021. 僕と大魔術士と魔法修行編 -2-
心象を形作る。
出された課題は【炎】。
具体的に炎を想像する。詳細に炎を想像する。
大きさは手のひらサイズ。熱量は濃く、しかし色は紅く。燃え盛る火炎ではなく、人魂のように漂う炎を。
脳裏に炎の心象が浮かび上がってくる。後はこの想像を創造するだけ。
そこで、ふと不安が過ぎる。本当に成功するのだろうかと。
その虞が、せっかく浮かび上がっていた炎の心象を陽炎のように揺らし薄れさせていく。
まずい、まずい。焦りは焦りを呼ぶ。一度崩れたものは、まるで乾いた砂が手のひらから落ちていくように崩れていくだけだ。
『自分を信じろ。魔術とは、己の信念により世界の事象を改変する奇蹟だ』
そんな僕の情けない心に、春の風のような暖かなぬくもりが満ちる。
まるで叱咤しているようで、諭しているようで、優しい声だ。魔法は信じる力だと教えてくれたイリスの信頼が、僕の心に強さを与えてくれる。
不思議なことに、あれほど再構築しようと足掻いていたのが不思議なくらい、簡単に炎の心象が輪郭を取り戻した。
いけるという確信と同時に、身体の奥――下腹部のへその下辺りから熱い塊が尽きだした手に向かって流れていくのが理解できる。
感じるのは見渡す限りの海。見渡す限りが水平線の大海だ。
その海からスプーンで一匙すくったものが、僕の身体を駆け巡ったのだ。
手に熱い熱を感じた瞬間、心象通りの炎がゆらゆらと手のひらで揺れていた。
感動はなかった。いや、正確には一瞬の感動はあったが、すぐにそれは他の思考に邪魔されてしまう。熱い。とにかく熱い。炎と掌は接触してはいなかったが、炎のもつ熱量がまるで身体全体を炙ってくるようだった。
毛穴という毛穴から、一気に汗が噴き出てきた。
「っあっちぃぃぃぃっ!?」
悲鳴をあげたときには、アヤがどこからかもってきた大量の水をまるで滝のように叩きつけてきてくれて、その炎を消してくれていた。
水が焦げるように蒸発し、もくもくと水蒸気が発生していた。全身はびしょびしょに濡れている。
「自分の魔法だから保全機能が働いて怪我はしない。でも、危険」
確かに、あれだけの熱量を間近で受けていたにも関わらず、火傷すらしていないようだ。これが保全機能というやつか。
「なぜ、炎をその場に留めた?」
「あー……そこまで考えてなかったかも。ただ人魂のように漂う火をイメージしてしまってたから……でも、成功は成功だよね? 今、炎出てたよね!?」
こくんと頷くのを確認して、ガッツポーズ。じわじわと感動と喜びが拡がってくる。
『魔法を使う』こと。
誰もが一度は夢見ることを案外簡単に達成してしまった。
魔法が当たり前のことなのだと心のどこかで受け入れているのか、出来て当然だと思う気持ちも少なからずある。だが、心のなかで確かに震えるこの熱い感動も嘘ではない。
ついに。ついに僕は、魔法を使えることができたのだ。
「感動しているところ悪いけど、時間がない。次は、その濡れた身体と服を乾かして。方法は問わない」
「濡れた服を……乾かすか……」
感動が覚めやらぬうちに、新しい課題を出してくる鬼教官。
しかし、今の僕はそれすらも嬉しかったりする。なんて言ったって、魔法が使えるのだ。課題どんと来いといった感じだ。
しかし、濡れた服を乾かす。この課題の解決のための魔法か。
少し考えてみると、いくつかの案が思い浮かんだ。
まず出てきたのが、ドライヤーのように乾いた熱い風を生み出す。これは息がしづらそうだからイヤだな。
次に出てきた案は、さっきの炎をもう一度生み出す。あんな熱を浴びるのは恐ろしいからこれも却下。
となると、どうするか。一つ思い浮かんだ方法を試してみることにした。
それは、服や肌につく水分を取り出しひとつにまとめるイメージだった。
濡れているのは、そこに水分があるということだ。それだけを身体の表面や服の繊維から抽出する。
身体にはなくしてはならない水分がたくさんあるだろうが、それは保全機能があるから大丈夫だろう。自分に害するようなイメージは無意識の上で自動的に削除されるはずだ。
これは実験的な意味も込めている。
どこまで魔法で可能なのか、それはこれから先の『いざというとき』ではなく、今のうちに知っておくべきだ。
もし万が一何か起こっても、アヤがきっと何とかしてくれるという他力本願な想いもあった。
「いくよ?」
水をよく吸い込むタオルで服や肌を拭く心象で魔法を発動させる。
ある程度アバウトな想像でも、細かな部分は世界の魔法元素がフォローしてくれるはずだ。
再びへその下あたり――丹田から熱い塊が微かに抜けた感じがした。
白濁した半透明に形作られた魔力が膜のように身体や服の上を撫でていった。掃除機でゴミを吸い込むように細かな水滴が膜に吸い上げられていく。
膜の中で水の塊が出来ていくと、その分服や肌の濡れていた部分が乾いていた。どうやら効き目は抜群だったようだ。
しかし、見た目が戴けない。白濁した液を被っているようで、心の底から不快感が出てきていた。見た目をしっかりイメージできていなかったのが敗因か。試合に勝って勝負に負けた気分だ。
沈んだ気分で集中が切れたのか半透明の白濁した膜は弾け飛び、その中に溜められた水の塊も落ちて地面に溶けた。
なるほど、とまた一つ発見だ。
どうやら魔法の効力は意識している間だけのようだ。
