012. リード先生の勉強会 -1-
夕日が世界を紅く染めていた。
高い建物がほとんど無いため、茜色に染まった空はとても大きく、雄大に、無限の彼方まで拡がっているように感じられる。
時間は夕方の五時ごろだろうか。時間といえば、驚いたことにこの世界にも暦があるそうだ。
僕たちの世界と同じ太陽暦を基準に作られている世界共通のヴァレスティア暦と、各国独自の暦がある。
現在は、基本的にどの国もこの世界の名前を冠したヴァレスティア暦を使うような動きだそうだが、鎖国状態の国や閉鎖的な国は、まだまだ独自路線らしい。
ヴァレスティア暦では、一年間は三百日あり、一月が三十日、一週間が六日、一日は二十二時間と定められている。
週はこの世界を構築する要素の名から、光、火、水、土、風、闇という曜日名で呼ばれる。
月は光花、水緑、立夏、炎暑、涼風、清秋、初雪、闇夜の十か月あるそうだ。
一年で少しずつ"暦のずれ"が出てくるため、それを直すために四年に一度、アメノヒカリという期間が数週間定められる。その期間は世界中で、様々な祝い事やイベントが開催される祝日になるらしい。
一日は午前十一時間、午後十一時間の二十二時間の周期で、要所要所にある天文大時計によって計られている。
まだ一般的に機械仕立ての時計は広まっていないそうだ。人々は、時間は午前五時から午後九時までの一時間ごとに鳴る大きな鐘の音が目安にするか、簡単な魔術で時間を知ることができる。
実際に見せて貰ったが、個体識別情報票の時のように、簡単に時刻がデジタル表示で記載された光の窓が表示されていた。
「しかし、この馬車乗り心地良いね。馬車ってもっと揺れるのかと思ってたよ」
箱型馬車と呼ばれるこの馬車は天蓋つきの車両で、両側に窓までついていた。その窓は大きくはなかったが、僕が外を覗ける程度の大きさは確保されていた。
窓の外にあった視線を馬車内に戻すと、数人が楽に座れそうなベンチに腰かけている少年と目が合った。困ったような笑みを浮かべている、このそばかすの少年――リードこそ、イリスが紹介してくれた僕の待避先への道案内人にして、この世界の"常識"を教えてくれる先生である。
まだ十歳くらいの少年だが、礼儀も知識もきちんとしたものをもっている。どうやらこの国は、僕たちの世界に比べて『成人』となるのが早いのかもしれない。
「ええ、この客室の下には土属性の魔法元素結晶が敷き詰められています。その効果で揺れが消えるようになっているんです。小さくても、一応皇族用の馬車ですからね」
「それは凄いな。ちなみに魔法元素結晶とか属性とか魔術とかは、やっぱり教えてくれないの?」
「すみません。その辺りは私からは言うなと禁止されてまして……アヤ様に教えを請うようにとのことです」
「アヤ様ってのが、今、目指しているところの?」
「はい。イリス様のご友人で、歴戦の魔術師と聞いています。なんでも<天空の賢者><新人類の目覚め><才能の無駄遣い>と様々な称号《二つ名》をもっている魔術師と噂されていますが、私も会ったことはないので……」
「な、なんか……凄そうだね……」
大層な称号名が次々と飛び出してくる。その統一性のない称号の数々に、一抹の不安が心を過ぎるが、イリスの紹介だから大丈夫だろう。
イリスと別れて既に半日近くが過ぎている。まだ半日かと思ってしまうくらいの喪失感を感じているが、どうやら僕の中で、彼女の存在は半端ないほど大きくなっていたのだろう。『なくなって気づくものがある』なんて陳腐な言葉だけれど、今、凄く実感している。
結局、レンさんが乱入してきた後は、今後の流れの確認と、僕が避難先に向かうための準備に追われ、イリスとゆっくり話をしている余裕がなかったのだ。
なんとかミチードにバレないように、僕のところまで訪ねてくる作戦を練るとは言ってくれていたが、とにかく安全面にはだけは気をつけてほしい。
「ヒロユキ様、お茶はいかがですか?」
「うん? あ、ああ、ありがとう。頂くよ」
自分の記憶の中に深く入り込んでいてしまったようだ。目の前の少年リードの声に、驚いて身体がびくんと跳ねてしまった。これは恥ずかしい。
だが、リードはそんなことを気にせず――あるいは、優しいことに気づいていないふりをしてくれたのか、上の空で空中を眺めていた。お茶をくれるということだったが、何か考えているような姿勢で、視線がちらちらと動いたまま動きを止めていた。
