ヒトガタリグレット
8年前の僕の後悔は、その後8年間を死に神の様に追い回した。
あの時、死んでおけばよかったと、何度思ったことか。
正確には今も思い続けている。
だから僕は訪れた。
廃墟になったというあの古城を。
何も知らずに生きて行くのは……怖いから。……辛いから……。
「皆さん皆さん!お部屋にお入り。晩御飯が出来ましたよ。」
歳老いたシスターが教会の庭で、元気に子供をやっていた僕らを手を叩いて呼び寄せる。
「うおっしゃー!飯だ飯!!…はいタッチ〜」
そう言ってさっきまで一番楽しそうにドッヂボールをしていたダニエルが、僕にボールの後片付けを押し付ける。
慣れてるし、ダニエルは腕っ節がつよいからなあ。
逆らわないほうがいいと、齢10歳にして僕は世の中の理不尽を甘んじて受け入れていた。
「あー!ダメだよ!!ダニエルが最後にボールもってたんだからっ!片付けしないとーッ!」
そう張り切って僕の味方をしてくれるのは、ネアという女の子だ。
ネアは黒い髪に黒い瞳、クリーム色の肌をもっていた。
僕はというと、黄色の髪に白い肌、青い瞳で、
他のみんなもそうだった。
だからだろうか、ネアに僕は前々から恋心を抱いていた。
「…もう!!ディエラも何か言わなきゃだめだよ?」
「…ごめん。でも、いいよ。片付けくらい全然辛くないよ。」
そう行ってそそくさと、片付けに行った僕の背を彼女は不機嫌そうに見ていたに違いなかった。
「今日の晩御飯はシチューよ。たくさんあるから、仲良く食べなさい。」
優しい笑顔でシスターは僕が教会の離れに戻るとみんなに言った。どうやら僕を待っていたらしい。
ここには4人の子供と1人のシスターで暮らしていた。
5人の住人は皆が皆血の繋がりはない、奇妙な関係の間に成り立っていた。
子供は4人が4人とも、孤児であり、当然ながら天涯孤独だった。
あの自分勝手なダニエルも、黒人というだけで両親に捨てられた可哀相な男の子だったし、
そのダニエルに金魚のフンの如くついて回るソールマンも、両親に騙されて孤児院につれてこられた悲劇の人だった。
ただ一つの両親から貰ったシュシュを、それでもソールマンは大事にしていた。
ネアは記憶喪失。勿論両親はいない。生死も不明だ。
ただ彼女は日本とよばれる国の血筋らしく、孤児院にきてから言葉が解らずすぐにはみんなとコミュニケーションをとれなかった。
僕は、両親を交通事故で亡くして此処にいる。
「実はね、明日はダニエルにお迎えがくるのよ。」
シスターは手を合わせ祝福の笑顔を浮かべる。
「!!マジ!?…やったー!!…俺学校とか行って見たかったんだよね!」
溢れんばかりの笑顔を浮かべて、ダニエルはシチューを頬張る。
「それじゃあ、今日はダニエルのお別れ会をしましょ…。」
「……シスター…!ダニエル本当に行っちゃうの…?…俺やだよ…」
とシスターの顔を涙をためて、見上げるソールマン。
ソールマンにとって兄貴のような存在だったダニエルの旅立ちは、両手離しで喜べることでは無かった。
「まぁまぁ、…そうね。ソールマンも一緒に連れていってくれないか、頼んで見ますよ。」
「本当!?…約束だよシスター!!」
「大丈夫。大丈夫ですとも。」
やっと不安が取り除かれたようにソールマンの顔には笑顔がともるのを見て、シスターは美味しそうなホールケーキを用意する。
「……今日まで元気で育ってくれて、ありがとうね。」
シスターが涙を浮かべているのか、やや下を向きながら祝福する。
「泣かないでよ、シスター!…また、遊びにくるから…」
