014. 戦 闘
襲撃者達は、半円を描くように僕たちを取り囲んできた。
何人かの頭上には、大きな外灯のような淡い光の塊が浮かんでいて、襲撃者達の醜悪な顔に陰を作っている。
「よぉ、逃げずにいるたぁ、お利口さんだなぁ」
「もちろん逃げてたら、後ろから矢で串刺しだったけどなぁ」
げははは、と下卑た嗤いで盛り上がる男達。姿を見せてきた集団は、全員が男だった。
ほとんどの者が無精に伸ばしきった髭面で、清潔感という言葉からは真逆の位置にいそうな男達だ。曲刀や剣、斧など様々な獲物をもっていた。
「……何が目的です? 私たちは旅の者。金目の物などありませんよ」
「バァカ。あの馬車が皇族のものだってのは知ってんだよ。下手な嘘言ってんじゃねぇよ」
「それに、金目の物がなかったって、おまえら殺せばこっちはいいんだよぉ」
御者さんの言葉に、しかし粗暴な言葉で威圧的に叫ぶ髭面ども。
その声色にヒッと息を呑むリードだが、十歳程度という年齢を考えれば泣き出さないだけでもすごいことだと思う。
正直、元の世界にいたままの僕だったら泣きながら土下座し許しを乞うていただろう。
だが、今の僕にはその声も、顔も、体格も、武器も、全くの恐怖の対象にはなっていない。平然と、心は冷静さを失っていなかった。
いける、と確信する。
「つまりは、最初から僕たちを狙っていたというわけですか?」
「あぁん、なにカッコつけちゃってるわけ? 頭ぁ、こいつ、もう、やっちゃっていいっすよね? マジムカツクんすけど、こいつ」
僕の側にいた若そうな男が首を捻りながら、『頭』と呼ばれる男の方に確認する。
熊のように鍛えられた体躯の男が、髭で覆われた口元をにやつかせながらずいっと出てくる。
「まぁ、待て。オレ達はこれから、こいつらを最後まで"可愛がる"わけだろ? せめて聞きたいことくらい答えてやるのが、紳士としての礼儀じゃねぇか?」
「そりゃ、確かにそうだ。がはははは!」
「さすが、お頭、良いこというぜぇっ!」
好き勝手に喚き散らす男達に、僕のことを『ムカツク』と言った若い男もにやりと口元を歪ませ、下卑た笑い声をあげた。
奇遇だと思う。僕も、この目の前の男を、生理的に受け入れることができない。心から『ムカツク』。
「可哀想になぁ。おまえ嫌われてんだよぉ、死んでほしいくらいになぁ。まぁ俺たち≪闇の悪夢≫に狙われたことを光栄と思えよ」
おそらく、この襲撃者達のグループ名なんだろう。
わざわざ名前まで付けて略奪行為という恥ずかしいことを平然とやってのけるとは、まるでチンピラのようだ。
しかし……ダークナイトメア。なんといういかがわしく恥ずかしい名前だろう。得意顔でそんなこと言われたら、こちらが恥ずかしくなってしまう。
「なっ……≪闇の悪夢≫だとっ!? 西の悪魔が、なぜこんなところまで!?」
「ああっ、神よ……ッ!?」
しかし、御者さんやリードは驚愕と絶望に顔を染める。その反応に満足したのか、『頭』の男は髭面をさらにおぞましく歪めた。
「んじゃ、こいつらも諦めがついたことだし、そろそろ"はじめる"か。今日はどうする? 久しぶりに≪達磨堕とし≫でもするかぁ?」
まるでゲームを始めるような軽いノリの声に、周りの男達が歓声をあげる。
……なんだ、これ。
これほど簡単に人の生命は弄ばれるのか。
己の都合が良ければ、それで良いのか。
力のある者は、弱者をどう扱っても関係ないのか。
それが、この世界の、ルールなのか。
いや、違う。僕が気づいていないふりをしていただけで、それはどの世界にでもあることだ。常に弱者は、力ある者の都合で弄ばれる。力は別に暴力だけではない。地位、肩書き、お金。様々な力が、弱者を襲う。それが、世界の摂理。
なら、僕も、その摂理に乗ってやる。
大切なものを守るために、強者が振りかざす"力"をさらなる力で踏みつぶしてやる。
