アルフェマフトゥル【9】
どこかで聞き覚えのある嗄れ声が私の脳裏に閃いた。
私がはて、と首を傾げていると、焦った様子で更に思念伝達で話しかけてくる。
『わしじゃよ、わし!───アリカントじゃよ ‼ 』
えっ…… ⁉
アイラーツァにあるイティプ・アプク魔鉱山の?
正直どうでもいいけど○ンバーグ師匠みたいに言わないで欲しい。
つか、何でこんなところに?
『今それどころじゃないんだよ、爺ちゃん。後にしてくれる? 私とっととコレ終わらせて行かなきゃならない場所があるから』
今回もどこにいるのか判らない、姿の見えぬ相手に取り敢えずそう思念で伝えると、不意に背後から何かがぶつかってきた。
痛っ⁉
私は少々イラっとして乾いた音を立てて落ちたそれに視線だけを移すと、さっきどこかに飛ばされてしまったサンザシの魔杖だった。
ん?
何で??
『いいから、その魔杖を使うんじゃ! 効果は倍増じゃぞ』
えー……?
何かよく判らんがこういった場合、大抵は年寄りの言う事は聞いといた方が無難だ、と地味に経験上よく判ってはいた。
「───移動!」
私はまだ掠れのとれない声でそう唱え、柄頭に大粒のホワイトオパールのついたサンザシの魔杖を右手で受け止めると、再び正面で焦げ臭い煙を撒き散らしながら苦しみのたうち回る濃紺のピークドラペルのスーツ姿の魔術士に柄頭を向け、左手を添えながら怒りの鉄槌を下す。
『上級精霊ルキフゲ・ロフォカレに仕えし地獄の大総裁マルバスに我は命ず! 彼の者の真の姿を白日の下に晒し、その愚かな実体を我らが前に打ち据えよ!』
すると魔術士ファーマンと思しき人物が伏している周囲に大きな蛍光グリーンの印章が浮かび上がったかと思うと、その中央付近から体長が3mもあろうかという立派な鬣を有した黒いのライオンが浮かび上がってきた。
それを二度見しながら流石にぎょっとした様子の濃紺のスーツ姿の青年は、苦痛に顔を歪ませたままその場から逃れようと上半身を起こそうとする。
だが、それを睥睨していた黒ライオンがその大きさを物ともせず、猛スピードでその背を太い左前足で潰さんばかりに押さえつけた。
魔術士ファーマンと思しき男性は、蛙が潰されたみたいな嘔気を漏らし、再び床にへばりつく結果となる。
そこで魁偉な容貌の真っ黒なライオンが恭しくそのゴツめの口を開いた。
「主、この度愚臣たる我が身を招聘して下さり光栄の至り───」
『前置きは後で聞くから、手早くお願い』
「御意」
黒いライオンは私の意を汲んで早々に返答すると、そのまま宙空に向けてその場を震わせるほどの咆哮を上げる。
途端に踏みつけられたまま伏せていた青年の全身が、蛍光グリーンの炎でじわじわと焼き尽くされてゆく。
その独特な焼ける臭いに、私はまた嘔吐く前に慌てて魔杖を握った右手で鼻の前を覆った。
やがてそこから、灰緑の肌を有し茶鼠色の長く濃い仙人髭を有した、痩せ細った体にローマ風の白のチュニックを纏ったゴブリンの老人が姿を現した。
……………誰?
全く見知らぬ相手の出現に、こうなってくると怒りを通り越して目眩を覚える。
その上、相手は一方的に私を知っているときていた。
まぁ、この老いたゴブリンが最初からずっと魔術士ファーマンことマックス坊っちゃんであったならそうではなくなるが、どこかで入れ替わっていたとしたら───然もなくば───
いや、今の私にそんな余裕はない……と、言うか、サーシャを助けるのが最優先事項だ。
「……誰かは知らないけど、今はこのままマルバスに捕まえててもらって───レラジェと一緒に少し怖い思いさせてあげてくれる? もう二度と私達に関わりたくないと思うぐらいに」
私はまだ掠れたままの乾いた声で、そう黒ライオンといつの間にか私の傍らにいた白っぽい大きな熊に告げると、何の未練もなく老ゴブリンに背を向ける。
それと同時に性懲りもなく、老ゴブリンはガラガラ声で私の背中に使い古した言葉の礫を投げつけてくる。
「アールヴヘイムに行くのか? 今頃行ったところで手遅れだぞ。お前の黒い火竜も───」
そこで私は振り向きざま黙って持っていた魔杖を老ゴブリンに向かって振り下ろす。
『フリーズ、沈黙の苦痛、束縛!』
忽ち老ゴブリンは身を反らせるようにして黙り込み、大きな三白眼を血走らせながらあらん限りに見開き、満面の脂汗を流し始める。
最後まで言わせるつもりは毛頭なかった。
「弥七っつぁん、私と一緒に来てくれる?」
そしてやはり、いつの間にか傍らでそれを見守っていた私の使い魔たる黒ジャガーにそう声を掛ける。
ところがそんな私から視線を外しながら、弥七は珍しく言いにくそうに私に向かって口を開いた。
「無論だ───だが真夜よ、その格好で行く気か……?」
漸くそこで私ははっとする。
自分の服がズタボロに刻まれてしまった挙げ句、ほぼ半裸状態にされてしまっていた事に───
[ 参考資料 ] Wikipedia より『Melanism』( 英語版 )
因みにメラニズムのライオンはいないそうです……残念
【‘24/07/15 誤字脱字加筆修正しました】