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掌編・異世界転生――人形の国

作者: 佐倉美羽
掲載日:2025/11/29

 白い部屋の片隅で、少女と人形は二人きり。二人は大切なお友達。

 何も話せない人形に、少女はたくさん愛を注ぎました。髪を撫でて、本も一緒に読んで、壊れたら直してあげて。人形は動かない指先で、ただ少女の瞳を見つめていました。それだけで、二人は幸せだったのです。ベッドの上は彼女たちの遊び場。世界のすべてでした。


「あなたは、私の一番の友達だよ」


 その言葉は、人形の胸にあたたかな何かを灯しました。心臓は無いはずなのに。でも、それはとても大切な言葉。だから、もし、人形に言葉が届いていのなら……。どんなことがあっても、その言葉だけは忘れないでしょう。


 ――絶対に。



 ✿✿✿



 目を覚ますと、私は大きな木の下にいました。


 ――ん?


 枝葉の隙間から、満天の星空が見えます。まるで紫色のキャンパスに白い絵の具を散らせたような、幻想的な星空。瞳のようなお月様がいくつも浮かんでいる、知らないところ。


 ――あ、あれ……?私、確か病院でいつもどおりに……


 思い出そうとすると、ザー……、ザー……。白く弾けるノイズ。その奥で、微かに女の子の笑い声が溶けていきました。まったくわけがわかりません。

 辺りを見渡すと、辺り一面に白い花園が広がっています。その奥に花園を囲いこむように街が見えました。まるで白い海と島。風で揺られるごとに優しい潮騒が頬を撫でます。

 でも、その柔らかい感触が、これは夢ではないことを私に突きつけてくるようでした。


 ――落ち着いて。大丈夫、大丈夫……。きっと上手くいく。


 騒めく心を落ち着かせるために目を瞑り、なんどもそう唱えます。私の特別なおまじないです。あるいは、これは悪い夢。だから、どうか醒めて欲しい。そう願って、手も合わせてみました。

 ですが、目を開けてみても、見えるのはやはり花園、ポツンと立った木。遠くに広がる街を、星屑が彩っていました。どうやらここに神はいないようです。望みは絶たれました。


 ――とと、とにかく、街を目ざしましょう……!


 ここで立ち尽くしていても、きっと根が生えるだけでしょうし。深呼吸をして、どうにか気持ちを落ち着けて。私は歩き出しました。いつの間にか着ていた白いワンピースに可愛い靴。白い花をそっと避けるように歩を進めながら、街を目ざしていきます。月が出ているから今はきっと夜でしょう。たくさん浮かんでいるから、とても明るい。静かで、美しい場所。星砂を踏みしめるような、小さな足音だけが静寂に溶けていく。


 ――あれ、身体が軽い……?というか、疲れない。


 それになんだか、こうやって自由に歩き回るのが新鮮な気がします。正直に告白するなら、私は少しワクワクしていました。きっとここは特別な場所。夢の楽園なのかもしれませんね。そんなことを考えていました。


 草花を踏む音が石畳を叩く音に変わると、可愛い家々が立ち並ぶ大通りが見えました。人々が行き交い、賑わっている繁華街。だけど、私には異様に見えました。


 ――人形……?


 道行く人は皆、表情が無い。張り付けたような無表情で生活を営んでいる。球体の関節を軋ませながら、人間の残滓をなぞるように。ただ、自分の知っている人間の行動を繰り返すように。それが、人間であるとでも言うかのように。


「痛っ」


 あっけにとられていると、カツンと音がした。誰かにぶつかられて、よろけてしまったようです。ニスのような鼻に抜ける匂いがして、振り返ってみると、そこには灰色のスーツを着た男――の人形。ガラスの瞳が私を見下ろしていました。


 ――ひっ……!


 まるで暖かさを感じない眼差し。身体が硬直し、足元から凍り付いて動けません。音が消えて、感覚が消えて。男の瞳から目が離せません。永遠に続くような感覚に、頭が真っ白になりました。

 でも――

 男の人形は私に軽く頭を下げて、そのまま何事もなかったように歩いて行きました。私は呆然とその後ろ姿を見送ることしかできません。だんだんと凍り付いてきた脚に熱が戻っていきます。同時に、身体が震えてきましたが。