「――死にたくないなら、投降してくれませんか?」
思った以上に、自分の出した声は淡々としていた。男達は何を言われたか理解できないのか、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
ぽかん、という擬音がよく似合う光景だ。
「………………っぷ!!」
「……ぎゃは、ぎゃはははははっ!! 頭、アホがいますよ、アホが!!」
「は、腹が痛い! 何コイツ、怖くて狂っちゃった?」
「何が『死にたくなければ投降してくれませんか』だよ、ははっ、お前のセリフで死んじゃうわ!!」
一斉に大爆笑。
笑われても、特に気にしない。この結果は十分に予測できていた。それでも、あえて伝えたのは自分の為だ。
甘いかもしれないが、たとえ殺そうとしてきている相手でも、自分を振り返る機会はあってもいいと思ったのだ。
しかし、僕の思いは伝わるわけも無く。僕を『ムカツク』認定してきていた目の前の男は、血走った目で『頭』を見返る。
「はいはーい。このクソ生意気なヤツ、オレにやらしてください!! オレ、こいつマジムカツクすんす――」
目の前の男は、最後まで言葉を言い切ることが出来なかった。
『ムカツク』男との距離を詰めるため、地を蹴る。
狙いは、握りしめた拳で気持ち悪い顔面をぶち殴る、まさに正拳突き。
一瞬よりも疾く、距離がほぼ零になる――しかし予想以上の跳躍力で、未だ脚が地に着いていない。落下すら始まっていない。
だったら、とそのまま勢いを殺さず身体の重心をずらし、身体を反らす。その反動を使って、『ムカツク』男の顎下を膝で蹴り上げた。
全力を込めた思い切りの攻撃だったわけではない。
まだ力の入れ方が分かっていないため、力が分散してしまった不器用な攻撃だったはずだ。
それでも、男の身体は高く宙を舞った。顎骨から頭蓋骨が砕け首の肉が千切れる感覚が、確かに膝から伝わってきていた。
確実に、死んだ。僕が、殺した。あの男の人生を、終わらせた。
虫を殺した時のような、かすかな罪悪感に少し心が震えるが、大丈夫。それだけだ。
「なっなんん、あっ?」
「はっ? なっ?」
蹴り上げられた男がまだ空を舞っている間に、視界を巡らし次の狙いを絞る。
目の前で起こった出来事に脳の処理が追いついていないのだろう。呂律の回っていない、呆然とした表情の男二人だ。
やっと着いた脚を軸足に、そのまま身体を回転させながらの、回し蹴り。
顔面側頭部に踵がめり込む。そのまま脚を流して僕の身体は一回転。
顔面が陥没した男の身体は、時刻を必死に合わせようとする電波時計の針のように、蹴りの打撃点を中心に跳ね回る。そのまま胸を掌底で打つ。もう一人の男を巻き添えに、弾け跳んだ。
今更のように、最初に蹴り上げられた男が地面に落ちた。
ここまで、わずか数秒にも満たない時間。だが、僕には数十秒にも時間が延びて感じられる。
思い描いたままに身体が動く快感。周りの動きがゆっくりな中、自分だけが何よりも誰よりも疾く動ける"世界"の爽快感。
「て、てめぇええええええええっ!!」
だが、さすがはリーダー格の男か。
レスリング選手のように体を低く構え、右手は背中に、左手は腰の位置で大型の戦斧を逆手に構えている。おそらく攻撃の姿勢だ。
「死にさらせぇッ!!」
跳ねるように身体を突き出してきた『頭』は、これ見よがしに左手の戦斧を滑らせてくる。
しかし感じる危険信号は左側。つまり本命の攻撃は、隠された右手だ。
右手の気配を探りつつ、どうにでも動けるように戦斧を往なす。
「ひゃはぁ、クソがっ!!」
勝利を確信した顔の男が突き出した右手から放たれたのは、数本の長い針。右手首に仕込まれた武器から発射されたものだ。
戦斧に気を取られ、体勢を崩していたら避けることは叶わなかっただろう必殺の攻撃。
