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狂王ヴァレリーは裏表が激しすぎる  作者: 遠屋 堤
急ごしらえの王妃
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第五話:刺繍との闘い

 剣の稽古、ノイによる授業、空いた時間には図書館に通う。まだ公務はないが、ユーディドは毎日、忙しく過ごした。


 ランベルクに来てから、一週間と少し。


 ある夜、政務が長引いたせいで共に食事を摂れなかったヴァレリーを、ユーディドは夫婦の寝室で待っていた。

 とはいえ、ヴァレリーが寝室にやってきても、彼はユーディドの体調に変化がないかを確認し、お休みの挨拶をするだけだ。


 ヴァレリーに、せっかく用意したのだから使ってほしいと懇願されて、ユーディドは夫婦の寝台に一人で眠り、彼は部屋の隣にある、自分の寝室で休んでいる。


 ――なんだか、怠いわ……。


 それに、寒気もする。けれど、健康になる前はよくあることだったので、わざわざ訴えることもあるまいと、ユーディドは寝台に腰かけた。

 壁ぎわにはサナが控えているが、彼女はちらりとこちらを見ると視線を逸らした。


 横になりたかったが、ヴァレリーは過酷な政務を終えて帰ってくるのだ。お疲れさま、と出迎えたい。


 やがて、ユーディドの部屋と繋がる扉と反対側のドアが開いて、ヴァレリーが入ってきた。彼はユーディドをひと目見ただけで、表情を険しくし、つかつかと早足で歩いてくる。

 目の前に跪いたヴァレリーに、額へ手を当てられる。彼の手が、ひどく冷たく感じた。


「ユディちゃん、熱がある」

「そう? これくらい、平気よ」


 ヴァレリーに向かって、笑ってみせる。少し休めば治るだろう。それよりも、彼に心配をかけたくなかった。

 ヴァレリーは、サナへ視線を移す。


「どうして、僕に報告しないのかな?」

「申し訳ありません。気づきませんでした。それに、妃殿下はなにも仰らなかったので」


 淡々と話すサナに、ヴァレリーの目つきが鋭くなったのを感じ取って、ユーディドは会話に割って入った。


「ヴァン、わたしが話さなかったのよ。サナはなにも悪くないわ」


 ヴァレリーは、ふうと息を吐くと、秀麗な眉を下げる。


「ユディちゃん、どうして具合が悪いって言わないの? 君は昔からそうだ。弱音を吐かずに、ひとりで我慢する」

「だって、慣れているし……。辛くもなんともないから」


 それは必ずしも真実ではなかったが、気にかけてくれる人を、自分の体調などで振り回したくない。


「とにかく、横になって。胸の音を聴かせてくれる?」


 横臥したユーディドの胸に、ヴァレリーが聴診器を当てる。服の上から、時間をかけて左右の胸を聴診した彼は、聴診器を外すと微笑んだ。


「胸の音は綺麗だ。過労だね。元気になったとはいえ、体力があるわけじゃないから、無理をしちゃだめだ。主治医からの忠告だよ」


 ヴァレリーはそう告げると、自分の部屋へ行き、すぐに戻ってきた。その手には、小さな薬袋がある。中には、小粒の丸薬が入っていた。


「これを飲んで。こんなこともあるんじゃないかと思って、薬を調合しておいたんだ」

「わたしのために……?」

「もちろん。僕はユディちゃんだけの医者だから」


 起き上がって薬を飲むと、再び横にさせられ、ブランケットをかけられた。ぽんぽん、と頭を撫でられる。


「眠れそう?」

「ええ。わたしは大丈夫だから、ヴァンももう、休んで」

「君が寝たらね。ユディちゃん、今は体のことだけ、考えるんだ」


 王妃は国王を助けなければいけないのに。ランベルクへ来てから、ヴァンに庇護されてばかりだ。それに、子犬のヴァンの世話をするのは、自分の役目なのだと、ユーディドは思っていた。