この教会では、孤児院を兼ねており、とあるお城に住む上流階級の人々が子供を欲しがり、教会に身寄りの無い子を引き取りにくることがある。
昔は、僕が5歳の頃はミシエラという当時10歳の女の子が、僕が7歳の頃は当時11歳だったベルトントやジャルビンといった兄貴分達や、サテュラやシエラのような姉貴分達がイギリスのお城にすむロシアの貴族に貰われた。
次の日の朝も
シスターはダニエルとソールマンを涙ながらに見送るが、子供が大好きだという彼女には辛いものかもしれない。そう思った。
でも、良く考えてみれば、あの古びた教会に何人もの孤児達を養う力は無かった。
あれは教会運営上のしかたないことなんだろうと、そう思った。
「二人きりになっちゃったね。」
ネアはブランコに腰をかけて、そういった。
「…うん。」
「……二人じゃあ、ドッヂボールもできないね。」
「…うん。」
「明日から、何して遊ぼっか…?お人形さん入れても、三人しか……いない…けど…」
「……ネア。…泣いてるの?」
「…そんなわけ、無いじゃない。…ダニエルなんか乱暴で自分勝手で……、」
「…でも、ダニエルがいつも楽しい遊び、考えてくれてたんだよね。」
あんなに邪険にしてようと、同じ釜の飯を食べた仲間だ。
別れがつらく無いわけない。
涙を零し、ネアの背中は小刻みに震える。
今なら、言えると思った。
「…僕…ネアのことが好きだ。…大好きだ。……愛してる…。」
まだ、泣き止まないのか小さな肩が震えている。
「なんで、…今そんなこと言うのよ……。……ばか」
悲しみの念は、消えてはいないだろうが、…それでも僕の思いは正しく伝わった。
我ながら、マセたことをしたと思う。
僕は震える小さな肩を、後ろからそっと抱きしめた。
「……ディエラ……私も……、私もディエラが好き。…大好き。……愛してる………だから、ディエラだけは…どこにも行かないでね…。」
「大丈夫。僕はずっとネアの側にいるから。」
その晩。なんだかシスターは、そわそわとしていた。
何かの知らせを待っているかのように。
ジリリリリリリン
シスターは電話がなると、直ぐさま誰にも渡さないくらいの速さで、受話器を取る。
「はい。…はい。いえいえ恐れ入ります。……はい。……本当ですか!?…」
シスターの声が30歳くらい若返ったのかと思うほど高く張り上がる。
受話器を下ろし、シスターは僕らに祝福の笑顔を浮かべてこういう。
「ディエラ…。あなたにもお迎えが来るそうよ。」
ダニエルの知らせから、まだ二日も経たないというのに、急な話だった。
一緒に聞いていたネアは、先程の約束が打ち砕かれるのを感じたのか、泣きながら叫ぶ。
「いかないでっ!!行かないでよ…ディエラ…!!」
懇願するネアの前に立つシスター。
その表情を横からみた僕は、何か冷たい物を感じる。
「ネアも…連れていって貰えるように、頼みますから。…それなら、いいでしょう?」
シスターの笑顔の、見慣れたそれを見ると少し僕も安心した。
「……はい……。」
ただ、あの受話器を取って、あんなに喜ぶシスターを僕は見たことが無かった。
僕らと離れるのは悲しいって言っていた。
それでも喜ぶのは、単純に僕らの安らかな未来の訪れを、正しい幸せを心から祝ってくれていたからかもしれない。
そう思うと、でも、やはり…、あんな風に喜ぶシスターを僕は見たことが無かった。
欲を満たす、動物の様な笑顔を…。
「シスター…僕らに何か……。…何か隠してない?」
そう尋ねた時だった。
