023. 転 換
大魔術士アヤの元で修行を始めてから七日が過ぎた。
基本的にこの七日間は常に修行。寝る間を惜しんで修行。食べる間さえも惜しんで修行。とにかく修行まみれの日々だった。
僕の大好きなご飯の時間が削られることによる精神的ダメージは大きかったが、その分体つきもなんだかシャープになった気がする。
それに、修行は確かにきつかったが、それを上回る喜びが大きかった。自分が強くなっていくことを感じはじめていたからだ。
修行は適度な休息を挟みながら、魔法練習と戦闘訓練に明け暮れた。
もちろん休息中には別メニューとして、この世界の常識や戦闘理論、魔法理論などを叩き込まれていたので、まさに大袈裟ではなく『休む間もない』状況だったわけだ。
魔法の練習は、基本的にいかに速く心象を結べるかであり、さらに師匠であるアヤが生粋の魔術師であるため効率よくいっていた。
特にアヤのアドバイスはさすが称号持ちの魔術師だと思わせる的確かつ当を得たものだった。
一方で、戦闘訓練の方では少し問題が出てきた。
アヤだけでは戦闘スタイルに限りがあると言うことで、雪にも協力してもらっていた戦闘訓練も、だいぶ様にはなってきていた。むしろ、凌駕しつつあると言っても過言ではない。生命を賭ける闘いでの経験値は、普通に修行するより何倍も高いためだと、アヤは言っていた。
しかし、僕には圧倒的に戦闘経験が足りていない。
本気で闘った相手が二人しかいないため、自分のスタイルに幅がないのだ。とにかくもっと経験を積みあらゆる状況に対応出来る力は欲しかった。
修行を始めて八日目。そんな悩みにプラスして、いい加減イリス達のことが心配でたまらなくなってきた頃だった。
「確認したい。あなたはイリス達を救った後、どうしたい?」
「どうしたい……って?」
早朝。まだ太陽が昇っていない薄青く淡い世界の中、朝一の訓練を終えての休憩中、突然のアヤの言葉に面食らっていた。
「えっと……まだあんまり考えてないけど……そうだなぁ、元の世界と行き来できる方法を探すかなぁ」
既に、元の世界に対する思いは『帰りたい』ではなく『行き来したい』に変わっていた。心のどこかではここに永住することになっても別に構わないと思い始めている。
ただ、残した家族だけが気になるので、せめて自分の無事だけは知らせたいとは思っているし、もし家族に何かあったときには側にいたい。
だが、それ以外の日常は――僕のとっての生活はこちらの世界に馴染み始めていたのだ。
ちなみに、アヤには僕が異世界の人間だと伝えてある。
結構勇気を出して告白してみたのだが、どうやらイリスに聞いていたらしく既に知っていた。だからその反応に拍子抜けしたが、安堵もした。不気味悪がられるならまだ良いが、頭の正常さを疑われたら悲しすぎる。
「つまりは、帰る手段の有無に関わらずヴァレスティアで生活するつもりということ?」
「うん。もし帰る手段が見つかって、でも一度元の世界に帰ったらこっちには戻れないって状況になったら考えなきゃいけないけど、その状況以外なら基本的にここで生きていくつもりだよ」
「そう。ならちょうど良い」
「ん? ちょうど良いって、何が?」
「ここで生きていくためには仕事が必要。でも、あなたがヒモで満足するならわたしは構わない。若いツバメを飼う女というポジションには憧れる」
「ぅおっ!? いきなりディープな話題だね?」
確かにこれは死活問題だ。ツバメ云々は放っておくとしても、確かに今この現状はイリスやアヤに助けられてなんとか保っている。
ここでの生活費はイリスから借りたお金と、アヤに【鑑定】魔術のオリジナル術式の権利を売却して得たお金で支払っている。
この先、確かに稼ぎ口を見つけなければ、ヒモポジションへ直行だ。確かにヒモには憧れるが、男としての矜持がそれを許さない。
ちなみに生活していくのに必須な食事に関して、魔法で一度ご飯を出してみたことがある。形は上手く再現できていたが、味がとにかく不味かった。