しかし、アヤが僕の服をキレイにしてくれた魔法を思い出してみると、一度魔法で世界の事象を変化させた場合は、たとえ魔法が終わってもその変化した事象こそが既に世界にとっての当然の姿ということになるのだろう。
たとえば炎を出す魔法を使用した時、その炎を維持するためには集中と魔力放出が必要になるが、その炎によって周りが燃えたり、火傷したりした場合は、その事実は魔法とは関係ない事象ということになるわけだ。
だから魔法を終えても、燃えたところは燃えたままだし、火傷が消えるわけではない。
「魔法の質は良い。でも起動が遅い。もっと瞬間的に心象を固めないとダメ」
確かにじっくり考えてからの魔法発動だったな。
普段だったらそれでいいかもしれないけれど、時と場合によっては瞬時に魔法を発動しなければならない時もあるのだろう。
「何個か即発動できる魔法を身体に叩き込んでおくべき。想像力がない人は詠唱を覚えるのも手」
「どちらのパターンもあった方が良いのかもね」
「とりあえず、心象を固める練習はまたする。次はコレ」
アヤが虚空の匣から取り出してきたのは、占い師が使うような透明性の高い水晶玉だった。
しかし、色は漆黒だ。あらゆるものを吸い込んでしまいそうな闇の穴に見えるほどの黒さだ。
「ここに魔力を注ぎ込んで。尽きるまで」
「これは?」
「魔力を貯めることができる魔法元素結晶。わたしのオリジナルばーじょん」
「それが修行なの?」
「そう。さっきのは魔法を発動するための想像力を培う修行。これは魔力の量と質をあげる修行。限界まで魔力を使い、回復させ、再び使う。魔力を体内に何度も巡回させることで質を高めることが出来る。魔力を酷使した後回復させることで魔力の総量を増やしていく」
なるほど。要は筋力トレーニングの『超回復』理論の魔力版というわけだな。
一度酷使し破壊された筋肉を修復する際に適度な休息を取ることで超回復が起こり、破壊される前より筋肉量が増えるという理論は、一昔前から筋力トレーニングの流行となっていた。
魔力もある意味身体の機能と考えれば、この理論の適応範囲内になるということか。かなりの眉唾物だが、偉大な魔術師が言っていることだから正しいのだろう。
ならば、することは一つ。
もう既に魔力の源が身体のどこにあるか、その魔力が身体をどう流れるかどう伝えるかは理解している。
黒い水晶玉に手を添え、身体に流れる魔力を注ぎ込む。
自分の身体からどんどん熱い塊が抜け出ていくのが分かる。
先程の火を出す魔法を使った時、具現化に必要だった魔力を大海に対するスプーンで表していたが、この水晶玉に注がれていく魔力はダムの放水の如く、だ。
「……何か属性を意識している?」
「ん? いや特には……何で?」
「基礎魔術は、自分の魔力と精霊の力を使う魔術。だから自分の魔力の属性によっては、交じわえる精霊の得手不得手がある」
その話は覚えている。自分と合う精霊の力を借りると魔術の質が良くなるし、逆に合わない精霊の力を借りる時は魔術の成功率自体が大幅に下がってしまうということだった。
「魔法元素結晶に自分の魔力を注ぎ込むことで水晶の色が変わり、自分の得意属性を知ることが出来る……はず」
「はず?」
水晶は未だ漆黒の闇が渦巻いている。ということは、僕の得意属性は闇ということになるのか。
「闇だと、水晶は透明になる。だから違う」
「ということは?」
「……分からない。もしかしたら得手不得手がないのかもしれない。それか全て不得手、か」
全て不得手とか嫌すぎる。まるで周りの人全員から嫌われているようではないか。
いや、むしろこの場合は世界から嫌われているのか。それはさすがに、きつすぎる。
「まあいい」
「いや、よくないだろっ!?」
簡単に流してくれようとするな。僕の人権やら沽券やらプライドやら、いろいろと大事な部分に関わる重要な問題のはずだ。
「自分の得意属性が関係するのは、精霊の力を借りるとき――つまり基礎魔術だけ。自分の魔力で全てを終結させる応用魔術ならほとんど関係ない」
「そう言われれば、そうかもしれないけど……何か釈然としない」
せめて自分だけでも、僕は全ての属性が得意な稀有な存在と思っておこう。なぜか余計悲しい気持ちになれた。
しかし、いつまで注ぎ続ければいいのだろうか。既に始めてから一分は超えている。一秒でどれくらいの放出量かは分からないが、身体から抜け出る印象ではとんでもなく出ている気がする。
これでいいのだろうかとアヤの様子を伺うが、何やら思案気に水晶を見つめているだけだ。水晶を彩る漆黒の闇が密度を増したような気がする。
「これ――」
「――まずい」
「え?」
ぴきん、と水晶の表面に雪の結晶のようなひびが入ったかと思った瞬間。
水晶が粉微塵に砕け散った。これまで溜まっていた魔力が大気に溶けていく。ただただそれを呆然と眺めていた。
「……ごめん」
「いい。わたしが数百年魔力を込めても壊れないはずなのに……つくるの大変だったのに……高いのに……あなたの変態魔力のせいでぱー」
ぐさぐさと心に突き刺さる言葉の刃。決して悪気があって壊したわけではないのだ。まさかこんなことになるとは誰が想像できるというのか。いや、できない。
「冗談。量的にも質的にも、魔力の修行は必要ないと判断。魔法の修行は心象を結ぶための想像力の向上だけにする。今日は千個の魔法をつくってもらう」
……。やはり、怒っているのだろうか。