優しい笑顔の裏に何かを確実に感じたのは…。
「…何を馬鹿なことを言ってるのですか?…私が何を…」
「シスターは…僕らのことが……嫌い…なの…?」
「馬鹿を言わないでください…。貴方達が嫌いだったら、拾ってなんか居ませんよ。………本当に。
明日は早くに出ますからね、早くお休みなさい。」
そう言って、急ぐように立ち去るシスター。
「…ディエラ……どうしちゃったの??シスターにそんな酷いこと、言っちゃだめだよ?」
確かに、血の繋がりもない、ただの他人の僕らを10年も養ってくれたシスターに酷いことを言った。
10年養うなんて、伊達や酔狂で出来る話じゃないことくらい、僕にもわかる。
やはり僕の浅はかな思い過ごしだと、そう思ってベッドに就いた。
次の日の朝起きると、ダニエルや皆を連れていったあの高級そうな黒い車が、教会の前に停車しているのが僕らの寝床である離れの屋根裏の窓から見えた。
「ネアっ!!すごいすごいよ!!アノ車だ!!金持ちのだ!!」
親に捨てられた、金の無い僕らの深層心理には金や金持ちに対しての憧れがあった。
「やあぁっ…。まだ…眠い…。」
といって横で寝ていた僕に背を向けてベッドに包まる。
「…うわっ…寒ッ……布団とるなよっ!」
とお返しとばかりに布団を奪い、包まってやった。
「ひゃあうっ…つめたいっ…!」
巻かれた布団を強引に引きはがしたためベッドから落ちて冷たい床に肌をぶつけるネア。
布団が厚いからと油断して、パンツとシャツだけで寝ているから、床の冷たさがさぞ染みただろう。
「ばかぁっ!!風邪引いちゃうじゃない!!」
「まあまあ、女の子がそんな薄着ではいけませんよ?」
とシスターは肩にかけてあった布を、ネアにかける。
やっぱりシスターは、僕らのお母さんだ。
昨日の僕は本当に愚かだった。
「シスター…。昨日は酷いこと言って、ごめんなさい。」
「…!…ああ、良いんですよ。…さあ、着替えなさって。……いきましょう。ディエトス夫人の使いの人がお待ちですから……。」
「ディエトス夫人が…!?ってことは私達、ダニエルやソールマン、みんなとまた暮らせるの!?」
孤児院にいた、みんなを引き取ったのは、ディエトス夫人と呼ばれるロシアの貴族だった。
ネアは目を輝かせ、シスターを見る。
絶望的だった状況が一転し、希望に満ち溢れた。
「ええ、そうよ。さあさあ着替えなさいな。」
僕とネアは見つめあい、手を繋いで喜んだ。
貴族に引き取られるということは、良い暮らしが出来るということ。
さらに、孤児院のみんなとまた生活出来るなんて夢のようだ。
鼻歌など歌いながら、着替えを済ませて下に下りると僕らを待っていたのは白い綺麗なコートを着た若い男の人だった。
「おはようございますっ!…私、ネア=シンプソンって言います。よろしくお願いします。」
ネアの張り切った挨拶に続き僕も一回り小さい挨拶をした。
「おやおや、礼儀正しい子達だ。…ご主人も、きっとお喜びになる。……初めまして、私はディエトス家の使いの、カナマ=レイコールと申します。」
礼儀正しいなんてレベルじゃないほど、この青年が礼儀正しく見えた。
服装のせいもあるが、慣れた風に礼儀を重んじネアにも一端の淑女として対応していた。
「さて、行きましょう。…ディエトス夫人がお待ちです。」
カナマは僕とネア、シスターを連れてディエトス夫人の別荘だという、とある古城にむけて車を走らせていた。
かれこれ1時間は経っただろうか、クラシックな音楽はともかく、代わり映えのない山の風景にも飽きてきた。
