ノウード・タウン【2】
緊張で心臓が耳元でめちゃめちゃ爆音を鳴り響かせていた。
落ち着け、私───!
意識的に深呼吸を繰り返し、過呼吸にならないように息を整えることに努める。
里和ちゃん達には駄目そうだったら早々に戻って来い、と言い含められていた。
ただその中に黒髪の青年の姿はなく、私の兄になってしまったヴィンセントさんが気を回したのか、それとも私が思い切り彼を傷つけてしまったからなのか───
いやいや、そんなこと考えてる場合じゃない……!
私はその扉の前に来ると、弥七に頼んで扉の向こうの様子を探ってもらう事にした。
鯖トラの小猫は頷いて私の被っていたカーディナルマントのフードの中から飛び出すと、そのまま扉をすり抜けて室内に入ってゆく。
そして私は扉を背に振り返り、誰もこちらに来ないか確認する。
いざとなったら美女エルフから渡されている物を使って逃げるよう言われているが、それは最終手段だ。
魔法を使用している物は、同じく魔法を使える者達から見抜かれてしまう可能性が少なからずある───現に当の里和ちゃん自体がそれを見抜く眼力を得ている高位の術者なのだから。
────メグ!
不意に頭の中に私を呼ぶ渋い良い声が響いてくる。
それにはっとして再び扉の方を振り返ると、扉の中から鯖トラ小猫が飛び出してきて私のフードの中に戻って来た。
それに安堵し、私は左肩の上の小猫に右手を伸ばし、その小さな頭を撫でる。
その柔らかな感触に少し心が和む。
「どうだった?」
「ピリカの仕入れてきた情報通り、今は誰もこの部屋にはいなかったよ」
ピリカとは里和ちゃんの使い魔の名前だ───残念ながらこの従魔ともまだ会った事はなく、その情報自体は蘭丸さんから聞いていた。
「そっか、ありがとね───じゃ、弥七、私が開けるまで誰か来ないか見ててくれる?」
「はいよ」
私が豪華な金装飾のドアノブの前に移動するとカーディナルマントの懐からシダー製の魔杖を取り出し、再び鯖トラ小猫がマントのフードから出てその左肩口に移ったのを確認すると、プレシャスオパールの魔鉱石がついた柄頭をドアノブに当て、目を閉じて集中し里和ちゃんに教わった呪文を唱える。
「解錠」
すると柄頭の先から蛍光グリーンの印章が浮かび上がり、そのままノブに吸い込まれてゆく。
───ガチャリ
その音と同時に私はドアノブに手を掛けて回し、扉を開けるとそのまま速やかに室内に体を滑り込ませた。
そして後ろ手に扉をそっと閉めると、照明がないので少々薄暗いが豪勢な広い室内がそこにはあった。
天井も高く、その中央には大きく栄耀なクリスタルシャンデリアが圧倒的な存在感を示している。
その下には見るからに高そうなバロック調ソファーセットが見るものを威圧するかのように置かれており、その周囲の家具・調度品、骨董品の数々がここの主の懐の潤沢さを教えてくれていた。
私はその中にある『聖なる名前』関連の一冊の書物を探しに来たのだ。
この不必要に広い室内で無闇に探しても時間の無駄な上に、誰かに見つかる確率も上がるだけなので、早々に魔杖を部屋に向けて構え、美女エルフから教わった呪文を唱える。
「挑戦、情報、導き、発見、実行」
すると、判りやすく何処かが動く音がしたかと思うと、壁側の全面ガラス張りの飾り棚が左にスライドし、そこに如何にもな空間が黒々とした口を開けていた。
奥の方はねっとりとした闇に包まれ、暗すぎて何も見えない。
それが表向き清華で荘厳なトスリッチ教の陰の部分を凝縮しているかのようだった。
うわ、嫌な感じ……。
直感でそう思ったが、今の私達に変に迷っている暇は無い。
今度は魔杖の柄頭に向かって、
「トーチ」
と唱えると、プレシャスオパールの魔鉱石が明るく輝きだす。
そこでひとつ大きく息を吐く。
「平気か、メグ?」
それまで黙って見守っていた弥七がそっと口を開いた。
「オレ様がいるんだから、何も心配ないからな」
鯖トラの可愛い小猫は、若草色のビー玉みたいな綺麗な丸い瞳を煌めかせ私を励ます。
その存在の美しさに一気に心が洗われたような気持ちになり、私は少し笑って軽く頷く。
そして深い闇の中へ一歩踏み出した。
【’24/04/23 加筆修正してます】
【’24/04/24 修正しました】
古ノルド語、古英語翻訳で散々悩んだ挙句、アイスランド語訳に日和りました……読みも合ってるかどうか判りません
【’24/04/25 鬼追記してます】
【’24/04/29 微追記してます】