僕の想像力不足か、または別の要因か。それともご飯には愛情が必須なのか。
魔法による食事は今のところ不可という結論に達している。
「そこで。あなたの仕事と修行を同時に行える夢のプラン」
「えっ? そんなものがあるの?」
「ルカの話に乗る。冒険者になるべし」
「冒険者に!?」
「そう。未知に挑み、様々な依頼を解決することは、きっとあなたの思考力を高めてくれる」
「なるほど……実は冒険者ってルカさんに話を聞いてから気になってたんだよね」
世界の様々に散らばる古代文明の遺跡に潜り、遺された『財宝』を探し出す。立ちふさがる伝説の魔物や迷宮を攻略し、財と名誉を手に入れる。
それだけではない。困っている人の依頼を解決していく中で己の実力を向上させ、幻獣を追いかけ、魔物を倒し、未知を解明し、世界の謎を解く。まさに男の浪漫。男の夢と言っても過言ではない。
「正直、ここまで早く戦闘技術が向上するとは思ってなかった。きっと、このままここでわたしとシているだけよりは、世界を知っていった方があなたのためになる」
「なんか、しているって部分の発音が気になるんですが……」
「ただし条件が二つ。一つ目、拠点はここ。寝泊まりは仕事上無理がない限りはここ。そうしないといざという時対応出来ない。二つ目、空いた時間はここで修行」
「了解」
もともとこの場を離れるつもりはなかった。居心地の良い空気というか、第二の家のように感じているのだ。それに、修行するにもこの広場はいろいろと適している。
「じゃあ、これ」
ぽいっと投げられた細い鎖のついた小さな石を受け止める。ネックレスのようなそれは、碧色の石から微かに魔力が漂っている。
「これは?」
「通話石。回数制限があるけれど、離れた場所にいても念じれば会話が出来るようになる」
「……そんな便利なモノがあったのか」
同じような結晶を胸から取り出し見せてくれた。どうやら同じ結晶を持つ者同士で遠距離通話を可能にするのか。
少ない休憩時間の最中、何度か魔法によって電話を創れないかと頑張ってみたのだが無理だった。どうしても具体的な構造が思い浮かばなかったのだ。しかし、よく考えてみれば何も電話そのものを創る必要はなかったのだ。
「高級品。わたしとあなたを繋ぐ愛の石」
うっとりと頬に手を添えながら何かほざいていたが、一切気にすることなくそのネックレスを首にかける。この一週間で、アヤの性格のだいたいを掴んでいた。
「ありがとね」
「いい。案内をしてくれる人がいる。約束は七の刻。皇都の東門が待ち合わせ場所」
「えっ!? 七時? 今……六時って、時間ないじゃん!?」
慌てて、汗まみれの服を見る。今からお風呂に入って着替えて、では完全に間に合わない。なぜなら、ここから皇都まではおよそ百キロ少々。短距離を疾走るような速度は出せないので、どんなに急いで走っても三十分はかかる。
リードやルカさんを連れて帰ってくれた雪は、あいにくと今はいない。
仕方ない。気持ちまではサッパリしないが、魔法で服や汗はなんとかすることにする。どのみち、走れば再び汚れてしまうのだ。着いてから対処すればいいだろう。
「んじゃ、行ってくるね!」
「気をつけて」
小さく手を振る少女に背を向け、跳躍。森を抜けるまでは空を飛んでいく。
『迷いの森』と名付けられているこの森は、アヤの魔法によって迷宮と化している。簡単に抜けるためには複雑な手間が必要なので、今回はすっ飛ばすことにした。
空を飛ぶのは気持ちが良いと思うが、正直まだ怖いのだ。いつ落ちるか、という不安が抜けきらないので、なるべく空を飛ぶことは避けている。どうやらまずはこの高所恐怖症をなんとかしないと駄目かもしれない。
涼しいというよりは冷たい風を全身に浴びながら、森を超える。
ふと、別れ際のアヤのにやついた表情が気になった。あれは、何かを企んでいる時の顔だった。