「カナマさん。…ディエトスさんってどんな人なんですか?」
「ご主人は…そうですね、一言でいうなら…知識の人…ですかね。……ご主人はロシアの大学で生科学の教授をなさっておりまして、とても研究熱心なお方ですよ。」
カナマは後部座席を見るためについている鏡越しに僕らを見つめる。
「…学者さんなんですか。…子供さんとか…いないんですか?」
鑑みれば、失礼な質問だった。
だが、この疑問は解消したかったのだ。
「…ディエラ君は話していて、中々どうして知的でいらっしゃるようだ。……えぇ、ご主人に子供は居ませんよ。…妻子様は10年程前に他界なされました。…以来他の女性を妻とすることもなく、一人で研究に明け暮れていらっしゃいます。」
カナマはどちらかというと、ご主人ご主人言ってる割には、ご主人に対する敬意は一線を置いている風に感じられた。
何処か他人事のように、カナマは語る。
「…貴方方が、亡くなられた妻子様の代わりにご主人を慰めて頂けると、私としても嬉しい限りです。」
「ディエトス夫人は、今も悲しいんですか?…ダニエル達が一緒にいても?」
緑の景色に夢中だったネアは僕とカナマの会話に突然入ってきた。
「…え?…えぇ。まあ、そうですね。…愛した人を失う悲しみは、そう簡単に紛れる物ではないんですよ。」
カナマの、その一瞬の表情の硬直がディエラの目には映った。
ピクリと助手席のシスターが反応し、完全に後ろを向かずに、目だけこちらに向けていた…。
表情は普通なのだろうが、目だけ斜め後ろを見る姿は…睨み付けられていたようで、僕は少し面を喰らった。
そして、今朝謝ったにも関わらず
また言い知れぬ不信感が心に芽生える。
車はほぼ一定のスピードで、左右は木ばかりでも道は綺麗に整備された山道を行く。
そろそろ車が走り始めて120分が経過したという頃にカナマは言った。
「……右手方向に見えましたよ。…あれがご主人のいらっしゃる古城です。」
導かれて、見つけたのは中世に造られたであろう、多くの屈強の騎士達を従えているかのような雰囲気が感じられる古城だった。
「…あらあら。素晴らしいお城ですねぇ。……ダニエル達も元気でやっているでしょうか。」
ときより見せるシスターの不適な笑みに、やはり違和感を覚える。
そんな妙な気分に襲われて、延々と続く緑の景色に嫌気が差し、下を向いた。
本来なら車は強いほうではなく、すぐに気持ち悪くなってしまうのだが…。
ネアは以前興味津々に外の古城を眺める。これから始まる新しい生活に、希望を抱いているらしい。
野生の緑の木々を抜け、古城の敷地内に入ると、整備された緑に変わる。
その時だ。僕があれに気付いたのは。
「ねぇ、ねぇ。ディエラ?…あんなに広ければ、サッカーだって出来るね!!…着いたら何する??……着いたら皆で隠れんぼしようよ!!」
「………。」
「どーしたのよ、ディエラ?」
僕の視界は、ただ一点だけを見つめていた。
何で……あれって……
「…ねぇディエラ!!聞いてるの!?」
「あ、…ああ、ごめん。…ちょっと酔っちゃたみたい。」
そう言いながら僕は、見つけたモノに注意がいっていた。
あれって、もしかして……ソールマンのシュシュ??
粗い布製の腕輪のようなモノが足元に落ちていた。
ソールマンの付けていたシュシュと、おんなじ…。
不思議に思い、シュシュを手に取ると、更にあることに気づく。
……シュシュが引きちぎられていた。
本来、シュシュは願いが叶うまで切ってはいけない。
……なんでここにソールマンのシュシュが…?