 ――襲われなかった……?なんで……


 人形たちは人間に友好的なんでしょうか……。物語に出てくる、いわゆる“モンスター”。それとは異なる存在なんでしょうか。まったく、さっぱり事態が飲み込めません。

 心は荒れ狂ったまま。息を呑んで辺りを見回すと、道行く人形たちはまるで私のことなんて存在しないように、それぞれの生活をなぞっています。


「あ、あの!すみません……!」


 勇気を振り絞って、女性……の人形に話しかけてみました。ですが、一瞥すらされずに立ち去っていきます。


「ここは、いったい何処なんでしょうか……?」


 家先で箒を履くおばあちゃん人形は、自分の仕事を優先します。返事は箒の音と、ぎぃ……ぎぃ……と関節が擦れる音だけ。


「た、助けてください……!病院に帰してください……!お願いします……!お願いします……」


 大通りを歩きながら、そう叫びます。でも、誰の耳にも届きません。まるで私は空気のように、道端に転がる石ころのように、誰の目にも止まらない。その無言が、無視が、私の口を噤ませました。

 私は唇を一文字にして石畳をコツコツと歩いて行きます。人形に交じりながら、ただただ歩いて行く。幸い、身の危険はありません。だって、誰も私に興味を示さないのですから。当然です。でも、どうしようもなく心細い。ひたすらに、この世界で、私はひとりぼっちでした。


 ――帰りたい。


 空に浮かぶ瞳のような月がいくつも私を見下ろしていました。紫色の空に星々が輝き、時折、流れ星が零れ落ちます。

 それでも私は、人形たちに交じって大通りを歩いて行きます。動いていないと、不安で押しつぶされそうでしたから。だからこそ、でしょうか。ふと私の頭に問が浮かびあがりました。


 ――私は、元の世界に戻ることが出来るのでしょうか。


「大丈夫、大丈夫……。きっと上手くいく」


 勝手に浮かぶ嫌な答えをかき消すように。自分に言い聞かせるように。星に祈りの言葉を捧げるように。何度も言葉にします。それが、今私に出来るただ一つのことでした。それでも、まるで私の存在など初めから無かったように、時間が刻々と過ぎていきました。



 ✿✿✿



 もうどれくらい時間が経ったでしょうか。多分5日くらいは経ったと思います。ここは不思議と疲れや眠気が訪れません。そして、ずっと夜のままです。私は、依然としてこの人形の国を歩き回っていました。

 ……失礼。ただ、歩き回るのではなく、出口を探したり、他の人間がいないか探してみたり。つまり私は観察をしていました。


 誰にも助けてもらえないなら、自分で何とかしないといけませんし。他にやることもありませんでしたから。それと、鏡に映った私は、なんだか思ったよりも綺麗で驚きました。

 ……まぁ、寂しさは、消えてくれませんでしたが。


 分かったことは、人形の国はドーナツのような形状をして、とても広い。中央にある花畑を囲うように、作り物のようなおしゃれな街並みが広がっています。中には露店やカフェ、本屋、飲食店?や白い箱のような家もありました。そして、人形たちはそこで生活をしている。ネジやボルトのような通貨を使って、毎日同じことを繰り返していました。


 私は、カフェテラスの一つに腰かけながら、じぃっと人形たちを見ていました。まるで自分も人形になった気分です。道行く子供人形を目で追い、近くに座った老人形をまじまじと目に留め、お盆を持ってグラスを運ぶ店員人形の動きを目に映す。


 ――あれ?


 違和感がありました。何か他の人形と違うような、間違い探しで何となく答えが浮かび上がってくるような、ちいさな違和感。隣に座った紳士の人形。目を細めて、集中して見てみます。


 ――あっ!


 気が付きました。この人形、指が欠けています。左手の薬指が、丸ごとない。壊れています。裕福そうな人形なのに、完璧ではない。傷がある。

 異世界にやってきて、ようやく得られた“変化”でした。ここにいる人形たちは体型から年齢、性別に至るまで様々な形状がありました。ですが、改めてよく見てみると、どれもどこか壊れています。


 私は再び腰を上げて歩き回ってみました。ある男の人形は目がありませんでした。ある女の人形は歩き方がぎこちなかったです。そのほかにも腕や脚、頭の一部と言ったどこか欠損した人形達ばかりです。


「壊れたまま、直されない人形の国……?」


 これは、いったいどういうことなんでしょうか……

 手がかりの様で、全く役に立ちそうにない。それでも、この謎を追えば何かわかるはずだと言い聞かせ、そう、縋る思いで、人形の傷を探して回りました。


 その際に、白い壁に覆われた静かな家を見つけました。他の家は瓦に可愛らしい装飾窓、煉瓦で建てられたていたのに、この家だけは何もない。のっぺりした白い家。扉と窓があるだけの、角砂糖みたいな家でした。


 見上げると、なんだか落ち着くような、そんな気がして。そして、手癖のように扉をノックしていました。コン……コン……コン……。乾いた音が響きましたが、返答は返って来ません。