どうしたのかと思っていたら、「あった」と小さく声をあげた瞬間、何も無かったはずの空間からぽとりと、彼の手の上に何か塊が落ちてきた。
何か動物の革のようなもので出来た平べったい筒のようなものだ。続けて、同じように木製のコップも落ちてくる。
「は?」
「え? どうされました?」
当たり前のように、どこからともなく現れてきた筒から液体をコップに注ぎ始めたリードは、僕の驚きに戸惑っているようだった。
「ちょ、ちょ、何それ!? どこからその水筒だしたの? 手品? 魔法? 魔術!?」
「もしかして、【虚空の匣】のこともお忘れなんですか?」
「アイテム、ストレージ?」
アイテムは道具って意味で、ストレージは、確か保管とか倉庫とかって意味だよな。最近はパソコン関連でよくストレージって言葉を聞くけど、直訳すれば『道具倉庫』か。
「何も無い虚無の空間のはずなのに、確かに存在している、次元の匣。誰もが使える、古から活用され続ける生活道具ですよ」
「誰でもって……僕でも使えるの?」
「ええ、おそらく。微かな魔力さえあれば使えますから。子どもでも使っているので、大丈夫です。まぁ、持っている魔力の量に応じて匣の収容能力は変わってくるんですけどね。ボクなんて、まだまだ魔力が少ないですから、鞄一つ分くらいの量しか収容できないですから」
照れたように笑いながら、ぽりぽりと頭を掻くリードくん。いや、リード先生と呼ぶべきだろう。
「我が国の最高魔術師である王級魔術師エリザベート様は、なんでも二階建ての家屋程の収容能力があるとの噂です。羨ましいですよね――」
「教えてください」
「は?」
語り始めたリード先生の言葉を遮る。
リード先生は話し好きのようで、何かのきっかけで話し始めたことについて、結構ぐいぐい説明してくれる。
イリス達がこの少年を案内に付けた理由がそれにあるのならば、大成功だろう。
彼のお陰で様々なこの世界の常識を知ることが出来た。感謝してもしきれない。が。今は、ゆっくり話を聞いている段階ではなかった。
「リード先生、あいてむ・すとれーじってやつの使い方を教えてください! お願いしますっ!!」
「ちょ、ちょっと、ヒロユキ様!? 頭を下げないでください!! それに先生って……ッ!?」
「お願いします! お願いします!!」
「わかっ、分かりましたからっ!! ちょ、ちょっと近いです、暑いです、苦しいですっ!!」
おっと。興奮のあまりに、気づけばリード先生に覆いかぶさってしまうくらいに近づいていたようだ。
だが、それも仕方ないと思う。
リード先生は、どうやら魔術のことについては僕に伝えないように言いくるめられているらしい。先入観を持たないようにということが理由らしいが、僕としては一刻も早く魔術について知りたかった。
子どものころから、手から気功を放ったり、空を飛ぶことを夢見てきていたのだ。
それらが使える可能性を持っているのに後回しな状況は、餌を待つ犬の心境とよく似ている。
そんな時に、魔術っぽい摩訶不思議な現象を目にしたのだ。教えを請わなくてもいいのか。いや、よくない。
「ごほん。ま、まぁ、【虚空の匣】は魔術と言えないくらい当たり前の存在ですから、お教えすることに問題はないでしょう」
ゴホンと前置きして、仰け反っていた姿勢を戻し、着くずれを直すリード先生。
話好きのリード先生にとって「教えてほしい」という要望には弱いのだろう。既にうずうずとした表情だ。
「そうですね。【虚空の匣】は子どものころから気づいたら使っているものですから、あえて使用方法を言語化するのは難しいのですが……まずは『使えて、当たり前』という認識をもつことが重要ではないでしょうか」
「使えて当たり前、か……難しいなぁ」
そもそも魔法的なものに出会ったのが今朝のことなのだ。そこからいろいろなことが起こっているが、未だ僕が魔法を使える気はしていない。スキルのおかげでなんとかやってこれたようなものだ。
「出来ると意識する必要はなくて、心に認識させてやればいいのです。個体識別情報票を出してもらってもよろしいですか?」
「うん。それは得意技よ」
出来ない人はいないですよ的な表情で苦笑いしているリード先生の前に、個体識別情報票を出すよう軽く念じる。