ソールマンが両親の形見であるシュシュを、切って捨てるはずないのに……
………あれ。…これ、ソールマンのシュシュじゃない……
こんな所に黒い模様は…無かったはずだ…………。
シュシュの多分、内側から側面にかけての布の色合いを見て、一瞬そう思った。
「…………ッ!!!!」
心臓の脈拍が、周りにも聞こえたのではないかと疑う程、激しく鼓動した。
黒い模様……じゃない………
これは、…この赤黒い模様は……紛れもなく…血だった。
べっとりと…ついていたんだろう。
触ると、凝固した血液の固形が、粉のように落ちていった。
「はぁ……はぁ……」
動機がおさまらない。
心臓が暴れる。
「どうしました?…気分が悪いのですか?」
カナマはこちらを振り返り、そう言う。
「…もう、古城には着いてるのよ。もう少し頑張れる…?」
シスターもこちらを優しく、撫でるようにして見つめる。
「…………あッ………あ……。」
全ての違和感が、ある仮説によって一つの恐ろしい事実に纏まってゆく。
カナマは僕の手のシュシュを見て、顔色を変えた。
「………もう少しの辛抱です。ほら、あそこに駐車したら、すぐに城へご案内しますよ。」
僕らをのせる車は止まり、カナマとシスターは外へ出る。
その後カナマがネアの方のドアを開けて…外に出そうとしていた。
いやな予感しか…しない。
心臓はアラートを鳴らす。
黙って僕はネアの手をとる。
「……何?…早く行きましょ。」
ネアはそういう。
早く外に出たいと。
「……カナマ…さん……。」
「……カナマさん。……皆は………元気なんですよね?」
返事が無い…。
ただずっと笑っている。
「…ダニエルや…ソールマンも、あの城に…いるんですよね?」
シスターも、ずっと僕に笑顔を向ける。
いつものあの笑顔だ。
「…なんで………何も…いってくれない…の……??」
ネアの表情も、少しの変化が見られる。
多分その顔は、僕が感じたあの違和感が…絶望に変わるときの顔だ。
なんで……シスターも、カナマさんも……何もいってくれない……
嘘だ。……あんな仮説…、あんな悪夢のような仮説が当たっているはず……ない。
祈るようにして、声を絞る。
「……皆は……生きて…いるんですよ…ね…?」
この質問まで来て、やっとカナマは口を開いてくれた。
「……本当に、勘の良い子だ。…運は悪いようですが…。」
一瞬、誰の声かわからなかった。
それがあの優男の声だと知った時には、僕の身体は蛇に睨まれた蛙のように動かなくなっていた。
「本当に、ソールマンといい、ディエラといい。……子供の直感ってものは、馬鹿になりませんねぇ。」
カナマの後ろにいたあの優しいシスターは、聞いたことも無いような口調で言う。
「……し…………シスター……??……皆、生きてるよね…?……貰われていったって…」
ネアがはじめて、この危機感に震え声をあげる。
「……あははははははははははひはっ…。……さぁ?私は知らないですよ……。お金さえ貰えれば、どんな風にあの人が扱おうと……売った孤児のことなんか、私の知ったことではありませんから…」
「何を…いってるの…?わかんないよ……。……売ったって…?……お金って…??」
ネアはうろたえた声をあげるが、僕なんか声が出なかった。
あんなに幸せそうに行った、ダニエル達も…?
「……まあ、被験体が尽きたから、貴方達が呼ばれたんでしょうから……ダニエルも死んだんでしょうねぇ。」
仮説だったものが、どんどん真実に塗り替わっていく。
ディエトス夫人は…生科学の研究者……
そう聞いたのを思い出した。
城の入口だろうか、大きな扉が開き…そこから数人のガスマスクをした男達が出て来て、カナマの前に立った。
「……ねぇ、そろそろ報酬の方を頼めっ………」
パァンッ!!!
