十三話「静かな叫び」
『実はね、彼氏ができたの』
僕はスマホを持ったまま硬直し、呆然とメッセージを見つめた。このフリーズした頭を再起動するために、僕はスマホを置いて外出した。
たとえ綾に彼氏ができようと、僕が嫉妬で発狂しようと、世界は当たり前のように回り続ける。
僕は遠くの公園まで歩いた。老夫婦が屋根つきのベンチに座り、ハトにエサを撒いている。
綾と男女の関係になることは諦めたはずだ。それなのに、僕は彼女の恋を少しも応援できず、人生で二度目の絶望――はじめは殺処分を知った幼少期である――に襲われた。
家に戻ったのは、出かけてから一時間後だった。僕は部屋に戻ると、勢いのままにメッセージアプリを開き、
『それはよかった。君ならきっと素敵な関係を築けると思うな。お幸せに』と送信して電源を切った。気を紛らわすために猫カフェを手伝い、普段以上に猫の温もりに触れた。
それを機に、綾との連絡は途絶えた。僕は勉強やアルバイトが忙しくなり、次第に彼女のことも考えなくなっていった。僕はそれなりの高成績で単位を取り、大学の一年目を終えた。
時間はゆっくりと流れ、僕はただ世界の行く末を眺める。これが僕の人生なのだ。
何の起伏もなく、大学二年生の前期を終えた。夏休みが終わり、後期が始まり、なんとなく年が明ける。じわじわと寒さが押し寄せ、僕はマフラーとカイロが手放せなくなった。
ある日の休み時間。同級生たちは、成人式や同窓会の話で盛り上がっていた。
『同窓会』
僕はその単語を耳にして、久しぶりに綾のことを思い出した。ずいぶん遠い記憶のような気がする。彼女は同窓会に出席するのだろうか? 尋ねてみようかと思ったが、結局メッセージは送らなかった。
『同窓会なんて、リア充が幸せを自慢するためのイベントだ』と僕は軽蔑していたが、綾に会えるかもしれないという邪な期待から、出席することにした。結局は僕も己の欲に勝てない、不完全で醜い人間なのだ。
同窓会の当日。僕は駅前の立派なホテルに向かった。緊張しながら眩しいパーティ会場に足を踏み入れると、少し大人びた同級生たちが談笑している。あまりに人が多く、ぱっと見では綾を見つけられない。
開始時刻になると、学年主任の男教師がステージに上がった。社会人としての自覚がどうたらと、退屈な話をみんなで聞いた。
教師がグラスを掲げ、「乾杯!」と威勢よく言うと、また騒がしさが戻ってきた。僕もとりあえず、周りの同級生とグラスを合わせた。
僕は人疲れしたので、静かな隅の席に腰かけた。上品な料理をつまみ、ビールを飲み、世界を眺める。やはり、あの頃と何も変わらない。良くも悪くも心は動かなかった。
しばらくして、僕はビールのおかわりを貰おうと会場の奥に向かった。
「久しぶり」
突然聞こえた優しい声――僕は無意識に振り向いた。そこには、一人の美しい女性が花のように佇んでいた。よく見ると――それは紛れもなく綾だった。彼女のドレス姿は絵画のように魅力的だった。
こうして僕たちは、およそ二年ぶりに視線を交わした。その瞬間、全身に電撃が走るのを感じた。時間が止まり、僕の心臓だけが鼓動している気がした。きらびやかな照明、同級生の談笑、料理の香り、そんな彼女以外のすべてがどうでもよく思える。
綾は淡いピンクのドレスに身を包んでいた。艷やかな栗色の髪は、まとめてお団子ヘアーにしている。黒の小さなバッグを斜めに下げ、黒のパンプスをツカツカと鳴らしていた。
真珠のネックレスが輝いているが、胸を見ていると勘違いされないように目をそらした。まるで全てが彼女のために存在していると思えるほど、完璧な美しさだった。
「もう、そんなに見られたら恥ずかしいじゃない」と綾は愛らしく僕を叱った。こんなやり取りも二年ぶりである。彼女の照れた頬はチークと相まって、夕焼けのようにノスタルジックだった。この景色をいつまでも眺めていたい。
「ねえ」
綾は僕の顔を覗き込んだ。
「わたし、そんなに可愛くなってる?」
僕は小さく頷いた。これまでに何度もチャンスはあったのに、僕はいつまで経っても気持ちを伝えられない。
綾は僕が戸惑う様子を見て、満足そうに笑った。
「元気にしてたかしら?」
「うん、変わらずだよ」
僕は平気を装った。
「君は?」
綾は一瞬目を泳がせて、明らかな作り笑いをした。
「えっと、まあ、それなりかな」
僕は胸が締めつけられたが、尋ねる勇気はない。昔から、彼女には心を乱されてばかりだ。綾はごまかすように髪を触り、ヘアセットが崩れていないか確認した。心配しなくても完璧なのに。
僕は高校時代に思いを馳せた。濃密すぎて、どれを思い出せばいいかわからない。ただ、僕の人生において、最も特別な瞬間だったことは間違いないだろう。
お互いになんとなく下を向いていると、同級生の女子が綾に声をかけ、陽気に腕を絡めた。女子の仲良しグループ(スクールカーストの上位)で写真を撮ろうと誘っているらしい。
綾は半ば強引に腕を引かれ、「また連絡するね!」と言い残して立ち去った。突然の別れ。デートの日と同じだ。綾は相変わらずみんなのアイドルだった。ずっと笑顔でファンサービスをしている。
『本当は、僕があの子を独り占めしたいのに』
胸の中で黒い感情がこみ上げる。それを振り払うため、僕はビールを一気に飲み干した。判断能力が鈍り、多少なりとも気分は和らいでいく。
よく考えてみると、おそらく僕だけが綾の秘密を――くもった表情、涙、腹黒い部分まで知っているのだ。つまり、すでに僕は彼女にとって特別な存在なのかもしれない。そう都合よく解釈した。
僕は群衆に埋もれていく綾を虚しく見届けた。そして彼女の姿が完全に見えなくなると、僕は同窓会の途中でホールを後にした。