第九話:お金を稼ぎたい!
更新が遅くなってすみません!
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サナにオルゴールを贈った日の、翌日の午後、ノイとの授業の時間に、ユーディドは物思いの海に沈んでいた。
「妃殿下、どうされました? お加減が悪いですか」
はっと顔を上げたユーディドは、勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい……! 少し、考えごとをしていたの」
多忙な時間を縫って、自分のために勉強を教えてくれているというのに、失礼なことをしてしまった。しかし、ノイは気にしたふうもなく、ユーディドに尋ねる。
「私でよろしければ、お話を伺いましょう。なにが気にかかっておいでなのですか」
「ある人に、体の弱い弟がいるの。お家には余裕がないんだけれど、お母さまは弟さんのお世話で忙しくて、働きに出られないんですって。子どもが体調を崩したときに、助けてくれるような制度はないのかしら」
ふむ、とノイは考え込むように、指を顎に当てた。しばらくして、口を開く。
「現状では、ありませんね。病気の程度や、臥せっている期間、更にその家の経済状況などを仔細に調査しなければ、本当に必要としている者に公平な支援をすることはできませんから、補助金を出すのは難しいでしょう。それだけの人手も、予算もありません」
そう、とユーディドは俯いた。
サナにいっとき資金援助をしたとして、問題が解決するわけではない。
加えて、彼女の話を聞いていて思ったのだ。この国に、同じ悩みを抱えている人は、たくさんいるのだろうと。けれども、そう簡単に解決することではないらしい。
「では、子どもが具合を悪くしたときに、預かってもらえる施設を作るというのはどうかしら。そうすれば、高価な医薬品も家族が手配しなくて済むわ。確か、この国には医師を自宅に呼ぶのではなく、患者が病院に行って、必要なら入院できる場所があるのでしょう」
ユーディドは図書館で得た知識を引っ張り出した。医療の塔に行ってからというもの、医学に関する本は、特にたくさん読むようにしている。
ノイは感心したように深く頷いた。
「素晴らしい案だと思います。実は、ソルレに一軒だけ、小児病院があります。ロマーノ公爵が経営を任されているのですが、どうやら公爵は、病院にあまり関心を持っていないようです。一度公爵に託した以上、口を出すわけにもいかず、病院はさびれて活用されていません」
「そうだったの……。公爵が病院に興味を持っていないのなら、わたしが買い取ることはできないかしら」
王族には、個人予算が支給される。それは私的な必要を満たすためだけのもので、公務で必要な衣装や装飾品などは国費から賄われる。ちょうど、使い道がないと思っていたところだったのだ。
ところが、ノイは首を横に振った。
「妃殿下、個人予算は王族の威儀を保つために必要なものです。身を慎まれるのは妃殿下の美徳ではありますが、たまには散財してくださらないと、王家御用達の店は立つ瀬がありません。それに、いつの世も王族の女性というのは、時代の流行をけん引する存在です。妃殿下のお洒落による経済効果は、馬鹿にならないのですよ」
そういうものなのだろうか、とユーディドは小さく息をついた。故国レアンでは、高貴な女性が寄付や、慈善活動をするのは珍しいことではなかった。ユーディドも、公務ができない分、個人予算を使って、よく学校や孤児院を支援したものだ。
「では、わたしが新たにお金を稼げばいいのね。早速、なにができるのか、考えなくちゃ」
「その前に、数学の勉強が残っておりますよ」
はい、とユーディドは素直に返事をした。優しげな笑顔に、つい気を緩めそうになるが、彼の指導は厳しいのである。
その日の夕食は、レアン港で穫れたという貝に、クリームソースを和えたものだった。とろけるように柔らかい貝に、濃厚なソースが絡まって、とてもおいしい。
「――それでね、どうにかして大儲けしようと思っているの!」
ヴァレリーとルイスに、ノイとのやり取りを再現すると、彼らは驚いたように目を剥いた。
「すごいです、姉上! 子どものための病院を運営したいだなんて、やっぱり俺の姉上は、邪悪な誰かと違って優しいなあ」
「ユディちゃん、お金なら、僕がいくらでもあげるのに」
ユーディドはかぶりを振る。
「わたしは優しくなんてないし、お金はもらうだけではだめなのよ。病院の経営のために、継続して、資金を調達できるようにしなければならないのだから」
カトラリーを操っていると、かちん、とナイフに硬いものが当たった。
「あら……? なにかしら」
「ユディちゃんの料理に異物が? ……料理長と担当者を呼べ」
ユーディドが止める間もなかった。ヴァレリーに鋭く指示され、サナが食堂を出ていく。
「ヴァン、こんなことで目くじらを立てる必要はないわ」
「とんでもない! もしもユディちゃんが、その変なものを喉に詰まらせちゃったらどうするの?」
「そうですよ! 間違って噛んだら、姉上の可愛い歯が、欠けちゃうかもしれないじゃないですか」
大げさな二人の言葉に、ユーディドは苦笑した。
「そんなに大きなものじゃないわ。小さくて丸くて……」
ナイフとフォークで具をより分けると、硬いものの姿があらわになる。その見た目に、ユーディドは思わず呟いた。
「なんて綺麗……」
皿の上にあるのは、独特の照りのある石だった。わずかに黄みがかったそれは、燭台の光に反射して、淡く発光したように輝いている。
すぐに年配の料理長と青年がやってきて、床に跪いた。
「妃殿下の料理に異物が入っていたとか。申し訳ございません!」
料理長が謝れば、隣の青年も頭を下げる。
「貝を捌いたのは、弟子の俺っす。すいませんでした!」
二人は肩をぶるぶると震わせている。ユーディドは彼らに微笑みかけた。
「大丈夫よ、気にしないで。それより、これはなにかしら?」
問いかけると、失礼します、と一礼して、料理長がユーディドの皿を覗き込んだ。
「ああ、これは貝の石ですね。石といっても、そこらに転がっているものではなく、貝の腹の中で作られるのだそうです。貝の石が入っているのは、稀なことなのですが……」
「腹の中に石をため込んでいるような貝を、王妃に出したのか」
ヴァレリーに告げられて、料理長はぺこぺこと頭を下げる。
「ヒィ! お許しください。その貝の名はコンヤというのですが、ソルレでしか穫れないのです。新鮮なコンヤが手に入ったので、ぜひお三方に召し上がっていただければと――」
「師匠は悪くないっす! コンヤ料理を提案したのは、俺ですから」
どうやら、この子弟は大変仲がいいようだ。ユーディドは二人に向かって、口を開いた。
「このお料理、とってもおいしかったわ。ところで、この石に、なにか使い道はないの?」
「いいえ、特には――。食用の貝にとっては異物でしかありませんから」
「漁師も、邪魔に思っているようっすよ」
――これだわ……!