一瞬の間をおかず、僕の基礎情報が書かれた半透明の光の窓が涼やかな鈴の音と共に出現した。
クレジットカードのような個体識別情報票本体をすっ飛ばして、一気にウインドウを出すことにも慣れてきたし、そろそろこのウインドウという存在自体も見慣れてきていた。
「それでは、【匣】を開いてください」
個体識別情報票の上部にあるタブを順に探していくと、確かに【匣】という項目があった。
それをタッチすると【基礎情報】のページが消え、代わりにほとんどが格子状の表――中は空欄だ――のようなもので埋め尽くされたページが開かれる。右端には小さな四角形のつまみがあり、それをスライドするとページ内も上下にスクロールした。
いくらスクロールしても、ページの右下には常に収容能力という文字の隣に、〇と/と『P』のついた数字が記載された小さなウインドウが最前面に表示している。
「あれ、収容能力の表示がおかしいなぁ……」
不思議そうに首を傾げるリード先生だが、自分なりに納得したのか、あるいは細かいことを気にしない性格なのか、些細なこととして片づけたようだ。
「これが、【虚空の匣】の中に入っている道具の一覧になります。このように――」
「おおっ」
リード先生も、自分の個体識別情報票を表示させ見せてくれた。
そこには、通販のカタログのようにポップなアイコン化された道具のビジュアルとその名前、そして個数が表の中できれいに表示されている。
「表示されます。もし【鑑定】スキルをお持ちであれば、道具の使用方法や説明なども表示させることができますよ……ボクは持っていないからできませんけどね」
僕の出した匣のページのように、リード先生のページの右下にも小さなウインドウが表示されていた。
リード先生は、『収容能力、一九 / 二八』と記載されているそのウインドウを指差した。
「【虚空の匣】をどれだけ使えるかが、この数値になります。収容する物の体積と重さで収容能力の占有率が決まってくるんです。これは使っていれば感覚で分かってくるんですが、最初のうちはこの数値を確認しながらのほうがいいと思います。左の数字が現在の占有率――どれくらいの容量を使っているか、ですね。右の数字は現時点の最大の収容能力になります。ちなみに収容能力を超えるものを入れようとすると、収容の際に抵抗が生まれてきますので分かると思います。それでも無理矢理押し込もうとすれば破裂して、容れいていたアイテムがすべて飛び出してきてしまうので、注意してくださいね」
途絶えることなく、噛むことなく流暢に説明し続けるリード先生。
僕は結構、どもったり噛んだりするので羨ましい。
「ちなみに【虚空の匣】が破裂してしまうと、どうなるの?」
「容れていたアイテムがすべて出てくるだけです。【虚空の匣】が壊れることはありませんので、安心してください。壊れるのは持ち主が命を失ったときだけです。その場合もアイテムはその場に全て放置されるので気を付けてください」
死んでしまっては気をつけるも何もないと思うけれど、頷いておく。
「でも、凄いねコレ……あれ、でも、さっき水筒を出したときは、リード先生のこのウインドウ出てなかったよね?」
「それは個体識別情報票の情報を秘匿状態にする【防壁】スキルを使っていたからです」
ひとつ、息を吐くリード先生。少し姿勢を正し、改まった様子で再び口を開いた。
「ヒロユキ様。今ボクがヒロユキ様のを見ていたように、個体識別情報票を実体化したとき、その情報は基本的に外部から丸見えです。しかも【詮索】スキルを持つ者は、実体化させていない個体識別情報票の情報を盗み見ることも可能です。だから【防壁】スキルで情報漏洩を防ぐ必要があるんです。そうしないと【匣】の情報を【詮索】で盗み見、【窃盗】スキルで盗まれることもよくある話です」
「え、別の次元にある空間の物を盗むこともできるの?」
「ええ。それが神からの恩恵であるスキルの凄いところです」
「ちなみに、その【防壁】っていうスキルで、【詮索】や【窃盗】を完全に防げるの?」
「いえ、基本的には【防壁】の方が優位スキルとなっているんですが、スキルにレベル差があった場合はレベルの高いスキルの効果が出ます」
なるほど。どうやらスキルに『矛盾』はないようだ。
