『日常』へようこそ
いつも通りの日常へと戻ってきたはずなのに、週末を越える前と違うのは『彼女』が現れたからだ。毎日が充実感と虚無感で満たされていく――。
あの時願ったからか、彼女は夢に毎回出て来てくれた。
お願い醒めないで。
いつまでもここに居たい。
できることなら、ずっと一緒にいてくれるよね――。
頼りなげな声と共にその姿を現し、ケイジの手を取った。――その手を握り返せば、彼女は微笑む。
あの時と違うのは、夢の中で少しずついろんな場所をデートするかのように巡っていることだろう。最初は草原や山など自然の多い場所だったが、次第に自分が知っている場所が増えて行った。
彼女と行きたい場所を考えていると、夢の中で彼女と回れることが分かったのだ。――だから彼女と行きたい場所を見つけるために街を探索したり、入ったことのないおしゃれなカフェの下見に行ってみたり、近隣のガイドブックなどを本屋で立ち読みするなど行動が変わった。
たとえ夢の中でしか会えなくても、心を満たすこの想いは本物だ。――起きれば彼女がいないという冷たい現実が目覚めと共にやって来るが、それもまた夢の中で彼女に会えると思えば楽しい気持ちがこの身体を動かしていく。
お願い醒めないで。
いつまでもここに居たい。
できることなら、ずっと一緒にいてくれるよね――?
彼女がそう願うなら、ずっと一緒にいよう。そのささやかな願いが寂しい現実でも乗り切る力を与えてくれるようだった。
「ケイジ、最近忙しそうだね。まさか彼女でもできた?」
久しぶりに学校のカフェテリアでイツキに遭遇し、声を掛けられた。
「――いや、そんなんじゃ……」
思わず口ごもり視線を逸らす。
「まじか――。賽櫻神社の御利益あったのアンタなの?」
「いや、別に彼女が出来たわけじゃ……」
こちらの異変を察知したようで、息を飲むようにイツキが驚きの声を上げた。それを振り払うかのように、首を振る。――夢の中のあの人を『彼女』などとありきたりで軽い言葉で表現できようか。
『運命の人』――、そう形容するのが相応しいと、ひとり心の中でケイジは結論付けた。
「はぁ~ケイジがねぇ……。いや、おめでとう。というかいつからなの? どこで知り合ったわけ?」
根掘り葉掘り聞こうと身を乗り出しながらも、イツキはカバンから菓子とペットボトルのお茶を取り出しながらこちらから目線を外さない。――器用だな。
「だから違うって。それに別に出会ったわけじゃない……」
『夢の中で会っている』、そんなことでも言えば失笑ものだろう。――なんて空虚な出会いなんだと急に寂しさが幸福で満ちていたはずの心を空にしていく。
ケイジの言葉や空気からなにか察したのか、菓子をひとつ差し出された。
「まさか高嶺の花的な……? まぁ、いいや。どんな感じで知ったの? この前の動画、なかなかノビが良くてさ~。後日談的なものも上げたら、もっと注目されると思うんだ。もちろん、ケイジのプライバシーには配慮するつもりだよ」
「……イツキもタモツも何もないのか?」
賽櫻神社に行った後、翌日動画を編集しその夜に公開していた。他の人と違う切り込みだったのが功を奏したのか、初日から視聴回数のカウントが止まらないようで、タモツもイツキも大いに喜んでいた。――共に成功を喜んだあと、家に帰り眠ったところ、彼女が夢の中にまた現れた。
それから少しずつ彼らの集まりに顔を出す時間が惜しくなり、足が遠のいていた。だから二人の近況は知らなかったのだ。
「う~ん特に何もないかなぁ。――登録者もいい感じに増えてさ、ゲーム実況もよく見て貰えるようになったから、あれこれ撮影するのに忙しい感じかなー」
「そうなんだ。――悪い、手伝いに行けてなくて」
「まぁまぁ、そんなことより早く核心を教えてよ。どこの誰なの? ……高嶺の花っていうと×学部の×××××さんとか? それとも××××××さん?」
どちらも聞いたことはあるが、興味のない人たちだった。――そんなつまらない人と比べられるのも癪になる。
「どっちも違う。――」
ふと名前を出そうとしたが、彼女の名前すら知らないことに気付く。――夢の中だとケイジと彼女しかいないから、名を呼ぶ必要もなかった。
急に足りないモノに気付き、今すぐにでも会いたい気持ちが湧く。
「……悪い、ちょっと用を思い出した」
「ちょっと、ケイジ――? この後の授業どうすんの?」
乱暴に荷物を手に取り、イツキの側を離れる。
お願い醒めないで。
いつまでもここに居たい。
でもアナタは、ずっと一緒にいてくれるよね――
まだ眠ってもいないのに、彼女の声が耳元に届いたような気がした。――会いに行こう、今すぐにでも。
カフェテリアを出れば容赦なく太陽が肌に突き刺し、じっとりと汗が噴き出る。眩しさに目の上に腕をかざすが、影になったところであの人に会えるわけでもない。
人気の多い校内なのに、あの白いワンピースに身を包んだ彼女の姿が見えない。
運命の人に出会えるって言うなら、今すぐ会わせてくれ――。
学校から出ようと校門へと向かう。――彼女との出会いは賽櫻神社の御利益なんかじゃないのではと、ふと脳裏にそんな考えがよぎる。
あの日一瞬だけ知り合ったあの女は幸せそうだった。まるで夢のような日々を過ごしていると言っていたが、ケイジの場合は違うだろう、まだ現実になっていないのだから。
こうなることが分かっていれば、あの時もっと真剣に願えばよかった――。
いくつもの日傘を差す女たちの横を、もしかしたらこの中のどこかにいるかもという期待でチラリと確認しながら通り過ぎる。だがあの時の参道に敷かれた小石のように、どれも違うようでじわりと避けて行く。
舌打ちをし、家路を急ぐ。――彼女に会いたい。
あの人の名前は何て言うのだろう。
今日はどこへ行こう。
あの店は気に入ってくれるだろうか。
本屋で見つけたあのカフェなら、もしかしたら喜んでくれるかもしれない。
甘いものは好きだろうか。俺は好きじゃないが彼女が喜ぶ顔が見たい。
あの清楚で誰にも汚されることのない聖域のような彼女と一緒にいられるなら、俺はどこにでも行こう――。