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狂王ヴァレリーは裏表が激しすぎる  作者: 遠屋 堤
急ごしらえの王妃
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第三話:お目付け役との出会い

 ユーディドは夢を見ていた。

 ユーディドが七歳、ヴァレリーが八歳の頃の夢だ。


「ユディちゃん、早く木から下りてきて! この間だって、遊びすぎて発作を起こしたでしょ」

「もうちょっとだけ。ヴァン、木の上からだと、王都の時計塔が見えるわ」


 ユーディドは生まれつき心臓が弱かったが、発作が起こらないように、安静に暮らすような分別のある子どもではなかった。侍女や侍従の目を盗み、離宮の庭園に出ては、木登りをしたり、噴水で水遊びしたりして過ごした。


「時計塔はどうでもいいから。ほら、早く部屋に戻って、一緒に刺繍をしようよ」


 ユーディドは聞こえないふりをする。侍女から、体を動かさなくてもできる趣味として刺繍を勧められていたが、細かい作業は大嫌いなのだ。

 すると、ふらふらと歩き出したヴァンが、突然転んで、水溜まりに顔から突っ込んだ。自ら飛び込んだように見えたが、気のせいだろう。


「ふええ、ユディちゃん、転んじゃった……」

「ヴァン、大丈夫っ? 待っていて、今、そっちへ行くから!」

「うん。でも、走っちゃだめだよ」


 木を下りて、妙に冷静な返事をするヴァンの元へ急ぐ。怪我がないか確かめて、彼を着替えさせるために、室内へ戻った。


 ユーディドはまどろみの中で考える。

 ヴァンは昔から変わらない。人懐っこくて、おっちょこちょいで、そう、子犬のように、自分が守ってあげなければならない存在。


 ――でも、出会ったばかりの頃のヴァンは、もっと大人びていた気がする……。




 ぱっと目を開けると、見知らぬ白鳥の絵が視界に映った。天蓋の上部に、精密な絵画が描かれているのだ。


 ――昔の夢を見ていたのね……。


 浅い眠りで、あまり疲れが取れなかった。重い身体を起こすと、頭上から冷ややかな声が浴びせられた。


「妃殿下、お目覚めになりましたか」


 見上げれば、サナがこちらを覗きこんでいる。急激に、意識が覚醒した。


 ――そうだわ、わたし、ヴァンと結婚して……。


 初夜になにもなかったことを思い出し、安堵の次に、それをこの侍女に知られたのだとかっと顔が熱くなる。


「妃殿下の部屋にお戻りください。お召し替えを」

「ヴァン……、陛下は?」

「とうに身支度を終えられて、執務室へ向かわれました。妃殿下にご挨拶したいと申す者が外で待っております。お早く、支度を済ませてください」

「そうだったの、ごめんなさい。急ぐわ」


 窓を見ると、日は既に高くまで上がっている。

 どうやら、昼近くまで眠ってしまったようだ。

 足早に自分の寝室へ戻ると、故郷から持参したドレスのひとつに着替えた。

 

