
攻めるべきか守るべきか逃げるべきか闘うべきか話すべきか睨みつけるべきか。
選択肢はあるが、どれもハズレに違いない選択肢だ。
駄目だ駄目だ駄目だ。胃が逆流し、悲鳴という塊が口から飛び出そうになる。
「――下がれ、レン」
絶叫しそうになった瞬間、凜としたそれでいて可愛らしい声が響く。
その声が鋭い切っ先となり、この場に張り詰める緊張の糸という糸を切り落とした。
一瞬、ぴくりと動いた忍者メイドさんは、ふっと息を吐き直刀を腰の後ろに履いていた鞘に戻す。
そのまま一歩後ろに下がり、白装束の少女の後ろに控えるように真っ直ぐ立った。まるで弁慶だ。
「……ふぅ」
悲鳴の代わりに、大きくため息が出る。
助かった。本当に助かった。あと少しで腰が抜けていたかもしれない。
それによく考えれば、ここで悲鳴をあげていたり、腰を抜かしていたりすれば、目の前の可愛らしい少女の僕を見る目が微妙な結果になってしまうかもしれなかったのだ。
ここは、よく頑張ったと自分自身を褒め称えよう。
「わたしの友が、礼を失した。申し訳ない」
「い、いえ、そんな、全然大丈夫です。はい」
少女の言葉遣いとしてはいやに仰々しい感じがするが、やはり可愛らしい声だった。
そんな声で謝られたら、こちらが悪いことをした気になってしまう。
事実、特に害を与えられたわけでもないので気にしてもいない。
それに少女は「友」と言っていたが、忍者メイドさんはおそらく少女の護衛的な立場にある人なのだろう。ならば、忍者メイドさんが取った行動は当然の行動だ。
郷に入りては郷に従え。昔からの格言にあるように、忍者メイドさんを咎めることは出来なかった。
そして同時に、ここが日本ではないのかという希望は打ち砕いていた。
簡単に生命の遣り取りに移行できる女性。護衛という存在。銃刀法違反間違いなしの武器。そして、この大地。日本と思えという方が難しいだろう。ここまでくれば、おおよその想像はついていた。認めたくは、ないが。
「すみません。ちょっと確認させてほしいことがあるんですが」
「うむ。わたしの分かる範囲であれば何でも答えよう……だが、先に一つこちらの願いを聞いてくれないか?」
「願い?」
どうするべきか。
できればこの国の名前、僕が知っている『日本』や他の国々の名前を知っているかどうか、なぜ僕はここにいるのか。一刻も早く確認したいが、ここでごねてこちらの印象を悪くするのは悪手だろう。
それに向こうは一つと言っているのだ。そこまで時間がかかることではないだろう。
「分かりました。いいですよ」
「そうか、助かる」
少女は向日葵のような笑顔をみせると、僕の側まで近づいてきて手を突き出してきた。
少女の後ろからは「イリス様」と慌てた忍者メイドさんの声が聞こえてきたが、イリスと呼ばれた少女はそれを完全に無視していた。
「では、個体識別情報票を見せてくれ」
「あ、あいでんてぃふぁい、かーど……ですか?」
アイデンティファイって、確か『識別する』とか『証明する』とかって意味だった気がする。識別するカード……か。いったい何を識別しているカードなのか。
そもそもクレジットカードや銀行のカード、様々なお店のポイントカードは持っているが、アイデンティファイカードと呼ばれるカードなんて聞いたことがなかった。
第一もし持っていたとしても、それらのカードが入っている財布がこの場にない。いつも財布を入れている尻ポケットを探るが、残念ながらズボン越しの自分のお尻の感覚しかなかった。
正直に持っていないことを伝えるか、だが、まるで誰もが当然持っているかのような要求だったことを考えると、持っていないという言葉でまた僕への不信感が生まれるかもしれない。
かと言って、持っていないモノを「持っていますよ」と見せることは出来ない。どうするべきか。
「……すみません、そのカードってどんなカードですか?」
結局、出した答えは「嘘はつかないが、持っていないとも言わないし、見せないとも言わない」中途半端な答えだった。これで、カードの説明を聞いて分かればオッケーだ。
もし聞いたことのないようなカードであれば、そのときは仕方ない。本当のことを言うしかない。
僕の言葉に、少女――イリスちゃんの後ろに控えていた忍者メイドは、ぴくりと眉を跳ね上げる。あれ、不味いことを言ってしまったのか。
「いや、知らないのであれば仕方がないな。だが、おまえは持っているはずだ」
「え、その、個体識別情報票ってやつをですか?」
「うむ。手を出してくれ」
そう言って、僕の手を掴んでくる。
小さな手だが、柔らかく暖かな手だった。思わず心臓が高鳴ってしまう。
そんな僕の胸のドキドキにはお構いなしに、手のひらを上にするかたちで、僕とイリスちゃんの中間の位置に僕の手は運ばれていた。