 ――ここは、どこかお薬のような匂いがします。病室……なんでしょうか。


 息を呑みこみ、ドアノブに手を掛けました。ギィ……と、音を立ててゆっくりと扉が開かれます。


「誰かいますかー……」


 薄暗く、窓から差し込む月明かりが頼りなく部屋を照らしていました。白い壁に覆われた、シンプルな部屋。慎重に足を踏み入れると、奥に大きなベッドがあります。


 それは、夜そのものでした。夜の帳を下ろしたような黒髪。陶磁の白肌に黒曜石のような瞳。小さな鼻に、ぷっくりとした愛らしい唇。目を奪われるような少女の人形。そして、何よりも目を引くのが、腹部。ひどく裂けて、砕けて、潰されて、もはや立ち上がることも出来そうにない。


 思わず生唾を飲み込んでいました。確かに、美しい人形でした。でも、どうしてか、この見捨てられたように動かず、言葉もなくベッドに横たわる人形に強く惹かれました。まるで、その痛みに覚えがあるように。


「あ、あの……」


 震える声で人形に呼びかけます。自分でも気づかず手を伸ばしていました。今までどの人形も反応はありませんでした。でも、どうしてか、私は黒い人形に声を掛けていました。まるで、人間に語り掛けるように。

 すると、どうでしょうか。人形の目が、微かに動いた。そして、私の眼をまっすぐに見据えた。「近づかないで」そう目で訴えるようでした。


「どうか、怖がらないで。私は、貴女の友達。大丈夫、大丈夫です」


 口よりも心が先に動いていました。私はこの時すでに、決意していたのです。そうするために、私はここに呼ばれたんだと、直感しました。


 ――この人形を、直したい。貴女を救いたい


 とても、静かな夜でした。白い部屋で私は黒く美しい人形と出会った。怯えたように目を瞑るあなたの手を、私はそっと握る。冷たくて、無機質な肌触り。薬の匂い。ベッドの脇に膝まづいて、その硬い手を両手で包み込んでいました。

 恐る恐る開いた黒い瞳と目が合います。私は目を逸らさずに、まっすぐ受け止めました。


「貴女の名前は、マキナ」


 どうしてか、頭の中でその名前が思い浮かんでいました。これ以外の名前はあり得ない。魂に紐づけられた名前。そんな気がしました。


 永遠に続く夜の世界で、私はマキナと出会った。太陽が死に、月が息づく世界で出会った特別な人形。

 見つめ合い微笑むと、黒い人形、マキナはコクリと頷いていました。



 ✿✿✿



 他の人形とはコミュニケーションを取れなかったけど、不思議とマキナとは通じ合えました。マキナは言葉を話せないけど、頷いたり、瞬きをしたり、反応が返ってくる。やっぱりこの娘は特別です。


 人形の国に来て、ようやく誰かと話すことが出来ました。話すごとに、マキナが頷く。そうすると、私の心の奥底で絡まった不安の糸が少しづつほどけていく気がして。気づいたらまた話しかけてしまう。いつしか、私にとってマキナは心の拠り所となっていました。


 マキナの腹部なのですが、ひどいものでした。へその部分から胸にかけて、縦にぱっくり抉れて、裂け目の奥底が黒く(ひず)んでいます。(ひずみ)は蠢いて他の部位に浸蝕するように広がっているようにも見えました。


 ――まずは、この(ひずみ)を取り除かないといけませんね……


 傷を塞いだりするのはその後です。幸い、この辺りは様々な道具がありました。ハサミや針と言った裁縫道具。木槌や錐と言った大工道具。それらをお借りすれば、修理は出来そうです。


 ……それに、辺りを歩き回っていると、ここのような白い家がぽつぽつとあったのですが……。やはり、この建物は病室だと思います。マキナの家は個室でしたが、大部屋のように四つのベッドがあるものが多数。そして、そこに寝そべる人形たちは、より損傷が激しい。腕そのものが無かったり、頭が無かったり……。その、完全に壊れてしまっている人形もありました。死んでしまった。と言えばいいのでしょうか。


 ――ごめんなさい……。あなたのパーツ、お借りします。


 私は完全に機能停止している人形から使えそうな部品を取り出していました。マキナに移植するためです。罪悪感で押しつぶされそうになりました。心がシクシクと痛みます。でも、彼女の苦しみを取り除けるなら、これくらいは平気、です。


 たくさん荷物を持って夜道を歩き、マキナの元へ。まるで泥棒の様でしたが、やはり相変わらず誰も私を気にしません。今だけはそれがありがたかった。ですが、気のせいでしょうか。少し星の数が減っている気がしました。