渇いた何かが爆ぜる音が聞こえた。
その爆ぜる音がシスターの脳天を貫く。
「いやあああああああああッ……」
ネアの悲鳴が児玉する。
目の前で、人が殺された……血の臭い…鉄の臭い…火薬の臭い……混ざり合って吐き気を呼び起こす。
その爆音をならした黒い銃を仕舞い、カナマは言う。
「……つれて行きなさい。」
その声を起点に
ネジが巻かれたようにガスマスクの男達は僕らを取り囲む。
「…いやああっ!!離してっ!!連れてかないでぇっ!」
「ネアっ!!」
いとも簡単に、ネアは担ぎあげられ連れて行かれる。
助けようと、追いかければ…捕まる。
鼓動が高まる。
喉が張り付く。
でも今、男達は必死に暴れるネアを担ぎあげるために、人員を割いていた。
足が震える。
視界にある色が網膜に焼き付く。
恐怖に足が、自ら後ろへと退がる。
「……はぁっ……はぁっ……」
逃げるなら………今しかない。
ネアの悲鳴が聞こえる。
助けなければ、城の中で……きっと殺される。
「助けてっ……助けてディエラっ!!」
それは僕を信じての言葉だった。
誰からも裏切られ、誰もが敵になっても…ネアは僕だけは助けてくれるって信じていたんだろう。
「うわあああああああああああああああああああああああッ!!!!」
でも、僕は走った。
ネアの悲鳴を背に、僕は走った。
「……!行かないでっ……!!行かないでよっ!ディエラぁっ!!」
その後のことは、何も覚えてない。
何も考えられないくらいがむしゃらに走り、木々を潜り、何度も何度も転んで、死に物狂いで逃げた。
その後、ネアがどうなったかは知らない。
あれから8年経って、何度かあの古城に忍び込もうとしたことはあるが、途中でトラウマが蘇り、足が動かなくなる。
あの後、『ディエトス教授はモスクワの大学の研究室で、生徒もろとも、惨殺された。』そう風の噂で聞いた。
明らかに古城に人の出入りもなくなり、持ち主を失った古城はただポツンと未だ建っているそうだ。
そんな噂を聞き、今僕は8年来のトラウマを振り切り、あの古城へと向かっていた。
もう遅いかもしれないけど、…死んでも許して貰えないだろうけど、…ネアに謝りたかった。
それが例え、彼女の墓碑の前でだとしても、謝りたかった。
……どこまでも自分勝手な男だ、僕は。
実際、シエラ達が引き取られてからダニエルが引き取られるまでの間は数年あった。
ということは、数年の間はシエラ達が生きていたんだろう。
だから、ネアも生きてるかもしれない。
……だけど、今、生きたネアに会うのが怖い。
何を言われても文句は言えない。
けど、ネアの口からそんなこと聞きたくなかった。
「………ここだ…。」
ここがあの場所。
城の扉の前、車が停まった場所。
僕がネアを見捨てた場所。
昔はあんなにでかく感じた扉も、今になればそうでもない。
城は誰もいないらしいので、僕は勝手に扉を開けた。
扉を開けて、始めに気付いたことは、この城からは生活感が見れない。ということだ。
綺麗に敷かれた絨毯。
綺麗に飾られた絵画。
綺麗に咲いていたであろう花。
どれも皆、人形の屋敷のように、全く生活感が感じられなかった。
城の中を探索しても、一行にその感想しか湧かない。
昼間だと言うのに、薄暗いその城は二度も主を失い、落胆するかのようだ。
ただ一つだけ、感じの違う部屋があった。
一階にあった、恐らく書斎であっただろうという部屋だ。
沢山の研究資料がそこにはあった。
『人格と脳皮質の因果関係』
『毛細血管の完全な複製』
『体細胞クローンの発達失敗体についての考察』
色々な資料がそこにはあった。
…素人では何が何やらわからないが……それの内容を少し触るだけで、それが人道的でないことは理解できた。
一つの資料を見つけた。