「では、手のひらに向かって願ってくれ」
「願ってって……何を?」
「うん? 特に決まってはいないが……そうだな。『自分を知りたい』と願ってみてくれるか?」
「えっと、そう願うだけでいいんですね?」
何のために手を添えてまでそんな願いをするのか全く狙いは見えてこないが、これで相手が満足してくれるなら応えればいいだけだ。
信頼関係は、お互いのニーズを満たすことから始まるのだと、社会人生活を始めてから強く実感していた。
しかし、『自分を知りたい』か。これほど、今、この状況にあった願いはない。なぜ自分はここにいるのか、ここで何をしているのか、教えてくれるなら誰でもいい、教えてほしい。そんな想いで、自分の慣れ親しんだ手のひらを見つめる。
「……は?」
一瞬、手のひらに微かな熱がこもり、手から上空数センチの位置に無数の光の粒子が生まれる。その光の粒々は旋回し、煌めきながら薄れていった。
残されたのは、回転しながら浮かぶトランプくらいの大きさのカードだ。
完全に光が消えたとき、重力が復活したかのようにそのカードがぽとりと手のひらに落ちてきた。
不思議な感触のカードだ。熱くもなく冷たくもなく、紙でも鉄でもプラスチックでもない材質で出来ていた。
表面も裏面も白紙のカードだった。
「え、え、え、え?」
「これが個体識別情報票だ。初めて見たのか?」
「え、あ、う……はい」
「そうか。では、このカードを持ち、『開示』と願ってくれ。カードに見えない文字が書かれていると仮定して、それを見ようと意識するのでも構わないぞ」
言われるがままカードを持ち、隠された文字を探すように見つめる、と――鈴を弾いたような澄んだキレイな音が小さく響いたかと思ったら、カードから浮かび上がるように半透明の四角い光の窓が現れた。
ちょうどカードの真上、僕とイリスちゃんの間に現れた光の窓は小さく、四隅は丸みを帯びているが、僕には凄く見覚えのあるものだった。
まるで、パソコンのウインドウだ。
「こ、これが……」
「そうだ。これが個体識別情報票だ。個体識別情報票の持ち主の様々な情報を視覚化し共有することができる優れものだ」
イリスちゃんは、半透明の光の窓の端を掴み、僕からも彼女からも見えるように向きを変える。
見ている限りでは大きな抵抗もなかったようなので、どうやらこの光の窓は自由移動が可能らしい。
妙にデジタルなこの光の窓は、この土地では慣れ親しまれているようだった。イリスちゃんの後ろでは、忍者メイドが素知らぬ顔で僕の光の窓が見える位置に移動していた。
「名前は、ヒロユキ・シバタというのか」
僕を含め三人に覗き込まれている光の窓には、僕の個人情報がこれでもかというくらいに詰まっていた。名前、年齢、生年月日、血液型、身長や体重までもだ。その正確すぎる情報に、思わず感嘆の声が出た。
「凄いな……これは」
「すまんが、称号の一覧を見せてくれ」
「称号?」
「光の窓の上部に、【基礎情報】や【スキル】、【実績】といった文字があるだろう? そこに【称号】という項目があるはずなのだが」
確かに、光の窓の上部に色々な項目名があった。どうやら「タブ」形式をとっているようだ。
現在は【基礎情報】が選択されている。【スキル】という項目名の横に【称号】という文字を見つけた。
「あ、【称号】ってあったんですが、これタッチすればいいのかな?」
「タッチ? ああ、直接光の窓の項目名に触れても良いが、その項目を見たいと思えば、自動的に新しい光の窓が生まれるぞ」
なるほど。新規ウインドウの作成、というわけか。
早速、【称号】が見たい、と念じてみる。
瞬間、鈴を弾いたような澄んだキレイな音が小さく響き、新しい光の窓が【基礎情報】の光の窓の上に現れた。
どちらも半透明だったが、光の窓の重なっている部分は濁るように透明度が下がり、文字が読みやすくなっている。
「ちなみに、これは入れ替えも出来るからな」
そう言って、上にあった【称号】の光の窓をスライドさせるイリスちゃん。
すると二枚の光の窓が上下入れ替わり、今度は【基礎情報】の光の窓が上になった。再びその光の窓をスライドすると、元通り【称号】の光の窓が上に来る。
「さて、【称号】だが……これは……ッ!?」
「なっ……!?」
イリスちゃんと後ろからさり気なく覗き込んでいた忍者メイドさんの驚きの声に誘われるように、【称号】の光の窓を覗き込む。そこには、二つの名前が記載されていた。
【神継】
【異空旅来者】
最初の【神継】は今ひとつ意味が分からないが、二つ目の【異空旅来者】を見た瞬間、息が詰まる。
異空。異なる空間。別世界。異次元。それを旅する者。
つまり、僕は、この世界にとっての、異世界人――。
読んでくれてありがとです(ノ´∀`*)
読みづらさとかアドバイス頂けるとありがたいです!