春と君
何気ない”綺麗なだけ”の春がうるさく色づいていく…今思えばどんだ春だったな
学校に登校するために、今日も歩みを進める。今日から新学期だ。新入生ではない俺にとって、入学式などはもう終わった行事であり、今はただ家に帰るだけの時間。俺、宮川春樹は、「にしても……ねみぃ〜なぁ……」と独り言を空に放っていた。
横から少し強い風が吹き、桜が舞い散った。
「これが儚く、そして美しい……というものなのか」
全くらしくないセリフを吐き、自分を鼻で笑っていると、大量の桜吹雪の向こうからこちらをじっと見つめてくる人影があった。
ショートヘアで、桜のような優しいピンク色をした……いや、そうじゃなくて。
「え……なんだ……?」
と思ったのも束の間。
「ねぇ! 君! 今暇だよね! いや暇だね?! 拒否権はないよ!」
人影は全力ダッシュで近づいてきた。一体全体なんなんだ。さっきの眠気が桜吹雪と共に飛んでいった。
「……いえ……暇じゃないので……では……」
逃げ出そうとしたが、「おーっと、どこに行こうと言うのかな?」とバッグを掴まれてしまった。
「なんだよ! 離せ!」
「君、絶対暇でしょ?! さっきまであくびして歩いてたよね?!」
あくびから見られていたのか。いや、そんなことはどうだっていい。
「んだよ! てかお前、どこの誰だよ!」
「お前って! ひどーい! 泣いちゃいますよ? いい年頃の乙女が泣いちゃいますよ?」
「勝手に泣いとけ!」
「え〜ひどーい! 暇ですよね? やることないんですよね?」
「……わかった、わかったから離してくれ!」
逃げたところで、どうせすぐ捕まるだろう。なにせ俺は運動神経が極端に低く、100メートル走は15秒もかかるのだ。
「ぜぇぜぇ……やっと分かってくれましたか……」
「ったく、お前は何なんだよ……」
「お前って! 初対面に失礼ですね?」
失礼なのはどっちだと言いたいが、彼女は「私の名前は**春音四恩**です!」と名乗った。
「宮川春樹だ」
「春樹くんですね! ゴホン……春樹くん……やることのない人間ですね? ついでに友達もいない」
「……」
「図書室、いえ、図星ですね」
ニヤニヤしながら言われ、俺は「うっせぇ……」と返すのが精一杯だった。
「用件を言え。俺は家に帰る」
「せっかちさんですね。別に家に帰ってもやることないでしょ?」
「お前は?」
カウンター気味に問い返すと、彼女は「……空を眺める……」と答えた。どうやら同類らしい。
「単刀直入に言います。一緒に『春』を過ごしてほしいんです」
「春を……? 友達になれってことか?」
「ではない」
「春を?」
「そう、春を!」
理由を聞けば、「春は友達がいないと暇じゃん? 暇じゃダメなの!」という理屈にならない理屈だった。面倒だが、根負けして春の間だけ一緒に過ごすことになった。
四恩はどうやら後輩らしい。それ以降、「はーる先輩!」「その呼び方やめろ」というやり取りが日常になった。
ある日、彼女の家で「やりたいことノート」を書くことになった。
「春なんて簡単に過ぎ去ります。だから今のうちに決めておくんです!」
完成したノートには、気が遠くなるほどの量の「やること」が書かれていた。まずは「散歩」だ。
「春の散歩はいいですよ。暑くないし、寒くもない」
散歩の途中、彼女は突然「はる先輩、しゃがんで」と言い出した。言われるがままにしゃがむと、背中に重いものがのしかかる。
「んぐ……重っ……」
「あ! 今重いって言いましたね? 罰としてそのままレッツゴーです! 四恩号、発進!」
おんぶをして長い距離を歩き、俺の足腰は子鹿のようにプルプルと震えていた。
「はぁー! 楽しかった! また頼みますね!」
「二度とやるか!」
四恩が差し出してくれた水は、驚くほど美味かった。
「次は桜餅。明日、美味しい和菓子店に行くぞ」
「えっ、和菓子店? 先輩、知ってるんですか? 意外……」
そんな会話の途中、四恩のお腹が可愛らしく鳴った。彼女はリンゴよりも顔を赤くして、「聞きました……? 責任取ってくださいよぉ!」と俺の襟を掴んで揺さぶった。
結局、最近できたというカフェに連れて行かれ、男女限定の「愛情たっぷりパンケーキ」を無理やり注文させられた。カップルだと思われ、店員さんの生温かい視線に晒された俺は散々な目にあったが、店を出た四恩は「私は楽しかったですよ?」と上機嫌だった。
「あぁ、またな」
別れ際、自分でも驚くほど自然にそう言っていた。
ある朝、登校中に背中に衝撃を感じた。
「挨拶代わりにのしかかるのをやめろ」
「へーい」
「おはよう、四恩」
「え、あ……お、おはようございます……」
なぜか彼女は照れていた。
学校では妙な視線を感じた。
「四恩、最近元気だよね。前は教室の隅で過ごしていたのに」
クラスメイトのそんな会話を盗み聞きし、俺は驚いた。彼女も俺と同じ、影の薄い側の人間だったのか。
放課後、俺は理事長の**塩崎環奈**に呼び出された。
「四恩は、私が養子に引き取った子なんだ。そして、あの子の命はもう長くない。もってあと2週間……春の終わりまでだろう」
目の前が真っ白になった。あんなに元気な彼女が、家では毎日苦しそうにしているという。
「あの子の唯一無二の友達になってくれた君にお願いしたい。最後を一緒にいてやってくれ」
理事長は頭を下げた。俺は「最高の思い出を作ってやります」と決心した。
それからは、毎日を大切に過ごした。インフルエンザという名目で休みをもらい、綺麗な花畑へも行った。
そこで四恩は言った。
「きっともう知っているんですよね? 私の寿命のこと。先輩に出会えてよかった」
彼女は、今まで見たこともないような綺麗な笑顔を見せた。
運命の日が近づいていた。ある夜、理事長から「四恩がいない」と連絡が入った。
俺は必死で探し、あの桜の木の下で彼女を見つけた。
四恩は俺を見ると逃げ出したが、今の俺は必死だった。追いついて腕を掴む。
「なぜ逃げる?」
「最後は楽しく死にたかったんです。先輩を選んだのは、楽しそうだったから。……迷惑でしたよね? ごめんなさい」
「迷惑だったけど、楽しかったぞ」
二人は笑い合った。しかし、四恩は突然、崩れるように倒れた。
救急車で運ばれる四恩を見送り、翌朝、俺は病院へ駆けつけた。
病室には、顔色の悪い彼女がいた。
「先輩、最後のやりたいこと、してもいいですか?」
彼女は、やりたいことノートと、あの日買ったクマのキーホルダーを俺に託した。
「先輩、好きです。付き合ってください」
「……もちろんだ。こんなにうるさい奴、俺以外には手に余るからな」
「やった……嬉しい」
四恩は最後に「ハグしてください」と言った。
抱きしめると、彼女の髪からは甘い香りがした。
「ありがとう、先輩と……」
彼女はあの時の笑顔を見せたまま、静かに眠りについた。機械的なアラーム音が響き、彼女の春が終わった。
すべてを失った春。
今日もあの木を眺める。
「儚く、そして美しい……か」
春の終わりを、そして新しい夏の訪れを感じながら、俺は歩き出した。




