十四話「大人になるということ」
外の世界はまだ昼過ぎだった。繁華街に日差しが降り注ぎ、一月の寒さをごまかしている。僕は帰宅すると、スーツのジャケットを床に脱ぎ捨て、ベッドに倒れ込んだ。大の字になって天井を見つめ、今日を振り返る。
ビールを飲みすぎたらしい。頭がぼんやりするが、綾の下手な作り笑いだけは脳裏に焼き付いている。僕は『綾に心配の声をかければよかった』などと余計な後悔をし始めた。
『同窓会になんて、行かなければよかった』という愚かな考えにまで至った。
しまいには、『そもそも綾なんかと出会わなければ』
――そんなたらればまで浮かび、僕は体を起こして首を振った。酒のせいだ。
母からもらった猫型の置き時計には、13時6分と表示されていた。ちょうど同窓会が終わった頃だ。
今、綾は何をしてるだろう?
きっと、いつもの無邪気な笑顔に戻っているはずだ。そして、同級生と二次会へ参加して、そのまま男とホテルにでも――
僕はまた首を振り、自分の両頬を平手打ちした。気持ちを切り替えよう。
台所に行き、勢いよく水道水を飲んだ。熱いシャワーを浴びて、再びベッドに倒れ込むと、僕は気絶するように眠った。
結局、綾からメッセージは来なかったが、『これでいい』と僕は割り切った。時間が経てば彼女を忘れられると思ったからだ。僕は日常に戻る。心理学の勉強に精を出し、以前より他人に興味を持てるようになった。
休み時間には、同級生たちが成人式の写真を見せ合っている。僕も一枚くらい綾と写真を撮っておけば――いや、未練が残るから必要ない。そんなことばかり考えているから、僕は前に進めないのだ。
しかし、心理学の成果か、そんな弱さも〈自分の一部〉として受け入れることを覚えた。僕は少しずつ、講義のディスカッションで発言するようになった。そこで知り合った学生に、自分から話しかけることもあった。
ある土曜日の夜。僕はスーパーのアルバイトを終えて、更衣室で帰宅の準備をしていた。何気なくスマホを見てみると、五件の不在着信。なんと、すべて綾からだった。
僕は急いで退勤して、公園のベンチに腰かけた。塀の上にいた黒猫が僕に気づき、警戒していた。僕は猫のリラックスタイムを邪魔したことを詫びつつ、スマホに視線を戻す。
改めて確認したが、間違いなく綾から五件の着信が入っていた。彼女のアイコンは、晴れ着姿の麗しい後ろ姿だった。
そういえば、これまでに綾と電話したことは一度もなかった。何気なくトーク画面をスクロールしてみると、
『実はね、彼氏ができたの』
『それはよかった。君ならきっと素敵な関係を築けると思うな。お幸せに』
このやり取りが最後だった。僕は『綾にボーイフレンドがいる』という絶望を思い出した。せっかく綾を忘れかけていたのに――僕と彼女の物語は終わったはずなのに――今さら僕に何の用があるというのだ?
段々と綾に腹が立ってきた。僕がこうして苦しんでいるのは、全て彼女のせいなのだ。
この着信を無視して、綾との繋がりを永遠に断つという選択肢もある。しかし、そんな決断をする勇気が僕にあるはずもない。情けないことに、僕は今でも綾と男女になることを期待しているのだ。
公園の塀に視線を向けたが、さっきの黒猫はもう闇夜に消えている。僕はスマホの画面を消して、風の音や空気の匂いに集中した。
心を落ち着かせるため、心理学の講義で習った瞑想を試してみた。五秒間息を吸って、五秒止めて、五秒かけて吐き出す。また五秒止めて――これを繰り返す。
三セットで呼吸が落ち着くと、僕は再びメッセージアプリを開き、そのままの勢いで受話器のマークを押した。
『どうにでもなれ』と半ば自暴自棄のような感情だった。五コール目で呼び出し音が止まり、静寂の後、電話口から声が聞こえた。
「もしもし」