『一個体に対する複数脳移植実験』
と書かれたレポートには、ダニエルらが連れて行かれた日付が書かれていた。
「…これって……まさか……。……『被験体No098』…………ッ!!!……ダニエルだ…。」
シリアルナンバーで識別されていたのだろう。被験体No098と書かれた写真にはダニエルの姿が写っていた。
そして……その写真の背後にあった二枚目の写真が、ここで行われていた実験の恐ろしさを物語っていた。
「……!!……おうぇえぇぇっ……」
思わずその場で吐いてしまう程の悲惨な写真だった。
ダニエルの目はえぐり出るほど、見開かれ、鼻や口からは赤黒い……いや鼻からは赤灰色の何かが零れ落ちていた。
更に背後の写真は、脳を解剖したモノで、この時点でダニエルは死んでいたことが解ってしまった。
『…なお被験者の内一人は、騒いだ為に輸送途中で射殺。
今回の実験で被験体が底を着いたので、新しい被験体を融通する。』
メモのように書き連ねた文字列を読み、僕は僕らが連れて来られた理由を理解した。
「……ネアは!??」
ダニエルの実験の資料があった。
……なら、ネアの実験の資料ももしかしたら…あるのではないか……。
手当たり次第に資料を漁るが、
一行にネアの実験資料は出てこない。
安堵の息が、心臓から出た気がした。
尻餅を突き、乱雑に散らかした資料の上に安座する。
「………なんだ…?……、……床の下に…。」
床の下に空間があることに気づく。
自分の座っている場所だけ、何か違和感がある。
「……地下室…?」
これだけの実験資料がありながら、まだその研究室が発見出来ていなかった。
「……やっぱり…地下室か……。」
思い切って数枚タイルを外すと、下に続く階段が出てきた。
下に行けば、ネアの手掛かりが見つかるかもしれない。
………。
とりあえず、地下室への階段を下りはじめると、未だに精密機械が動いているのか、機械音が低く響いているのが解った。
「…………。」
最悪の場合、まだ研究者がいるのかもしれない。
最悪の事態を想定し、護身様の拳銃を取り出し、いつでも撃てるように右手に構える。
コツ……コツ……コツ……
階段を下りる自分の足跡が、やけに響く。
心臓が耳の当たりで脈を打つ。
とても長く思えたその階段を下り切ると、実験準備室のような先程の書斎の何倍も広い部屋にたどり着く。
そこには、まだ数枚の資料が転がっていた。
「……まさか……!!!」
拳銃をも忘れて、机の上に無造作に転がる資料を手に取る。
「…!!!」
そのまさかだった。
「被験体No099………『人格情報移植体細胞クローン実験』……!?」
写真は一枚だけだったが、それは紛れもなくネアの物だった。
「…あぁ……あ………そんな………」
ネアも……実験動物にされていた。
もしかしたら、もう。…ダニエル達と同じ風に死んでるかもしれない…。
目線を下に下げると、もう一つの実験資料があった。
『炭素人形製造実験』
『被験体No099』
と書かれた資料だった。
写真は無かった。
ただメモにはこう書かれていた。
『実験は成功した。四半世紀にも渡る私の研究は遂に最終段階に入る。来週中にはモスクワ大学に戻り………するつもりだ。』
一箇所、何か滲んで読めない所があったが……、日付は一ヶ月前……。
モスクワ大学での事件は三週間前…。
時間的にも一致する。
この後、この狂科学者はモスクワ大学の研究室で惨殺されたのだろう。
………一ヶ月前までは、確実にネアは生きていたんだ。
………生きていたのに……、助けにこれなかった。
逃げたまま、自分だけ生き延びていた。
「ごめん……。…ごめんよ………ネア……。」
ウィィィィィン
「………ッ!?」
不意にけたたましい機械音が鳴り響く。
やはりこの地下室に、誰かいるのか…?
