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十一話「終わりと始まり」

 二月なので気温はまだ低い。しかし今日は晴天で、風も穏やかだ。

 教室に入ると、大勢があやの周りに群がっていた。まるでハエみたいだと思った。綾は同級生の合格を一緒に喜び、落ちた人を慰めたりと、相変わらず忙しそうだ。


『みんなが綾を求めている』


 誰も彼女を独り占めにはできない。それが世界のあるべき姿なのだ。僕はため息をつき、職員室に向かう。そして担任に合格の報告をすると、他の先生たちも集まり、僕を祝福した。


 教室に戻ると、()()()()()()()は別のエサを求めて散らばっている。綾はこちらに気づくと、不安そうに僕の顔をのぞき込みながら近づいてきた。

「どうだった……?」


「合格だったよ」と僕が答えると、綾は美しい笑顔に切り替わった。


「おめでとう! わたしも合格だったわ」


「おめでとう」


「ねえ」と綾は小声で言った。

「一緒に帰らない?」


 僕たちは自動販売機で飲み物を買うと、例の寂れた公園に行った。古い木のベンチに並んで腰かけ、ぼんやりと世界を眺める。僕はすぐそこにある綾の手に触れたかったが、何もできなかった――あの日はできたのに。

 隅の草むらから、野良猫がじっと僕らを見つめている。白い体に黒の斑点という模様だった。


「この公園にも来なくなっちゃうのかな」

 綾はゆっくりと公園を見渡した。


「そうなるね」


「なんだか寂しくなるわ」


 冷たい風が吹き込むたび、綾は丁寧に髪を整えなおす。僕は両手でコートの前を抑える。


「ねえ」

 綾は立ち上がり、公園の奥に行って僕を手招きした。

「これって椿つばきかしら」


「多分そうだね、時期的にも」


「きれいね……」

 綾は色んな角度から真紅の椿を観察した。

「花言葉は何だったかしら」


「『控えめな優しさ』とか、そういう系だったと思う」


「そうだったわ」

 綾は微笑み、ひとつずつ花を見ていった。

 僕はこの静かな時間を堪能した。風が木々を揺らし、葉の擦れる音がよく聞こえた。

 綾は突然からかうように笑い、僕の顔を覗き込んだ。

「あなたって、意外と花に詳しいのね」


「母さんが、花言葉の日めくりカレンダーをリビングに置いてるんだ」


「素敵じゃない」と言って綾は下を向いた。視線の先には椿の花。落ちてもなお美しい。

「ご両親は元気?」


「うん、相変わらずだよ」


「よかったわ」

 彼女は安心したように微笑んだ。

「あなたの猫カフェにも行きたいけれど、あれだけ可愛がってもらったのに、行かなくなったのが申し訳なくて……」


「まあ、気が向いたら遊びに来なよ」と僕は言った。


『今から来る?』とここで言えば、運命が変わるだろうか。話の流れ的に、違和感はないはずだ。しかし、たった一言がのどから出てこない。結局、人は変われないのだ。


「大学に入っても、またこうやって散歩したりしましょう?」と綾は言った。


「もちろん」


 綾はベンチに戻り、黒い通学カバンを肩にかけた。

「そろそろ帰りましょうか」


「そうだね」

 もう少し一緒にいたい。でも、言えない。僕が救いようのない弱虫だからだ。

 出会いと別れ、始まりと終わり――僕はそんなことを考えながら、綾のとなりを歩いた。鼓動はどんどん速まる。そうして心の中で足踏みしていると、もう彼女のバス停に着いてしまった。時刻表を見ると、すぐにバスがやって来るらしい。


「大学でも、お互い頑張りましょう?」と綾は言った。


 僕はうなずいたが、何も言葉が思いつかない。時間は残酷なほど正確で、バスは一分のずれもなく綾をさらいに来た。


「むこうでのこととか、また連絡するね」と綾ははかなげに言った。


 プシューと音を立て、乗車口のドアが開いた。あと数秒後に、綾はこのバスに乗り込む。そして、煙のように消えてしまう。


「僕も連絡するよ」

 気がつくと、僕は拳を握っていた。


「それじゃあ、またね」

 綾はぎこちなく笑い、バスのステップに足をかけた。その下手な作り笑いには、どんな意味があるのだろう? 僕は一瞬のうちに考えた。


「元気でね」

 結局、それしか言えなかった。


 綾は一番うしろの座席にふわりと腰を下ろし、今度はまぶしい笑顔で手を振った。僕も反射的に手を振り返す。彼女から見た僕はどんな表情をしているのだろう?

 遠ざかる綾の背中を、いつまでも目で追いかけた。バスが視界から消えても、その残像を見続けた。


 もう二度と綾に会えない――そんな気がした。




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