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十八話「愛」

「ねえ」とあやは眠そうに言った。

「あの時、わたしからほおにキスされて、どう思った?」


「それは、もちろん……嬉しかったよ」


「そっか……」

 綾は繋いだ手を見つめた。

「あの続き、する?」


 その言葉に驚き、横を向くと――――綾は僕に口づけした。


 僕は呼吸を忘れ、彼女の閉じたまぶたを見つめて硬直した。




 あれから、どれくらいの時間が経っただろう?

 僕が『綾とキスしている』という状況を理解した頃、彼女はようやく唇を離した。綾の顔は夕焼けのように赤く染まり、荒い呼吸が胸を上下させていた。綾は透き通った瞳で僕を見つめ、何度も、何度も口づけした。僕たちはそのまま二人だけの世界に溶けていった。

 今、僕は好きな人と繋がっている。世界一の幸せ者だ。綾は陽だまりのように温かく、僕の全てを包み込んでくれた。綾は僕に愛を教えてくれた。




 ◇ ◇ ◇




 六畳の部屋は落ち着きを取り戻していた。エアコンが静かに稼働して、部屋の暖かさを保っている。


「わたしは最低よ」

 綾は天井を見つめた。


「どうして?」


「だって……」と綾は言いよどんだ。

「わたしは寂しさを埋めるために、あなたを利用したのよ」

 彼女は口元まで深く布団を被った。


「綾は自分に厳しすぎるかもしれないね」と僕は言った。

「電車の中で、僕も同じようなことを考えてたんだ。動物愛護のつもりが……まあ、これは今度話すよ。それにさっきだって、綾が彼氏と別れたって聞いた時に、僕は喜んでしまったんだ。これで僕にもチャンスがあるかもしれないって。だから、最低なのは僕の方なんだ」


 彼女は少し考えた後、クスクス笑った。

「綾って呼んでくれた」


 確かに、僕は頭の中で彼女を『綾』と呼んでいたが、声に出してしまったらしい。

「なんだか照れくさいな」


「どうしてよ? さっきは何度も情熱的に呼んでくれたじゃない」

 綾は体を寄せ、僕の頬に口づけした。まるで雲の上に寝転ぶような気分になった。

 気がつくと、綾はスヤスヤと寝息を立てていた。僕は彼女の柔らかい頬に指で触れたあと、眠りについた。




 僕はヨルシカのライブに来た。今は『斜陽』が演奏されている。僕が最も好きな曲のひとつだ。


――――――――――


頬色に茜さす日は柔らかにぜた

斜陽も僕らの道をただ照らすのなら


もう少しで僕は僕を一つは愛せるのに

斜陽に はにかむあなたが見えた


静かな夕凪の中

僕らは目も開かぬまま


――――――――――


 曲が終わると、僕の拍手だけが鳴り響き、静寂に圧倒された。そこで僕は目を覚ました。どうやら夢を見ていたらしい。綾は台所にすらりと立っていた。お椀をスポンジでこすりながら、『斜陽』の鼻歌を口ずさんでいる。


 僕は寝返りを打った。斜陽のように温かい綾の香りが布団に残っている。彼女は十秒ほど鼻唄を続け、ようやくこちらを振り向いた。僕と目が合うと、彼女は水を止めて微笑んだ。

「おはよう」


「おはよう」と僕も言った。

「素敵な歌だったよ」


 綾は顔を真っ赤にしてよそを向いた。ジャックが撫でろと言わんばかりに歩いてきて、僕の手に体をなすりつけた。


「はい、どうぞ」

 綾は水を入れたグラスをローテーブルに置いた。


『綾と結婚したら、こうやって朝を迎えるのかな……』と想像しながら、冷たい水でのどを潤わせた。


「僕も片付けを手伝うよ」


「ありがとう」と綾は言った。

「でもその前に、犬の散歩へ行きましょう?」


『散歩』という綾の言葉に反応して、ジャックの大きな耳がピクッと動いた。ジャックは壁にかかっている首輪をくわえて取り外し、綾の前に運んできた。僕は犬の賢さに感心した。高齢の犬とは思えないほど軽やかな動きだった。


 外の気温は10℃を下回っているが、風は穏やかだ。今は肌寒いが、散歩すれば体は温まるだろう。

 綾は黒のコートを羽織り、茶色のマフラーを巻いていた。歩き始めると、僕と綾は当たり前のように手を繋ぎ、指を絡めた。僕はノスタルジックな気分で、昨晩のことを少し思い出した。


 散歩コースは大きな川から始まった。夏なら子どもが入りそうなんだ川である。そこを三羽のカルガモが気持ちよさそうに川の中央を泳いでいた。ジャックは興味津々に近づき、綾が慌ててリードを引いた。


 真冬にも関わらず、不思議と植物はいきいきして見える。大げさに言えば、まるで綾が生命を創り、世界に色をつけている気がした。彼女は太陽であり大地なのだ。




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