「マキナ。今からお腹の修理を始めるね。いっしょに頑張ろうね」


 ベッドの傍でマキナに優しく告げました。ですが、少し怖がっているようにも見えます。私も、とても緊張します。失敗したらどうしよう。壊してしまったらどうしよう。そんな考えが脳裏に過りますが、決して顔には出しません。


「大丈夫、大丈夫……。きっと上手くいきます。絶対によくなりますから」


 私はマキナの手を握り、優しくさすりました。顔を見上げると、光を飲み込むような黒い瞳が揺れていました。それは、まるで人間の様に不確かで、あたたかな光。両手に広がるのは無機質な肌触りなのに、どこか脈動するような熱を帯びている。冷たい感触の中に、生の残滓が残っている。マキナはゆっくりと頷きました。


 月の光が窓辺から零れ落ち、マキナが横たわるベッドに四角い島をつくる中で、私は深呼吸を一つ。少しずつ、慎重にマキナの腹部を割っていく。瞬きすら忘れるほど研ぎ澄まされる指先、自分の息づかいすら、聞こえない。この世界には、私とマキナしかいない。そんな錯覚になるほど、静かな世界。パキン……パキン……と、陶器を割る音だけが響いていました。

 ぬらぬらと蠢く黒い(ひずみ)を取り除き、こびり付いた汚れを丁寧に拭っていく。そして、完全になくなったころには数十時間ほど経っていました。私にとっては一刹那の出来事でしたが。


「マキナ、終わったよ……!上手くいきました……!」


 マキナはゆっくりと目を開けて、力なく頷いていました。よかった。本当に良かった。何故だか、私まで心から安心しました。まだ、腹部の修復が終わっていませんが、少しずつ塞いでいけば、マキナは完全に修理できる。糸と針を使って少しずつ塞いでいけば、マキナは外に出歩ける。自由になれる。何故だが、それが本当に嬉しい。胸の内が、ポウっと火が灯ったように暖かくなりました。


 ――ああ、マキナ。本当に、よかったね。


 腹部の修理は少しずつ進めていきました。破片に糸を通し、蜘蛛が巣を張るように少しづつ形を作っていく。それは、まるでマキナの鼓動を縫うような作業。壊れた人形の破片を、少しづつ紡いでいく。とても、とても長い作業でした。ですが、少しも辛いなんて思いません。長い時間、私はおしゃべりをしながらマキナを結い、時には歌を歌いながら、マキナを象る。それは、私にとってとても満たされた時間だったのです。


 ですが、ある日、空が割れるような轟音が鳴り響きました。白い家が揺れて、雷が腹の奥に落ちたような、響き渡る音。これはいったい何事か。わたしは、慌てて外に出ました。

 人形たちは変わらずに生活を繰り返していましたが、耳をつんざくような音は鳴りやみません。音の鳴る方、見上げると幾万の星が瞬く夜空が、割れていました。縦に破かれたように、次元の狭間が現れていました。


 そして、その先に見えたのは――病室。ベッドで眠る少女の姿。

 髪は抜け落ち、やせ細った、一人の少女。


 ――ああ、あああ……。なんてことを……!


 思わず口を当てて、星空に映された少女を見上げていました。だって、その子に見覚えがあったから。どうして、今まで忘れてしまっていたのでしょうか。


 “マキナ”


 かつて、私を一番の友達だと言ってくれた少女。

 走馬灯のように、思い出が、貴女への想いが蘇っていきました。そして、“私”の使命が炎となって溢れ出てきました。


 “私”は――マキナの人形。貴女の、一番の友達。マキナの心の支えであり、記憶の中の「友達」。

 この時、私はすべてを、すべてを理解したのです。


 この異世界は、貴女の心の風景。

 傷ついた人形たちは、貴女の心の断片。

 あの人形のマキナは、貴女の心の本質。


 そして、裂けた空は、貴女が夢から目覚めかけている証だということを。



 ✿✿✿



 それから、私は針に糸を紡ぎ続けました。少しずつ、少しずつ、傷口が塞がっていきます。その間、私はずっと眠り続ける貴女に話かけていました。貴女に髪を撫でられて嬉しかったこと。貴女のいろんな気持ちを、全部受け止めてあげられて誇らしいこと。針を縫うごとに、マキナが修復されていく。


「私が直してしまったら、貴女は私を必要としなくなるかもしれません。それでも――私は、貴女に生きてほしい」


 マキナは目を瞑り、何も答えません。ですが、きっと届いている。かつて、貴女がそうしてくれたように、私は貴女に話し続けました。世界が、少しずつ(ほど)けていく。星が、月が、姿を消していく。ガタガタと窓枠が震える音が部屋に落ちる。夜明けは、近い。


