第一話:プロローグ
その日、ランベルク王国、王宮の謁見の間は、ピリピリと肌を刺すような緊迫した空気に包まれていた。
「貴様、医療の塔の研究費を懐に入れたな?」
階の上の玉座から、跪いた官吏を見下ろしているのは、絶世の美貌を持つ青年だった。肩上で切り揃えた髪は銀、瞳はアクアマリンのような、淡い青色だ。すっと通った鼻に、形のいい唇。
しかし、彼の眉間には深いしわが寄せられ、氷のような絶対零度の瞳で官を射すくめるさまは、女性的なまでに整った美貌といかにも不釣り合いだった。
青年の名はヴァレリー、ランベルク王国の国王で、二十一歳の俊英である。
「お、お許しを。子どもが病気になり、金が必要だったのです――」
「罪を犯した上に、言い訳をするか。俺に逆らうとは、愚かな……」
ヴァレリーの視線が、うなだれる官吏から、壁に控える近衛騎士へと移る。
「この者を、牢に入れろ。公金の横領は、国家への反逆に当たる。尋問の上、首を刎ねよ」
「そんな! 陛下、どうかお許しください。私が死ねば、家族は路頭に迷います!」
必死な様子で訴える官吏に、ヴァレリーは一瞥もくれなかった。王に目線で促され、騎士が官吏を引っ立てていく。
「ご慈悲を! 私の話を聞いてください!」
悲鳴のような声を上げながら、官吏は近衛騎士に引きずられ、謁見の間から出ていった。
ばたんと、謁見の間の扉が閉まると、その場には沈黙が訪れた。
天井近くにある明かり取りの窓から、午前の日差しが降り注ぐ。まだ、一日は始まったばかりだ。
謁見の間に控える高官、近衛騎士たちは、一様に肩をすぼめていた。
若き王ヴァレリーは、十五歳で即位してからというもの、苛烈な王道を敷いている。王位継承争いで乱れた国を立て直すには、彼の強圧的な統治は有効であったものの、身内であっても容赦なく断罪し、悲しげな顔一つ見せないヴァレリーは、巷で狂王と呼ばれていた。
「陛下、レアン王国のユーディド王女が到着されました」
侍従の報告に、ヴァレリーは小さく顎を引いた。
謁見の間に入ってきたのは、華奢な少女だった。緩く波打つ金の髪に、若葉色の瞳。旅装だからか、簡素な紺のワンピースを身にまとっている。優しげな容貌の少女が玉座の下で礼をとるよりも早く、ヴァレリーが感極まったように呟いた。
「ユディちゃん……!」
途端に、身を縮こまらせていた官吏たちが目を丸くし、互いの顔を見て、囁き交わした。
『ユディちゃんって、ユーディド王女のことか?』
『一国の王女を、ちゃん呼び?』
『あの国王陛下が?』
ユディちゃんと呼ばれた少女――王女ユーディドは、顔をぱっと輝かせると、可憐な声を上げた。
「ヴァン!」
『あっ、ユーディド王女死んだな』
官吏のひとりが零した。狂王の名を、愛称で呼ぶ者などいない。
ヴァレリーは玉座からゆらりと立ち上がると、階を下り、ユーディドの元へ向かう。
『おい、王女が殺されるぞ』
『剣で叩き斬る気だ』
官吏に続いて小声で話し合うのは、近衛騎士たちだ。
『国際問題になる。王女を守れ』
『陛下の剣の腕は国いちばんだぞ。嫌だ、死にたくない』
騎士たちがおろおろしている間に、ヴァレリーはユーディドの前まで来ると、両膝を床についた。
「ユディちゃん、僕、寂しかったよ……」
『僕? 僕って言ったぞ』
『あなたの一人称は俺でしょ』
注目されていることに気付いたのか、ユーディドは我に返ったように辺りを見回し、赤面すると美しい礼を披露した。
「ご挨拶がまだでした。失礼しました、陛下」
「ユディちゃん、前のままで話して。他人行儀で悲しいよ」
ユーディドはヴァレリーに視線を合わせ、膝をつく彼の前にしゃがみこんだ。前代未聞の謁見である。
「それでは、ヴァン。先ほど、謁見の間の前で、騎士に連行される方に、泣きながら助けを求められたの。わたしにできることはないかしら?」
「ああ、そいつなら、今度首を刎ねる予定なんだ」
「あの……、よそ者のわたしが言っていいことではないんだけれど、話を聞いてあげることはできないの……?」
周囲で二人の会話を聞いている官吏たちが、うんうんと頷いた。
「ユディちゃんは、人が死ぬのは嫌なの?」
「ええ、そうね。綺麗ごとだとは分かっているけれど」
「じゃあ、やめるよ」
謁見の間が、再びざわついた。
『へえ、陛下が罪人の首を刎ねるのをやめるなんて』
『珍しいこともあったものだな』
ヴァレリーが、再び口を開く。
「この国の、死刑制度をやめる」
「はあっ?」
ヴァレリーの言葉に、大声を上げたのは法務大臣だ。ヴァレリーは、ユーディドに向けた春の日なたのようなまなざしを、凍てつく視線に変えて、法務大臣を睨みつける。
「直ちに、草案を練るように」
「か、かしこまりました」
ばたばたと、法務大臣が退出する。その場にいた官吏、騎士たちが、目を剥いてユーディドを見つめた。
「なにをじろじろ見ている。よいか、ユーディド王女殿下に不敬を働いた者は、死罪に処す」
ぎろりと周囲を見渡すヴァレリーに、ユーディドが呆れた様子で口を開いた。
「死刑は廃止するんじゃなかったの?」
「そうだった。僕、うっかりしちゃった」
「ふふっ。ヴァンは、昔から変わらないわね」
ヴァレリーとユーディドが、くすくすと笑い合う。
「僕は、ユディちゃんがいないとなにもできないんだ。なんたって僕は、君の子犬なんだから」
ユーディドの前に膝をつくヴァレリーの格好は、見る者によっては、犬がお座りしているように感じられるかもしれない。
狂王ヴァレリーの言動に、何人かの官吏が、ふらりとよろめいたのだった。
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