同レベルの【防壁】と【詮索】や【窃盗】があった場合、防御側の【防壁】が優位となり、情報の漏洩や窃盗を防ぐことが出来る。
しかし、もし【詮索】や【窃盗】の方がスキルレベルが高ければ、防衛機能が働かなくなってしまうということか。
「まぁ、大事なものは持ち運ぶのではなく、しっかりとした所にしまっておくのが良いと思います」
「それはそうだよね」
よくよく考えれば、元いた世界でも貴重品は金庫に入れるか銀行に預け、持ち運ぶことなんてしていなかった。それと同じことだ。
「後、気をつけなければいけないこととしては……そうですね、道具に関するスキルや魔術の中で、悪意のあるスキルがいくつかあるんです。例えば、【匣】ページ内のアイテム表示をごまかすスキル【改竄】、アイテムの価値や効果を偽装するスキル【偽装】、アイテムの模造品をつくる【贋作】などですね。もし、冒険者や商人といった様々な道具を扱う職に就かれるのであれば【目利き】スキルや、【目利き】の上級スキルである【鑑定】スキルを身につけることをお勧めします」
「なるほどねー。見る目が無いと損をしてしまうのは、どこの世界も同じってわけだ」
「では、実際にやってみましょうか」
「え、やってみるって……」
「大丈夫です。個体識別情報票に【匣】の項目や収容能力の数値が出ていてるということは、ヒロユキ様が心のどこかで『できる』と認識しているからです。だから、大丈夫です」
「そんなものなのか……」
だが、リード先生がここまで太鼓判を押してくれているのだ。
ここは、ひとつ彼の話を信じてみて挑戦してみるのもいいのかもしれない。そもそも失敗したところで失う物は何もないのだ。だったら、やるしかないだろう。
「では、まずは収納からですね。基本的に、収納する際には対象物に手を触れていないといけません。手に触れながら、空間の裏側に『しまう』イメージですかね」
空間の裏側に『しまう』ね。言葉で聞くと訳が分からないが、実際に手に持っていたコップに意識を向け、その向う側に隙間があると仮定してみるとすんなり消えた。
「おおおおっ!?」
思わず歓声。
「では、個体識別情報票の【匣】の項を見てみましょうか」
視線をウインドウに移すと、さっきまで空欄だった表の一番上に可愛らしいコップのビジュアルと、『木のコップ(お茶入り)』という表記、さらに『一』という個数が表示されていた。
このあたりは本当にゲームのような仕組みだ。現実とゲームが融合したような世界。いったい僕は今どこにいるのだろうと、一瞬そんな想いが脳裏を巡る。
「あれ? 収容能力の数値が〇のままですね。もしかしたらヒロユキ様の収容能力は結構大きいのかもしれませんね」
「そうなんだ?」
そういえば、今朝もイリス達が僕の能力を見た時に表示がバグっていたけど、実際には半端ない数値だった。
この収容能力の数値もリード先生から見るとバグっているようなので、本来は異常なほどの数値なのかもしれない。
「まあ、いいでしょう。出すのは簡単で、その『木のコップ』を選ぶだけです。先程ヒロユキ様はウインドウをタッチされていましたが、思うだけで大丈夫ですよ」
リード先生の言葉に従い、『木のコップ』を手の中に戻ってくるように軽く思う。そう念じようと心に決めた瞬間には、手の中にコップが戻っていた。中のお茶も収納前の状態のままだ。
【匣】の項は、再び空欄になっていた。
「一度、どこまで入るか試しておいた方がいいと思いますよ。あ、それと【虚空の匣】の中はこの世の空間ではないので、時間の流れが極端に遅いですから色々と便利なんです。熱いモノは熱いまま、冷たいモノは冷たいまま。素材とかも腐りませんしね。だからか、収納することが出来るのは『高度な魂の入っていないモノ』だけになります。生きている人や魔物なんかは収納できませんので気をつけてください。試さないでくださいね」
「人を容れようなんて怖いこと、できないって」
まぁ、いろいろと試しながら使っていけばいいのではないでしょうか、という締めの言葉で、とりあえずリード先生の【虚空の匣】勉強会は幕引きとなった。
ここまできっちりと説明してくれたことに感謝だ。いつか、きちんとお礼をしなきゃいけないな、と心のメモに書き残しておく。
こういったメモを取り残しておく機能はないのかなぁ、と少しだけ思った。