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「ストップ、ストップ! ちょっとぉトオルちゃん。表情硬すぎよ、やり直しねっ」
髭面の厳つい体躯をした中年准教授が、オネエ言葉で俺を叱咤した。
K美大の直心館講堂。演劇コース専攻の俺は、そのだだっぴろいホールの片隅で、午後の実技演習の授業を受けていた。
「すんません、釜田先生」
ペコリと頭を垂れる俺。トレードマークの俺の赤色シャツが、汗でまだら模様になっている。
「もうちょっと身を入れてやってよね。その表情じゃあ、舞台栄えのする天一本店こってり素敵なお顔が台無しよ、昭和の男前クン?」
くすくすと笑うクラスメイトたち。すっかりそのあだ名が定着しているみたいだ。しかし、たしかに准教授のおっしゃる通り。プライベートと学業の切り替えもできないなんて。まったく役者失格だ。
「……はい、すんません」
「なんか心ここにあらずってカンジよ。どうしちゃったの、なんかイヤなことでもあった? ハハーン、さてはオンナ関係ね。恋の相談なら、このオジサマがシッポリと乗ったげるわよぉ♪」
心ここにあらず、か。まさにその通りだ。さっきから俺はLibreでの黒澤華子とのランチのひと時をぼんやりと思い浮かべていた。
Libre。K美大から白川の大通りを挟んで、北白川通りとの交差点の角に面した三階建てビル。その一、二階に店舗を構える本校の学食だ。内装は洒落たコンクリート打ちっぱなし。意匠設計は幼馴染が専攻する空間デザインコースのお偉い教授殿である。リブレとはスペイン語で「自由」の意味。何かと縛られることを嫌う美大生たちの集いの場に相応しいネーミングだ。
「ねえトオル」
俺の向かい席でフォーク片手にBランチを突付く華子。その刃物の先端を、おもむろにこっちに向けながら彼女は続けた。
「しろむー氏の潔白とエックスのアリバイが証明された今、残された容疑者は唯一人――」
「被害者koo±こと河本のカノジョ……って言いたいんやな、ハナ」
俺はコンビニで買ったデザートのカスタードプリンをすくいながら上目使いに彼女を見た。
「ええ。恋人という立場なら、エックスと被害者が互いの殺人をほのめかしていたのを知っていても、おかしくはない筈よ。それを利用しての便乗殺人。動機の面でも一番自然やわ」
「なあ、二人はラブラブやったんやなかったんか?」
「傍から見ればラブラブでも、男と女の真相なんて、誰にも知る由がないものよ」
ロングウェーブの黒髪を掻き揚げながら、物知り顔な表情で俺を蔑む華子。
「まったく男って単純やね」と顔に書いているのがムカツク。ラベンダーコロンの甘酸っぱくも魅惑的な香りが更に俺の感情を刺激する。
「せやけど、そのカノジョにも北バチ……北白川バッティングセンターでバイト仲間と夜通しカラオケというアリバイがあるんちゃうんか? まあ、その様子なら、その河本のカノジョのこと、詳しく再調査済みなんやろけど」
「ええ、名前は椎名 彩。二十歳。恋人である被害者と同じく、ランドスケープデザインコース二回生」
「逆から読んだら『あやしいな』かいな。俺の幼馴染が好きそうなネタやな。確かに第一発見者で恋人つうたらミステリの定石から見ても、怪しさ百二十パーセントや」
華子は続けた。
「大学には滋賀県大津市の自宅から電車通学。容姿は並」
特上の彼女が言うと、嫌味に聞こえる。
「華奢な体系。最近までカレシいない歴二十年。物静かで慎ましやかな性格。バイト先は白川の大通り沿いにあるマクドナルド。学校帰りにシフトを合わせてはるみたいよ。趣味はタロットカードと熱帯魚。普通自動車免許所持。家車の日産マーチを自由に使わせてもらってはる――」
「北バチから殺害現場である百万遍の河本のマンションまで、深夜に車でぶっ飛ばしても往復十五分は掛かる。殺害に五分として所有時間は二十分。なあハナよ。『ちょっとトイレ』とか言って抜け出しても、ちょろまかせるのは、せいぜい五分弱やろ? どうやってその短時間で移動するっつーねんな。得意のタロットカードで呪い殺したとでも言うんやないやろな?」
これはホラーではない、ミステリである。
「ふふっ、そうくると思ったわ」