黒ずんでいる針の先までが、一本一本視認できる。
針の軌跡が、僕の腕に突き刺さる。
「がぁはっはははぁ!! かかったな小僧が! じわじわと忍び寄る死に怯え、震え、苦しみ、死ね!」
――前に。針を残らず指間で挟み止めた。
針の軌跡は見えていた。なら、その流れに沿って指を添えるだけだ。予想以上に精密な動きも出来るようになっていた。
「なっ――ッ!?」
相手にとっては意表を突かれた行動だったのだろう。動きが凍り付いたように止まった。その隙を逃すはずもない。
挟んだ針を、そのまま投げ返す。コントロールを重視するには、力まず軽い力で投げるのが一番だ。
「ぃぎゃああああああああああああああああああッッッ!?」
腹と胸に長い針が突き刺さる。
長い針だったが結構な部分が体内に食い込んだようで、身体から出ているのは先っぽの一部だけだ。
叫びながら必死に抜き取ろうとするが、震える手ではうまく摘まめないようで必死に藻掻き足掻く。だが――。
「ぐふっ」
と悲鳴のようなくぐもった声と共に、血塊を吐き出す。
声になっていない悲鳴を、首を身体を頭を掻き毟りながらあげる。
恥も外聞もなくのたうち回るその姿は、とにかく哀れだった。だが、同情はしない。
「た……たす……けて……」
倒れ、藻掻きながらも、こひゅーこひゅーと枯れる声でなんとか助けを求める言葉を絞り出していた『頭』を一切無視する。
自分は喜んで人を殺そうとしているくせに、自分は助けてほしい等ムシが良すぎるだろう。しかもこの苦しみを僕に与えようとしていて、なぜ助けなければいけないのか。
今まで他人に与えたであろう痛みに苦しみながら、死ねば良い。
「もう、投降してもいいんじゃないですか?」
『頭』を跨ぎ越え、残った十一人に近づく。一歩近づけば、敵は一歩後ずさる。
できれば、ここで降参してほしかった。
襲いかかる火の粉を振り払うことに抵抗はないが、人を傷つける行為が精神的につらくないというと嘘になる。むしろ、キツい。
生き残るためと頭では分かっているものの、気持ちまで割り切れてはいないようだ。けれど、身体の奥底で何かの灯がともされてもいた。
ざわりと、襲撃者達の気持ちが揺れ動いたのが分かる。
「うるせぇぇぇぇぇ!!」
「死ね、こりゃあぁぁっ」
結果。雄叫びと共に、一斉に獲物を掲げ飛びかかってきた。
残念だと思う気持ちがあった。
再び、人を傷つけることへの精神的な疲労感もあった。
しかし、同時に。身体に溢れるエネルギーを解放出来るという爽快感、思い描いた通りに身体を動かすことが出来るという充足感への期待も、かすかに生まれていた。
ふっ、と軽く呼吸を整え、気持ちを入れ替える。今から相手にするのは人ではない。
獣だと思おう。
心が研ぎ澄まされ、先程よりもさらに時間の流れが伸びやかになったように感じる。
頭は冷静にこの状況、敵の動き、周りの状態を確認するが、それと反比例するように身体が爆発するように熱くなった。
――行くぞ。
心の中でひとつかけ声を放つ。
思い切り地を踏み込む。地面を抉るほどの力をもって、僕の身体は弾丸のように前へ跳ねる。
一番近く僕に迫ってきた男は、斧槍を振りかぶっていた。
そいつの顔面に右拳を叩きつける。肉がずれる感覚を押し込め、拳を振りきった勢いで身体を回転。
隣にいた直刀の剣を持った男の脇腹に蹴りを喰らわせる。
そいつの身体が跳ね、手放した剣を空中でキャッチ。そして右前方に跳躍。
鎚鉾を両手にもった男に対し、手にした剣を一閃。
西洋の剣は日本の刀と違い、"斬る"感覚では無く"叩き潰す"感覚でいいと、何かの本で読んだことを思い出していた。
しかし、実際には手応えをほとんど感じないまま、毛むくじゃらの鎚鉾使いの男の両腕が身体から離れていた。