 ユーディドには、兄が二人と、姉が三人、弟がひとりいる。父親であるレアン国王は健在だが、母親である王妃は、ユーディドが生まれて間もなく亡くなっている。


 側妃の子である弟とは仲がよかったが、離宮で過ごしていたせいもあり、家族からはあまり関心を払われてこなかった。


 ユーディドとしても、王族としての責務を果たせていないという引け目があったから、贅沢をしないように心掛けてきた。よって、装飾品やドレスは、最低限しか持っていない。

 この日選んだのも、飾りの少ない質素なドレスだったので、自分で着付けることができた。サナは部屋の隅に控えるだけで、なにもしようとしなかったからだ。


 詰襟の、淡い紫色のドレスを身にまとい、簡単に化粧をすると、ユーディドは困り顔を浮かべた。

 さすがに、自分で髪を結い上げることはできない。仕方なく、ふわふわとした髪に櫛を通すと、それで支度を終えた。


 居間へ移動すると、許可を出す前に、サナが廊下へ通じる扉を開ける。


「失礼します。妃殿下、お会いできて光栄です」


 そう話して臣下の礼をとったのは、長い灰色の髪を、後ろでひとつに括った男だった。歳は、二十代後半ほど。縁なしの眼鏡をかけた彼は、穏やかな表情を浮かべている。


「どうぞ、お座りください。お待たせして、すみませんでした」


 男にソファを勧め、ユーディドは自分も机を挟んで反対側にある椅子に座った。

 男はソファに腰かけると、人好きのする笑みを浮かべる。


「私はノイと申します。陛下の秘書官をしております」


 秘書官は、公私ともに王の傍近くに仕える者のことだ。


「では、ノイさまは陛下の信頼厚い方なのでしょうね」

「そうだといいのですが。妃殿下、私のことはどうぞノイと。気楽に話していただけると嬉しいです」


 ノイはそう話すと、ソファの上で居住まいを正した。


「此度、私は妃殿下のお目付け役に選ばれました。陛下は、妃殿下のやりたいことを全て叶えるようにと仰せです。今日はなにをなさいますか」

「では、ノイ。王妃としての役目はないのかしら。わたし、国の役に立ちたいの」


 ノイは緩くかぶりを振った。


「ありがたいお言葉ですが、今は特にございません。お疲れでしょうから、ゆっくり過ごしてもらいたいと陛下はお考えです。とはいえ、なにかやりたいことがおありなら、最大限配慮いたします」

「それなら、この国のことを学びたいわ。輿入れ前にできるだけ調べてきたけれど、あまり時間がなかったから……」


 ランベルク王国は、大陸の玄関口に当たる、外洋に面した国だ。海辺に沿った国土は広大で、貿易で栄えていると聞いている。故国レアンからの船が到着した港町ソルレは、活気のある賑やかな町だった。


 ランベルク王宮は国防のために、ソルレから馬車で数刻ほど離れた位置にある。王宮があるのは小高い丘の上なので、守備は堅牢なのだろう。 

 けれども、それ以上のことをユーディドは知らない。


「ランベルクに興味を持っていただけるとは、喜ばしい限りです。では、不遜ながら私が、これから妃殿下の教師を務めましょう。他にお知りになりたいことはありますか?」

「あの……、陛下のことを。確か、陛下は五人兄弟の末の王子だったと思うのだけれど、お兄さま方やご家族はどうなさったのかしら。わたしは王家に嫁いだのだから、ご挨拶しないといけないわ」


 ユーディドは、かつてヴァレリーがレアンの離宮に来た理由も、現在王族がなにをしているのかも知らなかった。家族であっても粛清するというヴァレリーだが、まさか親族が全員彼の手にかかったわけではないだろう。

 ところが、ノイは渋面を作ると、言いにくそうに口を開いた。


「陛下のご家族は、全て亡くなっておられます。陛下は元々、生涯をレアンで過ごされるはずでした。しかし、先王が亡くなられてから、兄君たちとその母親である正妃や側妃たち、そして彼女らの生家である貴族たちが後継争いを繰り広げたのです。結果、全員が逝去され、急遽レアンでお暮らしになっていた陛下が呼び戻されました」


「そうだったの……。では、陛下が家族を、その……。死なせてしまったわけでは、ないのね」


「はい。ですが、妃たちの実家の親族たちを、軒並み国外追放にしたのは事実です。そのせいで、いくつもの名家が取り潰しになりました。陛下が帰国されてから、即位されるまでの間に摂政としてついていた人物も、権力を持ちすぎたとして排斥されたのです。妃殿下、このことを私が話したことは、陛下には……」


「もちろん、秘密にするわ。ノイ、話してくれてありがとう」


 ヴァレリーが背負った過去を思うと、悲しくなる。けれど、落ち込んだ姿を見せるわけにはいかない。


「そうだわ、もうひとつ、やりたいことがあるの! わたし、剣術を学びたいわ」

「ですが、妃殿下はお体が弱いのでは?」


 ノイが困ったように、眉尻を下げる。


「昔はね。でも今は、運動制限もないのよ。なにかあったときに、陛下を助けられるようになりたいの」

「陛下は、剣術の達人です。もしも襲われることがあっても、おひとりで敵を倒してしまうと思いますよ」

「それでも、お願い。故郷では、体を動かすことはなにひとつ、やらせてもらえなかったの」


 ノイはしばらく顎に手を当てて考え込む様子を見せたが、やがてふうと息をついた。


「致し方ありませんね。それでは、手配をしてまいりますので、一度御前を失礼します」



 昼食を兼ねた朝食を摂り、ユーディドはサナに案内されて、近衛騎士の訓練場へとやってきた。


 剣を打ち込むための、太い丸太が立ち並んでいるほかはなにもなく、がらんとした広場だ。遠くに兵舎らしき建物があるが、騎士の姿は見えなかった。きっと、それぞれの持ち場についているのだろう。