ユーディドの心は躍った。行儀が悪いと承知しながら、石を拾い上げると、付着したソースをナプキンで拭った。
「二人とも、ありがとう。この貝を仕入れた漁師さんを、教えてもらえる?」
「それは構いませんが、お許しくださるのですか……?」
料理長の言葉に、ユーディドは首肯する。
「当然よ。これからも、あなたたちのお料理を楽しみにしているわ」
険しい表情を浮かべるヴァレリーとルイスに、そうよね、と訴えかければ、二人は渋々といった様子で頷いた。
食事を終えて自室へ戻ると、いつもは壁に控えて口数の少ないサナが、ユーディドの目の前にやってくる。
「妃殿下」
「どうしたの? ……そうだわ、今度、まとまった休みを取ってちょうだい。オルゴールをお金に変えて、ご家族にも会ってきたらいいわ。ゆっくりしてきてね」
ユーディドが話すと、サナは俯いて、両手で顔を覆ってしまった。
「サ、サナ? ごめんなさい。わたし、なにかひどいことを言ったかしら……?」
サナはぶんぶんと首を横に振る。やがて手を顔から離すと、彼女は真っ赤な目でユーディドを見た。
「今まで、申し訳ありませんでした。ろくにお世話もせず、お加減が悪いときには見て見ぬふりまでして……。挙句、私は殿下の物を盗みさえしました」
「そんなこと、気にしていないわ。この広い部屋で、あなたが傍にいてくれるだけで、心強いのよ」
サナはぽろぽろと零れる涙を拭う。
「殿下……。妃殿下あ……」
ユーディドはぎょっとした。サナの言葉遣いがおかしい。
「あたし、本当はこんな性格なんです。今まで、特大の猫を被ってました。こんなあたしでも、妃殿下は許してくれますか」
「え、ええ……。可愛い言葉遣いね」
サナは歯を見せて笑う。
「妃殿下はあたしの、生涯の主です。これからは心を込めてお仕えしますね!」
「ありがとう、サナ。これからもよろしくね」
はい、とサナは破顔した。
夫婦の寝台で横になり、ヴァレリーと挨拶をして別れてからも、気分の高揚は治まらなかった。
ランベルクに嫁いでから、周囲に助けられてばかりで、なにもできないことが心苦しかったのだ。貝の石を活用できれば、お金を得て、民の役に立てるかもしれない。
なかなか寝付くことができずに、寝返りを繰り返していると、うう、と低い唸り声が聞こえてきた。ごく小さなその声は、ユーディドが眠ったあとだったら、きっと気付かなかっただろう。
――ヴァン……?
繰り返し聞こえてくる、苦しそうなその声に、ユーディドは起き上がった。ヴァレリーの寝室に繋がる扉へと向かう。
ドアノブを回すと、かちゃり、と扉が開く。
「ヴァン、入るわね」
囁いて寝室へ入ると、その部屋の異質さに、ユーディドは息を呑んだ。
所狭しと並べられたランプの光に照らされて、寝室は、眠る場所とは思えないほどに明るいのだ。
その部屋の隅に置かれた寝台の上で、ヴァレリーが低く唸り声を上げている。
「ヴァン……!」
思わず、寝台に駆け寄った。
具合が悪いのだろうか。しかし、額に触れても熱はないようだ。怖い夢でも見て、うなされているのかもしれない。
「兄上……。痛いよ……」
はっとした。ヴァレリーは、家族の夢を見ているのだ。
「父上、ここから出して……」
ブランケットから覗くヴァレリーの手を、そっと握った。
「ヴァン、大丈夫よ。わたしがいるわ」
「ユ、ディド……。助けて……」
うわごとのように呟いたヴァレリーに手を強く引かれ、ユーディドの上半身が寝台へ乗り上げた。
彼とのあまりの距離の近さに、どきどきと鼓動が早くなる。
けれど、ユーディドはどうしてもヴァレリーの手を払いのけることができなかった。
――ヴァンが落ち着くまで、見守ってあげよう。
ユーディドはヴァレリーの傍ら、寝台に横たわった。一緒のブランケットに入らなければ、大丈夫だろう。ブランケットの上に横たわると、彼の肩をぽんぽん、と優しく叩いた。
「もう怖くないわ。一緒にいるから」
次第に、ヴァレリーの顔は穏やかになり、すうすうと規則的な寝息が聞こえてくる。
――懐かしいわ。昔、体調を崩したわたしに、こうしてヴァンが添い寝してくれたことがあったわね……。
離宮での日々が蘇り、ぽかぽかと温かい気持ちになって、ふとユーディドは目を閉じた。