「ごめんなさい……。わたし、早く元気になるから。ヴァンのことを、守るから……」


 瞼が重くなる。すぐに目を閉じてしまったので、ヴァレリーがどんな表情をしているのか、ユーディドには分からなかった。




 瞼越しに朝日を感じて、ユーディドは目を開けた。しばらくぼんやりしていたが、驚くほど体調がよくなっていることに気付いた。身の置き所のない怠さも、寒気も消えている。


「ユディちゃん! 目が覚めたの?」


 すぐ傍から声がする。視線を巡らせれば、寝台わきに置いた椅子に、ヴァレリーが腰かけていた。

 身を起こすと、体は驚くほど軽かった。


「おはよう、ヴァン。もしかして、ずっとわたしに付いていてくれたの?」


 尋ねても、ヴァレリーはにこにこするだけだ。彼は柔らかい声で問う。


「具合はどう?」

「それが、すごくいいの。もう治ったみたい。今日からまた、勉強を始められるわ」


 以前なら、一度熱を出せば、一週間は寝込んでいた。健康になったせいもあるだろうが、ヴァレリーの作った薬は、相当効果が高いようだ。

 ところが、ヴァレリーは渋面を浮かべると、かぶりを振った。


「そう言うと思った。だけど、だめだよ。君が体調を崩したのは、疲れがたまっているせいなんだから。しばらくは安静にしてもらわないと」


 そう話して、ヴァレリーはまっさらな布の張られた刺繍枠を渡してくる。嫌な予感がした。


「もしも時間を持て余すようだったら、寝台の中で刺繍をして。できあがるまでは、勉強も剣の練習も禁止」

「そんな……。わたしが刺繍を嫌いなこと、ヴァンはよく知っているでしょう。完成させようと思ったら、一週間はかかってしまうわ」

「うん、それくらいは休んでほしいんだけど……」


 自分だけ刺繍をしなければならないなんて、ずるい、と文句を言うユーディドに、ヴァレリーはもうひとつの刺繍枠を手渡してきた。

 そこには、薔薇園で見かけた、白とピンクの混じる可憐な薔薇が、見事に縫い取られている。まるで精密な絵画のような、素晴らしい出来栄えだった。


「すごいわ……。なんて綺麗なの」

「僕も刺繍をしたんだから、不公平じゃないでしょ。君が眠っている横で、ちくちく刺したんだ」

「たった一晩で? ヴァンって、本当に器用なのね」


 ほう、と感嘆のため息をつきながら、ユーディドは過去を思い出した。

 そういえばヴァレリーは、かつて離宮の侍女に強制されて渋々裁縫をするユーディドに、毎回付き合ってくれた。そうして、全く上達しないユーディドを尻目に、いつも美しい刺繍を仕上げたものだった。


「じゃあ、僕は政務に行くね。ユディちゃんはまず、もう少し眠って。早く部屋の外に出たいからって、すごく小さな刺繍で済ませたらやり直しだからね」

「分かったわ……。わたしのせいで寝ていないんだから、無茶しないでね」


 笑みを湛えたまま頷いたヴァレリーは、自分の部屋へと戻っていった。


 朝の挨拶にやってきたサナに、刺繍の図案を持ってきてもらうようにお願いをして、ユーディドは再び横になった。


 やはり疲れているのか、いくらでも眠れそうだ。うとうとしていると、どさどさと音がした。

 音のしたほうを見れば、サイドテーブルに、うずたかく紙が積まれている。その横では、サナが冷めた瞳でこちらを見つめていた。


「図案をお持ちしました」

「ありがとう、サナ」


 起き上がって書類を改めると、記された図案は、複雑なものばかりだった。


「あのう、もう少し簡単なものはなかったのかしら」

「王妃たる者、これくらいはできなければ困ります。裁縫箱もご用意いたしましたので、陛下をがっかりさせないよう、励んでください」

「はい……」


 図案には、貴族に人気のある薔薇が描かれたものが多かった。だが、ただでさえへたくそなのに、ヴァレリーの作品と比較されたら、目も当てられないだろう。

 消去法で選んだのは、ユーディドの好きな動物である、犬の意匠だった。子犬が、鞠で遊んでいる。


「よし! 頑張るわ」


 さっさと済ませて、また勉強と剣の稽古を再開させよう。クリーム色の糸を取り、苦労して針の穴に通すと、ユーディドはぶすぶすと、豪快に刺繍を始めた。


 パン粥の昼食を済ませ、刺繍に没頭していると、こんこん、とノックの音がして、ヴァレリーが寝室に入ってきた。顔を上げれば、窓の外は暗い。


「ユディちゃん、体調はどう……って、まさか、ずっと刺繍をしていたの?」

「ええ、早く完成させたいんだもの!」


 そう言いながら、ユーディドは刺繍枠をそっとブランケットの中に隠した。半日刺繍に費やしたというのに、まだ子犬の耳しかできあがっていない。


「全く……。君を休ませたくて、刺繍を提案したっていうのに……」


 ヴァレリーは眉尻を下げたが、ユーディドはぐっと拳を握ってみせた。


「任せて。一度始めたんだもの。最後まで、やり通すわ」


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