恐る恐る、この部屋の更に奥にある部屋へと、足を動かす。
………はぁ………はぁ………
あの時と同じ動機だ。
頭が痛い。喉が張り付く。
足が震える。
しかし心の奥には、ネアかもしれないていう淡い希望も…芽生えていた。
一歩、一歩、これまでの人生を振り返るように歩く。
そして覚悟を決めて奥の部屋へと突入する。
「………だれか……いるのか……?」
はじめに目に写った物は、何を入れるガラスの円柱だろうと思うほど大きなガラスの柱と、その中に乱雑に設置された機械類。
良く見てみると、動いていたのは、その試験管内の機械らしい。赤や緑の光を点滅させながら、僕に何かを訴えるようだった。
ただその巨大なガラスの試験管は、パッカリと前面のガラスが開いていた。
中に入っていたのだろう、吐き出された生理食塩水らしきモノが、巨大なガラスのソレの前に水溜まりを作っていた。
僕の足元までびちゃびちゃの水溜まり状態だった。
そして
「……!!!!!」
僕は見つけた。
ほんのりと暖かいその水溜まりの中に、一人の小さなクリーム色をした人のようなモノがうずくまっているのを。
人というより、動かない人形のようだった。
良く見れば、ちゃんと五体満足な人間の子供の形をしていた。
「……君……大丈夫かい??」
その子供を抱きあげて、濡れた髪を掻き分ける。
恐らく、あの試験管の中に居たのだろう。
だからこの子も、哀れな実験動物だったのだろう。
濡れた髪を掻き分け、その子の顔を見た時…僕は、一瞬…あの頃に戻ったような気がした。
だってそこに居たのは…
「………ネ…ア…???……ネア!…無事だったのか!?」
紛れもなくあの頃のネアだった。
意識も無いそのネアに、思わず…語りかけてしまう。
「……え、でも…本当に…ネアなのか??……だって…8年も経ったのに…」
そう、8年も経ったのにネア顔はあの頃と全く変わっていなかった。
寧ろあの頃より幼くも感じる。
「それじゃあ……この子……ネアじゃない…?……じゃあ一体……?」
僕が余りの事態に、うろたえながら抱き上げていると、彼女はそっと目を開けた。
「……!!」
『……ア……れ……、……。』
ぎこちない声帯を震わせ、何かを発音した。
「………あ………、君は……誰なの…?」
可愛いらしい目は、ネアと同じあの目だ。
『……ァ…っ……シ……レ……げほっ……げほっ……』
精一杯息を吸って、むせたのか声帯を震わしながら咳込む。
「…だ……大丈夫??」
そう聞くと、小さく頷く彼女。
言葉は理解して貰えているらしい。
あの可愛いらしい口と、顔つきまで…みんなネアと同じだ。
「僕は…ディエラ。………君は……誰?」
人形のように、全く身体に力の入っていない彼女は弱々しく呟く。
「…わ……かラ……な…い…」
咳込み、声帯が馴染んだのが、やっと聞き取れる言葉を発してくれた。
「何でここに……いるの??」
「……わから…ナい…。」
可愛いらしい声まで、あの頃のネアと全く同じだ。
「………君は…………。」
『人格移植体細胞クローン実験』
不意にあの資料にあったこの言葉が、頭にフラッシュバックした。
………もし、僕の今即席で作った仮説が正しいなら……
この子は……“あの頃”のネアだ。
途中で言葉をつまらせた僕を、不思議そうに見てくる。
だとしたら……これは……
傲慢で自分勝手なのは解ってる。
愚かで身勝手で許しがたい事だとは解っている。
でも……僕は……
「………僕は…君が好きだ。…大好きだ。…愛してる。」
目覚めたばかりの彼女の脳にはまだ伝わらないかもしれない。
でも…。
僕はぎゅっと彼女を抱きしめた。
一衣も纏わないのに彼女の身体は暖かかった。
生きているんだって実感した。
「……だから、君を守らせてくれ。傍に居させてくれ……。…もう絶対に離れたりしないから……。………ネア………。」
自分勝手なのは解ってる。
こんなの許されない事くらい解ってる。
けれど、彼女は僕を抱きしめ返してくれた。
…だから良いだろう?
紛い物だって構わない。
今度はこの命、君に捧げさせておくれ。
こうして僕は、8年来にネアと再開した。