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一話「絶望と希望」

『 人は不完全だからこそ美しい 』


 どこかで聞いた言葉。僕は綾と出会い、ようやくその意味を知ることができた。




 ◇ ◇ ◇




 僕の家には十二匹の猫がいる。自宅の一階で、両親が保護猫カフェを経営しているからだ。そんな家庭で育った僕は、営業時間外の猫と遊んでいる。裕福ではないが、幸せな生活だ。


(2005年、僕が10歳の頃 )


「この猫たちはペットショップで買ったの?」と僕は母に尋ねた。


「いいえ、違うのよ」


「じゃあ、どこからやってきたの?」


「そうねぇ……」母は少し考えた。

「道で野良猫さんを見かけるでしょう? そういう子たちよ」


「みんな道で拾ってきたの?」


 実際は動物愛護団体から引き取っているが、この時は知らなかった。


「まあ、そんな感じよ」

 母はごまかすように僕の頭をでた。




 ある日の閉店後、僕は二階で漫画を読んでいた。すると、一階から聞こえる両親の声。なにやら暗いトーンだった。僕は階段に腰かけて、話を盗み聞きした。耳に入ったのは、『さつしょぶん』という知らない単語。それはおそらく――


『殺処分』


 その意味を理解した瞬間、胸の痛みに襲われた。どこからか涙が溢れ、僕は赤子みたいに()()()()泣いた。


 母は慌てて階段を上ってきた。

「聞こえてたの……?」


 僕はうなずいたが、言葉は出ない。母は僕を抱き寄せて「ごめんね」とささやいた。


 そうして僕は生きる気力を失った。この不完全な世界に絶望したのだ。僕は寂れた公園でぼんやりと過ごした。家からちゅ〜るを盗み出し、野良猫に与えたりもした。

 何者でもない人間のまま進学し、気がつけば高校三年生になった。そこで僕は、クラスメイトの『綾』という女の子に出会う。


 彼女はいわゆる『魔性の女』だ。顔やスタイルはモデル並み。天真爛漫で皆に優しく、成績も優秀。文句なしのヒロインである。綾の笑顔が教室を照らし、僕の世界にもさざ波を立て始めた。


 綾は完璧で、不完全な僕とは真逆の人間だろう。正直、僕は彼女のことが気になり始めている。これが『恋』なのか『知的好奇心』なのかは分からない。ただ、僕は綾を目で追いかけるようになっていた。




 放課後、僕は家の猫に話しかけてみた。

「どうすれば、あの子みたいになれるかな?」


 オスの茶トラ猫〈たいが〉は眠そうに鳴き、僕の足に寄りかかった。今度は、メスの黒猫〈あずき〉を撫でようとしたが、迷惑そうに避けられた。彼女は男嫌いなのだ。




 ある日の授業終わり。音楽室を出る途中で、先生から声をかけられた。

「これ、忘れてたから渡してあげて」

 先生が持っていたのは綾のノートだった。もちろん僕の顔は熱くなり、鼓動は速まる。しかし、平静を装ってノートを受け取り、音楽室を後にした。


 表紙には『音楽』という科目名と、彼女の名前が書かれている。綾は字まで美しかった。僕は『もっと彼女の字を見てみたい』という衝動に駆られたが、なんとか理性が追いついた。このノートは絶対に開いてはいけない、玉手箱なのだ。


 そもそも、『女子のプライバシーを侵したい』なんて考えが浮かぶのは最低じゃないか。こんな風に心がゆがんだのは、思春期に猫しか友達がいないせいだろう。

 生きていく上で、友達がいた方が得なのは知っている。しかし、僕は自分と同じように〈動物の殺処分に悩む人〉としか友達になれない。

 いや、実際は――ただ人間関係が怖いだけだ。

 僕は階段を降りながら、ため息をつく。綾のノートはしっかり手に持っていた。


 休み時間の廊下では、生徒の話し声が響いていた。そんな中でも、自分で聞こえるほど心臓は鼓動する。僕は何をそんなに緊張しているんだ? ただノートを届けるだけじゃないか。それとも、その先の()()を期待しているのか?

 ノートを手渡すだけ、それ以上も以下もない――そう自分に言い聞かせた。


『 3−1 』


 いつもと同じ自分の教室なのに、その扉は神社の鳥居みたいに大きく見える。

 僕は覚悟を決めて教室に入り、一直線に綾の机へ向かった。幸い彼女の取り巻きはいない。


「これ、音楽室に忘れてたよ」

 僕は座っている綾にノートを差し出す。


 彼女は驚き、「わっ!」と大きな悲鳴を上げた。すると、教室は一瞬で静寂に包まれ、クラス中の視線が集まった。

 綾は顔を真っ赤に染め、肩をすぼめて謝った。こうして彼女はさらりと心を奪っていくのだ。僕は注目を浴びて動揺し、自分の席に避難した。


「ありがとう」と言う彼女の透き通った声が背中で聞こえた。僕は顔が熱くなり、マスクを深くつけなおす。


 当然、次の授業は上の空。僕はあの〈数秒間〉を振り返っていた。綾に恥をかかせたのだから、僕は嫌われただろう。いや、そもそも彼女は僕のことなんて眼中にないから、何も変わらないのか。

『学校のアイドルと話せた(?)だけで良い経験だった』

 そう思うことにした。




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