そいつが痛みに気づく前に、横に剣を振るう。
毛むくじゃらの首と身体を絶ち終えた残心に到達したとき、ひゅんという風切り音が耳に届いた。
剣越しに伝わる肉を立つ感覚に一瞬肌が泡つくが、素手で殴るよりは幾分マシだとも気づいた。
なるべく武器を使うことが精神衛生上よろしいのかもしれない。
襲撃者達の攻撃の最中にも、そんなことを考える余裕があった。
事実、まだ僕は引き延ばされた時間感覚の世界にいた。敵の攻撃は、未だ僕に届いていない。
はっ、と再度呼吸を整え、さらに奥にいる二人を狙う。
側に落ちていた鎚鉾を、その使い手だった男の腕ごと拾い上げ投擲。上手い具合に左の男に命中。悲鳴すらあげず倒れる男。
その身体が地に着く前に右にいた男も切り捨てる。
これで五人。もはや殺戮だ。
だが、脚を止めない。敵の顔が恐怖に歪み、身体が竦んだように止まる。
おそらくは、降参すべきか逃げるべきか、戦うべきか。数ある選択が生まれ、それが迷いとなったのだろう。
万に一つの危険性も残したくない。敵が冷静さを取り戻す前に、何らかの手段で攻撃を仕掛けてくる前に、速攻で仕留める。
一人を蹴りあげ、一人を地面に叩きつけ、三人を斬り捨てる。
最後の一人に身体を向ける前に、悲鳴がこだました。
慌てて目を向ければ、剣を構えた男の胸から切っ先が突き出ていた。
御者さんの剣が、容赦なく後ろから突き刺さっていたのだ。
「卑怯かとは思いますが、私も生命がかかっていますからね」
突き刺した剣を抜き、敵の身体を足蹴にしてトドメをさす。
僕が言うのも何だけれど、その容赦の無い攻撃に思わず唖然としてしまう。柔和な外見に似合わず、結構えぐい攻撃をされるんだと驚きだった。
「いやはや、こう見えて私、現役の頃は≪避役のルカ≫と呼ばれてましてね。こう、不意討ちといいますか、場に紛れての攻撃が得意だったんですよ」
全然格好良くないことを照れながら言われても反応に困るが、はぁと苦笑いを返しておく。
というか、戦闘前のアドバイスをくれた御者さんとのギャップに少なからずショックを感じる。僕は、彼の言葉で覚悟を決めることが出来たのだが、それがなぜかしょうもないことのように思えた。
「はぁ……」
とため息をつき、手にした剣を振るい、刃に付いた血糊を飛ばす。緊張が一気に抜けた。
――スキル【体術】を獲得しました。
――スキル【拳打】を獲得しました。
――スキル【蹴撃】を獲得しました。
――スキル【剣術】を獲得しました。
――スキル【投擲】を獲得しました。
――スキル【神駆】を獲得しました。
それが合図だったかのように、一気に六つのスキルを獲得する。それを涼やかに伝えてくれる女性の声が今は心地よかった。
しかし、こんなに簡単にどんどんスキルを修得していっているが、これがこの世界の当たり前なのだろうか。技能とは、熟練の業というイメージがあったから、ちょっと戸惑いを隠せない。
「しかし、君は凄いですね。特にあの疾さ……恥ずかしながら目で追うことすら出来ませんでした」
「そ、そうですよヒロユキ様!! どこでそんな技を身につけられたんですか!?」
同じように剣を振り、自前の鞘に納刀した御者さんだけでなく、腰を抜かしたようにへたり込んでいたリードも、安心したのか妙にテンションをあげ好奇の目線で見上げてきた。
この質問は困った。思ったら動けてましたとか、言いようがない。
と、答えようのない質問に思いあぐねていると、気配が慌ただしく動くのを感じる。
無意識の中で働いていた【索敵】が森の騒めく気配を過敏に感じ取っていた。
「まだ、残党がいます。二人はここで待っていてください」
「あ、おい、ちょっと!!」
「ヒロユキ様っ!!」
二人の戸惑う声を背に受けながら、一気に森へ向かって駆ける。
質問が上手く流せて良かった、という思いを抱きながら。