ユリゲラーのようにフォークをさすりながら、華子は口元に微かな笑みを浮かべて話を続けた。
「いいトオル? もしよ、もし仮に、殺害現場と遺体発見現場がイコールではなかったら――」
「そうか、その手があったか!」
俺は両の眼をまん丸に見開いた。
「そう、被害者を午前零時に北バチの駐車場に呼び出して車内で殺害。カラオケ解散後に車でマンションまで運べばアリバイトリックの完成よ。室内で争った形跡なんて後でどうとでもなるわ」
「でかしたぞハナ、名推理やないか! これで事件は一気に解決――」
「そやけどね、残念ながら――この推理には致命的な穴があるんよ」
さっきまでの饒舌さを影に潜め、浮かない表情の華子。
「なんや、何が致命的なんや?」
「被害者のマンションは百万遍の交差点に面にした今出川通沿い。めちゃ人目の付く所にあるんよ。おまけに――殺害現場である被害者の部屋って三階なんよ。更にはダメ押しにエレベーターもなし」
フォークを指に挟んだまま、頬杖を付く彼女。
「そっか。せやったら、か弱いオンナひとりの力では無理やな。じゃあ誰か野郎の共犯者を使わせたとか――」
「そうだとしても、深夜とはいえ、そんな大通りに面した路上で遺体なんて大荷物抱えてたら、目立ってしょうがあらへんわ。マンションや近所の住人に目撃されたら一発でアウトよ。学生向けのマンションやから、周囲に駐車場もあらへんし」
「せやったら、殺害現場はやっぱり被害者宅のマンションで、共犯者が椎名さんの代理で殺害――」
「そんな危険な代理殺人を引き受ける共犯者にとってのメリットは?」
「……せやなあ」
先日の仕返しを喰らってしまった。短く刈り上げた頭をポリポリとかく俺。
「それにエックスの『犯人は単独犯』との発言も気になるし――おそらくエックスは、真犯人である椎名さんの仕掛けたトリックを完全に見破ってはる。それを推理ゲームという形で、警察や世間に告発してはるんやろうね」
なるほど。それが真相だとしたら、ちょっとカッコイイなエックス。つうかムカツク。
「ハァ、一体どないしたら、誰にも怪しまれずに遺体を被害者宅まで運び込めるんやろう。悔しいなあ。そこさえ切り崩せればチェックメイトなんやけど……」
――華子は椎名さんを完全に真犯人と決め込んでるみたいだ。だが、はたして本当にそうなのだろうか?
解答紳士Xは名探偵城田アナと同じく、この事件の善意の第三者なのだろうか。
そもそも、ここまで話を引っ張っておいて、真犯人はエックスではないなんて……ツイッター推理ゲームの遍く挑戦者たちが、そんな肩すかしな結末を、素直に受け入れるのだろうか。
それとも――やはり真犯人はエックスであり、その正体は城田アナなのだろうか。動機は己の頭脳を誇示する為の快楽殺人。いわゆる反社会的精神病質ってヤツだ。
そもそも、あのあまりにも出来すぎた茶番劇も怪しすぎる。やはり、カコパンも含めアナウンサー室全員がグルなのだろうか。
被害者の死亡推定時刻である午前零時から「目ざましいテレビ」の本番まで六時間。一方、ネットの道先案内検索によると東京―京都間――東京都港区台場のブジテレビ本社ビルから、京都市左京区百万遍まで、車で片道六時間。
深夜なので飛ばせばもっと短縮できる筈。もし城田アナが、アナウンサー室を牛耳るだけの権力者であると仮定すれば、充分に犯行の実現は可能だ。
代理でひとり芝居の狂言バトルを繰り広げていたのは……まさかカコパン?
あるいは、W大学首席卒業を誇るスーパーエリートの頭脳で、何か俺たち常人には想定できない、空前絶後の殺人トリックを考案したとでも言うのだろうか……。
脳髄の奥底で、ラベンダーコロンの香りの記憶と共に、あのエックスの捨て台詞がぐるぐると駆け巡る。
【返り討ちにして差し上げますよ。ええ、もちろん「完全犯罪」でねニヤリ】
万策尽き果てた。どうやら俺たちは暗礁に乗り上げてしまったようだ。
夕方。俺はツブレ荘に向かって、肩を落しながら北白川通りを歩いていた。眼前の夕日がゆっくりと沈みかけている。
ふと立ち止まる俺。右の掌に握り締めた、幼馴染の名前が表示された携帯電話の画面を、じっと見つめながら――
「――サイト、オマエの出番や」
(つづく)