 ――大丈夫、大丈夫。きっと上手くいく。


 貴女は私を抱きしめて、ずっとそう囁いていましたよね。貴女は手術に怯えていた。私は、貴女の傍にいることしか出来なかった。震えるあなたをそっと抱きしめることも出来なかった。それが、すごく悲しかった。私は人形だから。外では人形たちが動きを止めています。まるでゼンマイが切れたかのように。世界から、温もりが消えていく。


 でも、今はこうして、私は貴女に語り掛けることが出来る。私の気持ちを伝えることが出来る。愛してくれてありがとう、マキナ。私は貴女がくれた幸せを、少しでも分けてあげたい。だから、私はこうして糸を紡ぐのです。貴女の鼓動を縫い合わせていくのです。


 ――それが、私たち人形の使命だから。


 私の、失われていた記憶が少しずつ、泡沫となって溢れてくる。

 私の髪を梳いてくれた日もあった。

 着せ替え遊びをした日も、ままごとをした日も。

 ぎこちない手つきだったけれど、それがとても愛しかった。


 ――貴女と遊んだ記憶、その最後の一欠片。


 私は貴女のお人形。幸せな、貴女だけのお人形、ライラ。

 私の名前は、ライラ。貴女がくれた、大切な名前。


 最後の針を通して、傷が閉じる。ひび割れた箇所が光を放ち、まっさらな肌に塗り替えられていく。白く滑らかな陶磁の肌。触れると、蜘蛛の巣のような跡が出来ていました。傷は、完全には直りませんでした。痕になってしまった。それが、少し、気がかりでした。

 でも、目を覚ました貴女は、その黒曜石の瞳に光が宿っていました。目を開けて、私に微笑んだような気がして。

 そして、確かに、言ったのです。貴女は私の目を見て、唇を震わせながら確かに紡いでくれたのです。


「ありがとう。あなた(ライラ)は、私の一番の友達だよ」


 私は人形です。心臓は無いし、涙も流せません。ですが、この時、涙がこぼれていました。胸の奥が熱く高鳴り、私の目に、涙が流れていたのです。


 ――ええ、こちらこそ。マキナ。


 私は、使命を果たせていたでしょうか。

 私は、貴女の支えになれていたでしょうか。

 私に、意味はあったでしょうか。


 部屋は音も無く崩れていきます。星が、一つ。また一つと消えていき、空が白んでいく。たくさん浮かんでいたお月様も、今は一つしかありません。人形の国が崩れていく。傷ついた人形たちが光の粒子となって消えていく。私は、微笑むマキナをそっと抱き寄せました。腕が余るほど小さな背中。サラサラと揺れる絹のような髪が、私の無機質な手に触れました。


「マキナ。大好きです」


 ――貴女の目覚めが、孤独をそっと溶かす、優しい光になりますように。


 貴女と話せて、本当によかった。ここに来て、心からよかったと、そう思います。マキナ。私の、一番の友達。

 そして、私は光に包まれ――貴女の元へと還っていったのです。



 ✿✿✿



 ベッドの上で、少女が微笑んで言いました。つやつやの、絹のような黒髪の少女。

 長く病床に伏せて、ひとりぼっちだった女の子。

 その手には真っ白な美しい人形が、大切そうに抱かれていました。


 ――ただいま。


 どうして、少女の様態が急激に良くなったのか。どうして、手術に耐えられる体力が残っていたのか。誰にもわかりません。でも、“私”は思うのです。あの時、あの瞬間、世界は少しだけ、優しさに満ちていました。


 『掌編・異世界転生――人形の国』(完)

◆あとがき

ここまで『掌編・異世界転生――人形の国』をお読みいただき、誠にありがとうございました。


孤独に沈む少女と、ただひとり寄り添おうとした人形――

ライラとマキナの小さな奇跡は、あなたの胸にどんな灯りを残せたでしょうか。


この物語は、私自身の「誰かを支えたい」という願いと、

いつか読んだ物語制作の教本で見た一つの例から生まれた作品です。

記憶の奥底に沈んでいた断片を拾い集め、今の自分の想いと紡ぎ合わせました。


もし、わずかでも心を震わせる瞬間があったなら、

それは作者にとって何よりの救いであり、喜びです。


あなたの評価や感想は、次の物語へと続く“糸”になります。

どうか、その一声をいただけましたら、これ以上ない励みとなります。


最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

また別の物語で、あなたと再び巡り会えますように。


――佐倉美羽

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