 遅れてやってきたノイが、木剣を手渡してくる。


「剣術を教えてくれる人が、いるのではないの?」

「僭越ながら、私が。陛下には遠く及びませんが、武術の心得はありますので」


 ノイは春の陽だまりのような笑みを浮かべた。


「それでは、妃殿下。素振りを百回なさいませ」

「ひゃ、百回……」


 木剣は、想像よりも重かった。握り方だけ教わると、早速剣を振るように言われる。いち、に、と剣を振り下ろした回数を声に出した。


「じゅ、十二、はあはあ、十三……」

「ユディちゃん、なにをやっているの!」


 ユーディドはぴくりと動きを止めて振り返った。肩章のついた紺のジャケットとズボン、銀の髪も眩しく、ヴァレリーが立っている。


「ヴァン。剣の練習をしているのよ」

「急にどうしたの? いくら運動制限がないからといって、無理しちゃだめだよ」

「わたしね、自分にできることも、できないことも、やってみたいと思っているの!」


 ヴァレリーが、がくりとうなだれる。


「いや、できないことは他の人に任せようよ……」


 そうして彼は、ノイを睨みつけた。


「貴様、なにをしている。目付け役を任せたというのに、なぜ王妃に疲れさせるようなことをした」


 その言葉遣いに、ユーディドは不安になった。離宮で一緒に暮らしたときのヴァレリーは、粗暴な様子など一切見せなかったのに。


「ヴァン、どうしてそんなに怖い声を出すの……?」


 すると、彼は慌てた様子で、ぎこちない笑みを浮かべた。ユーディドに向け、猫なで声を出す。


「ごめん、ユディちゃん。僕、ちょっと間違えちゃった。……ノイ君、いったいどうしたのかな? 僕の奥さんが、健やかに過ごせるようにお願いしたはずなんだけど、不思議だなあ」


 ノイは、一切動揺したふうを見せなかった。眼鏡のつるを、くいと持ち上げる。


「妃殿下のお望みどおりにしただけです。なにかご不満がおありですか」

「そう。うふふふ」


 ヴァレリーは目を細めて妙な笑い声を上げたが、目尻がつり上がっていて、綺麗な顔が台無しだ。

 こほん、と咳払いして、ヴァレリーはユーディドに向き直る。


「ユディちゃん、素振りは中止。練習の最後に、僕と打ち合おう」

「ヴァンと? あなたは剣の達人なのでしょう。すぐに負けちゃうわ」

「大丈夫だよ。子犬が、君に勝てっこないから」


 ヴァレリーも木剣を握るのを見て、それじゃあ、とユーディドは木剣を振りかぶった。木剣の重さで、後ろによろめきながら、勢いよく振り下ろす。

 ヴァレリーは、ユーディドの木剣を受けようとはしなかった。ただ、木剣を構えているだけだ。


 ユーディドの木剣は、ヴァレリーの木剣の側面をなぞり、彼の手首に当たった。彼はしばらくきょとんとしていたが、おもむろに俯くと、「ひぐっ」と嗚咽を漏らした。


「ヴァン! ごめんなさい、怪我はない? すごく痛かったわよね、どうしよう」

「これくらい、大丈夫だよ」


 そう言うが、面を伏せた彼から、透明な雫が落ちるのを見て、ユーディドは肩を跳ねさせた。


「大変……! ノイ、医務室はどこにあるの? 早く、陛下を連れて行かないと」


 自分も泣きそうになりながら訴えれば、ノイはなぜか表情を引きつらせている。


「心配されることはないと思いますが……」

「そんなことはないわ! こんなに辛そうなんだもの」


 ノイに無理やり案内させて、兵舎にある医務室で診てもらえば、恐れおののいた様子の医師は、ヴァレリーに外傷は一切ないと答えた。


 木剣で打った場所を冷やそうと、彼の袖をめくれば、手首に赤みは見られない。

 ヴァレリーの表情を窺えば、彼はまるで鼻歌でもうたいそうなくらい、機嫌の良さそうな笑みを浮かべている。

 ヴァレリーが手を伸ばしてきて、ユーディドの頭をそっと撫でた。


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